第16話:塹壕戦(Las Seide Trenchna)
「い、い、今の音は……?!」
シロットが反応するよりも早く、サーミが裏返った声で叫んだ。聞こえてきた音は、紛れもなく銃声である。遠くからの音だったが、シロットはなぜか、その音が自分を呼んでいるような気がした。
「銃声よ」
音のする方向に、シロットは目を細める。根こそぎになった木々と、ひしゃげた鉄骨の向こう側、廃墟の深奥には、シロットのよく知る人物がいるはずだ。
「行くわよ、毛玉」
「う、ウソでしょ?!」
サーミの黒い尻尾が、まっすぐ天を指す。
「銃声なんでしょ、今の?!」
「だから行くんでしょ」
「信じられない……!」
シロットの言葉に、サーミは半べそをかいている。
「前線に飛び込むなんて……!」
「いい、毛玉? 『銃声がする』ってことは、『誰かと誰かが戦ってる』ってことよ。おまけに、あたしのツレのバイクオタは銃使いなの」
「――銃使い?」
サーミは目を細め、シロットの言葉を繰り返した。
「バイクに乗る?」
「そうよ。……もう分かるでしょ? 戦いが起きている、銃声が聞こえてきた、あたしのツレはバイクオタのガンスリンガー。『謎は全て解けた!』ってヤツですよ」
「……もし、相手が”エンマハのハルエラ”だったら?」
「決まってるじゃない。逃げ一択よ。――ほら!」
サーミの背中に回り込むと、シロットはサーミのお尻を蹴っ飛ばした。
「痛いッ?!」
「生きてるから痛いのよ――」
そう言った後、シロットは、”ガラスの森”を抜けた時に、オリヴィエが全く同じことを言っていたことを思い出した。”生きているから、痛い”――何気なく口にしたシロットだったが、それは、死と隣り合わせだからこそ言えることだと気付いた。
「……いい、毛玉? 傭兵なんだから、あたしことちゃんと守るのよ」
「あ、あんたの方が強いのに……アイテッ?!」
「口ごたえはしない。さっさと行くわよ――」
及び腰のサーミを後ろから脅すようにして、シロットは銃声の聞こえた方角へ向かった。
◇◇◇
崩れ落ちたコンクリートと、鉄骨の合間を抜けながら、シロットとサーミの二人は、銃声の聞こえた方角へと分け入っていく。
分け入っていくにつれて、シロットは、自分たちがブルガーの街の中央に向かいつつあることに気付いた。瓦礫が巻き上げられているせいで分かりにくくなっているが、シロットたちは今、まっすぐ続く石畳を歩いている。ここは、ブルガーの街の大通りだったのだろう。
「シロット、やっぱり戻ろうよ……!」
相変わらず半べそをかきながら、自分の背後にいるシロットに対して、サーミは言った。
「みすみす、死にに行かなくたって……」
「なーに言ってんのよ。ツレの危機はあたしの危機よ」
「でも、でも、シロットのツレの人、強いんじゃないの?」
トイレに行きたいのを我慢しているかのような身振りで、サーミが地団駄を踏む。
「だったら、その人がこっちに来るまで、安全な場所で待ってた方が――」
サーミが話している間、シロットは、瓦礫の向こう側から何者かがこちらに向かっていることに気付いた。向こうは、こちらの様子には気付いていないようである。
シロットは、サーミの尻を再び蹴り飛ばす。
「うえっ?!」
サーミは地面を転がる。その時にはもう、シロットは建物の残骸をよじ登り、”何者か”の裏に回り込もうとしていた。
「ち、違うんですぅ……」
シロットはそっと、上からサーミの様子を覗き込む。シロットの真下には、野暮ったい白衣に身を包んだ二人組の男がいた。カリハ傭兵団の下級傭兵だろう。そんな男たちと対面しながら、サーミは汗だくになっている。
「わたしも、パトロールしてただけで……その! 脱走とか! 全然考えてないですから!」
尻尾を振り回しながら弁明しているサーミの様子を見て、シロットは吹き出しそうになった。
「なら、どうしてここにいるんだ?!」
肩幅の広い方の男が、サーミににじり寄る。
「お前の部隊の派遣先はここじゃないだろう?」
「それは、その……『増援要請』が出たって――」
「誰からの増援要請だ?」
背の高い男が、シロットに尋ねた。
「ちゃんと答えてもらおうか、さもなくば――」
男が全てを言い終わらないうちに、シロットは身を乗り出すと、男たちの背後の着地する。
「何だ? ――うっ?!」
物音に気付いて、肩幅の低い方の男が振り向くやいなや、シロットは男の喉に目がけて拳を叩き込んだ。脳震盪と窒息で気を喪った男は、そのまま仰向けに倒れる。
「まさか――あっ?!」
背の高い男が構えていた弩を、力任せに引っ張って投げ捨てると、シロットは助走もつけずに地面を蹴り、その場で身体を旋回させ、男の頭部に蹴りを当てる。こんな芸当ができるのも、シロットの背中に彫られた刺青の賜物である。
シロットの一撃を受け、男は真横に一回転する。頭から地面に着地したときにはもう、男はのびてしまっていた。
「喜びなさい、毛玉」
立ちすくんでいるサーミに、シロットは言った。
「あんたも役に立ったのよ」
「し、死ぬところだった。……って、ちょっと、何してんの?!」
男の背負っていた背嚢を引き剥がすと、シロットはその中身を、地面にぶちまける。それからシロットは、着ていたツナギを脱いだ。元々下着を着ていないため、シロットは真裸になる。
「まさか……そういう趣味……アイテッ?!」
「何言ってんのよ、バーカ」
着ていたツナギを背嚢の中に丸めると、シロットはかがんで、背の高い男の方の白衣を脱がし始める。
「今の格好じゃ怪しまれるでしょ。着替えよ、着替え」
立ちすくんでいるサーミの目の前で、シロットは着替えを済ませてしまう。シロットが小柄なことも相俟って、服は全体的にだぶついていた。服の裾を強引に引っ張ると、シロットはそこを結んで、襦袢がずり落ちないようにする。
「これでよし。……何よ、毛玉。じろじろ見ちゃって」
「いや……その……たくましいな……って」
「当たり前じゃない。『下着はくじ引きで五等分』のメンタリティじゃなきゃ、娑婆の空気は吸えませんよ。良いのよ、毛玉? アンタの服を引っぺがしても――」
「い、い、嫌――」
軽口を叩いてすぐに、獣人の脱ぎ捨てた服を着るのだけは、生理的に無理だ――と、シロットは思い直した。しかし、前屈みになっているサーミを見るうちに、打ち消す気力もなくなってくる。
その時、シロットは頭上のはるかな高みから、低い振動音が響いてくることを察知した。
「あれは……?」
「が、ガンシップだ!」
プロペラを生やした鉄製の乗り物――ガンシップ――を見上げ、サーミが叫んだ。車、二輪車などと同様の、旧時代の遺物である。
「さすがカリハ。金があるのね」
ガンシップの腹に描かれている大盾の紋章に目を細めつつ、シロットは言った。大手の傭兵ギルドは、旧時代の技術を復元し、活用するだけの力がある。エンマハは特にその分野に長けているが、カリハも負けてはいない。
「み、見られたかな……?」
通り過ぎていくガンシップを見届けながら、サーミが言った。
「んなワケないじゃない。さあ、行くわよ」
ガンシップの飛ぶ先に、シロットとサーミも向かう。今のが、いわゆるサーミが言うところの「増援要請」だろう。前線は近いのだ。
二人は今、その前線へと向かっている。――ただし、カリハの思惑とは異なり、「バイクオタのガンスリンガー」の増援として。
◇◇◇
「――待て、止まれ!」
着陸したガンシップのすぐ脇を通り抜けようとした矢先、シロットたちの背後から声がかかる。
シロットの隣で、サーミが「ひいっ」と、小さな悲鳴を漏らす。振り向いてみれば、壮年の男性が、大股でシロットたちに近づいてきていた。
薄曇りで、うっすらと雨の気配もあるというのに、男性の着る白衣は光沢を帯びている。白衣に染め抜かれた青い線を見る限り、男性は職人級傭兵だろう。カリハ傭兵団の中では、中間管理職クラスである。
「お前たち、どこの部隊だ?」
隊長が、シロットたちに尋ねる。
「ええっと……第四傭兵部・一般傭兵のシロットです」
服の袖に付いていた識別タグを盗み見ながら、シロットは言った。
「増援要請でこっちに来ました」
「そっちの毛むくじゃらは?!」
「け、毛むく……!」
不満げなサーミを差し置いて、シロットがしゃしゃり出る。
「こいつは第三傭兵部のサーミ」
「どういうことだ?」
シロットの言葉に、男の顔つきが険しくなった。
「所属の違う者同士が出歩くとは……。まさか……!」
「はい。そのまさかです。この毛玉は、脱走兵です」
「そうなんです。……えっ?!」
何とか状況をリカバーしようとしていたサーミが、シロットの言葉を聞いて目を丸くする。そんなサーミを尻目に、シロットは胸を張って
「このあたしが、こいつを捕まえました」
と言った。
「ちょっ……?! ちょっと……?!」
サーミは「今までダチョウの卵だと思って大切に育ててきたものが、実は象のうんこでした」のような顔をしている。
「ちょっ……?! ちょっ……」
「そうか、よくやった」
硬直しているサーミを尻目に、シロットと男性は硬い握手を交わす。
「今回の作戦は、脱走兵が多くて困る。若いのに、脱走兵を捕まえるとはたいしたものだ」
「へへへ、隊長さん。お褒めに預かり光栄です。――んで、コイツなんですけどね?」
手をもみながら、シロットは隊長に目配せする。
「処刑するのはもったいないと思うんで、囮に使えば良いと思うんですよ。あたしらがここにかり出されたのも、手ぇ焼いてるからだと思うんですが、違いますか?」
「ああ……あそこを見ろ」
隊長が顎で示す先に、シロットも目を細める。土嚢と有刺鉄線で囲われた、その更に向こう側に、建物が横たわっている。泥の中に埋もれている文字盤を見る限りは、倒壊した時計塔のようである。
「あの時計塔の中に、ターゲットが潜伏している」
「ターゲットって――」
思わず「エンマハの傭兵ですか?」と訊こうとしたシロットは、慌てて別の口実を頭の中で探した。というのも、シロットの今の立場は、”カリハの下っ端傭兵”である。自分たちの対戦相手が誰であるのかは、カリハの傭兵たちには、当然周知の事実だろう。
「エンマハの傭兵ですか?」
などとうかつに訊き返そうものなら、
「当たり前だろう。今さら何を訊いている? さてはお前――」
のように、別の危険を呼び込みかねない。
「何だ」
「ええっと、”ターゲット”は何人ですか?」
「それが、分からない」
隊長は、苦虫を噛み潰したような表情で言った。
「おそらくは、特殊部隊が潜伏している。一人でないことは確かだ。火器で武装しているんだが――狙いは正確で、塹壕も貫通する」
「なるほど?」
相づちを打ちながらも、シロットは内心でほくそ笑んだ。カリハの傭兵たちは、時計塔に潜伏しているのはエンマハの傭兵だと思い込んでいるようだが、シロットの見立てでは、オリヴィエが潜伏しているに違いなかった。「火器で武装している」のと「狙いが正確」なのが、その証拠である。何より、オリヴィエの銃は、曲射も可能である。だから隊長は、「銃撃が塹壕を貫通する」と誤解しているのだ。
「攻めあぐねている、ってところですね」
「ただ、先ほどから銃撃は止んでいる。こちらが応戦をやめたから、ということもあろうが――」
隊長が腕を組んだ。
「もし、向こうの弾が尽きたのだとすれば、これほどの機会を捉えないでいるのは惜しい。ただ、不気味なほど静まりかえっているのが気がかりだ」
「じゃあ、確かめない手はないですね」
シロットは言った。
「例えばですよ、脱走者や、落伍者を後ろから追い立てて、けしかけてやるのはどうですか? そうすれば――」
シロットが全てを言い終わらないうちに、隊長は再び顎で「自分の後ろを見るように」と合図した。
つま先で立つと、シロットは隊長の肩越しに、土嚢の向こう側を見る。土嚢の向こう側、落ちくぼんだ地面の上には、棍棒しか持っていないような、貧弱な装備の傭兵の死体が、山積みになっていた。
「アッハッハー。さっすがー!」
とりあえずシロットは拍手してみせる。シロットが考えそうなことは、すでに隊長も考えているらしかった。
「かちかちかちかち……」
小石を小刻みに打ち鳴らしているような音が、シロットの背後から聞こえてくる。背後を盗み見てみれば、サーミが白目を剥きながら、歯を打ち鳴らしていた。
「それならですよ、隊長。繰返しの提案になっちゃいますけれど、敵陣へ突っ込むための”決死隊”を、もう一度招集してくれませんかね?」
「しかし、候補者が――」
「逆です。エサをまくんですよ。『作戦が成功したら、脱走したことを不問に処す』って。どうせ死ぬんなら、わずかなチャンスでも賭けてみたい。……そう思うもんでしょう? そうすれば、ここの毛玉だって喜んで地雷を踏み抜きに行きますよ」
「ふむ。なるほど」
隊長は鼻を鳴らした。
「ほかに打つ手がない以上、成功するまで繰り返してみるしかないか……」
「任せてくださいよ。あたしが脱走兵を駆り立てますから」
「ほほう……!」
隊長の目がわずかに輝くのを、シロットは見逃さなかった。隊長が本当に懸念しているのは、脱走兵が犬死にすることではない。脱走兵が死ぬのを見届けつつも、脱走兵を最前線まで送り届けられる人材がいないことを、隊長は懸念しているのだ。
「それは結構なことだ。素晴らしい心がけだ。よし、ではすぐに『決死隊』を組成しよう。決死隊の指揮は君に任せる。作戦が成功したら、キミを上級兵にしてもらうよう、上に取り計らおう」
「へっへっへ。頼みますよ」
動員をかけるべくその場を離れた隊長に向かって、シロットはウインクをしてみせた。
「聞いた、毛玉? 喜びなさい。これで安全に、ツレのところまで行けるわ」
「信じられない……」
サーミのかすれ声は、そのまま風に呑まれ、土埃の中を消え去っていった。