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月の雫“ルイシャ”と四燿星の男達  作者: 蒼水無月
第一章【第一部】
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望まれて、望んで

 

 五臓六腑、身体の奥底から焼き焦がされる様な激痛が心身を苛んでいるのがわかる。


 渦巻く熱、伴う息苦しさ―――地獄の灼熱の劫火か?


 ―――いや…自分が地獄に落ちたのなら、こんな生ぬるいものでは済まされまい。


 全身から噴き出る汗は、冷たいのか熱いのかよくわからなかった。




 痛みにも苦しみにも慣れている。




 それでも。




 髪に触れるなにかの感触は、ひどく心地よかった。




* * *




 意識が覚醒してゆくのがわかり、数拍後、リュウは些か重い瞼をゆっくりと持ち上げた。


(――…ん…?)


 景色が滲んでいてよくわからず、そのままぼんやりしてから、汗だか涙だかが瞳を膜のように覆っているのが知れた。


 こすって拭い、改めて目を周囲に向けてみれば


 どうやら、どこかの部屋に自分がうつぶせに寝かされているらしいとわかる。


 そして直ぐ傍の椅子やソファに、見知った四人の男が眠っている光景が見えた。


 昨夜――なのかはわからないが、ともかく、意識がなくなる直前のことは混乱することなくはっきり覚えている。


(―――…戻って、きちゃったか)


 自嘲でもなんでもなく、ただ、事実をそのままに胸中で反芻する。窓の外を見る限り、今は早朝らしい。


 リュウはもそりと、ベッドに手をついて沈めていた身体をゆっくり起こした。


 ごく軽く、ベッドか軋む。


 その気配に、四つの影がぴくりと反応した。


「――――――…ん……?」


 それは一体誰の声だったか―――まだ完全に覚醒していないながらも、四人の視線が一点におもむろに向けられ


 次の瞬間には、完全に覚醒したようで。


「ち、ちょっと…っ」


「んのアホっ!動くんじゃ―――」


 なぜかアルトゥールとカイトの焦ったような声がするも、思考回路が緩んでいるためリュウは今の自分の状態を上手く察知できなかった。


 がくん、と身体が大きく揺れて手が空を彷徨う。


 ところがそれは一瞬のことで、いつの間にかフワリという浮遊感と共に誰かが自分の腰を掴んでいる感覚がした。


 きょとん、としてリュウが視線を巡らせると、頭が一つ分大きいはずのカイトがなぜか少し下に見える。


 と、思っていれば、リュウはゆっくりベッドサイドに座らされていた。


「あ…焦ったぁ~。カイト、ナイス!」


「怪我なんかさせたら食事抜きどころじゃないもんねぇ」


 カールとアルトゥールが心底安堵したように溜息をついた。


 リュウとしては、今しがた自分がベッドから転げ落ちそうになって、いち早く駆けつけたカイトに助けられたという、その事実の自覚が曖昧だった。


 それは、意識がぼんやりしているからというよりも、ベッドという未知なる物体と、助けられたという未知なる経験に心身がどう対応して良いかわからないがゆえ。


「あぶねーあぶねー。よぅ、リュウ。身体の具合はどうだ?だるいか?つーか、あんま無闇に動くんじゃねえって」


 事情の知らぬ者から見ればあるいは無礼とも取られそうなリュウの反応に、カイトは気にすることなく笑って、またしても無造作に髪を撫で回す。


 その問いにリュウが何か反応する前に、部屋の扉がガチャリと開く音が響いた。


「リュウちゃん、起きたの?」


 アンヌが腕になにか抱えながら近づいてくる。どうやら、クリストフが呼んだようだ。


 先ほどから自分がずっと黙っていることにようやく気付き、なにを言えば良いか判らない中でそれでも口を小さく開いたリュウ。


 だが、喉が引き攣ったような感覚がして、出てきたのは掠れた微かな息。


 それを見たアンヌが、脇のテーブルから水差しを持ち出しグラスに注ぐ。


「ゆっくりでいいわ。汗を一杯かいて乾いてるのよ。飲みなさい」


 言われるままに無意識に手が動き、ひんやりとしたグラスに指先が触れる。


 そうして両手で包み込むようにして持ったつもりだったのだが、思いの外上手く力が入っていなかったようで、するりとグラスが手の内を滑った。


「おおっと」


 咄嗟にカイトがそれを受け止め、リュウにグラスを握らせた。リュウの手が覚束無いことをわかっていたので、その手を添えたまま飲むように促す。


 皆、リュウが水をゆっくり嚥下してゆく様を黙って見守った。













 水を飲み終わってから、アンヌが手伝って着替えを済ませる。ついでに背中の傷の具合も見てくれ、薬を塗り込まれた。


 もう、あの激痛は全くなかった。


「あんな状態で動くからよ?化膿していてあとちょっと悪ければ、私達の手じゃ負えなくなるところだったわ」


「な、なぁ。もう、痛くねえのか?平気か?」


 眉をへにゃっと下げながらそう尋ねたカールの心中は、他の三人も寸分違わず同じもの。


 けれど、それに気付く由もないリュウは一言「…ああ、平気だ」とだけ簡潔に答えるのみ。


 それでも、自分が彼らの手間を取らせたことの自覚はあった。


 だが、なにをどうしていいのか、なにかを言えば良いのかもわからない。なにか言うにしても、どんな言葉を言えば良いのか。


 結局、暫しの逡巡の後、出てきた言葉はこんなものだった。しかも、やはり淡々としている。


「――…悪かった」


 だが、一方の五人にとっては、リュウのその言葉の真意を図りかねる。


「それ、謝ってんの?」


 アルトゥールの問いかけに、「ああ」とリュウは答えた。とはいえ、謝るのもどうも傲慢な気がしないでもなかったから、なにか咎めの言葉が返ってくるだろうと予想する。


 だが…


「うーん…僕ら、姫ちゃんに謝って欲しいんじゃないんだけどなぁ」


 全員から困ったような苦笑を返される。その反応に今度はリュウが困った。


 どうも、若干堂々巡りの感が否めない。


 すると、リュウはまたしてもフワリと浮遊感に包まれた。


「な…なんだカイト」


「ほーんと、リュウは羽みてぇに軽いなあ」


 この状況が意味不明で疑問符を盛大に浮かべるリュウを差し置いて、わはははとカイトは笑う。リュウの腰を両手でひょいと掴み、「高い高い」の要領で抱き上げている。


 カイトはどうにも、いつも突然だ。


「家族になれよ」


「――…は」


 リュウにとってはなんとも脈絡のない言葉だったので、思わずポカンとして、ちょっと下に見えるカイトを見つめる。


「悪いな、正直言ってリュウに拒否権あんまねえ」


「…なんだ、それは」


「さぁなあ?」


 ともすれば、餓鬼大将のようにも見える、けれど無邪気にも思える笑みを浮かべるカイト。


 相変わらず降ろす気のないらしいカイトにされるがままになりながら、リュウは周りにいる他の四人に視線を向ける。それぞれに、微笑んでいた。


 それが自分に向けられているとわかるなり、リュウは無意識に視線を逸らす。とはいえ、他にどこに顔を向ければ良いかもよくわからず、結局は一番近いカイトへと逆戻りになった。


「――――…ない」


「うん?」


「自分が役に立つとは、思えない」


「ほう?なんでだ」


 パートナーとして―――昨夜、確かにそう言われたことをリュウは思い出す。


 元々異世界の人間というだけで、様々な障害があるというのに。


「…自分が、人殺ししかやってこなかったのは、わかってるはずだ」


「まぁな」


「刃しか、まともに扱ったことがない」


「おう」


「ガサツだし、人付き合いや会話も下手すぎる」


「かもな」


「なにも……なにひとつ、まともに知っていることはない」


「見りゃわかる」


 いわゆる文化的な生活とは無縁だった19年間。昨晩、未だいろいろ納得していないながらもカイトに滔々と諭されたことを抜きにしても、とても自分がなにかできるとは考え難い。


 それを事実のままに伝えているはずなのに―――カイトから帰ってくるのは肯定の言葉なのに、まるで一蹴するような答えだ。


 これ以上どう言えば主張が通るのか、リュウにはわからずそのうち黙ってしまう。


 やはり表情は乏しいが、途方に暮れた幼子のようなリュウの様子に、カイトや皆は内心で苦笑しつつも微笑ましくもあった。


「知らないことは覚えれば良いじゃない。ガサツで人付き合いが悪い?別に良くない?ねぇアンヌさん」


「人にはそれぞれ個性があるのよ。それに、私達はなにも利害だけでリュウちゃんに家族になって欲しいわけじゃないんだから」


「アンヌも伯爵も、娘が欲しいって言ってたもんなー。俺も妹めっちゃ欲しかった!」


 アルトゥールにアンヌ、カールがそう言い、クリストフはやはり、静かに見守っている。


「予言してやる」


 カイトが不思議な言葉を言ってきて、リュウは視線を戻した。


「リュウはこれから“生きる”。生きて、いろいろ知っていろいろ感じて、なにかを見つける」


「見つける…」


「おう。オレ様やこいつらみてえにな」


 また、不敵な笑みが浮かぶ。


「選ぶのはリュウだがな。だからオレ様も選ぶ。オレ様は、これからの時間の中にリュウを傍に置くぞ。これはオレ様の選択だ、たとえリュウでも覆させない」


 こいつらも同じだ、と言ってカイトは顎をしゃくる。


 本当に、言うこと為すこと口説いてるように見えるカイトだが、しつこいようだがそんな意図は一切ない。


「―――…カイトは」


「うん?」


「カイトは…皆は、なにを見つけたんだ…?」


 無意識のリュウのその問いかけに、カイトは即答した。


「リュウだ」















「わーっ!?ちょ、おいリュウ!?」


「ん…?」


「なんで泣いてんのっ!?」


「――――…は?」


 横斜め下からカールの焦った声がして、リュウは思わず間抜けな声を出す。状況がよくわからず、リュウは視線をあっちへこっちへ巡らせてみた。


 なぜか、視界がぼやけている。


 自分が泣いている、という自覚が全くなかった。あったとしても、その理由に思い至るリュウでもなかったが。


「リュウ」


 再び呼ばれて視線を戻せば、やっぱり相変わらず自分を抱き上げているカイトがそこにいる。


「家族になれよ」


 最初と同じ、命令口調で向けられた言葉。命令という様々な言葉は散々訊いてきたリュウだが、けれどカイトのそれはそうとは感じられなかった。


 それは、希望。


 その言葉こそ知らないものの、ここにきて初めて、リュウは自分がなにか懇願されているようだということに気がつく。


「――あ、のさ…」


「なんだ?」


「一緒に、っていうのは……もしかして、カイト達の、望み?なのか」


 その言葉に、リュウ以外の全員が一気に脱力する。


「あーのーなーっ!」


 脱力してもリュウを抱き上げたままのカイトははたして腕が疲れないのか、とどうでも良い疑問が浮かぶ。


「最初っからそう言ってるだろうが!しかもなんで疑問なんだよ、ったく。まさかそこから判ってなかったとは流石に思わなかったぞ」


「あはははは、あーおかしい。もうほんと、姫ちゃんって飽きないなぁ」


 アルトゥールは腹を抱えて笑っている。


「で、ならもう判ったんだな?」


「え…」


「オレ様やこいつらが、なにを望んでいるのか」


「―――」


 自分がここにいることを望まれている―――その事実にリュウは狼狽する。


 望まれている、という意味では、日本に居た時も殺人兵器として望まれていた。


 だが、流石にその意味するところが両者で全く異なることくらい、リュウにも理解できる。


 それでも、やはり……リュウには言葉が見つからない。


「――…なんて、言えば良い?」


「?」


「わからない。なにをどう言えば良いのか、わからない」


「―――なら、頷けば良い」


 にっと口端を上げたカイト。


「“ここ”に、一緒にいたいか?」


 カイトは敢えて、選択肢を一つしか言わなかった。なぜそれと真逆の選択肢を示さなかったのか、それはリュウにはわからなかったし――疑問にも思わなかった。









 こっくりと、ひどく緩慢な動作で、リュウは自然と頷いていた。








 リュウに自覚はないが、これが彼らに示された初めての、理屈抜きの純粋なリュウの感情であった。
















「やっと頷きやがったな。ったく、遅いんだよアホ」


 貶す言葉を吐きながらも、それとは裏腹に満足そうににやっと笑ったカイトは、ここでようやくリュウを床へ下ろした。


 結構長い時間抱き上げられていたので、些か足元が覚束無い。


 そんなリュウを支えるように軽く腕を掴みながら、カイトは屈んで顔を寄せた。


 ―――ふいに眦に感じた感覚に、リュウはきょとんとなる。


 




「『親愛なる月の雫』」






 カイトがリュウの耳元で何事か囁く。それは一瞬のことで、リュウ以外の面々は気付かない。気付いたのは、カイトがリュウの目元にあった涙を拭うように軽くキスしたことのみ。


 リュウはリュウで、言葉は一言一句訊きとったもののその意味がわかるはずもなく。


 少なくとも、日本とは違ってこの程度のキスは普通のことらしいので、特に周りが騒ぐこともなかった。


「やったね、リュウが妹になる!!」


「こーら、勢いに任せて抱きつかない。まだ姫ちゃんの傷完全に治ってないんだから」


「うげっ」


 嬉しさいっぱいにリュウに抱きつこうとしたカールの首元を、乱暴に掴んでアルトゥールが引き離す。


「というわけで―――あなた、良いわよね?」


 アンヌがそう言って、扉の方を振りかえるのでリュウもつられて振り返った。


 そこには、やはりむっつりとした威厳を湛えて静かにこちらを窺っている伯爵がいた。


 なにも言わず、伯爵は踵を返して部屋を出て行こうとするのを見、リュウは「もしかしたら伯爵は反対なんじゃないか?」とそんなことを思う。


 そんなリュウの内心を読み取ったのか、アルトゥールがすっと近づいてきてコソコソ耳打ちをしてきた。


 その内容にきょとんとして見返せば、なにやらアルトゥールが満面の笑みを浮かべて「早く早く」と急かしてくる。


 伯爵が扉の向こうに去ってゆく寸前――伯爵の背に向かって、声が届く様に呟く。




「パパ」




 はっきり言って、これもリュウにはどういう意味の言葉なのか不明なものだったのだが―――




(…ん?)


 一瞬、伯爵の纏う雰囲気が変わった気がしてリュウは内心で首を傾げるも、伯爵の表情は窺えない。そのまま、扉はしまっていってしまう。


 と……


「わははははははははっ!!今のは良かったぞリュウ!今頃卒倒してなけりゃいいがな」


「くっくっく…なんか、予想以上に良い響きだったねぇ」


「うっわぁ…今の伯爵の顔すっげー見てみたい」


 カイト、アルトゥール、カールが口々にそう言う中、なぜこうなっているのは不明なリュウはなんとなくクリストフを見遣る。が、そのクリストフも思わずと言ったように静かに笑っていた。


(なんなんだ、一体…)


 アンヌもアンヌで物凄く嬉しそうに微笑んでいる。


 今しがた自分が言った言葉の意味をリュウが理解するのは、この少し後のことだった。






 望まれて、望んで――――こうして、リュウは彼らと一緒に暮らす“家族”として、未知なる時間を歩み始めることになったのである。


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