第17話:決死隊(Las Squad Moh)
シロットたちの頭上を、質量を有した物体が飛来した。物体は風を切って、廃墟の手前に落下し、土煙を舞い上がらせる。――後方にあるカリハ傭兵団の陣営からの、援護砲撃である。
シロットとサーミ、それから、数人の傭兵で構成される”決死隊”は、”標的”の潜伏する廃墟まで、塹壕を伝いつつ、接近を試みていた。
シロットとサーミ以外に、メンバーは九人いる。いずれも脱走を試み、失敗した下級傭兵たちである。
「脱走は死刑」がカリハ傭兵団の規律である。ただし、”決死隊”の作戦が成功すれば、特例で死刑は免除される。この九人は、どうせ死刑になるくらいならば――という腹づもりで、志願したのだろう。
しかしシロットは、この九人の思惑が別にあることを、早くも見抜いていた。
「なあ、もう本陣は遠くなっただろ?」
メンバーの一人、スキンヘッドの男が、誰彼ともなく周囲に尋ねてみる。男は首筋に刺青を彫っており、痩せていた。歯茎をむき出しにするようにして喋っていたが、歯はどれも釘のように細く、歪んでいた。おそらくは薬物中毒者で、部隊も持て余していたのだろう。棍棒一本で、体よく”決死隊”へと追い払われた格好だ。
「カリハは遠くなったよな? そうら! 目的地だって遠いんだ。いま、中間地点にいるわけだな、そうだろ?!」
ほかのメンバーが全く耳を貸していないというのに、スキンヘッドの男は、落ちくぼんだ目をぎらつかせながら、しきりに同じことを尋ねてきた。カリハ傭兵団からも遠く、かつ”目的地”からも遠いところで、このスキンヘッドの男は、逃げ出すことを考えているのだろう。
「バカなヤツだな、お前は! ――見てみろよ!」
しきりに尋ねてくるスキンヘッドの男に嫌気がさしたのか、頭にバンダナを巻いた男が、とうとう言い返した。バンダナ男は、腕を振り回して、塹壕の周辺に注意を向けさせる。
「いいか?! この塹壕を抜け出したら最後、地上は丸裸で、草一本たりとも生えてやしねえ。逃げ出そうにも、砲撃であっという間に粉々よ」
「そんじゃあ、どうするってんだよ……」
「オレにいい考えがある」
バンダナ男は、鼻頭をこする。
「まず、”目的地”への先陣は、オレが切る。――ただ、突撃を仕掛けるわけじゃあねえ。これを準備したんだ」
そう言うと、バンダナ男は、先ほどから大切そうに抱えていた金属の棒っきれを、皆の前に取り出して見せた。
「何、それ?」
大方予想はついていたが、シロットはわざと尋ねてみせる。
「”白旗”だよ。”目的地”にいるエンマハのヤツらが、いよいよオレたちを撃ち抜こうってなった矢先、すかさずこれを取り出すんだ」
「そしたら、どうなるんだよ?」
スキンヘッドの男が尋ねる。
「簡単だよ。オレたちはエンマハ側に着くんだ。エンマハ側は、もともとこっちよりも圧倒的に不利なところを、やっとのところでこらえている。向こうも逃げ出すことを考えているに違いない。そこを、オレたちと協力するってワケさ――」
「ほんと――」
”ほんと、バカなんじゃないか”と言おうとして、シロットは唇を噛んだ。
”決死隊”が、カリハの脱走兵予備軍によって構成されているという事情など、廃墟に立てこもっている者が知るはずはない。となると、”降参者”の体をして押し入ってきた連中の中に、スパイが紛れ込んでいる、と向こうが考えても、不思議なことは何もない。廃墟に立てこもっている者が、そのようなリスクを負うとは考えられない。
このバンダナ男は、まもなく頭を撃ち抜かれて死ぬだろう。スキンヘッドの男もそうである。残りのメンバーも、見境なく陣営を飛び出して、簡単に捕まるような連中ばかりなのだから、程度など知れたものである。だいたいシロットは、作戦とはいえども、無様に白旗を掲げようとするバンダナ男の性根が気にくわなかった。
「聞いた? シロット?」
「”九人の愉快な仲間たち”を捨て駒にしつつ、いかに”ツレのバイクオタ”に自分たちの存在をアピールするか」で頭を悩ませていたシロットに、サーミが声を掛ける。
「何よ?」
「今の話なら、上手くいきそうなんじゃない? わたしたちも、力を貸してあげれば――」
人差し指を立てると、自分の側まで顔を近づけるよう、シロットはサーミに促す。
「もしね、今度同じように寝ぼけたことを言ったら」
サーミの耳元で、シロットはささやく。
「あんたの体毛、全部毛抜きで、血が出るまで引っこ抜くわよ」
「そんな……そこまで言わなくたって……!」
「――異論はないようだな!」
シロットとサーミが言い合っている間に、ほかのメンバーは、バンダナ男の提案に乗ったようである。
「ようし! そうと決まれば、この塹壕を抜けて」
バンダナ男が話す途中、シロットは、バンダナ男の足下に転がっていた石が、まるで、誰かに蹴られたかのようにして、塹壕内のくぼみに落ちていったことに気付いた。そして、石が飛び散ったのとほぼ同時に、石から跳ね返った小さなつぶてが、バンダナ男の顔面に吸い込まれていくのを、シロットは目にした。
バンダナ男が、急に話すのを止める。
「ひ、ひいっ?!」
スキンヘッドの男が、塹壕内のぬかるみに尻餅をついた。バンダナ男の左目のあったあたりに、ぽっかりと穴が空いている。
「う、うわあ、っ……!」
バンダナ男の亡骸が地面に崩れ落ちるやいなや、サーミが全身の毛を逆立てた(シロットはそれを見て、鳥肌が立つ思いだった)。
(今のは……?)
意識を張り巡らせ、シロットは周囲の状況を窺う。
バンダナ男を殺したのは、カリハ傭兵団ではないだろう。そもそも、”決死隊”はカリハの発案である以上、銃弾を無駄遣いしてまで、”決死隊”を死なせるとは考え難い。
となると、バンダナ男を殺したのは、”目的地”にいる人物、つまりはオリヴィエ、ということになる。
腕を伸ばすと、シロットはバンダナ男の目の辺りをまさぐってみた。バンダナ男の首ががくりと垂れ下がった矢先、バンダナ男の目のあった辺りから、光る小石のようなものがこぼれ落ちる。
(これは……)
バンダナ男の服の裾で、シロットは血を拭う。それは、金属製の小さなボール――パチンコ弾である。
「た、助けてくれえっ?!」
棍棒を放り出して、スキンヘッドの男か、塹壕から這い出そうとする。――今度ばかりは、シロットも見逃さなかった。廃墟の一角から発射されたパチンコ玉が、まっすぐ塹壕の一点に当たる。パチンコ玉は二度、塹壕の中を反発し、スキンヘッドの男の喉へと吸い込まれていった。
「う、っ……?!」
咳き込むとも、飲み込むとも聞こえるような、奇妙な音を喉から発しながら、スキンヘッドの男が地面に倒れ、動かなくなる。酸漿の鳴るような冴えない音と共に、スキンヘッドの男の亡骸、喉に空いた穴から、動脈血が間欠泉のように周辺にほとばしった。
「行くわよ」
「い、嫌……!」
シロットは手を伸ばすと、わざとサーミの尻尾をつかんで、自分のところまで引き寄せる。
残りの七人は、突如として繰り広げられた無音の殺戮に、すっかり戦意を喪失してしまっているようだった。残りの七人は、パチンコ弾が飛んできていることにさえ気付いていないのだろう。
三発目のパチンコ弾が飛んでくる。弾は塹壕の中を跳ね返り、頭を抱えてうずくまっていた男のこめかみに穴を開けた。
「やだ、やだぁ、死んじゃう……」
「大丈夫よ、ほら、行くわよ」
三発目のパチンコ弾を見切った時点で、シロットの心の中には、ある確信が芽生えていた。それは、パチンコ弾を発射しているのは、疑いようもなくオリヴィエであるということ、そしてオリヴィエは、シロットと、シロットがかばう素振りを見せているサーミは避けて、パチンコ弾を発射している、ということである。
だからシロットは、ノミやシラミが心配ではあったが、なるべくサーミに、自分の側にいるように促しているのである。
「も、もう……立てない……」
しかしサーミは、そんなシロットの考えなどお構いなしに、塹壕のぬかるみの中にへたり込んでしまっている。
「あんなの……避けられないよ……」
「泣き言ばかり言ってないで――」
全てを言い終わらないうちに、シロットは不吉な予感を覚え、サーミの腕を力ずくで引っ張る。サーミの身体が中空に投げ出されたのと、サーミのいた位置の塹壕が盛り上がり始めたのは、ほぼ同時だった。
「え? えっ?」
「来る……!」
辺りを見回しているサーミに対し、シロットは鉄鎚を抜き放つ。次の瞬間、塹壕の足場を突き破って、巨大な一匹の蛇が姿を現した。
「う、うわぁ!」
「助けてくれえ!」
”決死隊”の残党たちの悲鳴が、周辺から立ちのぼる。シロットたちの正面で、蛇はとぐろを巻くと、黒い舌を鬼火のようにちらつかせ始めた。
「コイツ……!」
蛇と対峙しながら、シロットは奥歯を噛みしめる。蛇の体表面は、鮮やかな虹色のうろこで覆われていた。高台でシロットの出会った怪物が、蛇に姿を変え、再び現れたのだ。
初めは軟体動物、次は甲虫、今は爬虫類。――怪物は損傷し、変態するたびに、進化の系譜を着実に辿っている。
シロット目がけ、蛇が大きく口を開く。噛みつきを予想して身構えたシロットは、蛇の口の中を見て唖然とする。蛇は、牙の代わりに人間の歯を有していた。それも、上顎と下顎が、全て臼歯で埋め尽くされている。
(うへっ、キモ……)
蛇が飛び出してくるタイミングを、シロットは見計らう。手足がない以上、蛇は自らのとぐろを撥条にして、シロットに噛みつくしかない。しかし、ひとたび噛みつくことに失敗すれば、弱点の頭部を地面に付けたまま、隙だらけの状態になる。狙い目があるとすれば、そこしかない。すかさずサーミを捕まえ、廃墟へと逃げ込む――。
後ろにいるはずのサーミに、シロットは目配せしようとする。
ここでようやく、シロットはあることに気付いた。
サーミがいない。
「ウソでしょ……?」
シロットが浮き足立ったところを、蛇は見逃さなかった。雄叫びを上げ、蛇はシロットに突進する。
シロットも鉄鎚を突き出したが、歩幅が半歩足りなかった。蛇の臼歯と、シロットの鉄鎚が衝突し、発生したプラズマが大気を震わせる。
足りない分の歩幅の代償を、シロットは肘と踵に走った激痛として払わされる。シロットの足下で、地面に亀裂が走った。
「クッソ……」
しびれをこらえながら、シロットは鉄鎚をしまい、肩の関節を独力で外す。悪いことには、蛇の突進をまともに受け止めてしまったために、蛇の頭部が反作用で元の位置に戻っていた。蛇にはもう一度突進のチャンスがあるが、次の攻撃をまともに食らえば、シロットの肘から先は千切れ、肩も壊れてしまう。今、シロットが肩を外したのは、手足のしびれからくる鬱血を防ぐためだ。
蛇が再び、大きく口を開ける。その瞬間、蛇の口腔内に飛び込んできたパチンコ弾が、臼歯に当たってけたたましい音を立てた。
「うえっ……?!」
黒板に爪を立てたときの音を、何倍にも増幅させたような音が、シロットの耳に飛び込んでくる。
しかし、堪らないのは蛇の方である。歯列を伝わって震動が増幅したためか、蛇は口を大きく開け、喉を鳴らしながら、天を仰いでいた。
「あっ」
シロットは声を上げた。――がら空きになった蛇の喉元に、カリハの陣営からの砲弾が直撃したのだ。砲弾は、蛇の喉元で花が開いたようになって、その中身が蛇の全身に降り注ぎ、湯気を立て始める。硫酸弾だ。
「は、初めから……!」
そんな便利なモノを持っているのなら、初めから出し惜しみしないで使いなさいよ――シロットはそう言おうとしたが、目の前で蛇が悶えるたびに、強酸の飛沫が周囲に飛び散り出したので、急いでその場を離れることにした。蛇はもはや、シロットのことなど頭にないようだった。廃墟にシロットが飛び込んだのと、崩れ落ち、ゲル状になった蛇の胴体が、塹壕の中に吹き溜まったのは、ほぼ同時だった。
◇◇◇
「はぁ、はぁ――」
廃墟の壁に腕をあてがいつつ、シロットは肩の関節を再び繋いだ。
「マジ、どうなってんのよ」
シロットの悪態は、半分は蛇の異形に、半分はサーミに向けられていた。硫酸を浴びたとはいえ、溶け残った蛇の身体は、塹壕跡に溜まっている。再び蘇生し、思いもよらぬ異形に進化しないとは言い切れない。
腹立たしいのが、サーミの行方である。いつの間にかサーミが消えていたのも腹立たしいが、シロットにとって我慢がならなかったのは、サーミの行方を追跡できないほど、自分の注意力が散漫になっていたことである。このままサーミを一人にしておいて、無事でいられるとは思えない。
(とにかく、オリヴィエちゃんを探さないと――)
そう考え、顔を上げたシロットは、視界に映り込んだものに釘付けになる。
廃墟の深奥、崩れ落ちた建物の合間に出来た日だまりの中央に、一人の少女が寝そべっていた。オリヴィエだった。
「オリヴィエちゃん――」
「待て」
駆け出そうとしたシロットの耳に、聞き慣れない男の声が飛び込んできた。