第15話:事実上の死刑(Eastcosta Marcena Retiremenos Xystema)
なおも言い返そうとした矢先、シロットの全身に鳥肌が立った。
(今のは……?)
サーミの体毛に対する生理的な不安……ではない。より本能的な不安、自分の生命に危険が迫っていることへの不安を、シロットは感じ取った。
「毛玉じゃない――」
言い返そうとしてくるサーミを無視し、シロットは反射的に飛びすさると、茂みの中に身を隠す。
「あっ……ひどいな!」
シロットの行動を前にして、サーミは拳を握りしめている。サーミは、シロットが獣人を嫌っているために、急に身を翻したのだと思っているようだった。
「ちゃんと風呂にだって――」
サーミが全てを言い終わらないうちに、突然、シロットの視界が点滅する。より正確に言えば、サーミの影、木々や岩の作り出す影が、一点に集中したのである。
「あ……」
点滅が止む。その時にはもう、サーミの目の前に男が立っていた。銀色の髪の毛を持ち、黒い眼鏡を掛けている男性は、純白の外套に身を包んでいた。
(あれは……!)
サーミを見下ろしている男性を目の当たりにし、シロットは奥歯を噛んだ。身にまとっている白衣は、かれがカリハ傭兵団の一員であることを示している。しかしその白衣は、前にシロットが出会った傭兵たちが着ていたような、野暮ったい代物ではない。男性が、カリハ傭兵団の中でも高位の傭兵であることは明らかだった。
加えてシロットは、先ほどから自分を襲う鳥肌をどうすることも出来ずにいた。男性の放つ殺気が、それだけ強いのだ。
「……ぁ、」
目玉を動かして、シロットはサーミの様子を窺う。シロットでさえこの調子なのだから、サーミが男性のオーラに耐えられないことは明らかだった。事実、サーミの黒い尻尾は脚の間に巻き込まれており、サーミは両脚を震わせていた。
「……カリハの者だな?」
男が口を開いた。その声は低く、冷たかった。
「さ、サー! イェッサー!」
「名前は?」
「サー! イェッサー!」
「フン……」
(あちゃー)
様子を見守っていたシロットは、サーミの返答を聞いて目の前が暗くなる思いだった。サーミは男の殺気に気圧されて、ただ「サー! イェッサー!」と言うだけの機械となってしまっている。
「俺はアダバダ」
男は――アダバダは――名乗った。
「カリハでは長老級傭兵の地位にある。依頼国で発生した全ての事案を所掌するが、お前の上官は誰だ?」
(こいつが……?)
アダバダの名前は、シロットも知っていた。カリハ傭兵団の最年少長老級傭兵であり、同時にジルファネラス帝国の皇位継承権を持つ人物――それがアダバダである。噂では聞いていたが、本人を目撃することになるとは、シロットは考えてもいなかった。
(どうしてこんなところに……?)
シロットは考える。”長老級”及びその一階級下の”親方級”傭兵は、カリハ傭兵団の中でも経営と執行を掌理するため、多国間での戦争でも発生しない限りは、現場に出ないことが通例である。
ところが、今このようにしてアダバダがいるということは、戦争に類する何かが、このブルガーの跡地で発生していることになる。
「さ、サー……」
アダバダからの問いに、サーミの声が、更にか細くなる。
「上官はおらず、お前は誰の指示もなく、一人でここにいた。……これが、どういう意味か分かるな?」
答える代わりに、サーミはその場に崩れ落ちる。そんなサーミに向かって、アダバダは手を伸ばした。
次の瞬間、アダバダの手の動きに呼応するようにして、サーミの身体が宙に浮き始めた。サーミは喉の辺りを手で押さえ、苦しそうに足をばたつかせている。
「う……くっ……」
「通則として、脱走は死刑だ。――今この場で、お前を殺してやってもいい……」
(どうする……)
シロットは迷った。サーミを見殺しにすれば、シロットは助かるだろう。しかしそれでは、シロットは仁義を欠いたことになる。
その一方でシロットは、アダバダと対決したところで勝ち目がないことも分かっていた。出来ることがあるとすれば、アダバダの一瞬の隙を突いてサーミを確保し、逃走するくらいである。狙い目は、サーミが力尽き、アダバダがサーミの身体を地面に投げ捨てようと、手を下ろす時である。不意打ちが成功するとすれば、そのタイミングしかない。――だが、仮に逃走に成功したとしても、サーミが蘇生するかどうかは、ひとえにサーミの生命力に懸かっている。
その時、アダバダが不意に手を下ろした。サイコキネシスから解き放たれ、サーミは地面に倒れ伏す。
「本来ならば、な」
咳き込むサーミに対して、アダバダは言った。
「お前を殺すことは容易い。俺が手を下さずとも、お前はどうせ死ぬ。だが、万が一生き残ったとして、生き続ける機会くらいは与えられても良い。……違うか?」
「さ、サー……」
「生きている間に、人は何度でも生まれ変わることができる」
アダバダの言葉に、シロットは目を細める。オリヴィエも以前、同じようなことを言っていた。
「生まれ変わって、やり直すことができる。――”エンマハのハルエラ”を殺せ」
アダバダが言った。その言葉に、シロットは心臓が飛び出してしまうのではないかと言うくらい驚いたが、肝心のサーミは、ただアダバダの顔を仰ぎながら、ぼんやりと口を開けているだけだった。サーミは「エンマハ」という単語にも「ハルエラ」という単語にも、聞き覚えがないらしい。
「”エンマハのハルエラ”の首をもぎ取ったら、お前の命を助けてやっても良い。……分かったな?」
「さ、サー! イェッサー!」
「フン……逃げようと思うなよ?」
アダバダは、サーミに対する興味を失ったらしい。アダバダが身を翻すと、白衣の裾が、風にあおられてたなびいた。
「この俺が……お前の場所一つ分からないとでも?」
「さ、サー! イェッサー!」
声を枯らさんばかりの勢いで、サーミが叫ぶ。周辺の景色が点滅し、アダバダの影が周囲の木々、岩、立ちすくんでいるサーミの影へと吸い寄せられていく。点滅が終わった時には、アダバダの姿は消え失せていた。
生唾を飲み込みつつ、シロットは茂みから抜け出した。アダバダの最後の言葉は、サーミに向けての言葉である……頭では分かっていても、シロットは背筋の凍る思いだった。まるでアダバダは、茂みの中に隠れているシロットを、さも見透かしているかのような言い草だったからだ。
「た、た、助かった……!」
シロットとは対照的に、サーミは安堵したようだった。サーミはその場にへたり込んだまま、何度も胸をなで下ろしている。
「あんた……」
そんなサーミの姿を見て、シロットは苛立ちを通り越し、笑い出しそうになる。
「自分の状況が分かってるわけ?」
「えっと、そ、その……エンマハの、ハルエラ? ってヤツと、戦わなきゃいけない、って――」
「”エンマハ”って何?」
シロットは、わざと尋ねてみた。
「ええっと……」
「”ハルエラ”って誰?」
「そ、それは……」
サーミは言いよどむと、肩を落とした。
「わ、分からない……」
「ははは、毛玉さん。死刑が近づいてきましたよ」
「笑いごとじゃないってば……!」
「そう。『笑いごと』じゃない。廃業傭兵年金機構(エアストコスタ・マルセナ・ジェタイエメノス・サイステマ)、通称”エンマハ”。三大傭兵ギルドの一つ。アンタの所属しているカリハ・大盾・白衣と同じ規模の傭兵団よ」
「よ、よ、傭兵団……?!」
サーミが、目を白黒させる。
「じ、じゃあ、”ハルエラ”ってのは……?」
「ハルエラは、そこの副頭取よ」
「強いの?」
「瞬殺よ」
「あ……」
座り込んだままの姿勢で、サーミは地面に手を突いた。
ここに来て、サーミも事態を理解したらしい。「エンマハのハルエラを殺せ」――この命令を条件として、サーミは生かされている。アダバダの命令を守らなければ、サーミは殺されるだろう。しかし、命令に従ったところで、サーミは”ハルエラ”に殺されるだろう。アダバダの命令は、サーミに対する事実上の死刑宣告なのだ。
うつむくサーミの目から、涙がこぼれ落ちるのを、シロットは見た。
「サーミ、聞きなさい」
シロットは初めて、サーミのことを名前で呼んだ。
「アダバダに逆らったら、アンタは死ぬ。ハルエラに立ち向かっても――あたしもハルエラはよく知らないけれど――たぶん死ぬ。あたしが助太刀に入っても、勝ち目はない」
「そ、それじゃあ……」
「正直、アンタを見捨てた方がラクよ。だけど、それじゃあ仁義を欠くわ。筋は通すつもりよ――」
シロットはいったん、言葉を切った。
「一人、良いヤツがいるのよ。あたしのツレで、バイクオタなんだけどさ、あたしなんかより全然強いし、力になってくれるはず」
「お、教えて……!」
ほとんど拝み倒すようにして、サーミはシロットの足下にひれ伏した。
「お願い……助けて……」
「だったら、アンタも手を貸して」
シロットは腕を組む。
「この廃墟のどこかに――」
シロットの耳に銃声が響いてきたのは、その時だった。




