第20話:王なき王座(La Throne neu La One)
「オリヴィエちゃん、ちょっと……!」
横たわっているオリヴィエに、シロットは声を掛ける。
その間にも、建物は大きく揺さぶられており、シロットの耳には、あちこちから軋む音が聞こえてきた。崩落しないのは、ほとんど奇蹟のようだった。
「もしもーし?!」
ヤケクソ気味にシロットは尋ねるが、オリヴィエは、目を閉じたままである。
シロットは、オリヴィエの口元まで、顔を近づけてみた。
オリヴィエは、寝息を立てている。
「ハハハ」
シロットはとりあえず笑ってみた。
「冗談キツいっスよ――うえっ?!」
足元から伝わってきた衝撃に、シロットはよろめく。窓の外に目をやったシロットは、地平線が視界の下方へ消えていき、代わりに白い泥――“エンマハのハルエラ”の肉体――が、周辺で波を立てていることに気付いた。震動に代わって、建物が船のように上下に動いていることに、シロットは遅れて感付く。
「まさか――」
別の窓から、シロットは身を乗り出した。シロットたちは、建物ごと、どこかに運ばれようとしているところだった。“エンマハのハルエラ”だった白い軟体が、身体を引き伸ばし、建物を地面からもぎ取ったのだ。
軟体の一部分が隆起し始めたのを見て、シロットは建物の中に身をひっこめる。シロットの目の前で、隆起した白い軟体は、昆虫の肢に似たものを形作った。肢は、シロットたちの建物を抱え込み、押し潰すのにはちょうど良い太さだった。軟体からは、瞬く間に二本の肢が突出し、案の定、シロットたちのいる廃墟を抱え込んだ。
肢の間が泡立ち始め、再び隆起が始まった。今度の突起は肢よりも大きく、先端には二本の触角が生えている。側面には、複数のレンズで覆われた眼が形成され、下部には口吻が形成される。――形成された“蜂”の頭部が、ゆっくりと建物まで近づいてくる。
「ちょっと――」
シロットが飛びのいたのと、“蜂”の強靭な顎が、発条のようになって廃墟の壁面を粉砕したのは、ほぼ同時だった。“蜂”は、顎を震わせると、口吻から白い泡を吹きだした。白い泡は、廃墟を壁伝いに広がり、空気に触れて固まった。退路となるべき窓は、全て泡で塗り固められてしまった。
「素晴らしい力だ……!」
シロットの耳に、男性の声が聞こえてくる。その声は、“蜂”が発したものだ。
「アンタがイカーナね?」
「そうだ」
蜂型の怪物――かつて“イカーナ”の名前で呼ばれていた傭兵――は、答えた。
「だが、それももうじき、過去の名前となろう。――これからは、“神”とでも呼んでもらおうか?」
「ハッハー、成仏する気満々ですな」
シロットは、鉄鎚を逆手に構える。
「『ギャルに“神”と呼んでもらいたいオッサン』なんて、今時流行んないでしょ」
「愚かな。私は本当に“神”になる素質を得たのだ」
“イカーナ”は、口吻を小刻みに動かした。シロットは、なぜか“イカーナ”が、笑っているように見えた。
「“死せる神の塔”――貴様も『知らぬ』とは言うまい」
“死せる神の塔”――その名前を聞いて、シロットは唾を呑み込んだ。東の果てにあるという“死せる神の塔”。オリヴィエとシロットは、そこへ向かっている。そこには、賢者・マース――またの名前を“お母さん”がおり、到達した者の願いを叶えてくれるという。
「やはりそうだな! やはりそうだ!」
シロットの表情から何かを読み取ったのか、“イカーナ”は満足げに、口吻を小刻みに動かした。
「既に流出しているのだな。ママイと“死せる神の塔”の、融合が解除されたということが!」
――お母さんって奴がいて、そいつが腐っちまったんだよ。
“ガラスの森”を抜けようとした際の、タージェの言葉を、シロットは思い出した。“死せる神の塔”が何か、“ママイ”が何者なのか、シロットには分かっていない。それはおそらく、オリヴィエも同様だろう。
だが、“イカーナ”は何かを知っているようだった。そしてそれが、“ママイ”と“死せる神の塔”の、融合解除とのことである。
「ハルエラはこの情報を隠したがっていたが……。私のほかにも、内通者がいるということだ。そして今、私はハルエラの肉体を、このようにして手に入れた。……私の研究成果が、私の役に立ったのだ!」
「シロット、」
ふいに後ろから呼びかけられ、シロットは危うく飛び上がりそうになった。声を掛けたのは、オリヴィエである。正真正銘、これまでシロットが聞きなじんでいた、オリヴィエの声だった。
「じっとしてて。私が“今”って言ったら、しゃがんで」
「ハルエラはデウスと融合し、この肉体を得た」
語ることに夢中なあまり、オリヴィエの意識が戻ったことに、“イカーナ”は気付いていないようだった。
「そのハルエラに、今の私は融合を重ねている。これほどの力があれば、エンマハもカリハも怖れるに足りん。――“死せる神の塔”に至り、神になるのは私だ!」
(そういうことか)
“イカーナ”が言おうとしていることを、シロットも理解する。シロットは字面通り“死せる神の塔”を“塔”と考えていた。
しかし、これも魔獣の一形態なのだろう。つい最近までは、“ママイ”が“死せる神の塔”と融合していた。それが何らかの弾みで、“ママイ”と“死せる神の塔”の融合は解除され、“ママイ”は行方をくらましてしまったのだ。
すると、宿主を喪った状態で、“死せる神の塔”は残されることになる。“イカーナ”は、“死せる神の塔”と融合することで、“ママイ”の後釜に座ろうとしているのだ。もし、“ママイ”の全ての願いを叶える能力が、“死せる神の塔”に由来するのだとすれば、“イカーナ”が神を自称することも、あながち間違いではなくなる。
「――まずはお前だ」
“イカーナ”の視線が自分に集中したことを、シロットは感じ取る。
「神に最初に屠られる者として、その栄誉を受けるが良い。――味わえ!」
“イカーナ”が、シロットに向かって口吻を広げる。
その時だった。
「――伏せて!」
シロットの背後から、オリヴィエが叫ぶ。
「今」って言うはずじゃなかったのか――内心ではそう思いつつも、シロットはおとなしく地面に膝を突いた。
“イカーナ”が、顎を地面に打ち付けるようにして、シロットに頭部を突き出してくる。そんな“イカーナ”の眉間に目掛けて、何かが飛来した。
「えぇ……?」
こんな状況にもかかわらず、シロットは声を漏らした。
オリヴィエが放ったのは、銃撃ではない。
銃そのものだった。
イカーナの眉間に、オリヴィエの銃が接触する。その瞬間を、シロットは目撃した。そして
「あっ」
と声を上げた。その直後、銃からほどばしった稲妻が、“イカーナ”を貫通している影像が、あたかも静止画のように、シロットの脳内に飛び込んできた。
「ハァ、ハァ……」
シロットは、自分の目を強くつぶり、まぶたの裏の眩しさを追い出した。シロットの側で、足音が止まる。足音の主が、撃鉄を上げる音が、シロットの耳に聞こえる。
「オリヴィエちゃん……」
シロットの隣で、足音の主――オリヴィエは、“イカーナ”に照準を合わせている。
“イカーナ”は、その場で固まっていた。目を凝らしたシロットは、“イカーナ”の全身が、石膏のようにざらついていることに気付く。オリヴィエの銃が発した稲妻が直撃し、“イカーナ”の身体は、石灰と化してしまったのだ。
「ずるい……」
シロットは言葉を漏らした。
「ずる過ぎる……」
「話は後よ、シロット」
シロットの恨めしげな目つきなど、オリヴィエはどこ吹く風のようだった。
オリヴィエが、指を引金に掛ける。――銃声とともに、イカーナの身体は崩れ去っていった。




