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月の雫“ルイシャ”と四燿星の男達  作者: 蒼水無月
第一章【第二部】
7/24

マルティネ家の“四燿星”と銀の娘 3

 コポポポ…


 透明硝子のティーポットの中に熱い湯が注がれ、湯気が立つ。


 ふわっと広がった香りが、山苺の甘酸っぱい匂いが漂う台所に絶妙なハーモニーを醸し出した。


「これはリィシャルっていう紅茶。リュウの作った山苺のジャムにもよく合うと思うぜ!」


「そうか」


 硝子の中でゆらゆらを揺れる茶葉をじっと見つめているリュウに、カールは茶に纏わる見識を話していた。


 少しずつ、少しずつ、鮮やかな色がグラデーションに湯を染めてゆく。それを、リュウは神秘的だと感じた。


「神秘的かー。リュウがそう言うと、なんかお茶がすっげー美味そうに聞こえるから不思議だよなー」


「?なんか変なこと言ったか?」


「ちげーって。いいんだよ、リュウはそれで!」


 そう言いながら、カールはティーポットを傾けてカップに注いでゆく。


「ほら、まだパイ焼けてねーけど飲んでみろよ」


 差し出され、リュウは素直に口をつける。


「あんまクセないから飲みやすいだろ?疲労回復にも良いんだぜ!」


 ちなみに、今ここにはこの二人のみ。


 キハル達の村から帰ってきた後、他の三人は別に済ませる用事があって散らばっている。リュウが台所にいる場合、いつもだったら傍に居るアンヌもカールがいるからということで離れており、伯爵はいつも通り書斎に引っ込んでいた。


「リュウ?どうかしたか?」


 紅茶をじっと見つめているリュウに、カールは首を傾げる。


 すると、返ってきたのはこんな言葉。


「この紅茶は、カールの瞳の色と同じなんだな」


「っ!」


 そしてそのまま、リュウは再びカップに口をつける。


 全く他意のない言葉。表情も眼差しも特に変わらない。そういう意味でリュウが言ったのではないとわかっているカールだが、不覚にも少々赤くなった。


 いわゆる可愛いイケメンの類に入るカールだが、色恋沙汰というのは不得手である。男なのだから、人並みに誰かを可愛いとかそういう感情を持つことがなかったわけではないのだが、それが恋かどうかと言われたら判らない。


 しょっぱなから豪語したように、カールはリュウを可愛いと思っている。一緒に暮らすとなって大喜びしたのも言うまでもない。


 ただ、今の感情が色恋かといえばやっぱりわからないし、カール自身はそのつもりはない。純粋に、ただそういう言葉を真っすぐ向けられ馴れていないから照れただけ。


 守るべき、可愛い妹。


 赤くなりながらも、頬が緩むのを自覚する。


「リュウはさ、手先が器用っていうか要領が良いよな!もうアンヌがあれこれ言わなくても、菓子作れるし。俺なんか何年経っても全然駄目でさぁ。だから、せめて一緒に飲む茶くらい美味く淹れようと思って頑張ったんだ」


 リュウを見ていると、なんでも教えてやりたくなる。


 カールは茜色の紅茶に自身も口をつけながら、他にどんな茶葉があるのか、どうブレンドすればどうなるのかなど、短く相槌を打ってくるリュウに話して聞かせた。













「って、俺なんか結構勝手にベラベラ喋ってっけど、つまんなくねーか?」


「そんなことはない」


 ふと不安になってカールがそう訊けば、リュウはふるりと首を横に振る。


「今まで、茶というものを知らなかった。水に色や香りや味を出すことができる、それは凄く不思議で、もっと知りたい。元の世界では、味のしない水しか飲んだことがなかったから」


 水とはただ、死なない程度に飲むくらいの存在だった。


「マルティネの水は、それだけで身体に沁み渡る。大地の匂いや草木の香りがする。それで淹れてくれたカールの茶が、自分は好きだ」


「そっか…へへ、なら、良いや」


 リュウはよく、こういう言い方や表現をする。自分達が住まうこのマルティネを、同じように感じてくれているのがよく判る。


 物言いはぶっきらぼうだが、カールはそんなリュウが家族になってくれたことに、この上ない嬉しさを覚えた。


 そうしていれば、ちょうどパイが美味い具合に焼けたようでオーブンから取り出す。


 さっきチラっとカールが言ったが、これはリュウが一から自分で作ったパイだった。菓子、というものすらまともに知らなかったリュウである。


だが、アンヌが毎日のように様々な菓子のレシピを伝授していった結果、簡単なものなら難なく作れるまでになっていた。


「うわ、めっちゃ美味そー!」


 カールがはしゃいでいる横で、リュウは出来たてのそれをじぃっと見つめ、香りを一杯に吸い込む。鍋に残っている山苺のジャムとはまた違った趣に、上手く出来ているか少し緊張する。


 木と石を組み合わせた実用的で品の良い台所から、屋敷の中へ庭へと、思わず腹が鳴る様な香りが漂っていった。












「よう。上手く焼けたみたいだな?」


 図っていたのではないかと思うほど絶妙なタイミングで、席を外していたカイトが顔を出してきた。


 傍に寄ってきたカイトに、ふとリュウはクンとごくごく微かに鼻を鳴らす。


「森の匂い……見回りか」


「まぁな」


「折角リュウと一番ノリで食おうと思ったのに~」


「阿呆、んな抜け駆けさせるかよ。もう少しでアルの奴も戻ってくんぞ」


 カールをからかいながら、カイトの片手はやっぱりリュウの頭に置かれている。リュウはというと、新しくお茶を入れ直すためにいそいそと手を動かしていた。


「あらぁ、良い匂いがしてるわね。どれどれ―――まぁ、上出来じゃない。カール、忙しくしてるみたいだけど、一応クリストフとあの人呼んできてくれる?」


「いたいた。ねぇ姫ちゃん、この残ってるジャム貰って良いかなぁ」


 アンヌとアルトゥールも顔を出してきた。





 ティータイムの始まりである。



* * *



「初めてにしては上等じゃねえか。リュウって感じの味だな」


「ちょっとちょっと、カイト。その表現危険」


「そういうこと指摘するアルが危なくね?」


「へぇ、この僕に喧嘩売ってるの?売ったよね?買値はいくらにしようかなぁ」


「ちょっ、待てやめろって!茶が零れるパイが落ちる!!」


 恒例の掛け合いを眺めつつ、リュウは自分の作った菓子がなんとか皆の口に合ったようで安堵していた。


 こんがりと焼けたパイ生地に、山苺のジャムを乗せたシンプルなもの。少し酒が利かせてある。


「どう、リュウちゃん。お菓子作り楽しいかしら」


「生地とジャムの二つだけだが、組み合わせると単体とは別の味になる。粉と卵と砂糖が、量や混ぜ方を変えるだけで全然違う菓子になる。それを見つけていくのが、楽しいと感じた」


 リュウの応えに、アンヌはにっこり微笑む。


「じゃぁ、そのうちリュウちゃんだけのお菓子を食べさせて欲しいわね」


「…自分だけの菓子?」


「そうよぉ?どこにもない。誰が作ったのでもない。リュウちゃんだけが知ってる、そんなお菓子よ。ああ、別に今直ぐとか、作らなきゃいけないっていう意味じゃないわ。ここで暮らしている中で、いつかそんなものが出来たら、真っ先に私達に食べさせてね?」


 

 この屋敷に、いわゆるメイドといった使用人はいない。全て自分達でできるからと、雇っていないのだ。リュウは他の貴族など知らないから判らないが、これだけで彼らの規格外っぷりがわかるというもの。


 今更だが、茶も自分達で淹れるし菓子も作るし、テーブルセッティングもなにもかも自分達でやる。それが、この屋敷での常識。


 茶を淹れ、飲み、パイを次々頬張りながら、こっくり頷いたリュウを皆して笑いながら見つめるのだった。




 午後の穏やかな昼下がり



 マルティネ家の一室には穏やかな陽射しが降り注ぎ、心地良いそよ風もふわりとご相伴に預かっていた。



* * *



「そういえばさぁ、ウチの姉さんが『リュウちゃんに早く会いたい!!』って五月蠅いんだよねぇ」


「既にちゃんづけしてるあたり、相変わらずだなエレーナは」


「変わるわけないでしょ、あの人が。もうね、凄いの。『あんた達が目をつけた子だもの、絶対面白いに決まってるじゃない!』だって」


「うわぁ、リュウが珍獣扱いになってる」


 忙しくてやはり同席できなかったクリストフと伯爵の分を取り置いて、あとは全て平らげた一同は、お茶で一服していた。


「エレーナっていうのはな、アルの二つ年上の姉ちゃん。もう一人、フィーアっていう姉ちゃんもいるんだけどさ、つまりアルは末っ子なんだよな」


「ま、あの二人もお嬢様らしくねえ規格外だな。リュウのことは気に入るだろう」


「そうだねぇ、そこは心配ないと思うよ。あの二人だから。ていうか、早く会わせないと僕が首絞められそうなんだよねぇ」


 カール、カイト、アルトゥールが順々に説明してゆく、まだ見ぬ二人の女性にリュウは思いを馳せる。


 アルトゥールの実家はマルティネの地とは少々離れた場所にあるらしい。数年前から四人共々この領地を統治してゆくことになった際、彼だけこちらで一人暮らしを始めたのだとか。


 元は別の貴族が暮らしていた小さな屋敷を貰い受けて、今はそこで一人で暮らしている。カイトも実家を出て、同じようにこの屋敷ではない別の場所に住居を構えている。


 とはいえ、しつこいようだがこの屋敷に入り浸っているし専用の部屋もあるので、別に住居を構えている意味があるのかどうか、一見すれば不明だ。


 リュウも最初はそう思ったものである。だが、今はその理由になんとなく気付いていた。


「――あのさ」


「うん?なんだリュウ」


「西のガルニエラ領と、東のオペルティア領は、どういう土地なのか訊いても良いか?」


 リュウの問いかけに、おや、というように一同は視線を交わす。


「そうだねぇ。じゃぁ、地図でも持ってこようか」


 そう言ってアルトゥールが一旦部屋を出てゆく。


「リュウ、その質問をしたのはなんでだ?」


 カイトが試しにそう尋ねれば、僅かな沈黙後に応えが返ってきた。


「西にアル、東にカイトの家があるから、なにか重要なのかと思ったんだが」


「――へぇ、気付いたか。流石、お前ぇは頭がよく回る」


 カイトが感心したようにそう言う横で、戻ってきたアルトゥールが床に地図を広げた。













「確か前にもちょっと地図見せて一通り説明したんだったよねぇ。まぁ、その時は他の領地についてあんまり詳しく説明しなかったし、姫ちゃんが気になったなら教えよっか」


 それは、このアトラスティア皇国の地図。城のある大きな城下町が全てにおいて重要な拠点地で、その他に大小合わせて10以上の領地がある。


 その中で、マルティネ領は二つ目に大きな領地だった。


「西のガルニエラ領は、ここね。中規模の領地だけど、ここは貴重な地下資源が豊富な場所だから国内外問わず重要視されてるの。深い森を隔てて隣接してるから、僕らのとこともかなり交流あるし。結構古い仲なんだよね」


「逆の東のオペルティアだが、ここは海沿いの小さな領土だ。小さいからってナメくさってる奴が多いけどな、オレ様はこここそ最重要な場所だと踏んでる。なんせ、ここの近海はオペルティアに所有権がある上、大陸の向こうと直に交わる可能性の高い場所だ」


 アルトゥールとカイトの説明にリュウはじっと聞き入った。それぞれの気候風土も教えてもらう。


 マルティネの地が日本の山村に近い気候風土だとすれば、西のガルニエラ領はよくイメージされる砂漠の世界に似ていた。そして東のオペルティア領はといえば、平地が極端に少ない、一見すればごつごつした岩の断崖絶壁が8割を占めているような場所。


「オペルティアの人達は、どこにどうやって住んでる?」


「それはな、崖の中腹を削るなりして作った洞窟の中だ。元々そこまで人口がいるわけじゃなくてな。つか、そこを単体で一つの領土にするかどうか揉めたくらい、あんま領土って感じのしねえ場所なんだよ」


 現在オペルティアに生きている人達は、元はこの大陸の先住民だったらしい。今は洞穴の中で、ほそぼそと海に潜って暮らしている。


 土地としてはアトラスティア皇国の一部だが、人々の認識としてはどこにも属さぬ誇り高き民族。


「で、オペルティア領の領主ってのが、いわゆる一族の長である壮年の男だ。オペルティアの名は、奴らの始祖の名前で一族の名称でもある。なかなか気難しいが、話すと面白ぇのなんのって」


「数年前ね、どこかの属領土にしようって話が持ち上がったんだよ。先住民に対する差別意識は凄まじいものがあってね。でも、それを阻止して例外的に貴族ではない彼ら一族の中から領主を出すように掛け合ったのがカイトってわけ」


「――つまり、強制的に従属させられそうだったオペルティアの人達の独立を、カイトが守ったのか」


 リュウの言葉に、そうそう、とアルトゥールが請け合う。


「守ったっつーか、こっちもあっちがそのまま独立して生活を維持してくれた方が、何かと面白そうだと思ったまでだ。なんなら、近いうちに連れてってやる」


 そう言って、カイトはにやっと口端を上げた。





 つまり、こういうことだ。





 西のガルニエラ領も東のオペルティア領も、共に今後関係を築いてゆくのに様々な意味で価値のある土地。


 この広いマルティネの中で両サイドに近い場所にアルトゥールとカイトが住居を構えているのは、より早く正確に内情を把握して動けるようにしておきたいから。





 自分もいつか、彼らの傍で力になれるだろうか





 そんなことを、リュウは無意識のうちに考えていたのであった。





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