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デウス・エクス・マギカ  作者: 囘囘靑
第2章:最後にして最大(Las Gros e La Finue)
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第18話:もう一人のオリヴィエ(Las Tepos du La Origina)

「ちょっと待て」


 背後から呼びかけられたその時、シロットの心の中を、二つの感情が稲妻のように駆け巡った。


 第一の感情は、「逃げられない」という焦りである。これまでの経験から、シロットは、背後に迫った男性の実力が自分と同程度か、又はそれ以上であることをすぐに理解した。


 第二の感情は、焦りよりも繊細な感情で、シロットにとっても名状し難い感情だった。無理して言おうとすれば、それは「懐かしい」という感情だった。


 もちろんシロットにとっては、初めて聞く男の声である。だからこそシロットは、自分の心の中に芽生えた「懐かしい」という感情に、自分自身で戸惑っていた。


 シロットは、ゆっくりと背後に振り向いた。男は背が高く、小柄なシロットからすれば、顔を覗き込むために、ほとんど見上げなければならないくらいだった。肩幅はがっしりとしていて、肌は日に焼けて浅黒くなっている。ただし、体格に圧倒されて分かりにくいが、男の年齢はシロットよりも下だろう。どちらかと言えば、”青年”の部類だ。


「あ……」


 青年を目の前にして、シロットは言葉を呑んだ。


 青年は首に、スリングショットを引っかけている。パチンコ弾でシロットを援護していたのは、この青年なのだ。


 見逃してはならない点が、もう一つある。青年は、透き通った青い瞳を――オリヴィエと同じ瞳の色を――持っていた。


「あなた……もしかして……」

「――オレの名前は、“オリヴィエ”」


 腰に手を当てた状態で、青年はそう名乗った。それは、シロットにとって予想通りの答えだった。


――実はその子、男の子だったんじゃないかしら――


 過去に披露した自らの推理を、シロットはもう一度、記憶の中で反芻する。


 シロットの予感は、当たっていた。――では、廃墟の奥で眠っている”オリヴィエちゃん”は、いったい誰なのだろう?


「気になるよな、やっぱり」


 青年は言った。


「話すと長くなる。――ところで、名前は?」

「シロット」


 シロットは、青年から目を反らした。


(どうしよう!)


 シロットにとってショックだったのは、青年の為人(ひととなり)は、シロットの好みだということだった。シロットは、名乗ることに恥じらいを覚えたし、恥じらいを覚えている自分が、更に恥ずかしかった。


(早く目ェ覚ましてくださいよ、オリヴィエさん――)

「そうか」


 それだけ言うと、青年は窓枠まで近づき、外の様子を眺める。シロットもつられて、廃墟の外に目を向けた。


 虹色の怪物が無力化されたためか、青年が攻撃を止めたためか、カリハの下級傭兵たちが、塹壕を通り抜けながら、こちらに接近していた。


「減らないな」


 首に提げていたスリングショットを、青年は再び手に取る。


「何、戦うつもり?」

「逃げられない。彼女が――」


 青年は、“オリヴィエ”のことを”彼女”と呼んだ。ただ、青年の呼び方は、どことなくぎこちなかった。


「彼女が目覚めない限りは。まだ時間がかかる」

「あっそ。ねえ、あなた銃使わないの?」

「オレは”選ばれなかった”」

「はーん……?」


 気のない返事をしたが、シロットは、何が「選ばれなかった」のか、青年の言っていることの意味が分からなかった。


「話すと長くなる」


 青年は再び言った。


「いいわよ、別に。オリヴィエちゃんが目ェ覚ましたら聞いてみるから」

「その方がいい――あなたが心を込めて話せば、彼女だって教えてくれるかもしれない」

「あはん。それはダイジョウブ」


 髪の毛のひと房を、シロットは自分の指に巻いた。


「あと、『シロット』でいい」

「シロット、手伝ってくれないか? 彼女を――」


 そう言うと、青年は床に横たわっている“オリヴィエ”を見やった。青年は、意図的にオリヴィエのことを“彼女”と呼ぶことによって、自分自身が覚えている違和感を拭い去りたいようだった。


「彼女を動かすことは、今はできない」

「当ったり前でしょ。何しにここへ来たと思ってるのよ――」


 言いながら、シロットはふと、サーミのことを思い出した。薄情な話、“オリヴィエ”との出会いに全意識が向けられてしまい、シロットはサーミのことを忘れ去っていた。


「ねえ、オリヴィエ……」


 青年をどう呼ぶかで、シロットは一瞬だけ迷った。それから“オリヴィエ”と呼んでみたが、走っている途中で足場を喪ったかのような、奇妙な感覚をシロットは味わった。


 青年が“オリヴィエちゃん”のことを“彼女”と呼ぶときにも、今シロットが感じたのと同種の感覚を味わっているのだろう。


「何だ?」

「もしさ、毛玉……じゃなくて、獣人の傭兵がいたらさ、ソイツだけは――」

「塹壕で……隣にいた奴か?」

「そう。サーミって言うんだけどさ、ソイツだけは、見逃してやってほしいのよ。いろいろあったんだけどさ、あたし、アイツに筋通さなきゃなんないのよね」

「途中で逃げたのか?」

「そうよ。ホント勘弁してほしいわ――」

「そうだな、」


 青年は、スリングショットの紐を握り締める。


「それは……勘弁してほしいな」


 カリハ傭兵団の陣営から発射された砲弾が、シロットたちの頭上を越え、建物の上部に当たった。建物全体が震え、頭上からは土埃が降り注ぎ、建物全体が傾く。


「やってくれるじゃん……!」


 コンクリートの塊を右手で掴むと、シロットはそれを振りかぶって投げる。シロットの投擲(とうてき)した瓦礫(がれき)は、放物線を描きながらカリハの陣地まで飛んでいき、地面を跳ね返って、一基の迫撃砲の砲身に当たった。砲身はひしゃげ、台座から外れ、周囲から煙が上がったことが、シロットの位置からでも分かる。


「やるな!」


 青年が、シロットに向かって口笛を吹いた。


「でしょ? もっと褒めてくれてもいいのよ?」

「今度はオレの番だ」


 パチンコ弾を取り出し、シロットの目の前で引き絞ると、青年はそれを放った。弾を放つ瞬間に、青年はスリングショットの柄を握る右手の手首を、大きくスナップさせた。発射されたパチンコ弾は、まっすぐに塹壕の上を飛び、塹壕から頭を覗かせていた傭兵の目玉をもぎ取る。


「やるじゃん!」

「シロット、また来るぞ――」


 フロア内を移動しながら、シロットと青年は、向かってくるカリハの傭兵たちを迎撃した。カリハの陣営から飛んでくる迫撃砲の命中精度は悪く、最初の一発が建物を震わせた以外は、建物の上を通り過ぎるか、手前に着弾し、塹壕に潜んでいた下級傭兵たちを粉砕するかだった。シロットは、手ごろな瓦礫を拾ってきては、カリハの本陣に向かって投げ込んだ。シロットが瓦礫を投げ込むたびに、カリハの陣営からは、悲鳴と、火薬の()ぜる音が聞こえてきた。


 青年も、塹壕づたいに向かってくる傭兵たちを、パチンコ弾でなぎ倒していた。青年の弾の撃ち方は独特で、ステップを踏むように歩きながら、すかさずスリングショットを引き絞ると、パチンコ弾を放った。青年の動きは無造作で、しかし迷いがなかった。


「さぁ……!」


 五基目の迫撃砲が台座からもげるのを見届けると、シロットは肩で息をしながら、横たわるオリヴィエの方を見た。


「そろそろ、死んだフリ止めてもいいんじゃないっスかね?」


 しかし、オリヴィエが目を覚ますそぶりはなかった。シロット自身も、そのことはうっすらと理解していた。――目の前に、青年がいるからだ。シロットは直観的に、青年と“オリヴィエ”とは同時に存立し得ないと感じ取っていた。


「シロット! 悪い知らせと、もっと悪い知らせがある」


 外の様子を警戒しつつ、青年が言った。


「何よ?」

「まず、オレのパチンコ弾がもうない」


 シロットは肩をすくめた。


「ハハハ、最高っスね」

「それから……あれを見ろ」


 青年が指さす方向に、シロットも目を向ける。――プロペラの低くうなる音とともに、カリハの本陣の奥から、四台の戦闘機(ガンシップ)が、方陣を組んで中空に現れた。戦闘機(ガンシップ)は、共通の物体をロープでぶら下げている。


「――マジ?」


 シロットはうめいた。戦闘機(ガンシップ)が共同で運ぶ物体は、白い“繭”だった。その“繭”の白さは、このブルガーの街に足を踏み入れてすぐにシロットたちを襲った、あの白い軟体と同じ白さだった。


「何、カリハの兵器なワケ?」

「違う。“エンマハのハルエラ”だ」

「なるほど。……ン?!」


 青年の言葉に、シロットは耳を疑った。


「嘘でしょ? あのブヨブヨが?」

「ハルエラは魔獣(デウス)と融合している。エネルギーが続く限り、自分自身を好きなように複製することができる。エネルギーが無くなったら、有機物を摂取できるまで“繭”の形状になってやり過ごす」

「なーるほど」


 シロットも合点がいった。複製の過程で、ハルエラは軟体動物となるように自らを変形させたのだろう。軟体になれば、移動の制限は無くなる上、砲撃のダメージを最小限にし、最速でリカバーすることができる。戦略を遂行するに当たって、軟らかい身体の形状は最適化されたものなのだ。


――”エンマハのハルエラ”を殺せ


 アダバダがサーミに下した命令を、シロットは思い返す。なぜアダバダが、いきなり“エンマハのハルエラ”を名指しにしたのか、あの時のシロットはよく分かっていなかった。しかし、アダバダの命令は当然なのだ。“エンマハのハルエラ”は、この戦場にいるのだから。


「まって、待って――」


 それでも、幾つかの疑問は残る。ブルガーの街は、もともとは“カリハ大盾(ベルサ)白衣(ベザウ)傭兵団”と契約を締結している。「他の傭兵団の縄張りは不可侵」が傭兵ギルドの不文律である以上、この場に“廃業傭兵年金機構(エンマハ)”のハルエラがいるのはおかしい。


「話は後だ、シロット、」


 スリングショットを首にぶら下げると、青年は、シロットと“オリヴィエ”とを交互に見つめた。


「カリハの奴ら、オレたちに“ハルエラ”を仕掛けるつもりらしい」

「でも、どうすんのよ――」


 シロットが言い終わる前に、外で変化が起きた。“繭”の一か所に亀裂が走ったかと思えば、白い触手が一直線に伸びて、自らを吊り下げていた戦闘機(ガンシップ)を一台、呑み込んだのだ。


「あっ?!」

揮発油(ガソリン)だ。」


 青年が舌打ちした。


「ハルエラ、揮発油(ガソリン)に反応してる。まずいぞ、カリハの陣営に落ちる……!」


 ハルエラが無造作に触手を伸ばし、一台の戦闘機(ガンシップ)を捕食したために、ほかの三台の戦闘機(ガンシップ)もバランスを崩し、蜘蛛の巣のように絡まり合いながら、螺旋(らせん)を描いて落下を始めていた。ハルエラの“繭”がカリハの陣営に着地する瞬間、シロットは、“繭”の底が割れて、無数の触手がカリハの本陣になだれ込むのを目撃した。


 地鳴りと共に、カリハの本陣のあったところが、土煙に覆われる。土煙は舞い上がり、高波のようになって、シロットたちの立て籠もる廃墟まで殺到した。


(どいつもこいつも……)


 心の中で毒づきながら、シロットは土埃をやり過ごすためにかがんで、息を殺した。青年の話が本当ならば、ハルエラは、カリハの本陣にある火薬や傭兵たちを舐め取って、間もなく孵化(ふか)することだろう。


 ただしハルエラは、“繭”になってから孵化するまでの間に、カリハの手によって移動させられていたとは考えないはずだ。たとえハルエラがその事実に気付いたとしても、カリハの思惑が「廃墟に立て籠もる青年とシロットとをあぶり出す」ことにあると気付く可能性は低い。


 となれば、この廃墟の中で息を殺し、気配を隠していれば、ハルエラが別のところへ向かう可能性は高い。幸い、カリハの本陣は今の騒動で壊滅している。オリヴィエの目が覚めさえすれば、ここを離れることができる――。


 ――シロットがそこまで考えた矢先、外から悲鳴が上がった。それは女性の悲鳴であったが、立ち込める土埃をかき混ぜるほどに大きく、けたたましい悲鳴だった。


 シロットの全身から、冷や汗が吹き上がる。聞き間違いでなければ、今の悲鳴はカリハの本陣、すなわち、“エンマハのハルエラ”が着陸したところから聞こえてきた。


 廃墟の向こう側で、何かが起きている。


(逃げないと――)

「――動くな」


 そう思い立った矢先、シロットの首筋に、硬いものがあてがわれた。

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