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月の雫“ルイシャ”と四燿星の男達  作者: 蒼水無月
第一章【第二部】
9/24

マルティネ家の“四燿星”と銀の娘 5

 夕食を食べ風呂に浸かり、あとはもう寝るだけとなった刻限。


 部屋は、灯りを一つ残しているのみで書物の文字がギリギリ読めないくらいの薄暗さを纏っている。


 寝着の姿でリュウはテラスの欄干の上に腰を掛け、ついでに片膝を立ててもう片方の足は自然に垂れさせる恰好で夜空を眺めていた。


 はしたない、行儀が悪いと世間からは言われそうだ。


 ただ、リュウの寝着は女性物のネグリジェといった類のものではなく、どちらかというと甚平と短パンの白バージョンという感じだし、そもそもリュウはなにも気にしてはいない。


 リュウは、毎日のようにこのマルティネの夜空を眺めていた。


 ただ、今日は少し―――いつもと違った。














「―――そろそろ、気付いてくれると有り難いのだが」




 ふいに直ぐ近くでそんな声が聞こえてきて、そこで初めて、リュウは視線を下へと下げた。




「寝ているのかと思えば、随分と熱心に眺めているのだな」




 闇に紛れる黒髪に、黄金色の瞳――クリストフであった。


 普段、他人の気配に敏感なリュウであるが、その一方で何かに集中していたりすると気づかないことも多い。


 どうやら随分と前からクリストフは傍に居たらしいが、案の定、リュウは全く気付いていなかった。だが、気づいても驚かない辺り、やはり肝が据わっていると言えようか。


 元来的に律儀なクリストフは、夜に勝手に部屋に入ったことを詫びながら、持っていたものをリュウに差し出してきた。




「?」


「歴史書だ。リュウでも読め、尚且つ詳しく的確に書かれているものを見繕った」




 その言葉で、リュウは昼間にお茶を持って行った際に「マルティネと近隣の地の歴史が知りたい」と彼に零していたことを思い出す。


 尤も、リュウは無意識だったしクリストフも特に何か言っていたわけではないのだが、こうしてわざわざ探して持ってきてくれる彼は、あとの三人とはまた違う感じで世話焼きだ。


 カイト、アルトゥール、カールがいつも目立っているので、相対的にクリストフはもの静かで無口に見えてしまう。だが、確かに年長というだけあって落ち着いた風情があるのは否めないが、決して無口ではない。


 ただ、やはり全体的な雰囲気はハッサンと似ていて、口調も然り。


 短く礼を言って、リュウは差し出されたものを受け取る。なんとなしに表紙を撫で文字をなぞっていると、ふと、クリストフが話しかけてきた。




「…マルティネの星座には、興味があるか?」















 星座、という響きにリュウは顔を上げる。


 クリストフは天空を見上げていた。それにつられる様に、リュウも視線を夜空へ戻した。




「あそこに、四つの星が互いに等間隔に輝いているのが、見えるか」




 リュウは無言で頷く。


 指し示されたものがどれなのか、この数多ある星々の中でも直ぐに判った。


 というのも、それらはひと際独特の輝きを放っていて、だからこそ毎日のようにリュウが一番多くの時間見つめているものでもあったからだ。


 直線で繋げば正方形、曲線で滑らかに繋げば円になるように互いに配置されている、四つの星。




「あれらをひと括りにして、俺達この土地の人間――ひいてはこの国の多くの者が“四燿星”と呼んでいる。世界は広く、それ以上に宇宙は広いが、その中でも特徴的な星座だ」




 特に何か具体的な形をイメージしているわけではないようだが、確かに目立っている。四つとも、それぞれに色が異なる。




「なら、クリストフ達の冠名の由来は、あれか」


「そういうことになる」




 『マルティネの四燿星』―――尤も、意味は他にもあるのだろうが、リュウを日々気にかけてくる四人はその名において世間に知れ渡っているようで。




「不思議だな。皆の瞳の色と、あの星の色は同じだ」




 一つは、クリストフと同じ黄金色。


 一つは、カイトと同じ紺藍色。


 一つは、アルトゥールと同じ深緑色。


 一つは、カールと同じ茜色。


 他の星々にはとくに独特の色はない。だから、かなり際立って見えるのは当たり前といえば当たり前。




「不思議…というが、それは少々違う」


「?」


「カイトは紺藍の星“カイトゥリ・グル”から、アルは深緑の星“アルトゥリ・ルシャ”から、カールは茜の星“カルミオ・ウィル”から。そして、俺は黄金の星“クリミス・フィ”から。親達が揃って、それぞれ連想させて俺達に名づけたらしい」




 随分と、銀河に縁のある四人だ。


 そう言えば、小さく苦笑が返された。




「不思議と言うのは、原因や解釈のつかない現象を指す。つまり、意図された名なのだから、不思議とは少々違う」


「――それでも」




 夜空に目を向けたまま、リュウは言う。




「不思議だと、思う」




 クリストフが、それに言葉を返すことはなかった。



* * *



 テラスの真下の庭から突然自分を呼ぶ声が聞こえても、リュウはさして驚きはしなかった。代わりにその声に応えたのはクリストフであった。




「帰ったのではなかったのか、カイト」




 空に雲はひとかけらも見えず月明かりがあるとはいえ、暗がりの中では顔はなかなか判別し辛い。だが、声と気配だけで十分だった。




「リュウ、降りて来い」




 クリストフの問いに直接応えることなく、いつもの調子で陽気に呼びかけてきた青年――カイト。クリストフの言う通り、今夜は東の家に帰ったはずなのだが。


 なぜ、とは訊かなかった。そう思いはしたが、その前に身体が既に欄干を蹴っていた。特に何も考えてはいない。


 ストっと軽く地面に降り立ったリュウは、しかし、次の瞬間には足が地面を離れていて。




「こいつとちぃっと出掛けてくる」




 急な浮遊感にハテナマークを浮かべていたリュウは、ここにきてようやく、自分がカイトに軽々抱き上げられているのに気づいた。状態としては、カイトの左腕にひょいっと座っている感じで、身体の全面は自然とカイトに向き合う恰好。


 出掛けてくる、という言葉を聞き逃す。




「…あまり、遅くなるな」


「わぁってる。このオレ様をなんだと思ってる?」




 クリストフはなにも追及しなかった。まるで、カイトの行動の行動を判っているとでも言うように。


 にっと不敵な笑みを浮かべたカイトは、そのままスタスタとリュウを連れて庭を横切り、屋敷を出た。














「カイト」


「うん?」


「自分で歩けるんだが」



 運ばれている、という表現が似つかわしい自分の状態に、リュウは淡々と突っ込む。


 なんて、なんでもないように抱え上げるのだろう。カイトは確かにリュウよりも背丈も高く、体躯も同じ年代の青年より鍛え上げられているが大男では決してない。リュウもリュウで、確かに軽いのだろうがそれなりに重さはある。


 いつの日か、カイトはリュウを羽のようだと言ったが、まさしく本当にそうであるかのようにカイトの足取りは軽い。




「気にすんな。オレ様がこうしたいだけだ」


「…なぜ」


「訊くな。オレ様はな、物事をいちいち深く考えちゃいねえよ。ここじゃなくて―――」




 空いている右手の人差し指を、カイトは自分の頭から離し―――トン、とリュウの胸元を指し示す。




「“ここ”で、実現したいと感じたことをやってる。特に意味はねえ」




 にやっと笑って、カイトはリュウを見た。この態勢だと、リュウはカイトを見るためには視線を上から下げなければいけない。




「ちゃんと肩に手ぇ置いておけ」




 身体のバランス感覚も良いリュウは支えがなくても転げ落ちはしないのだが、それを承知した上でカイトはリュウをそう促してくる。


 そうしている間にも、二人はどんどん進んで行った。


 カイトが何をしたくてこうしているのか、リュウにはとんと判らないが―――ふと、ずっと気になっていたことを口にする。




「奴隷市場のことは、どうなった」


「ああ、そうか、まだ言ってなかったな。わりぃわりぃ」




 からからと軽く笑ってから、カイトは少し真面目な声音になって応えた。




「奴隷商人はとっつかまえといたし、まだ売り飛ばされてない奴らは親元に返すか、家族がいなけりゃ善良な施設や領地に送っといたぞ」




 施設や領地に送った後のケアも進めていて、加えて無理矢理売り飛ばされてしまった子達については、どうにかできるように動いているという。




「リュウは洞察力が鋭ぇな。お陰で随分助かったぜ」


「―…なら、良かった」


「そう思うか?」




 カイトのその問いかけは、第三者からすれば些か妙なものに聞こえるだろう。


 リュウとしては、自分以外で奴隷として囚われていた娘達に対して特に感情移入していたわけではない。カイトも、リュウはおそらくそうだろうと勘付いている。


 とはいえ、娘達がどうなっても良いとリュウが思っているわけではないことも判っていた。




「――…自分には、よくわからないが――」




 ゆっくり、噛みしめるようにリュウは言う。




「自分は、元の世界に未練がない。だが、他の子達は、無理矢理連れてこられた。本当に居たい場所から引き剥がされるのは……辛いのだろうと、思う」




 よほど、身を斬られる様な悲しみを抱えていたのではないか。


 間近で彼女達の嘆きの声を訊いて同情したわけではないが、けれど、カイト達が尽力した結果に「良かった」と思うのは紛れもない気持ちだった。













 暫くの間、無言が続いた。その間もカイトはスタスタと足を進める。リュウはされるがまま。


 気まずい空気は一切ない。かといって、全く何事もなく穏やかと言うわけでもない。決して不快な類の雰囲気ではないが。



(まったく…生まれたての餓鬼みてぇな目ぇしてやがる)



 リュウが夜空を見上げつつも、その眼差しをゆらゆら揺らしているのをカイトは感じ取っていた。当人は無自覚なのだろうが。


 そして時折、僅かに視線を下げてこちらを見つめてくることも。


 リュウから漂ってくる気配は複雑だ。確固たる名をつけようのない様々な感情の渦。




「―――カイト」


「なんだ?」




 向けられた紺藍の瞳の煌めきを見て、リュウは口を開く。




「さっき、自分はなんて応えれば良かったんだろうか」




 夕方、カイトに怒鳴られた時のことを思い出す。




「自分の行動が、カイトを不快な気持にさせたのは判っている。けど、その理由…カイトに言葉は、わからない」




 リュウには、自分が居ないことで誰かが自分を案じるという感覚がわからない。そういうことを感覚的にわかるような人生を送ってこなかったから。




「カイトは、いつも不思議なことを言う。嫌ではないが、何を言っているのかわからない。そう言えば、またカイトは不快に感じるのだろうか」




 問いかけの言葉だが、リュウは何か明確な答えを求めているようではなかった。


 ずっと思っていたことを、そのままにただ言葉にする。そこに表も裏もなかった。


 そして、判らないなりに、リュウは自分の言動のせいでカイトが不快な思いをするのは避けたいと自然思っていた。そういうことを意識的に思ったのは初めてで、夕方の一件からずっと慣れないことに頭を悩ませていたのだった。


 悩む、ということさえあまり経験はない。







「それで良い」







 聞こえてきたその言葉に、リュウは改めてカイトに視線を絡ませる。


 カイトは、にっと口端を上げてやはりリュウを見返していた。




「わかろうとすんな。頭でどうこう考えるモンじゃねえ。リュウはそれで良い」


「…?よく、わからない。カイトは、自分に何かを判って欲しくて、ああ言ったんじゃなかったのか」


「そうなんだがな。が、そういう意味じゃねえんだよ」




 カイトは若干苦笑を見せる。




「オレ様が勝手に言ったことだ。それに、別にオレ様はお前ぇを不快だとか思ってない」


「そ、うなのか?」


「そうだ」




 困惑の色を浮かべるリュウに、変わらぬ不敵な笑みを浮かべるカイト。


 二人の頭上を星々が瞬き通り過ぎてゆく。













 現代日本とは違い、街灯などない夜はまさしく闇だ。月や星の灯りはあっても、殊に森や山々に囲まれ自然豊かなマルティネでは決して明るくはない。


 それでも、夜目は利く方だし方向感覚も優れているリュウは、自分の周りがどういう風景なのか直ぐにわかる。


 暗闇も、決して恐怖の対象ではない。むしろ、自分を覆い隠してくれる闇は身体に馴染んだものであった。


 だから


 リュウは、今この時はっきり抱いている感覚に首を傾げていた。



(なんでだろうな…)



 そう思うと同時に、ふと、今の今まで思い出してこなかったことを唐突に思い出す。


 そうして、その言葉は滑る様にして口から出ていた。




「――落ち着く、な」


「うん?」


「カイトは、落ち着く」




 若干…というかかなり、言葉足らずなリュウの言葉を、カイトは暫し逡巡した。そして、いつも通りに飄々として訊く。




「急にどうした?」


「…あの時、カイトのことだけ言ってなかったから」




 そう言いながら、リュウは無意識に自分の右頬へ手をやっていた。


 その仕草に、カイトはリュウが言わんとしていることを悟る。


 そして、くっと笑った。




「そりゃ、光栄だな」




 家族にならないかと言われ、窓から飛び出して行ったリュウを見つけたカイトは激情のままにリュウを一発殴った。その後、リュウは問われるままに皆の印象を語ったが…そういえば、目の前にいたカイトについては何も言っていなかったのだ。


 それに気付いていても気にしておらず、むしろ忘れていたカイトだが、そんなことを急に言われたものだから笑うしかない。もちろん、嬉しいという意味で。




「光栄…?」


「おうとも」




(…なぜ、ここで光栄という言葉が出てくる?)


 心底首を傾げつつ、しかしそれ以上に妙なのは現在進行形で抱いている自分の感覚。


 なにが、どこが、どのようにと問われて答えられるものではないが


 こうしてカイトの傍に居て、声を聞いていると、とにかく身の内が凪いでゆくのだ。


 他人と触れあうことは不慣れな上に、好きとは言い難いはず。なのに――――ここに来てから、なにかおかしい。















「――そうか。わかったぞ」



 唐突に、カイトがにやっと口端を上げてそんなことを言う。


 なにが、と思っていれば、なぜか勢いよく断言された。




「リュウの瞳は、この夜空だ」




 ぽかん、と口を開いているリュウを余所に、カイトは「そうかそうか」と一人でなにやら勝手に納得して勝手に頷いている。


 満足気に笑っていた。




「…意味がよく、わからないんだが」


「ははっ」




 カイトは上機嫌に笑っただけで、答えらしい答えを返してはこなかった。


 そして、風にさらりと揺れる銀髪をわしゃわしゃ撫でてくる。




「さしずめ、リュウは月ってとこだな」




 今度はもうなにも言わず、リュウはされるがまま、カイトを見つめ続けるだけだった。









 結局


 カイトは特別どこかへリュウを連れて行ったのではなく、付近を歩き回っただけだった。


 カイトがなぜ連れ出したのかわからないまま、リュウは屋敷へと戻ったのである。


 最後まで、カイトはリュウを一時も下ろさず抱え上げたままだった。




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