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月の雫“ルイシャ”と四燿星の男達  作者: 蒼水無月
第一章【第二部】
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マルティネ家の“四燿星”と銀の娘 1

小説のタイトルを少し変えました

「ちっと早く来すぎたな。ま、なんならリュウの寝顔でも見に行くか」


 早朝、マルティネ伯爵の屋敷の前に飼い犬と共に颯爽と立っているのはカイト。


 クリストフ、アルトゥール、カールと共に『マルティネの四燿星』と呼ばれる彼は、つい最近自分達の“家族”になった少女を思い浮かべて、その口端をにっと上げていた。


 傍から見れば好敵手を眼前に不敵な笑みを浮かべているようだが、実は、これが滅多に他人に見せぬ心中穏やかな笑顔だったりする。そして、そのことを知っている人間は僅かだ。


 門の中に踏み込んだカイトは、玄関へは向かわず庭をぐるりと廻り込み、まだ寝ているだろう二階のリュウの部屋の前に足を進めた。


 彼のこの行動は、なにも今日が初めてではない。今迄も、庭の木を伝って身軽にリュウの部屋に忍び込み、その寝顔を面白そうに眺める……という貴族あるまじき行動を飄々とやってのけてきたカイト。


 殆どこの屋敷に入り浸り居候の状態でカイト専用の部屋もあるが、本当の住処は別のところにある。今朝はそこからやってきたのだった。だが、勝手知ったるここで朝っぱらから何をしようが、彼を咎める者はいない。




「――――…うん?どうしたパオロ」


 愛犬が何かに気付いた様子にカイトが呼びかければ、パオロと呼ばれたレトリバー風の彼の犬はタタタっと主より先に前方へ駆けて行った。


 元々あまり吠えず大人しい愛犬だが、どうもご機嫌な様子にカイトもそちらへ歩を進めた。


 すると…


「――…ったく。こんなとこで寝てやがるぜ、ウチのお姫サンはよ」


 若葉が生い茂る樹木の根元の陰から、もう見慣れた銀髪がサラサラと風に揺れて見えるのを認め、カイトは呆れたように近づく。


 とはいえ、呆れているのは本音だとしても、その表情も内心も先ほど以上に穏やかに凪いでいる。


 本来ならフカフカのベッドで寝ているはずで、今まさにその寝顔を見に行こうとした目的の人物が、幹に寄りかかってスヤスヤと眠っていた。


 しかも、投げ出された脚の膝上にはどこからかやってきたリスが身体を丸めて眠っており、ついで肩には小鳥が一羽、羽を休めている。そしてそこに、カイトの愛犬が尾っぽを振りながら傍に寄っているという光景。


 相変わらず深い眠りに入っているリュウを眺めながら、カイトはいつかのアンヌの言葉を思い出していた。



『あの子には今は、心身ともにゆっくりとした休息を摂らせてあげたいわ』



 それは、カイトも同じ心境だった。他の面々も同様である。



 あの日、自分達の家族になるという意思表明を、未だ大きな困惑のなかでも懸命に示してきたリュウ。そこから早くも十日以上が経過しているが、その間、カイト達はそれこそ四六時中付き添っては共に時間を過ごし、色々な事を彼女に教えてきた。


 朝起きて顔を洗い、髪を梳かして、寝着から着替えて昨日とは違う服を着ること



 その日初めて顔を合わす時に「おはよう」の挨拶を交わすこと



 一緒に出来たての温かいご飯を食べること



 服には様々な形と色があり、時と場合によって使い分けること



 草花や鳥、小動物、山河など、あらゆるものにはちゃんとした名前があること



 一つの土地には様々な仕事で生計を立てて暮らす人間が大勢いて、互いに支え合って暮らしていること



 数え上げたらキリがない―――知ってて当たり前だとさえ普通は思わないような当たり前のことを、リュウは19年の時を経てようやく知り、現在進行形で体感している最中だ。


 最初の頃、リュウは寄り添ってくる小鳥や庭に生えている草花に触れることをかなり躊躇していた。


 その瞳に浮かんでいたのは、己が触れればその小さな命を奪ってしまうのではないか、という怯え。「触れるのが怖い」と自分が思っていることもその理由も自覚していたリュウは、散々殺戮を繰り返してきて今更なにを傲慢な、と自嘲していたものだ。


 カイト達は、そんなリュウをこれでもかというほど―――しまいにはアンヌが叱るほどに一日中構い倒すことを繰り返している。



「にしても…ようやく、眠りが深くなってきたようだな」



 休息、というのはただじっと部屋に籠っているという意味ではない。


 朝に顔を合わせ夜寝るまでの間、馬鹿みたいに片時も離れず騒ぎまくり、それなりの規模を誇る領地の中を引っ張り回し駆けずり回し。


 とにかく、リュウの身体にも心にも、自分達の声や愛するこの土地の空気を沁み込ませ叩きこませんと、あらゆることを一緒になってやってきた。それを率先してやっているのが、言わずもがなこのカイトなのである。


 ちょっとでも人が近づけば飛び起きるほどに、リュウの眠りがどうも身に沁みついた緊迫感のために浅いと知ってからは、なおさら。本来あるべき感情や心の動きを取り戻させようとしてきた。


 こう言うと、彼がリュウに無理矢理なにかを強いていたり、身勝手に振りまわしているように聞こえるかもしれない。


 現に、彼は貴族の世界でも風雲児と呼びならわされる気性の持ち主だ。彼の行動は彼自身の直感によるものが大きいのも事実。


 だが、直系でもないのにクリストフ達と共に領地の統治を担っている『四燿星』が一人の称号は伊達ではない。理屈をグダグダ並べるのは嫌いな彼だが、頭はかなりキレる強者。その究極である彼の直感は侮れないのだ。


 リュウに対する、ある意味で破天荒すぎる“教育”もどきも、その直感に基づいている。




 剣を握らせれば一流。だが、それ以外の面では無垢で無防備な幼子のようであるリュウは、しかしただの幼子ではない。




 リュウが、もっと違う気質の持ち主であればやり方は変わっていただろう。だが、カイトは彼女の潜在的な気質や性を見出した結果、こういうやり方を選んだのである。



「――良い顔してんな、オイ」



 朝、窓から注ぎ込んでくる陽射しのやわらかさに、心を仄かに躍らせる



 温かな食事を口にするたびに、ほわっと微かな笑みを浮かべる



 庭で、香ってくる草花の匂いや風の感触に心地良さ気に目を細める



 夜、天空に瞬く月や星々の煌めきに感嘆する



 暁の空や黄昏の空を、飽きることなくずっと眺め続ける



 おずおずと、ようやく触れられた小鳥や小動物の健気さに、泣きそうな微笑みを浮かべて



 少しずつ、少しずつ―――振りまわしているカイト達に嫌な顔をせず、一生懸命傍にいようとしてくる。




 リュウは驚くほど、素直に純粋に新しく知った物事を吸収し、自分のものにしていっている。その飲み込みの速さ、要領の良さ、賢さはただの幼子にはない。



 だが、それは単純に天性的なものというよりも、件の組織において働かされる中で、必要性に迫られて死に物狂いで身につけた生きるための術。完全犯罪を遂行するためには、単に腕が立つだけでなく頭脳でもその優秀さが求められる。



 任務に失敗すれば待つのは死。



 だから、リュウは生きるためにそうした術を身に着けざるを得なかった。



 それを思えば、単純に喜ばしい個性とは言えない。



 だが、リュウがそうした過去を背負っているからこそ―――培ってきた能力を生かしてこの世界で見知ったことや感じたことで、その無垢な心を目一杯満たせば良い。



 単純明快なことを好むカイトの行動原理は、ただ一つ―――リュウに心から笑っていてほしいという、その強い望み。





「このオレ様が、あいつら以外にここまで興味持つなんてなぁ?どうしてくれんだ、“ルイシャ”」



 今、自分を眺めながらにやっと笑っているカイトが、まさか世間で『氷炎の孤高の鷹』と言われていることなど、リュウは知る由もない。


 その意味するところは「凛々しく精悍な、馴れ合い群れることを嫌う鷹の君。氷のように凍てついた鋭い瞳を持ち、怒らせればその冷たい灼熱の視線に射殺される」というもの。


 本気で気に入った人間相手でなければ、今のこんな表情など見せない―――つまり、カイトの笑顔を知っていて真っすぐ向けられるのは、この屋敷の人間だけ。


 “ルイシャ”とは、『親愛なる月の雫』の意。


 カイトがこの言葉を向けるのは目の前のリュウ限定だ。といってもやはり、そこに甘い雰囲気など微塵もなく、敢えて言うなれば慈しみという感じ。それでも、そう思う相手はリュウだけなのだが。






 だが、この時、カイト自身もまだ知らなかった。






 本当の意味で、この言葉が己自身にとってどういう意味を伴ってくるのか…ということに。















「おーい、リューウ?どこ行ったんだー?」


 そんな声が聞こえてきて、そろそろ起こした方が良いかとカイトはリュウの傍らに膝をつき、肩を軽く揺する。


「あぁっ、こんなとこにいた!てか、カイトもいたんかよっ」


 部屋にリュウがいないことに気付いて捜しに来たのだろう。呼びに来たのは、カイトとは違ってここが実家であるカールだった。


 以前も一度、こうしてリュウが外で眠っていたこともあってか、それほど慌ててはいなかった。この土地の治安は『四燿星』のお陰でかなり良い――という話は、今は別としておく。


 しばらくして、ゆるゆるとリュウは瞼を開けた。そして、目の前の二人に気付いてパチクリと目を瞬く。


「よぅ、おはようさん」


「リュウ、アンヌが呼んでるぜっ!早く来ないとメシ冷めちまうからなっ」


 膝上や肩上に乗っていたリスや小鳥もお暇し、リュウはおもむろに立ち上がって二人を見た。


「おはよう……カイトか。来るの早いな」


「まあな。ほれ、パオロが待ちわびてんぞ」


 それまで静かにしていたカイトの愛犬が、パタパタと勢いよく尾っぽを振ってひと声鳴いた。リュウが撫でてやれば、更に嬉しそうにしている。リュウも、相変わらず判りにくいがその瞳がほころんでいた。



 リュウがあまり感情を表に出さずにいるのは、心のままに振る舞うことをずっと抑え込み、それが当たり前の人生を送ってきたことが、おそらく最大の理由。口数が少なくぶっきらぼうなのも、同じ理由だ。



 言動の全てが一般的な女子にはないクールさを持ち合わせているのは、それはそれで好ましく一つの魅力とも言えようが



 だがしかし、抑え込んでいるがゆえのクールさならば、そんなものにいつまでも囚われていて欲しくはない…とカイトは思う。


 


 別に、俗世間や文化的な生活と無縁で生きること自体は、さして悪いことではないだろう。けれど、今迄のリュウのそれはリュウを生きながらに死なせているも同然の環境で。



 だから、まずはなにより、その心を開放してやりたい。




 無駄に構い倒してきたのは、だからこそ。



 そうして近頃、はっきり露わになるわけではないが、リュウの漆黒の瞳が徐々に感情豊かになり始めた。言葉も、徐々に素直に出してくるようになっている。




「行くか?とりあえず、部屋に行って着替えて来い」


「ああ」



 なにも知らない者がみれば、なんて無愛想な反応か、と思うかもしれない。だが、リュウがどういう人間なのか、自分達さえ知っていれば良いとカイトは思う。


 独占欲とかではなく、人を見た目だけで判断する人種が大嫌いな彼だからこそ、「深く知ろうとしない奴が何を言おうが構わねえ」なのだ。


 リュウの頭を撫でまわす。


 絹糸のようなリュウの銀髪はどんなに無造作に掻きまわそうともサラリと滑らかで、手に伝わってくるその感触がカイトは癖になっていた。


 まるで真珠のようだと、その度にカイトはそう思う。



 

 カイトが手を離せば、タンっとリュウは地面を軽く蹴って、さっきまでもたれかかっていた、自分の部屋の近くの木の枝に飛び乗った。


 カイトよろしく、幹や枝を伝って窓から部屋へ帰るつもりだ。寝着だろうがなんだろうが、気にしない。リュウもリュウで、こうして庭から屋敷へ入るという行為は初めてではなかった。


 はしたない、と他の者が見れば間違いなくそう言うだろう。けれど、カイトは“これがリュウだ”と知っている。これがリュウの素であることを知っていて、むしろ好きにさせていた。


 アンヌは少し困ったような微笑を浮かべるもののそこまで咎めることもなく、他の面々も堂々と黙認している状態。




「カイト」


「うん?」


「訊いてもいいか?」


 ふと、リュウが木の上からそう問いかけてきた。


 こうして何かに興味を持ち、不思議に思ったら質問をし、「こうしたい」「ああしたい」と思えばそれを実行してみる―――これも、少しずつだがリュウは表に出すようになった。


 そんな何気ないことをすることが許されるのだと、リュウはカイト達に関わって初めて知ることができたのである。




 ところが




 今朝のこの時の質問は、カイトにとってはかなり予想外のことだった。




「気になってたんだが……その額のアザは、生まれつきなのか?」


「――っ!」


 カイトは一瞬、瞠目する。


 だが、すぐに取り繕うようにいつもの笑みを浮かべると、カイトはリュウを手招きする。


 スタっとリュウは一旦木から下り、カイトに近づく。


「おぅ、こいつは生まれつきだ。どんな形に見える?」


「ん……どっかで見たことあるんだが…」


「なぞってみ?」


 そう言われて、リュウは指先でカイトの額に見えたアザの輪郭をなぞった。


「なんの形か、わかったか?」


「―――…三日月か?」


「御名答」


 そうして、またわしゃわしゃと銀髪を撫でながら姿勢を戻す。


「ま、とりあえず早く戻るぞ。先に行ったカールが五月蠅くなる前にな」


「ああ」


 再び木の上に飛び乗っていったリュウを眺めつつ、カイトは少々考え事を始めたのであった。




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