第2話:禁断の果実(Ruv Forbida)
「何だこれ」
手にした物を掲げると、シロットは首を傾げた。それが何であるかは、シロットにも分かる。女性ものの下着である。
「うーむ。これは『名探偵の出番』って奴ですよ」
問題は、それをまさぐっていた”人物”である。先ほどシロットは、その”人物”と交戦した。シロットは戦うつもりなどなかったのだが、相手はそうは考えなかったらしい。
しかし、狭い場所での近距離戦闘は、シロットの得意とするところである。形勢不利と分かるやいなや、その人物はすぐに逃げてしまったのだ。シロットに追う暇は与えられなかった。
結果としてシロットの手に入れたものが、この床に散乱している女性ものの衣類である。しかし、シロットが交戦した限りでは、相手は間違いなく男性だった。
(これは……もしかして、“同業者”……?)
「――動かないで」
考えあぐねているシロットの耳に、少女の声が聞こえてくる。
◇◇◇
「動かないで」
ビルの中に侵入したオリヴィエは、少女の背後に立つと、声を低くして言った。
桃色の髪を二房に束ねている少女は、オリヴィエの穿いていた下着を手にしたまま、硬直している。
「あなたが泥棒ね? 服ごと盗むなんて、どうかしてるわ。ほら、返して!」
腕を伸ばすと、オリヴィエは少女が掲げ持っているパンツをひったくる。
「ええっと、お言葉を返すようで恐縮ですが……」
両手を頭の高さに上げたまま、少女はおずおずと答えた。
「あたしがですね、女の子の服をはぎとって、すっぽんぽんにさせて逃げるような人に見えますか?」
「そうね。レイプする度胸のない男よりはマシね」
「うわぁ、あけすけに言うねぇ……。でもさ、見てよ、あたしの着てる服」
オリヴィエは、少女の着る藤色のツナギを見やった。よく見れば、背中には象徴的な紋章が書かれている。白地に抜かれた十字と、それを取り囲む円環――。
「ラルトン聖教の紋章ね」
「そうそう、それよ」
少女は得意げにそう言った。自分の置かれている状況など、少女はまるで意に介していないようである。
ラルトン聖教とは、オリヴィエの母国でも信仰されている、“旧時代”から続く由緒ある宗教である。正式な宗教名が別にあるのだが、その宗教の総本山がラルトンという都市にあるため、もっぱらラルトン聖教と呼ばれているのである。
「あたし、そこで尼僧やってたんだから。それに、あなただって知ってるでしょ? 『悩める隣人と財産は共有しなさい』っていう、あたしたちの教え。だからあたし、下着着てないのよ。財産共有だから」
「その割に――」
その割には、ラルトン聖教の紋章には、焦げ茶色のペンキか何かで、大きくバツ印が上書きされている。
「信仰心は薄いみたいだけど? 今着ている服も、誰かから奪ったんでしょ?」
「違うって、これはもともとあたしのものよ」
「悩める隣人と財産は共有しなさい」と「もともとあたしのもの」という思想が、少女の中でどううまく同居しているのか、オリヴィエは問いただしたかったが、やめた。
「じゃあ、なんでこんなところに――」
「ドジっちゃったのよ」
「『ドジった』?」
「そうそう。あたし、シロットっていうんだけれどね……」
そう言うと、少女――シロット――は、いきなり語り出した。
「教会で僧正とヤってるところ見られちゃって、追い出されたってわけ」
「ええ……」
率直すぎるシロットの物言いに、オリヴィエも思わず後ずさる。
「どうして教会なんかで……」
言ってしまってから、オリヴィエは自分の発言が余りにも馬鹿げていることに気付き、ひとり赤面した。しかしシロットは、そんなオリヴィエの失敗には気付いていないようである。
「そりゃあ、目上に迫られたらヤるしかないじゃない? 双方合意なワケだし。それにね、見られてるの分かったんだけどさ、『ようし、見せつけてやる!』って気持ちで挑んだわけよ。でも、目撃者が堅物だったのよねぇ――」
そこまで語ると、シロットはいきなり、オリヴィエの方を向いた。シロットの青い瞳に、オリヴィエ自身の姿が映り込む。シロットの振り向き方が突然だったために、オリヴィエには制止する暇さえ与えられなかった。
「あ……」
「あら、かわいい」
言うやいなや、シロットはオリヴィエに向かって飛びかかってきた。相手は床に座り込んでいる。だから、背後を取れば圧倒的に優位に立てるため、荷物は大人しく返してくれるだろう――そう考えたオリヴィエの読みは外れた。いったい、シロットの細い脚のどこに、これだけの瞬発力が潜んでいるというのだろう。気付いた時にはもう、オリヴィエは完全に、シロットに馬乗りにされていた。
「や、やめて……」
「うわあ、すごーい、肌、白ーい!」
オリヴィエの肩と胸をなで回しながら、シロットは言った。
「身体に刺青が入ってないなんて……あなた、結構な上流階級の出身でしょ?」
「私は――」
「いや、まって、待って。いま当ててみせるから!」
腕を伸ばすと、シロットはオリヴィエの着ていた緑色の上着を掴む。上着の背には、飛鷹の紋章――バンドリカ王国の国章――が染め抜かれている。
「さては、あなた、バンドリカのお姫様ね?」
にやりと笑みをこぼすシロットから、オリヴィエは顔をそむける。もっとも、そのような態度そのものが、答えを示しているようなものである、とオリヴィエは分かっていたのだが、素直に「そうよ」と答えるのだけは、オリヴィエのプライドが許さなかった。
「図星ってところね。いやー、しかし、あたしも果報者だわ。こんな世界の果てみたいなところで、お姫様ゲットできるだなんて――」
そう言うとシロットは、オリヴィエにまたがったまま、着ているツナギのファスナー部分を開いた。シロットの鎖骨、肩、二の腕、控えめな乳房――が、オリヴィエの目にもあらわになる。
「あなた……」
目の前でツナギを脱ぎ捨て、真裸になったシロットを、オリヴィエは凝視する。
「本当に着けてないのね……」
「穿いてもいませーん。じゃ、お姫様、いただきまーす」
何かを言う隙は、オリヴィエに与えられなかった。次の瞬間にはもう、オリヴィエの唇は、シロットの唇によって塞がれてしまったからである。
逃げ出そうともがくオリヴィエに対し、シロットは自分の身体を密着させてくる――。