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月の雫“ルイシャ”と四燿星の男達  作者: 蒼水無月
第一章【第一部】
3/24

告白。戸惑い。そして・・・

回想の部分で残酷描写が入りますのでご注意を。



 カ  ゾ  ク  …  ?



 初めて訊いた言葉だとでも言わんばかりに、リュウは胸中で今しがた言われた言葉をゆっくりと反芻する。


 その間に、四人がそれぞれに反応を示していた。


「予想通りだな」と、にっと口端を上げているカイト。


「やっぱりね。アンヌさんならそう言うと思ったよ」と、一つ頷いたアルトゥール。


「マジ!?俺、妹できんの、やった!!」と、何故かはしゃいでいるカール。


「……」と、無言ながらわかっていたと言わんばかりのクリストフ。


「ちょっと手続きとかがあるけれど、そう難しい条件があるわけでもないし。リュウちゃんが承諾してくれれば、私達は喜んで迎えるわ」


 きっとこの四人もそのつもりで連れてきたんだしね、とアンヌが悪戯っぽく言えば、「あ、バレました?」とアルトゥールが請け合う。


 唖然としているリュウの内心をどう読みとったのか、アンヌは向き直って更に言葉をやんわり重ねてきた。


「突然こんなこと言われてもって思うわよね。ましてや、貴方は異世界から来たんだもの。本当は自分一人で、この新しい世界についての情報を集めたかったのでしょう?ワザと奴隷商人に捕まったことも訊いたわ」


 確かに。


 どこか特定の場所に縛られずこの世界のことを知りたい、というのは本音だった。そうして全体を把握してから、身の振り方を決めようと。


「恩着せがましいことを言うつもりはないの。でも、私達はリュウちゃんにここに居て貰って、一緒に暮らしたいと思ってるわ」


 そこで、クリストフが口を挟んでくる。


「勘違いのないように言っておくが、俺達はなにもお人好しなわけではない。これでもこの領地を治める立場だ。人並み以上に部外者に対しては慎重。だが、だからこそ人を見る目はあるつもりだ。あんたを引き取ると言ったのは、偽善ではない」


 ただの易いボランティア精神で話をしているのではない、と言っているのだ。


「それとね」


 アルトゥールも口を開いた。


「昨日さ、リュウの腕を買ったって言ったでしょ?あれね、別に騎士や護衛になれとか、闘いに出ろとかそういう意味じゃないから」


「…?」


「なんていうかね…まぁちょっと偏見入ってるかもだけど、そんじょそこらの女の子じゃぁ、僕らにはついてこれないわけ。潜在的に非力だし、ましてや政治とかそういう観点に関してはあまり役に立たないというか」


 この世界の男女の感覚や価値観はわからない。だから、リュウは特に口出すことなく訊いている。


「つまりさ、リュウには僕らと一緒にこの領地をより良くしていくために一緒に動いて欲しいなって。僕もね、これでも人生経験豊富だから、おこがましい言い方だけど短い付き合いで相手がどういう人間かすぐわかる。リュウは、剣の腕だけじゃなくて、一般的な女の子以上に頭もキレそうだし、度胸もあると思うんだ」


 もしリュウがいなければ、情報を得るために誰か買ったかもしれないけれどここまではしないよ―――アルトゥールはそう言って締めくくる。


 すると、今度はカールがずいっと出てきた。


「俺さ、養子になったって言っただろ?その理由って、まあ他にもあるんだけど、やっぱり俺も領地治めていく上でのパートナーとしてってことだったんだぜ。だから、リュウもそういうことだよ!一緒にやらねえ?」


「ま、ゴタゴタと色々言ったが難しく考えんな。要は、家族になろうっつぅわけだ。この世界を知りたいなら、まずはここからでも良いとオレ様は思うぞ?」


 カイトも口添えしてきて、これで言いたいことは大方言ったという雰囲気で、皆、リュウを見つめてきた。




* * *




 この人達がなにを言っているのか、どういう意味で言っているのか、それはわかった。


 そして、道理は確かに通っているとも思う。


 たったこれだけの付き合いで、互いに互いのことを全て判るわけではないが、それはあっちも承知していて、その上で話をしてきていることも。


 単なる親切心だけではないことも。


 目の前の人達は、決して嫌いな類の人間ではない。全て心許したわけでは当然ないけれど、それでも自分に向けられるその眼差しも態度も真っすぐだということくらいはわかる。






 だけど。














 顔には、多分出てはいない。


 だが、「家族に」と言われた時から、心臓が痛いほどに鳴り響いている。


 まるで、なにか警告するように―――否、戒めのように。




 唐突に、頭を撫でられた感触や抱きしめられた時の感覚が鮮やかに蘇る。



 同時に、全身全霊を痛みが襲った。







 ダメダ




 フリホドケ




 イマナラ、マダ、マニアウ







 念じるように、言い聞かせるように内心でそう呟けば





 すぅっと、冷たくなってゆく感覚がした。





 そう―――これで良い。




* * *




 リュウの纏う空気が変わったことを、その場にいる全ての人間が察する。それでも、黙って反応を待った。


「――――…少し、自分の身の上話をしてもいいでしょうか」


 口調が変わった。酷く平坦な、淡々とした声音。その顔には、なんの感情も浮かんではいない。


 アンヌが内心で戸惑いながらも、無言のうちに促した。


 すると、リュウは椅子から立ち上がって一同から少し離れて背を向けると、唐突に躊躇なく上着をバサリと脱ぎ去った。下着も何もない、生肌が露わになる。


 一瞬ぎょっとした一同。


 だが次の瞬間には、別の意味で驚愕を露わに瞠目する。



 唖然、ではない。





 絶句だ。





 女特有の滑らかな肌。しかし、その背にはおびただしいほどの傷跡と痣が隙間なく刻まれていた。一目見て、これが長年に渡り継続して負った傷や痣だということがわかる。


 そしてなにより目を惹くのは、右肩から左腰にかけて斜めにバッサリと斬りつけられたような、生々しい一文字の傷跡。しかもこれはまだ新しく、遠目でも肌がひきつけを起こしてるのがわかった。


 まるで、ノコギリの刃のようにギザギザと細かい傷まで派生している。


「―――これは、自分がこの19年間、どうやって生きてきたかの証のようなものです」


 相変わらずの単調な声音で、絶句する一同に背を向けたまま滔々とリュウは話し始めた。

















「自分は、元々の生まれた世界で殺人組織にいました。生まれてから、異世界に飛ばされる直前までの19年間、ずっと。ものごころついた4歳の時には、既に刃を握っていました」


 最初の記憶は、殺風景で無機質な、薄暗い灰色の空間。


 親とか、兄弟とか、ましてや家族という概念も存在も知らない。


 表は古くから続く名門の旧家、だが、その実態は裏社会を牛耳り尚且つ表社会をも密かに脅かしている闇組織―――自分がそこの嫡子であると知ったのは、随分と後のことだった。


「初めて人を殺したのは、8歳の時。ゆくゆくはあの殺人組織の跡取りとなるように、幼少の頃から躾けられてきたんです。それ以降、自分は命令に忠実な殺人兵器として何人もの罪のない人間を殺す日々でした」


 日頃から厳しい訓練を強いられてきた。如何に効率よく素早く人を殺すか、そればかりを身体にも精神にも刷り込みのように叩き込まれてきて。


 朝起きて夜遅く寝るまで、必死に刃を振るっていた記憶しかない。10にも満たない子供相手に容赦のない訓練、それ以上に、実際の現場で失敗すれば待つのは死であるとわかっていたから、文字通り死に物狂い。


 そうした生き方が普通なのだと思っていた。


「外聞のために、一応は学校というところに通ってもいました。けど、余計な知識を覚えると“仕事”に支障が出ると言って、何かに興味を持つことは禁じられていました」


 友達、というものがいたことはない。他人と接することも固く禁じられていた。それに、外で仲良く遊んでいる同世代の子達を見ても、特に何の感情も浮かばなかった。


「自分は、何も感情の欠落した人形やロボットだったわけではないです。確かに感情を露わにすることや感情のままに動くことは禁じられていたので、周りから見れば単なる言いなりの人形に見えたかもしれないですけど。あれでも、内心では自分で何かを感じて何かを考えることくらいはしていました」


 周囲との接触を避けていたのは命令もあるが、自分に関わればロクなことはないからという自分なりの意思表示でもあった。


 敢えて荒んだ性格に見せていたのも牽制のため。その思惑通り、周りの子や大人達が敬遠してくれたのはホっとした。


 ただ、感情が麻痺しているといえば、それはまさに命じられて誰かを殺す時。なんの感慨も抱かず、問答無用で瞬殺できてしまう。


 学校に通い始め外の世界に触れれば、自分の生き方が普通ではないことは少しずつ知っていった。だからと言って、それ以上他にどうするというわけでもなかったが。


「人を殺すことに、少しも躊躇なんてないんです。とりあえず、学校行く時は前日に浴びた返り血の匂いが残っていないか、少しだけ気になりましたが。授業受けていても、頭の中はどうやって殺すかの算段しかなかったですね」


 もう、身も心も殺人に染まり切っている。


「ただ、まぁ……中には、本当に物好きもいまして。どんなに牽制しようが邪険にしようが手を振り払おうが、手を伸ばしてくる馬鹿が一人だけ、いたんです」


 やめなよと、周りが止めても近づいてきた。学校の中でも、下校途中でも、偶々一人で出歩いている時も、なぜか自分を見つけてはひょっこり寄ってくるのだ。


 離れさせようとどんなに罵詈雑言浴びせても、全く効果なし。あんまりしつこくて、そのうち傍から見れば自分が彼から逃げているような奇妙な光景だった。


「……今でも、後悔しています。あの時、折れなければよかったと。それまで完璧に周りを欺け自分さえも欺けられてたのに」


 面倒臭いから折れた―――それは、単なる言い訳に過ぎなかったのかもしれない。


 彼に、自分に少しだけ近づくのを許してしまった。そして、自分は生まれて初めて抱いた感情を、手放せなくなってしまった。


 恐れていたことが、起きてしまった。


「今思えば、あれは嬉しいっていう感情だったんでしょう。幼少の頃から自分以外の人間は全て敵、みたいなこと叩きこまれてきたとはいえ、一途に慕ってきてくれるのはやっぱり、それなりに嬉しかったみたいで」


 早く突き放さなければ惨事が起こる。


 そう判っていても、もう手遅れだった。


 そして、やはり悲劇は起きた。


「19歳の誕生日、今度は彼の一族を殺せという命令が下されました。それが、前の異世界に飛ばされる直前……つい、ひと月ほど前のことです」


 分不相応に、誰かの温かさを求めてしまった天罰だと思った。


 だが、自分は組織の頭の声に逆らえるような心身をしていなかった。命令は絶対。考えるより、感情が動くより前に命令を遂行することが刷り込まれていたから。


 だから、彼の目の前で彼の家族を、抹殺した。


「でも―――最後に彼を殺そうとした時、人生で初めて、身体も心も刃を振るうことを躊躇しました。初めて、『殺したくない』という感情を抱いて、しかもそれが先行したんです」


 嫌だと、音になったかわからないが唇が動いたように思う。


 殺人をする時はどんなに明るくてもモノクロに見えていたのに、彼を目の前にした時に初めて、景色に色が映った。


「そのことが悟られて、自分と一緒に来ていた組織の男が彼を殺そうとしました。そして、男が彼に辿りつく一瞬前、自分は彼と男の間に入ってこの背に刃を受けました」


 その時のが、この大きな一文字の傷。


 庇う、だなんておこがましい。けれど、身体が勝手に動いていた。


 袈裟がけに斬られたが、自分の身体のことよりとにかく組織の男を振り向きざまに瞬殺した。


 どうして剣ではなく、わざわざ背に刃を受けたのか、自分でもわからない。


「その後、自分は自分の腹に刃を立てました。何か考えてそうしたわけじゃないですが…そこから先の、あの世界での記憶はなくて、気付けば異世界に飛ばされていたんです」


 おそらく、元の世界での自分は死んだ。


 異世界で目覚めたとき、何故か死ぬほどの大怪我をしたはずなのに血は止まっていて、呼吸もしていて、剣も一緒にあった。


 とはいえ、前の異世界で目覚めた直後は地獄にでも来たかと本気で思っていたが。


「これが、自分の過去の全てです」
















 はだけていた服を着直しながら、やはり声音を変えることなく淡々と言葉を紡ぐ。


 そして、改めて正面に向き直って、固まっている6人を見据えて言った。


「この鼻に馴染んでいるのは血と屍の匂い。この耳に覚えているのは誰かの断末魔や悲鳴。今も手に残っている感触は肉と骨を立ち切る感覚。返り血の生温かさ。なにを食べても血の味しかしない」


 穢れているのだ。ここにいて呼吸をするだけで、ここの空気が淀む。


「ほんとに、刷り込みみたいなものでして。無意識に人を殺せちゃうんですよ。あれ?って思って気付いた時には相手が息絶えていた、なんてことザラでしたし」


 命じられていたからこそ。刷り込みだからこそ。もう既に本能に近いレベルで殺人衝動を抱えるまでになっている。ただの操り人形よりも賢い、殺人兵器の自分は重宝された。


「自分は間違いなくそういう人間なんです。そんな汚い人間を、ここに住まわせてしかも娘として扱うなんて……馬鹿げてますね」


 冷淡に。残酷に。嘲るような口調でそう言い放つ。


 早く愛想を尽かせ。その瞳に軽蔑の色を浮かべろ。


 間違っても頭を撫でたり抱きしめたり笑いかけるな。


「自分は――これ以上ここにいるつもりはない。貴方達に関わるつもりもない」


 流は、本気でもうこれ以上ここにいたくなかった。


 自分の身体に沁みついた血の匂いが、これ以上ここに移るなど言語道断。息をすることさえ嫌だった。


「ご心配なく。直ぐにでもこの土地から出ていきます。殺人衝動を抱える危険人物がいたら、皆も領民も安心できないでしょうし」


 そう素早く言い放ちざま、くるりと素早く踵を返して、流は開け放たれていた窓に駆け寄るなり外へ飛び降りた。


 「待てリュウっ!!」と後ろから声が聞こえたが、意識して耳をシャットダウンし無視する。




 どうしてか、身体の深淵のどこかがツキンと痛んだが




 今度こそ振り払えた、という安堵の方が、遥かに勝って大きかった。





* * *




 一刻も早く離れよう。ただそれだけを思って、リュウは鍛えあげられた足腰を存分に駆使して、暗い夜道を早足で歩いていた。


 最初は早く屋敷から身を遠ざけるために全力疾走していたが、ある程度距離を置けば走る必要性はない。別に、何かから逃げているわけではないのだ。


 この時点で、リュウの内では既に彼らとの関係は断ち切られていた。もし今後彼らに関わることがあるとすれば、偶然の再会か、もしくは有力な予想として、危険人物たる自分を捕縛するためか…そのどちらかだろうと結論づけている。


 もし後者であるとするならば、リュウは剣を抜いて彼らに刃を向けることも考えられていた。自分が危険人物であるという自覚はあるが、だからと言って易々と自由を誰かに手渡す気もない。


 無論、恩を仇で返すほど外道になったつもりもないから、自分から関わることはないだろうが…。


(さて…今夜はとりあえず山奥にでも引っ込むか?)


 まさか柵があるわけでもないから、マルティネの領地がどこで切れるかなんてわからないが。とにかく、民家や人気のない方角を無意識に見定めて進んでいた。









 しばらくして。


 背後から馬が駆けてくる蹄の音が響いてきた。


 だが、それが聞こえてもリュウにとっては振り返る理由もないので、そのままスタスタと歩き続ける。誰にもどこにも、真の意味でなんの期待も持ち合わせないリュウだからこその、この反応であった。


 だから、自分の直ぐ傍で馬が止まり誰かが地面に降り立った次の瞬間に、怒鳴りつけるように名を呼ばれても大して驚きもしなかった。


「リュウっ!!ったくこの馬鹿!!」


「ん?ああ、カイトか。どうかしたか」


 なんとも冷めた応えである。


 一瞬、僅かにカイトは眉をすがめたが、それは本人もわからない無意識だった。


 若干息の上がっているカイトの様子に、何をそんなに急いでいるのかという風情でリュウは見つめる。


 ここにカイトが来た理由が、まさか捕縛する以外の理由で自分を捜して、などという考えにリュウの思考回路は全く行き当たらない。


 それを察したカイトはひどくイライラした感情を抱いた。




 なんで、こいつは―――




 なんで、など愚問であることを重々わかっていながら、それでも抱かざるを得ない不可思議な感情の渦。


 相変わらずなんの感慨も浮かんでいないリュウを見据え、近づくなりさっさとその細い腕をとる。


「やっぱり、危険人物を野放しにするのは頂けないよな」


 予想通りか、と小さく呟きながら、あくまで客観的な口調で苦笑するリュウ。


 その反応から、リュウが一体なにを考えていたのか悟ったカイトは、衝動に任せて思わず拳を振り上げた。


 やろうと思えば避けられただろうが、リュウはそれを真正面から受けた。なんとなく、今は頬の痛みが心地良くさえ感じられた。


「―――ふざけんなよ」


 ドスの利いた、普段より低い声が直ぐ近くで聞こえた。


「勝手に言うだけ言って逃げられて、オレ様が納得するとでも思ってんのか」


「…ああ、悪い。世話になった礼を言ってなかっ――」


「そういうことじゃねえっ!」


 人気のない夜道での二人の態勢は、まかり間違えれば一方が一方を襲っているような格好にも見えた。


 リュウの直ぐ背には木の幹があり、そこにいくらか背の勝るカイトが胸ぐらを掴んで若干覆いかぶさるように睨んでいる。


「――戻ってこい」


「――――は……」


「言っておくが、家族としてって意味だ。なにをトチ狂って勘違いしてんだか知らねぇけどな」


 一瞬、言葉が理解できなかったリュウは数泊後、更に淡々とした風情できっぱり言い放った。


「断る」


「理由は?」


「自分の存在自体が疫病神だから」


「根拠は?」


「もう本能として殺人衝動が沁みついてる。自分じゃどうしようもない。そんな無責任が人間があそこに居て良いはずがないだろ」


「―――却下だな」


「――は?」


「そんな理由じゃ、オレ様はお前ぇを手放さない」


 少し時間が経って落ち着いてきたのか、カイトは先ほどまでのどうしようもない荒れた感情の波が少し収まるのを感じ、意識的にはぁーと溜息をついて頭を冷やす。


 そんなカイトを、リュウは訝しんで見つめた。


「なにを怖がっている?」


「…?」


「今、気付いた。リュウ、お前ぇは一体、なにを怖がってんだ」


 質問の意図がわからず、リュウは尚も無言でカイトを見つめ続ければ。


 無意識か…と一人なにか納得したようにカイトは呟く。


「いいか?あのな、なんか勘違いしてるみてぇだから教えてやる。ひとつ、オレ様やクリストフ、あの場にいた全員ともども、過去話を訊いたところでリュウを家族にと望んでいるのは変わりねえ。ふたつ、リュウは自分を殺人兵器だなんだと言ってるが、お前ぇはそんなんじゃねえ。断言してやる」


「まさか。どこの誰がわざわざ血まみれの自分と家族になりたと思うんだ。しかも、カイト達は領民と土地を守る立場に居るんだ、危険な不確定要素を抱え込むとは思えな…ああ、なるほど?そんな『家族として』だなんて言わなくても、監視したいから来いって言えば別に不用意に暴れな――」


「だからそういう言い方するんじゃねえ!!」


 折角収まっていたのに、カイトは身の内が焼けるような衝動を再び感じて、そのままに怒鳴る。


 これは、怒りだ。誰に対してなのか、何に対してなのか、それはわからない。


 だが、一つだけわかっていることがある。


 これが、リュウがただ単に自虐的になっているだけの言動だったならば、自分はここまでしないだろうことを。


 そうではないから―――リュウが、まるで他人事のように、なんの疑問も躊躇もなく当たり前だと思って、己自身を殺人兵器だのなんだのと言うから


 こんなにもイラつく。


 普段、自分が飄々としていて軽いノリで振る舞っているのは、ある意味では本質的な気性であるが、ある意味では皮を被っているという自覚はあった。一見調子の良いだけの人間という印象を敢えて周囲に与えておきながら、その実は結構物事に冷静な性格であることも。


 だが、人間には二面性がある。今こみ上げて来ているのは、無意識に皮で覆い隠していたもう一方の己の気性。


 再び怒鳴られたリュウは、少しばかり無表情の仮面が剥がれ落ちるのを自覚しつつ、言い返す。


「なんで怒ってるのかも何を言ってるのかもよく判らない。というか、家族ってなんだ?血も繋がってないのに?それ以前に――有り得ないだろ、いつなんどき刃振りまわすのかもわからない人間を受け入れるとか。カイトは自分やクリストフ、アルトゥール、カール、それに伯爵夫妻を命の危険に晒したいのかっ!?」


 今まで淡々としていたのに、最後の方はカイトほどではないにしろ強い語気で荒れていた。


 それで更に感情が高揚したのか、リュウはそのままの勢いでまくし立てた。


「自分のことなのに自分じゃ制御できる自信がないっ。もう条件反射とか脊髄反射とかそういうレベルさえも超えてるんだっ。誰かを殺さない日なんてなかったも同然の生活を19年も続けてきて、もう自分の意思に関わらず自然と手が動くレベルになってるっ。身体が奥底から誰かの血肉や骨を断ち切る感触を求めてるっ。こんな異常体質がカイト達と一緒に居るとかおかしいだろっ!いつか絶対、自分でも知らぬ間にカイト達を傷つけるっ。しかもそれにさえ気付かないかもしれないっ!!自分が立つ場所には必ず血の海が出来るっ!!」


 この全てを一息で言い切ったためか、リュウの肩が軽く上下していた。


 昨夜、出逢って以降初めて見たリュウの激情に、カイトは表では瞠目するもその内心では密かに口端を上げていた。




 そうか




 リュウが最も恐れているのは、なによりもリュウ自身。





 その身に沁みついた、殺人という名の“芸”―――いつ何時、気付かないうちに誰かを殺してしまうかもしれないと。





 杞憂などでも思いこみなどでもない。





 そう断言できるほどの経験があるからこそ。





 命令していた組織の人間はここにはいないが、骨の髄まで沁み込んだ殺人衝動が、いつ無意識にうちの発動してしまうかわからないことへの恐怖。





 ようやく、リュウの本音を訊けた気がした。











「はぁ…ったく、やっぱ勘違いしてんじゃねぇか」


 リュウの顔の間横、木の幹に腕を立てながら盛大にカイトは溜息をついた。対するリュウは、視線のみで「なにが」と問う。


「リュウ。お前ぇはな、既に自分で同じこと言ってんだよ。リュウはもう、以前のような殺人兵器じゃないってな」


「…言ってない」


「いーや、確実に言ってるね。しかも、オレ様だけじゃなくて、さっき屋敷の中で皆の前で堂々とな」


 いいか?とカイトはリュウに顔を近づけて懇切丁寧に諭し始めた。


「その19年間はリュウの言う通り、お前ぇがそういう殺人兵器だったとしても、だ。だが、思い出してみろ。異世界に飛ぶ直前、ギッリギリのところで、リュウが人生初めてその衝動をぶち破る原因になった奴がいたはずだ」


「―――」


「その直後に異世界だなんて訳わからねえ場所に放り出されてまた闘いの日々だったから、気付いてねえのかもしれねえけどな。とにかく、そいつのお陰でリュウは『殺したくない』ってぇ衝動に勝る感情を覚えたはずだ。だから、もう平気なんだよ」


「……どう、いう…」


「それに、リュウは既にさっきからオレ様やあいつらを慮る言動ばっかしてるじゃねえか。それがなによりの証拠だ。本当に衝動に任せて人殺す奴はな、そんなことハナからしねえもんだ。そうだろうが」


 カイトが、ん?と顔を覗き込むと、漆黒の瞳が混乱の色を宿しているのが窺えた。


「身に沁みついた衝動のまま誰かを傷つけんのが嫌なんだろ?だからああいう発言をした。話さなくても良いものを、わざわざ昔話をオレ様達に聞かせて牽制した。違うか?そうしてる時点で、リュウはもう以前のままじゃねえってこったろ。自分の過去や行動を、心底忌んでるじゃねえか」


 なにも気付かずに人を殺していた時とは違う。気付いたのだから、もう平気なのだと。


 カイトの言わんとしていることは、リュウの心身に少しずつ、沁み通っていった。


 だが、だからと言ってそのまま全て受け入れることもできなかった。


 なにが間違っている、正しいなどとそういうことではなく。


 カイトのその言葉を素直に受け入れ認め、また自身でも気付き始めた事実を直ぐに自覚できるような人生を歩んでこなかったのだから。


 そしてまた、リュウがおそらくそうだろうことも、カイトは察していた。


「リュウ」


 かなりの至近距離に顔を近づけて、俯き気味の漆黒の瞳を見つめながらカイトは言い聞かせるように口を開く。


「オレ様はな、お前ぇの過去を否定したいわけでもねえ。今言った考えを押し付けようとも思わねえさ。だからな、一つだけ答えろ」


「……なんだ」


「オレ様や、あいつらのこと、伯爵やアンヌのことは気に入らないか?一緒にいるのは苦痛か?」


 暫く、沈黙が落ちる。


 未だ混乱の中にありながら、それでも何か考えているリュウの様子に、カイトは辛抱強く待った。


「――…クリストフは…」


「うん?」


「なん、というか…これが、兄って、感じなのか?って……」


「おーおー。それで?」


「…カールは…妹って、言われたけど……弟って、こういうのなのか?とか思ったり…」


「ま、あいつはまだまだ餓鬼だしな。で?」


「…アルトゥールも、クリストフと違う感じでお兄ちゃんか?とか…」


「ほーう?」


「…親とか、そもそもそういうの知らないから、よくわからない。けど…アンヌさんは、包み込んでくれて、伯爵様とはまだお話してないけど、でもなんか威厳があって」


「ふんふん。それで?」


「――――」


「リュウ?」


「―――――…温かすぎる」


「は?」


「よくわからない。でも、あそこはなんか居た堪れない。気に入らないとか苦しいとか、そういうことじゃないけど、なんか落ち着かないんだ」


 あそこ、というのがどこなのか、訊かずともカイトにはわかった。


「いや…苦しいっていうのは、合ってるかもな」


 そう言うリュウの視線は、斜め下の地面に向けられている。


「なんか…この世界全体っていうより、あの空間や雰囲気のほうがよっぽど自分にとって異世界に感じる。なんか物凄く違和感があるんだ」


 頭を撫でられたことなんかない。


 抱きしめられたこともない。


 ホカホカの食事が存在することすら知らなかった。


 労いの言葉がかけられることが自分にあるとも思わなかった。


 一緒に歩いてなにか喋るなんて、したことはないし、


 そもそも、刃を振るう以外のことを自分がする日が来るだなど。


 全てが不可解で奇妙だ。そして、どうしてか苦しい。


「だったら」


 ぐるぐると不可解な気持ちを持て余していれば、また頭にぽんとぬくもりが置かれた。


「なおさら、戻ってこい。違和感があるならとことん失くしてやる」


 不敵な笑みを浮かべて、カイトはリュウの銀髪をわしゃわしゃと撫で回す。


「まだ戻ることに納得出来ねえなら、今はそれでもいい。だがな、そればっかりに囚われるな。つまんねえし、時間がもったいねえ。わからないのも上等だ。世の中にはな、時間が解決してくれることもゴマンとあんだよ。一気にじゃなくて、少しずつ納得していきゃそれで良い」


 カイトがそう言いきった時、遠くから蹄の音がいくつか響いてきた。直ぐに二人の元に辿りつく。


「いたいたー、二人とも」


「リュウっ!無事か!?」


「……」


 アルトゥールにカール、それにクリストフの三人であった。


「手分けして、お前ぇのこと捜してたんだよ」


「…そ、うなのか…?」


 リュウがそう呟けば、馬から降りて近寄ってきたアルトゥールとカールが口々に言い募る。


「そーだよ。まったく、カイトも見つけたんなら早く教えてよねぇ」


「よーかったぁ。リュウ見失ったらアンヌが絶対怖ぇえんだもん」


「あー、ひと月くらい食事抜きなんて有り得るよねぇ」


「マジ勘弁!俺死んじゃうから!」


「姫ちゃんさ、帰ったらアンヌさんのお小言、覚悟しといたほうがいいよ?あの人、結構怖いからねぇ」


 そう言ってから、アルトゥールは一歩またリュウに近づく。


「残念だったねぇ。でも、僕らに目ぇつけられた時点で諦めた方が良いよ?観念して戻ってきなよ。折角見つけたのにいなくなったんじゃぁつまんないじゃない」


 ね?とにっこり笑顔を向けられる。


「戻――帰ってくるんでしょ?来るよね?まぁ、逃げようとしてもまた捕まえるけど?」


 疑問なのか脅迫なのかよくわからない。


「動き回って腹へったー!早く帰ろうぜリュウっ」


 カールに至ってはさっさと馬に飛び乗っている。さも、このまま共々変えるのが当然と言わんばかりに。


 傍で始終無言を貫いているクリストフは、ひたすらリュウの様子を見守っていた。















 無意識に―――本当に無意識に、足がほんの一歩、前へ踏み出した時だった。


 稲妻のように、全身を鋭く貫く激痛がリュウを襲う。


「…っ…!?」


「「「「リュウ!?」」」」


 グラリと身体が傾き、咄嗟に地面に片膝と腕をついてなんとか支えるも、背中の焼けつくような痛みが衰えるどころか酷くなってゆき、冷や汗と脂汗が一気に噴き出す。


 尋常ではない様子に四人はすぐさま駆けより、声をかけ身体を支えた。


「おいっ、どうした!!」


「く……ぅ…っ」


「背中か!?」


 躊躇いなくリュウの上着を急いで、けれど慎重にはだけて背中の傷を確認する。


「まずいな、傷が開いてやがる。すぐに帰るぞっ」


 カイトの号令に三人は一斉に頷き、カールは手当の準備のために屋敷に先に戻ってゆく。


 残る面々は、痛みに懸命に耐えるリュウに負担にならぬよう馬に乗せ、できるだけ迅速に、けれどやはり慎重に歩を進めた。


 リュウもカイト達も、なぜ急に痛み始めたのかわからなかった。












 屋敷に戻れば、予想通りアンヌが外に出て帰りを待っていた。


 カイトが自分にの馬に乗せていたリュウをクリストフとアルトゥールと協力して下ろし、運ぶために背におぶって玄関口へ近づく。


 リュウは小さく呻きながら、尚も襲い来る激痛に耐えていた。


 ところが…


「もう―――このおバカさんっ!!」


 耳元でそんな怒声が聞こえて、思わず痛みも忘れてリュウはビクっと反応する。


 明らかに怒っている雰囲気のアンヌが、腕組みをして傍に立っていた。


「こんな暗い中で一人で飛び出して行ったら駄目でしょ!!女の子なのよ、なにかあってからじゃ遅いんだから!!外に出る時は行き先を必ず言ってからにしてちょうだいっ」


 叱るのはそこか?と若干ツッコミが入りそうな台詞が闇夜に響く。


 アンヌの言葉が耳奥に浸透してゆく余韻を感じつつ、痛みにぐったりとなってカイトの背に身を預けていたリュウは、おもむろに手をアンヌの方へ伸ばした。


 そして、届いた服の裾を指先で軽くつまむ。ほとんど無意識だった。


「―――…アンヌさん」


「なぁに?」


 今度はやわらかな声音だった。


「…さっき、なにを食べても血の味しかしない、って言ったけど」


 熱が上がってくるのを実感しながら、それでも自然に出てきた言葉を紡いだ。


「今日の、お昼ごはん―――初めて、食べ物を美味しいって、思った」


「―――そう」


 アンヌがにっこりと笑う。


「だったら、カールやカイトに負けないぐらい、たぁんと食べて貰おうかしらね」


 茶目っ気たっぷりにそう言って、アンヌは屋敷の中へと促した。


 おかえり、という声がどこからか聞こえた気がしたが


 それがどういう意味の言葉なのか、誰に向けられた言葉なのか……リュウにはわからず、熱で朦朧としていた意識はカイトの背で揺られながらそのうち落ちていた。



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