マルティネ家の“四燿星”と銀の娘 2
アトラスティア皇国―――それが、リュウが飛ばされてきた異世界の国の名であった。
マルティネは、数ある領地の中でも重要な場所の一つ。国全体を支える豊かな森と水源がある土地である。
農耕を中心に、恵まれた自然に付随する織物などの地場産業が、領民の手によって様々に成り立っている――こういう表現だと大した事のないように思えるが
しかし
そうした平穏さを維持し続けているのは、現領主であるマルティネ伯爵の長年の功績によるところが大きく、加えて昨今では四人の青年達の働きがそれを継承する重要な要因となっていた。
領主をはじめ、そんな彼らを領民は慕い多大な信頼を寄せている。つまるところ、須らく良心的な統治者たちによって、マルティネの土地と人々は守られているのである。
理想を絵に描いた様な彼ら統治者たちであるが、それは氷山の一角を見ただけに過ぎない。それを現実にするまでには彼らの様々な努力があったわけで、決して胡散臭くもなんともないのだ。
『四燿星』という称号はすなわち、そんな領民たちの敬意の表れでもあると同時に、彼らの働きをこよなく認めている皇帝の与えた冠名であった。
* * *
周囲を山河に囲まれているマルティネの地の風景は、一言で表わすなら田舎の山村。といっても、なにも閉鎖的で発展の遅れている寂れた田舎などではない。
領地の半分以上が山河という具合で、地形はところによって様々。平地もあれば谷もあり、集落が違えばその生活様式もかなり個性があった。
そして今日、リュウはその中の一つの集落にカイト達四人と共に訪れていた。山の麓にある平坦な地形の、直ぐ近くに細い川が流れている集落だ。
「リュウちゃんっ!来てくれたんかっ!?」
「っ!?」
リュウの姿を認めるなり、一目散に走り寄ってきて思いっきり抱きついてきた少女がいた。
「はーいはい、いい加減離れようね馬鹿キハル」
「馬鹿は余計や、この阿呆アル!!かんにんな、リュウちゃん。来てくれて嬉しかったんよ」
「いや…平気だ」
大分馴れてきたとはいえ、リュウは抱きしめられたことに対してまだ少し困惑する感覚が否めなかった。それでも、謝られることはないから短く返答する。
抱きついてきた少女は、リュウと同じ年頃のこの集落の娘。少し癖のある黒髪を肩下まで伸ばしていて、今は仕事中だからか一つに束ねて頭には手拭を巻いていた。リュウより少し背の高い彼女は、年相応に真っすぐ育った元気な子、という印象が強い。
「じゃ、オレ様達は一旦散らばるからな。キハル、リュウを頼む」
「まかしとき!行こ、リュウちゃん」
カイトにそう応えたキハルは、にこにこ顔でリュウの手を握って歩きだす。それに、リュウも大人しくついていった。
一方のカイトやアルトゥールの四人は、仕事だと四方へ散らばる。
さて
以前に「リュウに一日中くっついて散々引っ張り回している」と少々誤解を招くようなことを言ったが、『四燿星』である彼らがリュウに構って本分を忘れていたわけではない。
引っ張り回したとはイコール、「領地内の集落の視察に同行させた」の意味だ。
統治者としての彼らの信念は、「己が眼で現実と真実を見て動くこと」。マルティネにはいくつかの集落が散在していてそれぞれに特徴があるが、日々そこに直接訪れ見て回り、人々の声を訊くことを欠かさない。
これが、彼らの大事な仕事の一つであり基本であった。
つまり、今日のこれもその一つ。
他領の統治者と比べて変わっているのは、彼らがその仕事を義務や責任感のみならず、自分にとって面白い“遊び”の感覚を持ち合わせているところだ。
統治者とはいえ幼い頃からこの土地を駆け回り、領民とは友達感覚で付き合ってきた。統治する側になったからといって、その関係性を崩すことなくメリハリつけて行動できているのが、『四燿星」たる所以だったりする。
「婆ちゃん!リュウちゃん連れてきたでっ」
「ほな、おあがりや」
「みんなーっ、リュウちゃん来よったでー!」
一つの大きめの家に辿りつくなり、キハルは中に向かって元気よく声を張り上げた。
「な、今日もウチんとこ見てくか?」
「―いいか?」
「もちろんや!」
リュウがこの集落に訪れるのは、これで三度目である。
例の如くカイト達が「引っ張り回し」た時に当然ここも訪れており、今や領地内でリュウの存在を知らぬ者はいない。
もちろんそれを目的で連れ回されていたわけだが、「尊敬するマルティネ家に銀髪の養女が来た」という話は瞬く間に知れ渡っていた。
部外者も部外者すぎるリュウの存在は、リュウが信じられないほどにどこでも好意的に受け入れられた。如何にマルティネ伯爵ならびに『四燿星』が信頼されているか、ということを如実に物語っている。
この集落では特に織物を生業としている土地で、女性の労働力が物を言う。
まだ7、8歳の子供から年頃の娘、お母さん世代に老婆と幅広い年齢層の集落内の女性が、一つの大きな家に集まって仕事をしていた。
キハルは誰よりも先にリュウを気に入り受け入れた娘だった。彼女は集落の娘の中でも快活でちょっとしたリーダーっぽい存在。そんなキハルが率先してリュウに懐いているものだから、自ずと皆もリュウを歓迎するようになったのだ。
「リュウちゃん、ウチらの作った服、着てくれはってんのやな」
「ああ。着心地が良い」
「ほんま!?むっちゃ嬉しいわぁ。みんなも喜ぶで!」
「そうか」
今日…だけといわず、リュウがここ最近ずっと着ている服の数々は、全てこの集落で作られたものである。
最初に訪れた際、カイト達がリュウに服をと提案すれば、マルティネ家の養女のためなら喜んでと何着か作ってくれたのであった。
本日リュウが着ているのは、渋めの若草色の服。腰辺りにしぼりを利かせた陣羽織風の上着に、少し裾が短くゆったりとしたズボン。買い付けた服の中にスカートの類はなく、どれも動きやすいものであった。
服の裾のそこかしこには、蔦や葉を模した繊細な文様が刺繍されている。
リュウは名目上、「マルティネ伯爵令嬢」となった。だが、このリュウが世間一般的なご令嬢風情であるわけもなく。そもそも、そういう人間であったらあの四人は興味を持たなかったが。
世間一般的な伯爵令嬢といったら、きらびやかなドレスを着ているのが普通。
だが、リュウはどう見てもそういう類の器ではない。それは、一目見て領民全員が察したことだった。ゆえにこそ、『四燿星』の四人がリュウを受け入れたということも直ぐに判った。
だから、現にリュウが令嬢らしからぬ服を着ていて違和感は全くない。この集落でリュウのために作られた服は、どちらかというと須らく庶民に近い風情のものだ。
清流がすぐ横を流れる開けた場所に、リュウはキハルに連れられて足を踏み入れた。
そこでは、二人と同世代ほどの娘達が紡いだ糸を染め、干すという作業をしている。皆、リュウの姿を認めると手を動かしながらも気軽に挨拶を寄こしてきた。
「これが、こないだ言うてた藍染めの壺やねん。だいぶ発酵してきたからなぁ、ちょうど今日が初染めなんや」
そう言って、キハルが糸を染めてゆく様をリュウは傍らで静かに眺める。
リュウは諸々の集落を訪れると、こうして村人たちの仕事ぶりを見つめ、時に質問をし、彼らの言葉に耳を傾ける。それはカイト達が何か特に言ったわけではないのだが、自然とそういう形が定着していた。
木草や繭から糸の材料が採れることも、糸を染めるということも、機を織るということも、全部ぜんぶ、キハル達から教わったこと。
(ほんま、ごっつぅ綺麗な目ぇしとる子やなぁ…)
自分達のやっていることを飽きることなく真っすぐ見つめているリュウに、キハルは内心で感嘆する。
確かに無愛想だ。人付き合いも上手いとは言い難い。令嬢でなくとも、言動や反応の全てがどの人間とも全く違う。だから、最初はキハルも含めて若干困惑する者も少なくなかった。
けれど、そんなリュウが訪れてくるのは不思議と不快ではないのだった。自分達のやる仕事をじぃっと見つめ、時にぶっきらぼうに何事か質問してきて、ただただ静かに風を感じている。
リュウの生い立ちについて、詳細の全てを話されているわけではないが領民は承知していた。貧しいとかそういうことではなく、根本的に次元の異なる特殊な環境に長年いたのだと。
だから、纏う雰囲気が普通と違っていても、それがリュウなのだと皆が皆、納得していることだった。
「どや、リュウちゃん。これが藍染めや。今日と明日じゃ、同じ藍色でも全然味が違うんやで?」
染め終わった糸を清流に晒した後、専用の竿に干しながらキハルはリュウに話しかける。
「――…マルティネの、空の色だな。カイトの瞳の色にも、よく似てる」
風にたなびき、陽に煌めく染めたての絹糸を眺めながら、リュウは小さく呟いた。その眼差しは穏やかで、ただひたすら真っすぐだ。
(これは…微笑んでるんかなぁ?)
その時、強めの風が吹いた。途端、「あっ!」という誰かの声が響く。キハルがその方向を見遣ると、焦ったような表情の友達の何人かが、頭上を見上げてオロオロしていた。
どうやら、今の風で干していた糸束や布の一部が飛んでしまっているようだ。
これで風が収まれば良かったのだが、緩急つけて絶え間なく吹いてくるため落ちてくる様子はなく、取るに取れない状態。
ところが
「ありゃあ、諦めるしかないかなぁ」
キハルがそう呟いた刹那のことだった。
「えぇっ!?」
それは、誰の声だったか。
ついさっきまでキハルの目の前に佇んでいたリュウが、いつの間に動いたのかタタっと近くの木に駆け寄ったかと思うと、あろうことか一足飛びでタンっと地面を蹴って木に飛び乗って、次の瞬間にはその枝をも蹴って宙に飛びあがっていたのだ。
そして、風に飛ばされた糸束や布を素早く掴むと、そのまま軽い調子でスタっと舞い降りてくる。
その間、たったの5秒。
なにが起きたのかと、その場に居る者は皆唖然としていた。
「――傷が、ついていないといいんだが」
「あ、ありがとっ」
「おおきになっ!」
リュウに取り返したものを差し出され、暫し呆けていた娘達は僅かに興奮気味に頬を染めて、礼を言っている。
その様子を少し離れた場所から眺めていたキハル。ふと、隣に近づいた気配に顔を上げた。
「やぁ、流石だねぇ姫ちゃんは」
「なんや、アル。じっちゃんのとこ行ってたんやないの?」
「もう終わったよ。僕、仕事早いし」
「よう言うわ」
アルトゥールだった。どうやら、今の一部始終を見ていたらしい。
この二人、今日一番の会話もそうだったが、互いに顔を合わせれば悪態や皮肉の応酬を繰り返している間柄。それこそ、幼い頃からこういう感じだと集落の者は皆知っている。
「くすくす。やっぱりみんな、ちょっとビックリしたみたいだねぇ」
「…ほんま、不思議な子やなぁリュウちゃん」
どこか感慨深げにキハルが言う。「どういう意味で?」と、アルトゥールは試しに訊いてみた。
「そうやなぁ、上手く言えへんけど……ウチらの仕事とかずっと眺めてる時の瞳は、何も知らへん生まれたての赤子みたいやん?あとは、元々大人しゅうて馴れない土地でオロオロしてんのかなぁと思ってたんやけど…」
つくづく令嬢らしからぬ…という以前に、どこか巷の人間とは違うリュウの身のこなしを思い出しながら、キハルはうーんと首を捻る。
「雰囲気がガラっと変わるんやもん。さっきはなんや、野生の香りがしたんやけど、今はもう戻っとるし」
「へぇ…」
自分より背の低いキハルを、束の間珍しく真顔でアルトゥールは見つめた。
(ふーん?カイトと同じこと言ってるよ)
「君に対する認識を、ちょっと改めないとかなぁ」
「はぁ?なんやそれ、むっちゃムカツク言い方やわ」
「褒めてるんだけど?」
(まぁ、カイトの方がもっと深く洞察してるけどねぇ)
しばらく喧嘩腰の会話をしていた二人だが、ふと、キハルは未だ娘達に囲まれているリュウを見ながらポツリと呟いた。
「……リュウちゃん、ウチらのことあんま好きじゃないんかなぁ…」
「は?なんでそうなるの」
「やって、あんま笑ってくれへんし…抱きついても、なんや困ったような顔しよるし…」
今も、リュウは娘達に囲まれながら言葉少なに接しているが、やはり、その表情は豊かとは言えず、ああして自分達といるのは楽しくないのではと思ってしまう。
「馬鹿だね」
「はぁ!?なんやその言い草!」
「とはいえ、まぁそう思っても仕方ないけど――良いこと教えてあげるよ」
「?」
アルトゥールが少し真剣な雰囲気なのを察して、キハルは大人しく次の言葉を待った。
「姫ちゃんがさ、なんで着る服全てをここの物にしてると思う?」
「それや!それを訊きたかったんや。こないだ、町の仕立て屋にリュウちゃん連れて行った言うてたんに、なんで一着も買わへんとウチんとこなん?」
「あれ、嬉しくない?」
「そういうこととちゃうねん!町には、もっと上等なもんがあるし、種類もぎょうさんあるやろ?ウチらはウチらの作ったもんに誇り持っとるけど……町のもんより格下や」
「それって、世間で言われてる評価だよね」
「そやけど?」
「姫ちゃんにとってはね、そういうのって意味ないみたいだよ?」
「…どういう意味や?」
「姫ちゃんが町で服を買わなかったのは、沢山ありすぎて選べなかったっていうのもあるんだけどね」
今まで、リュウの周りには一般人が普通に持っているものがなかった。あったのは、血溜まりと屍だけ。
そこから、今度はいきなり様々なものが舞い込んでくれば、何をどうすればいいのかわからないのは当然のこと。
全てにおいて己が心の底から望んでなにかを選びとったことはなく、そもそも何かを選ぶということからも無縁の時間をずっと過ごしてきたのだ。
だから、溢れかえるほどの物を前に、どうして良いか戸惑う。
「でも一番の理由は、姫ちゃん自身が“納得しなかった”から」
「『納得しなかった』って…?」
「うん。それで、キハル達の作った物なら納得したってこと。要するに、彼女にとってはキハル達が作ってくれた物っていうことを知っているから、身につける上で安心できたんじゃないかなぁってね」
「ますます訳わからんのやけど…」
難しい顔になるキハルに、くすっとアルトゥールは笑う。
「さっき、姫ちゃんのこと野性的ってキハル言ったでしょ」
「うん」
「それ、かなり当たってるよ。彼女は人並み以上に獣としての野性的な勘が鋭い子なんだよね」
「野生の勘…?」
「そ。言い方は悪いけど、本能的に気に入らなかったり嫌いなものは絶対に触らないし近づかない。徹底的に自分の周囲から排除する。だから、町の店頭にある服だとどこの誰が糸を紡いで布を織って仕立てたものかわからないから、姫ちゃんにとってそれは本能的に安心できなかったんだよね、多分」
「じゃぁ…ウチらのなら、全部わかってるから安心できるっていうことなんか?」
「そうじゃないかな。まぁ、姫ちゃんから直接言葉として訊いたわけじゃないけどさ。一緒に暮らしてるとわかるんだよね」
アルトゥールもカイトと同じく、元々の住処は別の場所にあるが半分以上居候の状態。そしてやはり、リュウに出逢ってから一緒にいることは多かった。
「彼女は、君達のことは嫌ってないよ。表情が乏しくて無口なのも、キハルが抱きしめた時に困った顔をするのも、それは今迄生きてきた環境のせいだから。本当に君が嫌なら触らせない」
ここに足を運ぶ、傍に寄る、身体に触らせる……顔にも口にも出さないが、たったそれだけで、リュウがこの土地とここに生きるキハル達に心を開いている証拠になる。
リュウが無意識に他者に対して作っていた厚く堅い壁は、マルティネ家の6人が壊した。一度壊したから、リュウは最初ほど過剰に拒絶反応をすることはない。易々とはいかないが、少なくともキハル達には多少なりとも既に心許している。
身に直接つけるものは己の命を左右する。だから、納得でき安心できるものしか手にしない。
リュウはここに足を運ぶ度に、キハル達が糸を紡いで染め、機を織り、仕立てるその様を真っすぐ見てきた。だから、その服がどういうものかをわかっている。だから納得して着ている。
「キハル?どうかしたか」
傍に戻ってきたリュウは、なぜか自分をキハルが凝視しているので首を傾げた。
「ううん、なんでもないんよ」
無意識にそうしていたのに気付いて、キハルは慌てて取り繕う。その横から、なにか気付いたのか思いついたのか、アルトゥールが口を挟んできた。
「ねぇ姫ちゃん」
「なんだ?」
「今日さ、なんでその色の服着てきたの?」
そう問われて、リュウは一度視線を落として服を見た。
そして顔を上げると、その眼差しはアルトゥールではなくキハルへ向く。
「キハルの、瞳の色」
「っ!」
“だから”とは言わなかった。
けれど、次の瞬間キハルはまたしてもリュウを思いっきり抱きしめていた。
「リュウちゃん」
「な、なんだ」
「大好きやで!」
相手の背に手を回すということを知らないリュウは、そのままなされるがままだったが
キハルは、それで十分満足であった。