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デウス・エクス・マギカ  作者: 囘囘靑
第2章:最後にして最大(Las Gros e La Finue)
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第14話:虹色の戦争(La Seide Mabras)

「わ、わたしの名前は、サーミ!」


 シロットの後ろから、獣人の少女――サーミという名前らしい――が、声を張り上げる。しかし、シロットは、サーミとまともに取り合うつもりはなかった。


 シロットの目的は、オリヴィエと合流することにある。だが、オリヴィエがどこにいるのかも、自分がどこにいるのかも、今のシロットには分からない。


 加えて、はぐれる直前のオリヴィエの容態である。いつまた、オリヴィエの体調が悪くなるとも限らない。目印を付けながら歩くことだって、シロットにはできる。だが、辺りにはまだ、カリハ傭兵団の残党がいることだろう。おまけに、あの白いバケモノが(ばっ)()しているのだとすれば、いくら印を付けたところで無駄である。


「ねえ、待って!」


 脇目もふらずに前へと進むシロットに、サーミの声がかかる。


 二人は、(うっ)(そう)と茂る森の中へと足を踏み入れていた。この辺りはまだ、白いバケモノに(じゅう)(りん)されていないようだった。


 自分たちがどこにいるのか分からない。道すがら、何が飛び出してくるのかも分からない。――となると、できることは多くない。シロットは今、森の合間に見えた高台を目指していた。高台から周辺を見下ろせば、周囲の様子が分かる。もしオリヴィエに元気が残っていたとすれば、オリヴィエも同じように、高台を目指している可能性がある。


「何でも言うこと聞くから!」

「うるさいなぁ」


 シロットは後ろを振り向いた。半分は、サーミがうるさかったためだが、もう半分は、シロット自身も息が上がっていたためだった。短期決戦・電撃作戦に特化しているシロットにとって、黙々と歩き続けるのは苦行だった。


「お、お願い……」


 シロットが立ち止まったのを確認すると、サーミは地面に崩れ落ちた。サーミの身体は汗だくで、黒い毛に覆われた耳も、びっしょりと濡れていた。


 サーミの濡れた耳の毛の間に、いったいどれだけのダニがいるのだろう。――そう考えた瞬間、シロットの全身が総毛立った。かかとだけで器用にすり足をすると、シロットはサーミから半歩下がる。


(それにしても、)


 シロットは呆れた。シロットのように、身体に魔術の刺青(タトゥー)が彫られているわけでもないのに、サーミはシロットよりも早くバテてしまっている。おまけに、どこにカリハ傭兵団の残党が潜んでいるのかも分からないのに、サーミは大声を出しながら、シロットに追いすがろうとしていた(もっとも、周辺に誰もいないことは、シロットには分かっていた。だからこそシロットは、サーミが叫ぶのをそのままにしていた)。新米の傭兵であることを差し引いても、サーミの行軍力はお粗末だった。


「着いてこないでよ、って、言うだけムダか……」


 鼻頭をこすると、シロットは目の前の段差を見上げる。高台へ到達するためには、この段差を上り詰めねばならない。


 先ほどまで日差しが出ていたというのに、今は雲行きが怪しい。木々の緑は深みを増しており、周辺に(かすみ)がかかり始めていた。


「……あ」


 シロットは、あることを閃いた。サーミに向き直ると、つま先でサーミを小突く。


「痛いっ?!」

「起きなさいよ、毛玉」

「け、毛玉じゃない……!」

「あんたの同行を認めてあげるわ」

「え……?」 


 サーミの瞳に、光が戻った。


「ほ、ほ、本当に?!」

「当たり前でしょ。(ファテナ)(ヌル)をつかない。――ただし、条件があるわ」

「条件?」

「そうよ」


 そう言うと、シロットはその場で地面を踏み切り、背面へ(ちょう)(やく)した。


「あっ――?!」


 目を丸くしているサーミの様子が、シロットの視界の中で、縦に一回転する。次の瞬間には、シロットは高台の上に着地していた。


「分かった、毛玉?」


 立ち尽くしているサーミに向かって、シロットは高台の上から声をかける。


「ここまで登ってこれたんなら、あんたを認めてあげる」

「ひ、ひどい!」


 サーミが叫んだ。


「条件なんて……(ヌル)じゃないか……!」

真実(ファテナ)は、ときに残酷なモノよ。……そんじゃ、またね」


 地団駄を踏んで悔しがるサーミに手を振ると、シロットはきびすを返し、さっさと歩き出した。


 もちろん、「またね」の機会が到来するとは、シロットは考えていない。



   ◇◇◇



「よいしょ、っと」


 高台から突き出していた大岩の縁までよじ登ると、シロットは眼下を見渡した。


「なるほどねぇ……」


 周辺の荒れ地は、この間までは(ポス)だった。――信じがたい話ではあるが、高台から眺めてみれば、それが事実だと分かる。削り取られた山の斜面からは、鉄塔が突き出しているのが見える。その隣では、土砂に埋もれた水辺の中に、ひしゃげた円盤型の鉄骨が潜り込んでいた。


 町の形跡は、確かにある。それが分からないのは、あの白い怪物が暴れ回り、町を土台ごとかき回しているからだ。


「はあーっ」


 ため息をつくと、シロットは眼下に目を凝らす。どこかに動きがないかを確かめようとしたが、土埃が風に舞うだけだった。


(さあて、どうするべ……)


 心の中で呟きつつも、シロットはしらずしらずのうちに、山の斜面に突き刺さっている鉄塔を見つめていた。折れ曲がった鉄塔の形は、二輪車(バイク)の排気筒を連想させる。


――私のバイク!


 叫び声を上げていたオリヴィエの様子が、シロットの脳内で再生される。


(まったく……)


 シロットは悪態をついた。


 バイクを手に入れてからというもの、シロットはオリヴィエから、うんざりするほどバイクの話を聞かされていた。


「いい、シロット?」


 バイクについて語り出すとき、オリヴィエは決まって、シロットにそう呼びかけてきた。


「バイクはね、速く飛ばせば良いってもんじゃないのよ――」

「初めてバイクに乗ったときの興奮は、なかなか忘れられるもんじゃないわ。嬉しすぎて吐いたことだって――」

「にわかのライダーほど、『バイクの声が聞こえる』とか、『バイクが俺に、「もっと速く走らせてくれ」と叫んでいる』みたいなこと言うんだけれど――」

「バイクの排気筒のデカさでイキるのは坊やのやることで――」

「神は七日目にバイクを創造して――」

「バイクのことをもっと深刻に受け止めないと――」

「本当に早さを求めたいのなら、腹上死する覚悟で――」

「耳を澄ませば、バイクのささやきに耳を傾けることが――」

「バイクで海を割ることだって――」

「バイクと一緒にお風呂に入るのが小さいときの夢で――」

「バイクだけが人類を救ってくれる――」

「タイヤだけは真剣に選ばないと――」

「『純正品のタイヤだから』って理由で決めつけるのは最低で――」

「『輸送手段』と割り切って使われているバイクも尊くて――」

「パンパンに膨らんだサイドバックの積まれたバイクを見たときなんか、失禁――」

「ただ、革製のサイドバックを選ぶのは素人のやることで、通は塩化ビニル製を――」

「『革製だと味が出る』って言う人もいるけれど、端から見たら薄汚いだけで――」

「塩化ビニルは傷が目立つけれど、その生傷みたいなのが最高に――」

「ベアリングをメンテナンスするときは細心の注意を払わないと――」

「誰しもが一度は峠を攻めたいと思うものよね――」

「オイルの良し悪しを確かめるためには、まず自分に振りかけてみないと――」

「バイクとキスする方法が世界には必ずあるって――」

「『好きな人と相乗りする』っていうシチュエーションもまた捨てがたいと思うけれど――」

「サイドカー付きのバイクって、初めは運転に戸惑うけれど――」

「あのおっかなびっくり運転していた時が、実は一番幸福な時間だった――」

「ずっとバイクを抱きしめていたい――」

「バイクの気持ちを理解するためにガソリンを飲まなければならないときだって――」

「バイクのタンクの中には夢が詰まっていて――」

「ヘルメットはちゃんとかぶるものよ。『髪が風になびくのが気持ちいい』とか言っている奴は全員童貞で――」

「感性が古いって言われそうだけれど、私はバイクのヘッドライトは長めの方が好きで――」

「バイクは磔になっても、三日後には復活を遂げて――」

「女神が言うのよ、『あなたが落としたのは金のバイク? それとも』――」

「バイクを走らせる前の、あのわくわくしている時間の方が、実際に走らせているときよりも豊かな時間なんだって、いつか気付く時が――」

「むしろバイクに乗らなくたっていい――」

「私たちの理性がバイクに届くことは永遠になくて――」

「全てを(なげう)つ覚悟でバイクに乗らなければ――」

「バイクに石を投げて良いのは、生まれてから一度も犯したことのない人だけよ――」

「私たちがバイクを覗き込むとき、私たちもまたバイクに覗かれていて――」

「死ぬときは棺桶の中にバイクを――」


 いつかの時、オリヴィエが神妙な面持ちで「いい、シロット? バイクってのはね、女性のように繊細に扱わないと――」とか言い出した時には、さすがのシロットも笑っていいのかキレていいのか分からず、


「ははっ、オリヴィエ氏。なんか今日、キモいっすね」


 と嫌みを言ったのだが、オリヴィエには響いていないようだった。


(「嬉しすぎて吐いた」とか……(ツオン)じゃあるまいし……)


 嫌なことを次々と思い出していたシロットだったが、そのとき、自分の背後から何かがにじり寄ってくるのを、シロットは感じ取った。


「――止まりなさい」


 ”何か”の歩みが止まる。


 鉄鎚(ドミニ)把手(はしゅ)を握りしめると、シロットは振り向いた。だが、シロットの視界では、(かん)(ぼく)が揺れるだけだった。


(いない……?)


 周辺を見渡そうとした矢先、シロットは本能に突き動かされ、とっさに身をよじった。次の瞬間、空から舞い降りてきた”何か”の拳が、シロットが今いた場所を叩き潰す。


「うへっ……?!」


 唇に付いた土煙を舐めながら、シロットは後方へ宙返りする。


 立ちこめる土煙の中から、”何か”の姿が露わになる。”何か”は、元は男性だったのだろう。右腕があった部分には、虹色の触手が張り付いていた。触手がうねったり、膨らんだりするたびに、男性は苦痛を感じているかのように、眉間にしわを寄せている。


(また触手か――)


 心の中で吐き捨てると、シロットは鉄鎚(ドミニ)を逆手に構える。


 一瞬のうちに跳躍できるほどの瞬発力と、地面を叩き割れるほどの破壊力を、この異形は持っている。しかしシロットは、異形がシロットを視界の正面に据えようと向き直った時に、よろめいているのを見て取った。虹色の触手が身体に対して大きすぎるせいで、異形は重心を保てていないのだ。


 となると、狙いは一つに絞られる。異形の左足だ。シロットは、大きく弧を描くようにして、異形に右側に駆け出した。異形は覚束ない足取りで、シロットを正面に据えようと向き直る。シロットの見立てどおり、異形は進行方向の変更が苦手なようだった。


 しびれを切らした異形が、雄叫びを上げる(雄叫びは、男性の口の部分からではなく、虹色の部分に(あな)が開き、そこから漏れ出していた)。触手が異形の頭上にそびえたかと思うと、幹のように太くなる。


 振りかぶると、異形は虹色の触手を、鞭のようにしてシロットに殺到させる。だが、触手がシロットの居場所を()いだ時にはもう、シロットは地面を蹴って、異形に肉薄していた。


(それじゃダメっすよ――)


 触手は伸びきっており、その胴体は、シロットに開かれている。


「――はあっ!」


 肘を折りたたむと、シロットはかけ声と共に、異形の左脚に鉄鎚(ドミニ)を撃ち込む。シロットの眼前で、男の左脚が、卵のように弾けた。周辺は光に包まれ、空気の割れる音が続いた。シロットの一撃で、加圧された空気が発光し、行き場を失った衝撃波が、周囲に(かく)(はん)したのだ。


 衝撃波に()され、異形は後ろに吹き飛ぶ。しかし、異形は触手に体重を預けていたためか、倒れることはなかった。


 それどころか、粉砕された左脚の付け根が膨らんだかと思えば、そこから第二の触手が生えてきた。第二の触手も虹色をしていたが、第一の触手とは異なり、カブトムシのような光沢を帯びている。


「マジか……!」


 舌打ちする間もないままに、シロットは再度鉄鎚(ドミニ)を構えると、自分の真横に思い切り振りかぶった。第一の触手と鉄鎚(ドミニ)とが触れあい、シロットの目の前で触手が弾ける。


「くっ!」


 だが、シロットも無事では済まされない。硬度ではシロットの鉄鎚(ドミニ)が勝っていても、推力と質量とは触手の方が上である。


 重心の浮くままに、シロットは後ろまで飛びすさる。異形の第一の触手は、ちぎれた部分から泡が吹いていた。そして、泡が収まった時にはもう、第一の触手は変形を遂げていた。今度はまるで、カマキリの鎌のようである。


「あれは――」


 異形に生じている変異を、シロットも理解する。異形は、初めこそ軟らかい、単純な形態を示していた。しかし、シロットの攻撃を受け、損傷した部位を、外骨格を備える形で再生している。再生の代謝もさることながら、この異形は、標的に対して最適化された進化を遂げている。


「まずいな……」


 シロットは吐き気を我慢する。既に頭は痛み、全身が熱っぽくなっていた。短期決戦型のシロットは、少しでも戦いが長引いてしまえば、熱中症に近い症状が出てしまう。異形との対峙を選択した時点で、シロットは判断を誤ったのだ。


 そのときだった。シロットの耳に、火花の散るような小さな音が響く。


(え……?)


 次の瞬間、シロットににじり寄ろうとしていた異形の全身が、炎に包まれた。悲鳴を上げると、異形は生えたばかりの鎌を振り回して、身体から炎を払おうと必死になる。


 その隙を、シロットは見逃さない。跳躍したシロットは、異形の左側に着地し、鉄鎚(ドミニ)を構える。


 「――はあっ!」


 かけ声と共に、シロットは鉄鎚(ドミニ)を真横から、振り上げるようにして撃ち込んだ。炎に夢中になっていた異形は、シロットの鉄鎚(ドミニ)をまともに食らう。その巨体は地面を転がり、高台の縁まで滑っていく。


「あっ――!」


 シロットの真後ろで、声が上がる。聞いたことのある声だったが、すでに加熱不良(オーバーヒート)を起こしていたシロットは、後ろを振り返る余裕さえなかった。


 シロットの目の前で、異形の姿が消える。異形は炎に包まれたまま、崖下に落下していったのだ。異形の叫び声が遠ざかっていき、とうとう何も聞こえなくなった。


「あっちー……」


 我慢できず、シロットはその場であぐらをかくと、ツナギの(ベルト)を緩め、それを脱いだ。もちろん、シロットは下着を着けていないから、裸になった格好だ。


 そんなシロットの後ろで、金属が地面に当たる、乾いた音が響いた。


「た、た、たすかった……」


 シロットは振り向いた。長剣を取り落としたサーミが、その場にへたり込んでいる。


「さっきの……」

「ま、ま、魔法(マギカ)だよ」


 そう言いながら、サーミは胸の辺りに手を当てる。


「ちょっとだけなら、使えるんだ。でも、あんなに効くとは思わなかった……」

「そうね」


 汗が引き、体温が下がっていくのを実感すると、シロットはツナギを着直し、立ち上がった。


 サーミに向き直ると、シロットはサーミに手を差し伸べる。


「え……?」

「あたしも、あんなに効くとは思わなかったわ」

「そ、その手……」

「早くしなさいよ」


 自分の指先を見つめてくるサーミに対し、シロットは言った。


「『登ってこれたら』。――約束したでしょ? あんたは登ってきた。筋は通すつもりよ」

「や、やった……」

「ちょっと、ちょっと、タンマ!」


 飛びついてこようとするサーミを、シロットは慌てて押しとどめる。


「あたしの手の届く範囲まで近づいたら、容赦なく丸坊主にするからね、毛玉!」

「い、言ってることが違う!」

「うるさいわね、毛玉――」


 なおも言い返そうとした矢先、シロットの全身に、不意に鳥肌が立った。

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