第13話:獣人の傭兵(Las Mercena Vegimage)
「う、動くな」
シロットの背後から、声がした。と同時に、シロットの背中に硬いものが当たる。
だが、「動くな」と言われて動かないでいられるほど、シロットは素直な性格ではなかった。
「――はあっ!」
「ふわあっ?!」
かけ声とともに、シロットは右足を後ろへ振り上げる。足のかかとが何かに引っかかり、それを空高く舞い上げた。金属音が、遅れてシロットの耳に響いてくる。空中で回転するそれは、長剣だった。
(ばーか)
鉄鎚を取り出しながら、シロットは内心で毒づいた。相手を背後から無力化するときは、刃渡りの短い刃物を、相手の首にあてがうこと。――近接戦闘では常識である。
刃物を首に当てれば、相手は背後の標的を目視することが困難になり、逆転されるリスクは低くなる。その一方で、凶器の刃渡りが長ければ長くなるほど、隙を突かれたときに、標的に渡し込まれるリスクは高くなる。長剣を相手の背中にあてがうなど、論外である。
鉄鎚を振りかざしたままの姿勢で、シロットは後ろを振り向く。相手は、シロットの蹴りの勢いに圧され、尻餅をついていた。相手は丸腰のまま、両手で頭を隠し、ただ叩き潰されるのを待っている。
その時、シロットの視界の右端で、黒いものが動いた。それは細長く、黒い毛に覆われていて、取るに足らない動きだったが、シロットの注意を引きつけるには十分だった。
「げえっ!」
シロットの全身を、鳥肌が襲う。シロットはわざと、鉄鎚の照準を相手から外した。
「うわっ?!」
地表がたたき割られ、土の塊が周辺に散乱する。相手は衝撃に吹き飛ばされ、地面を転がっていった。
立ちこめる土煙の中、シロットの脇に長剣が落下し、深々と地面に刺さった。長剣の刃の根元には、盾の紋章が刻まれている。カリハ大盾白衣の支給品だろう。
「た、助かった……」
土煙の合間から、シロットを襲った人物――少女が――立ち上がろうとする。少女の頭てっぺんからは、オオカミのような耳が生えている。尾てい骨の辺りからは、黒い尻尾が飛び出していた。――鉄鎚を振りかざす直前に、シロットが目撃したものだ。
「獣人!」
シロットは叫んだ。
獣人――その名のとおり、獣の似姿をした者たちは、”世界の冬”と呼ばれた戦争の中期から、戦線に投入され始めた生物兵器である。人間としての形姿を損なう代わりに、怪力と、並外れた身体能力を得ることができる。戦争が終結した後、獣人の存在はしばらく忘れ去られていたが、人を獣人に改造する技法が復刻されて以降は、著名な傭兵団も次々と獣人部隊を擁するようになっていった。
「ひ、ひどいじゃないか!」
立ち上がった獣人の少女は、シロットに言った。だが、少女は及び腰であり、尻尾は不安げに揺れていた。
見た目のグロテスクさから、進んで獣人になろうとする者は、この世界にはいない。傭兵団に所属している獣人の大半は、寒村で生まれ育った子女であり、要するに”口減らし”の対象として選ばれたに過ぎない。
この少女も、同じような理由で獣人となったのだろう――と、シロットは考えた。シロットの属していたラルトン聖教国で、獣人の存在は禁忌だった。
もう一つ、忘れてはならない事情がシロットにはある。内側まで毛の詰まった不潔な耳、芋虫のように動き回る、薄汚い尻尾、独特の獣くささ――シロットは、ほかの誰よりも、獣人が生理的にムリだった。
「『動くな』って言ったのに……!」
「状況、分かってる?」
鉄鎚をしまうと、シロットは両手で、二の腕の鳥肌を押さえつける。
「あんた、丸腰なのよ」
「違うんだ。その、話がしたくて――」
「じゃあ、何で後ろから襲うのよ」
「それは……」
少女は口をつぐんだ。その後ろで、彼女の尻尾が大きく揺れる。
「ちょっと、尻尾!」
尻尾の動きに嫌悪感を覚え、シロットは言った。
「引きちぎるわよ、あんたの尻尾――」
「た、た、助けてほしいんだ」
「……はい?」
少女の申し出に、シロットは目を白黒させる。
「何で?」
「見ただろ、あんただって」
獣人の少女は一歩ずつ、シロットに近づいてくる。間隔を取っていたいシロットは、そのたびに後ずさった。
「白い、ブヨブヨしたバケモノだよ。指示に従ってこの町に来たときには――」
「まって、待って、”町”って?」
「こ、ここさ。隊長は『ブルガーが目的地だ』って」
(ハッ、ハー!)
シロットもようやく、状況が呑み込めてくる。オリヴィエもシロットも、ブルガーの町を見つけることができず、旅程を練り直していた。
しかし、何のことはない。シロットが立つ瓦礫の山こそが、ブルガーの町だったのだ。
ブルガーの町を灰燼に帰したのは、あの白い、軟体の怪物なのだろう。カリハの傭兵たちは、町を守ることができなかったのだ。
「あたしは傭兵じゃないの」
シロットは肩をすくめてみせる。
「ただの通りすがり、観光客なんだから。守ってほしいんだったら、あんたのところの隊長に――」
「隊長なんかいないよ。死んじゃったんだ」
シロットが全てを言い終わらないうちに、少女が言った。
「ここへ来てすぐに、乗ってた戦闘機が触手に捕まって……。わ、私以外は、みんな……」
「だから何? 末端の傭兵なんだからさ、『アンパンパクろうとして蜂の巣』なんて、日常茶飯事でしょ。……ん?」
喋っているうちに、シロットはあることに気付いた。
「もしかして、あんた、それでずっと逃げてたってワケ?」
「う、うん」
「ははん、脱走兵ってヤツですな」
「な、何……?!」
一転してにじり寄ってきたシロットに対し、今度は獣人の少女が後ずさる番だった。
「知ってますか、毛玉さん? 脱走した傭兵は死刑なんですが、民間人が脱走傭兵の首を持ってけば、賞金が出るんですよ」
「う、っ……」
にじり寄ってくるシロットに対し、獣人の少女はその場にへたり込むと、シロットに手を合わせる。
「お、お願い……殺さないで……何でも……何でも言うこと聞くから!」
「……『何でも』?」
「な、何でも」
「そう。……じゃあ、これは……?!」
身をよじると、シロットは地面に刺さった長剣を引っこ抜く。間髪入れずに、シロットは座り込んでいる少女めがけ、長剣を片手で放り投げた。
「うわっ?!」
少女は後ろへ転がり込む。長剣の軌道はわずかに少女をかすめ、地面に当たって乾いた音を立てる。
「い、今、あたしを狙って――」
「嫌ですねえ、んなことするワケないじゃないですか」
内心では落胆しながらも、シロットは答えた。
「ダニやノミが飛び散ったらどうすんだって話ですよ」
「じゃあ、何をすれば……」
「自分の身くらい、自分で守りなさいよ。あんたをぶち殺したところで、その汚い首を誰が運ぶんだ、って話じゃないですか。シラミが移るのは勘弁ですよ。あー、気持ち悪い……」
シロットはきびすを返し、獣人の少女の反対側に歩き始める。
(はやく、オリヴィエちゃんを見つけないとな)
「ま、待ってってば――」
さっさと行こうとするシロットに、獣人の少女は、なおも追いすがろうとする。