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デウス・エクス・マギカ  作者: 囘囘靑
第2章:最後にして最大(Las Gros e La Finue)
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第11話:私を一人にしないで(Nas laisse me soloh)

「ハァ、ハァ……」


 自転車を立ち漕ぎしながら、少年は岬まで通じる一本の道を、全速力で駆け抜けていく。道は、海岸線を沿うようにして整備されている。陽射しが容赦なく、少年の右半身を照らした。道半ばだというのに、少年はもう汗だくだった。


 少年のいた離宮(フィラ)を中心として、この岬までを半径とした一帯が、バンドリカ王家の“(はこべ)”に当たる。景観の維持と、設備の風化を防止する目的から、敷地内の雑草という雑草、灌木(かんぼく)という灌木は全て取り除かれており、道路と海岸との間は、少年の良く知らない常緑樹が、ほぼ等間隔に並んでいた。――要するに、離宮から岬まで、目印とするべきものは何もないのである。おまけに、風景が無機質に、幾何的に構成されているがために、少年はいつまでも、岬まで近付けていないような感覚に陥るのだった。


 それでも、旅にもいつかは終わりがやって来る。一直線だった道が、少年の視界の遠くで曲線を描き始める。その曲線は、岬の頂上まで少年を(いざな)っていた。


「ようし……!」


 声を出すと、岬までの勾配を、少年は自転車を降りることなく登り切ろうとする。岬に来るたびに、少年はいつもそれをやっていたが、今回ばかりは、やけに厳しい挑戦(シャレンジェ)のように思えた。


 途中で推力を喪って、自転車が静止しかける。少年は背筋を伸ばし、ハンドルを持ち上げるように強く引っ張ると、その反動を利用して、ペダルを踏みしめた。ハンドルを握り締める力が強いあまり、少年の手は白く(こわ)()る。額から汗が吹き出し、こぼれた汗の雫が、アスファルトまで吸い込まれていった。


 少年の頑張りは功を奏した。勾配は緩やかになり始め、ペダルは軽くなっていった。息を整えている間に、とうとう少年は、視界の先端に終点を捉えた。


「姉さん!」


 自転車を降りると、少年は声を上げた。水平線の向こう側に、門のように(そび)える虹の(アーキ)を前にして、一人の少女が、一本のもみの木の傍らに立っていた。麦わら帽子を被った少女の、銀色の長い髪と、白いワンピースとが、海からの風を受けてたなびいていた。


 自転車を停めると、汗をぬぐいながら、少年は姉に近づこうとする。姉は、少年に気付いていないようだった。


「姉さん――」


 再度呼びかけようとした矢先、周辺の変化に気付き、少年は歩みを止める。その変化は余りにも大胆であったために、少年は変化を見て取ったにもかかわらず、何が起きたのか、理解が追い付かなかった。


(これは――)


 身構えると、少年は周囲の様子を探る。もみの木と、自転車とが地面に投げかけていた影が、今、一斉に姉のところにたなびいていた。次の瞬間、影は一気に膨らんだかと思えば、たちどころにして姉に覆いかぶさった。


「あっ――!」


 少年は叫ぶと、影に向かって走り出した。影は姉を呑み込んだまま、膨らんだり、しぼんだりを繰り返している。


 少年は、影に手を伸ばす。もし、自分まで呑み込まれてしまったら――手を伸ばした矢先、少年の心の臆病な部分が、少年にそう警告した。しかし少年は、伸ばした手を引っ込めようとはしなかった。目の前で姉が、大切な家族が、何かに奪われようとしている。少年は影に触れる。影は絹のように柔らかく、捉えどころがなかった。少年が影を取り押さえようとしても、影は愉快な生き物のように伸縮して、少年の手からすり抜けてしまう。


「やめろ――」


 ようやく影の一部を握り締め、少年が引き裂こうと力を込めた、その矢先。影全体が泡立ったかと思うと、蛾の大群のように細かくなって、一斉に散らばり始めた。


「うわっ……?」


 (たま)らずに手を放すと、少年は両腕で顔を覆う。その間にも、影は小さなかけらとなって周囲に散らばり、とうとう跡形もなくなってしまった。


 少年と、姉とが、その場に残された。


「姉さん……?」


 少年は言った。それは、姉に対する呼びかけであると同時に、目の前にいる人物が、自分の姉であることを、自分自身に言い聞かせるための呼びかけでもあった。


 水晶のように透き通った瞳で、姉は少年を見つめてくる。瞳の奥を覗き込んだ少年は、全身が総毛立つのを感じた。“影”は、確かに姉を取り込もうとしていた。しかし、間際になってそれを断念し、逃げ出したのだ。探求の光を投げかけてしまえば、影を倒すことはできなくなる。影を怯えさせることができるのは、呼応する影を持つものだけだ。


 得体の知れぬ恐怖を感じ、少年は “姉”から逃げ出そうとする。しかし、後ずさろうとする少年の腕を、“姉”が掴んだ。


 氷のように冷たい“姉”の手に(ひる)む間もなく、少年は“姉”に抱きしめられていた。


 奇妙な感情を覚え、少年は“姉”に身体を預けることも、その腕を振りほどくこともできないでいた。目の前にいる姉は、少年の知る“姉”ではないものの、その息遣いと鼓動とは、紛れもなく姉のものであると、少年は直観したからだ。


 立ちすくんでいる少年の耳元で、姉がささやいた、


「――私を一人にしないで」


 と。

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