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デウス・エクス・マギカ  作者: 囘囘靑
第2章:最後にして最大(Las Gros e La Finue)
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第19話:自分自身(meme)

「――動くな」


 シロットの首筋に、硬いものがあてがわれる。感触から、シロットはそれが、匕首(あいくち)の切っ先であると理解した。


「やっぱり……」


 (ひざまず)いたままの姿勢で、シロットは言った。


「やっぱりアンタを……殺しておくべきだった……」


 シロットの言葉に、相手は――サーミは――含み笑いを漏らす。


 シロットの背中越しに伝わってくるサーミの気配は、初めて出会った時のような、あか抜けない新米傭兵のものではない。匕首(あいくち)をシロットの首筋にあてがう角度も、肘の折り畳み方も、サーミの技術(アルス)は完璧だった。シロットが少しでも身じろぎしようものなら、あるいは、身じろぎする素振りでも見せようものなら、匕首(あいくち)の切っ先は、たちまちのうちにシロットの喉元に食い込むだろう。


 シロットは理解した。背後に立っている獣人の傭兵は、サーミであって、サーミではない。


「……アダバダね?」

「ずいぶんと時間がかかったな」


 サーミ――“アダバダ”が、鼻を鳴らした。


「さては……油断したな?」

(クソ……)


 シロットは奥歯を噛む。


 アダバダの言うとおり、正体に気付くことのできるチャンスは、幾らでもあった。“エンマハのハルエラ”から逃れてすぐのシロットに、サーミは背後から忍び寄って、シロットに声を掛けた。いかにシロットの注意力が散漫になっていたとはいえ、サーミが素人(しろうと)だったら、シロットに気付かれることなく、その背後に忍び寄ることなど、できはしなかっただろう。


 高台へ登った時もそうだ。サーミがただの傭兵だったならば、サーミは到底、高台までよじ登ることなどできなかったはずである。にもかかわらず、大して時間もかけずにサーミが登りつめたのは、シロットと同程度の身体能力を、サーミも有しているからにほかならない。


 それに、青年の放ったパチンコ弾で、“決死隊”が散りじりになりかけていた時も、そうだった。


――あんなの……避けきれないよ……


 あの時、サーミはそう言って泣きべそをかいていた。しかし、裏を返せば、サーミは塹壕に飛び込んできたパチンコ弾の軌道を、しっかり見切っていたことになる。


 その時、外から聞こえてきた笑い声が、廃墟全体を震わせた。その笑い声は、さながら男性が歯ぎしりしつつも、何かに打ち勝ったことを誇るかのような、そんな笑い方だった。


 上から降って来た水が、シロットの正面に水たまりを作る。建物が震えた弾みで、上層部のひずみに溜まっていた水が、こぼれ落ちてきたのだろう。


「時間がない」


 アダバダが言った。


「間もなく、イカーナが孵化(ふか)する」

「……イカーナ?」


 シロットは訊き返す。


「そうだ。イカーナ、……廃業傭兵年金機構(エンマハ)で、元締(もとじめ)級の傭兵だった者だ。遺失技術の研究者だ。何度も会ったろう? 我々だって」

「まさか……」


 シロットの脳内に、虹色の怪物の影像(イメージ)が去来する。シロットが初めて邂逅(かいこう)した時、虹色の怪物は、まだ半分ほどは人間の形状だった。


「あの男は、“プロトマギヌス”の研究をしていた」


 シロットの思考を見透かしたかのようにして、アダバダが語る。


「“プロトマギヌス”は、宿主を“デウス”に変化させる寄生生命体だ。傭兵団(ギルド)で取り込めば、戦力の大幅な底上げにつながる。イカーナはエンマハからの脱走を試みていたから、俺たちが手助けした」

「そこへ、ハルエラがやって来た……」


 散逸していた事実の破片が、シロットの頭の中で筋書(ナレトー)を描き始める。


 イカーナは、自らの研究成果である“プロトマギヌス”を携えて、カリハの傘下であるブルガーの街へ逃げ出した。しかし、脱退を厳しく(とが)めるのは、エンマハもカリハも同じである。ブルガーの街に副頭取のハルエラが投入され、追いつめられたイカーナは、自らに“プロトマギヌス”を投与したのだ。


「ハ、ハ……ハ!」


 シロットの背後で、アダバダが声を上げる。それが笑い声であると気付くのに、シロットは時間がかかった。アダバダの笑いは、笑う方法を忘れてしまった人が、練習して笑い方を身に着ける途中のような、不自然な笑い声だった。


「キミには礼を言おう」


 ――水たまりに映り込んだ景色が変化したことを、シロットは見逃さなかった。アダバダの背後が揺らめいたかと思うと、人影が姿を現したのだ。人影の輪郭はおぼつかなかったが、シロットはその形状から、人影が短刀を握り締めていることを察した。


 青年が――もう一人の“オリヴィエ”が、今、アダバダの背後に迫っている。


「あら、良いってことよ」


 シロットは、わざとらしく言ってみせた。オリヴィエの作戦を成功させるために、シロットにできることはひとつしかない。 アダバダの注意を、自分に向けさせることである。


「知ってるでしょ? 『求めよ、されば与えられん』って」

「お蔭で、“プロトマギヌス”の真価を垣間見ることができた。既に標本(サンプル)も回収できている。あの生命力、進化に対する飽くなき欲求。――いずれも、我らカリハの望むところだ」

「それで、アンタは――」


 あと三歩で、“オリヴィエ”の短刀はアダバダに届く。


「アンタの欲求は何?」

「お前の肉体だ。――分かるだろう? この身体が、オレのものではないことくらい……!」


 アダバダの声に、珍しく感情の火がともった。その声には、身体に対するいまいましさが込められているように、シロットには聞こえた。


 あと二歩。


「この獣人の肉体を奪って、オレは生きながらえている。だが、もうウンザリだ。臭くて、薄汚くて……血が(よど)むようだ」

「ハハハ、お客さん、言いますねえ」

「アイツさえいなければ……!」

(――アイツ?)


 アダバダの言葉に、シロットの第六感が反応する。


 アダバダの言う“アイツ”。――どういうわけか、シロットはその人物が、シロットも良く知る人物であると直観した。


 あと一歩――。


「それって――」

「――お前のことだ!」


 アダバダが、シロットの首筋から匕首(あいくち)を翻す。そのまま右腕を鞭のようにしならせると、アダバダは背後に立っていた人物――“オリヴィエ”――に、匕首(あいくち)を振りかざしていた。


 だが、“オリヴィエ”も負けてはいない。アダバダが振り向いたのと同じタイミングで、“オリヴィエ”も短刀を振るう。


 アダバダと“オリヴィエ”、二人の構えた短刀が、シロットの目の前で交錯する。


……

……


「久し振りだな、アダバダ?」


……

……


 “オリヴィエ”が、わざとらしくアダバダにウインクしてみせる。


 その胸板には、アダバダが放った匕首(あいくち)の切っ先が(うず)まっている。


「ずいぶんと可愛くなったじゃないか、え?」


 そう言うと、“オリヴィエ”は短刀を握る左腕に力を籠め、アダバダを遠ざける。


「う、ぐっ……!」


 口元から泡を漏らしながら、アダバダが後ずさる。その拍子に、握り締めていた匕首(あいくち)から、アダバダは手を放す。


 “オリヴィエ”の胸元から、匕首(あいくち)が地面にこぼれ落ちた。


 アダバダの右肩には、オリヴィエの放った短刀が、深々と突き刺さっている。


 ほんの少しの差だった。アダバダの狙いは完璧で、匕首(あいくち)の尖端は、“オリヴィエ”の心臓を精確に捉えていた。


 もし、アダバダが“サーミ”の身体でなかったら、腕の長さが上乗せされ、アダバダの匕首(あいくち)は、“オリヴィエ”の心臓に達していただろう。だが、アダバダは大切なことを忘れていた。今のアダバダは、自分自身であるとともに、自分自身ではない、ということだ。


「クソっ……この身体では……」


 “オリヴィエ”とシロットの双方から、アダバダは遠ざかる。アダバダの尻尾は小刻みに痙攣(けいれん)しており、右腕はだらりと垂れ下がっていた。“オリヴィエ”は短刀の一撃で、アダバダの右腕の腱を断ち切り、短刀をひねることで、右肩を剥離(はくり)させたようである。


「悪いんですけどね、アダバダさん、」


 鉄鎚(ドミニ)を取り出すと、シロットは立ち上がって、アダバダの前で構える。


「あたし、今の身体は大分気に入ってるんですわ。ニオイが気になるんだったら、やっぱり全剃りするしかないんじゃないっスかねぇ、その体毛」

「ハ、ハ……ハ!」


 アダバダが笑った。


「ハ、ハ……ハ! 好きに言えばいい。だがその言葉、忘れるなよ……!」

「待て――」


 シロットが叫んだ時には、既に手遅れだった。アダバダの全身が点滅したかと思うと、瞬きした時にはもう、アダバダは完全に姿を消していた。


消えた(フォワ)?」

逃げたんだ(エスカラ)


 シロットの背後から、“オリヴィエ”の声が聞こえる。


「今のアイツじゃ……二人も相手にできない……」

「ちょっと……!」


 慌てて振り向くと、シロットは膝をついている“オリヴィエ”に手を貸した。胸元の傷は開いており、“オリヴィエ”の白いシャツは、血で真っ赤に染まっていた。


「しっかりしてよ、オリヴィエ」


 いつしかシロットは、目の前の青年のことを、普通に“オリヴィエ”と呼んでいた。――だが、そのことにシロットが気付くのは、だいぶ後になってからのことだった。


「連れてってくれ――」


 シロットは黙ったまま、“オリヴィエ”に手を貸し、横たわっているもう一人の“オリヴィエ”のところまで連れて行った。


「もういい、ありがとう」

「言っとくけど、これは“貸し”よ?」

「ハハハ……」


 “オリヴィエ”は笑った。こんな場面にもかかわらず、“オリヴィエ”の笑いは、素直な笑い方だった。


「ちゃんと説明してもらうからね――」

「覚えてたら、な」


 “オリヴィエ”が、地面に膝をつく。次の瞬間、“オリヴィエ”の全身が、光に包まれた。


「うえっ……?!」

「――姉さん、」


 眩しさに、思わず顔をしかめていたシロットの耳に、“オリヴィエ”の声が届く。


「待ってて……すぐに助ける……必ず救ってみせる……姉さん自身からも――」


 シロットの心の中で、訊きたいこと、尋ねたいことが、泉のようにあふれ返る。


 だが、尋ねるべき相手は、もういなかった。先ほどまでの青年・“オリヴィエ”は姿を消し、シロットの目の前に寝そべっているのは、これまでのシロットがよく知るバイクオタのガンスリンガー・“オリヴィエちゃん”だけだった。

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