決意。過去と今と未来を想う…
「カールの茶は、やっぱり美味しいな」
「俺、なんかリュウの好みわかってきたかも。結構さ、渋めのとか濃いの好きなんだな」
「そう見えるか?」
「そうだなー、なんとなく?」
「カールの淹れる茶で嫌いなものはないが」
「そ、そっか。へへ、嬉しいや」
子爵との一件で負傷したリュウが目覚めてから、今日で三日目。
元々身体が丈夫なのもあってアンヌ曰く治りが早いらしく、車いすに乗ってなら庭先まで出られるまでに体力体調共に回復していた。
とはいえ安静には変わりなく、常に誰かが傍についている状態。最初、またしても手を煩わせることに眉を潜めていたリュウだが、周囲の世話焼きはそんなこと気にも留めていない。
今は、イギリスのアフタヌーンティーよろしく、庭の一角でカールの付き添いの下に静養中だ。
「車いすって、思ったより操作が難しいんだな」
「慣れないとなー。だからさ、全部自分でやろうとすんなよ?遠慮しないで頼れよな!」
そう言って、カールはにかっとリュウに笑いかける。
「―――…わかった」
そう短く応えて、リュウは目を閉じた。この世界に来た当初より僅かに変わった風を感じながら、意識を内側に沈みこませる。
目覚めてから、リュウはこういう仕草を何度も繰り返していた。
自分が生きてきた19年間―――元の世界における己が生きてきた軌道から始まり、この世界に来てからのこと、そして数日前の出来事や三日前に目覚めた後のこと……その全てを、繰り返し繰り返し思い浮かべる。
脳裏だけではない。耳に蘇る、自分を激励しあるいは叱責する声も…目に浮かぶ、自分に向けられる真っすぐな笑顔や憤怒の表情、悲しそうな顔も…何度も絶えることなく思い出す。
思い出そうとしてそうなったわけではない。ただ、自然とそうなっているのだ。
そして、この三日間ずっとそれを繰り返してきて―――リュウは、自分の心の深淵で何かが定まり、澄みきってゆく感覚を味わっている。
ただ、それは水面のように揺らいでもいた。そして、なんとなく、この揺らぎは無くなることはないのだろうと思う。
それでも、リュウは数日前までの覚束無い感覚が薄らいでいることを確実に自覚してもいた。
* * *
「リュウちゃんっ!!」
その声に、リュウはふっと意識を浮上させて目を開けた。
「…キハル……?」
「リュウちゃ~~んっ!良かったぁ~~っ!!」
予想外の訪問者に、リュウは僅かに瞠目する。
ずっと走ってきたらしい。キハルは若干息を上げながらも、整えている時間も惜しいとばかりに車いすに座るリュウに飛びついてきた。
どこかへ出掛けたと思っていたアルトゥールも、そこにいる。いつもの「馬鹿キハル」「阿呆アル」の応酬がないことに、無意識に内心で首を傾げるリュウである。
「ありがとな!ウチら守ってくれてありがとな!!生きててくれて、おおきにな!!」
満面の笑顔に少し涙を滲ませたキハルを、リュウは凝視する。
「キ、キハル…?」
「でもな!これだけは言わせてや!!」
「?」
今度は、ほんの少し怒ったような表情になるキハル。
「黙って一人でどっかに行ってまうのは嫌やで!自分の命を大事にしてや!あんなん無茶しよったら怒るで!!」
キハルは、さっきアルトゥールに言われた言葉を反芻しながら、まくし立てるようにリュウに言った。
『姫ちゃんがどこかへ行ってしまいそうに思うなら、この間みたいに引きとめれば良いんじゃない?馬鹿キハルらしく、とことん真正面から突進すれば良い』
「リュウちゃんが、なんや強いのは知っとるで。ううん、この間知ったわ。せやけどな、強いからって怪我して良い道理なんて無いんやで!リュウちゃん、あん時ワザと刺されたやろ!!」
戦闘に関して素人のキハルでも、リュウほどの腕前の持ち主ならば挟み討ちされても難なく対処できたことは察せられた。
『姫ちゃんに回りくどい言葉は通じないよ。おべっかの上辺だけの言葉も態度も、彼女には意味がない。キハルの得意分野だと思うんだけど?』
「おぞましいやて?そんなん知らんわ!おぞましゅうなんかないねん、リュウちゃんはウチらに出来んことやってくれたんや!ウチが今生きとるのはリュウちゃんが守ってくれたからやねんで!?」
おぞましい、とリュウは自分を淡々と評価した。
あの時はただ愕然としただけだったが、今思い返せば腹が立つ。
『思い知らせてあげれば良い。姫ちゃんのことを、キハルがどれほど想っているのかをね』
「ウチはリュウちゃん大好きや!やから、お願いやからリュウちゃんはリュウちゃんの命も身体も大事にしてや!そうやないのなら、もう二度とあんなことせぇへんどいてや!!」
自分の無力さを棚に上げるわけではないけれど―――己の命を顧みない者に救われても、それは救いなんかにならないのだ。
「キハル」
暫しの沈黙後、リュウはゆっくりと言葉を紡ぐ。
「約束は、できない。同じような事があれば、自分はこれからも、同じことをする」
「っ!リュウちゃ―――」
「だが」
瞬時に泣きそうな顔になったキハルを真っすぐ見据え、リュウは続けた。
「自分が傷つくことで、キハルが泣くなら……次からは、自分も傷つかないように努力する」
「!」
「この三日間、カールにもアルにもカイトにもクリストフにも……皆に散々叱られた。キハルも、気づいてたんだな」
リュウは僅かに苦笑を浮かべた。
そう、リュウはあの時、ワザと刺されたのだ。相手が怪我を負ったとなれば、その心に油断が生まれる。そういう戦略も、19年もの間に自然覚えたものだった。
だから、急所の外し方も知っている―――そう言えば、思いっきり叱られたのだ。
「あ、当たり前やっ!阿呆やで、そんなん――」
「それが、自分の生き方だったんだ。疑ったこともなかった」
「……」
「だから、まさか叱られるなんて……自分が怪我することで、誰かが泣いたり苦しい顔をするなんて、知らなかった」
叱りながら、皆、悲しそうで苦しそうな表情をしていたことを思い出しながら、リュウは言葉を重ねる。
「でも、気づいたから……自分は、キハル達のそんな顔は見たくない。誰にも、キハル達を苦しませたくない。自分がその原因だったら、なおさらだ」
そして、リュウははっきりと告げる。
「自分は、刃を振るうことしか能がない。この身体に沁みついた剣客としての習性は、もう消えない。だから、」
目覚めた直後のカイトの言葉を訊き、その後の皆の叱責を訊き、そして今キハルと話しているうちに―――リュウは、朧気だったものが鮮明になってくる心地がした。
今まで、自分の持つ能力を自ら何かのために使いたいと思ったことはなかった。むしろ、忌むべきものとして自覚し、けれど使わなければ生きられないから使う…というだけで。
だが、カイトは守護の力だと言った。
皆、自分が刃を振るったことに感謝を伝えてくる。
キハルは、今生きているのは自分のお陰だと言う。
そして、やはり皆が皆、自分が傷ついたことを悲しんだ。
そのことをはっきり認めた今―――心に自然と湧き上がってくる、一つの決意のままに言葉を紡ぐ。
「自分はこれからも、刃を振るう。キハル達が苦しまないように……そうすることが、自分の望みだと気づいた。そのためなら、自分は自分さえも傷つかないように剣を振るう。そう、決めた」
具体的にこれからどう振る舞ってゆくのか、それはわからない。
それに、刃を振るう機会など無い方が良いことも承知している。
けれど、自分は根っからの剣客で、それ以外に大したことができるわけもなく―――ならば、その限られた力を使うべき時が来たならば使うと
そして、その使うべき時とは、自分を受け入れてくれた者達が望まぬ形で身も心も傷突こうとしている時―――その原因を取り除くために、自分は剣を振おう。
「よく言った!」
キハルがリュウに何かを言う前に、そんな陽気な声が聴こえてきた。
その場にいた全員が一斉に振り向く。
そこには、この上なく上機嫌に不敵な笑みを浮かべているカイトの姿があった。
そしてなぜか、その後ろには人だかり。
「なんやねん、カイト。またぎょうさん連れて来とんなぁ」
「連れてきたんじゃねぇよ。リュウに渡したいものがあるって奴らと一緒に来たまでだ」
「渡したいもの?」
「この屋敷にこんなに沢山の来客、いつぶりだろうねぇ」
「うわぁ…ていうかさ、これマルティネ領内の村全部から一人は来てんじゃねー?」
キハル、リュウ、アルトゥール、カールがそれぞれに反応を示す中、いつの間にか幼い子供達がトトトっとリュウの下へ駆け寄ってきていた。
「おねーちゃん、おけが、だいじょーぶ?」
「ハイ、これ“おみまい”よ?」
「おかーさんがね、おかぜひいたときによくよんでくれるご本なの」
女の子達が、リュウの膝上に花やら絵本やら色々と置いてゆく。
「りゅうがいないとつまんねーよ。はやくなおせよな」
「またおいかけっこしよーぜ!」
そう言ってくるのは男の子達。
「だめー!おねーちゃんはあたし達とあそぶのー!」
「なんだとー!ぜぇったいおれたちとかけっこするんだもんねー!」
そして、リュウの目の前で言い合いを始めた。
「リュウ嬢、身体のほうはどうかね」
「聞いたぞぉ?まったく無茶するぜ」
「リュウちゃん、早く元気になってちょうだいね。はいこれ、好きだって言ってたお饅頭よ」
「ウチの子がねぇ、アンタ来なくて寂しい寂しいうるさいのよぉ。なるべく早く良くなって!」
一方、カイトと一緒にやってきたらしい大人達は、そう言いながらリュウの横のテーブルにドサドサと何かを置いていく。
果物、野菜、お菓子、パンなどなど……いつの間にかこんもり山積みになったそれらは、全て食べ物だった。
その量の多さに、リュウは思わず唖然とする。
「ふふふ、アンタに見舞いっていったら食べ物しか思いつかなくてねぇ」
「そうそう、リュウ嬢はどうも物欲がねぇからなあ」
「マルティネで採れたものは滋養が豊富だ。沢山食べて、また来ておくれ」
わははは、ふふふふとカイトよろしく陽気な笑い声が響く。
彼らは皆、リュウの見舞いに訪れてきた領民だった。訊けば、リュウの怪我のことを含めて諸々の事情は領民全体に知られているらしい。
「まあなんにしても、これで村のモンに『真珠の騎士姫』はご健在だと報告できるな」
「そぉねえ」
「『真珠の騎士姫』……?」
「おや、知らないかい」
突拍子もなく出た知らない単語にリュウが首を傾げると、誰かが説明しようと口を開く前にカイトが割って入ってきた。
「リュウのことに決まってんだろうが」
「…どういう…?」
「まんまだよ、まんま。なぁ?」
「なぁ?って、カイトよ、そもそもリュウ嬢の髪を真珠みたいだっつったのはお前さんだろうに」
「しんじゅひめー!」
「きしひめさまー!」
子供達もノリノリで口々に口ずさんでくる。
「なんや、リュウちゃんにぴったりな名やなぁ。あとで皆に教えよ!」
「やっぱり馬鹿だねキハルは。もう皆、とっくのとうに知ってるよ」
「~~~~~~っアルは黙っときやアホ!!」
ワイワイ、ガヤガヤと賑やかな屋敷の庭。
そのうち、見かねたアンヌがカールと共に全員にお茶を振る舞ったことで、ちょっとしたお茶会へと早変わりした。
「おねーちゃんのとなりはウチなのー!」
「ずりぃぞ!」
「おれもー」
「あたしもー」
「ちゃうねん、リュウちゃんの隣はウチやで」
「子どもだねぇキハルは」
「アルは黙っとれや!」
「ひめさま~だっこ~」
「おらおら、リュウはまだ出来ねぇから我慢しろ。つぅか、チビッ子ども、リュウに纏わりつき過ぎだ」
「なんていうか、カイトも結構餓鬼だよなー…」
「おぅ、今更気づいたかカール」
「わぁ…開き直られた」
「こぉら、あんた達いい加減にしなさいな!リュウちゃんは静養中なのよ」
「はっはっは、リュウ嬢は人気者だなぁ」
四方八方からもみくちゃになれているリュウは、案の定、お茶にも菓子にも手がつけられない状態だ。
ところが…
「――――…っふ…」
それは、ごくごく小さな音だった。なのに、瞬間的にその場がシンと静まり返る。
「…くっく…っ……ふは、あははは……っ」
今度はリュウ以外の全員が唖然――いや、絶句する番だった。
「ははっ……く、くく…っわ、悪い…なんか、よくわからないんだが……はは…っ」
口元を必死に押さえながら、リュウは顔を横に背けて肩を震わせていた。
「―――…リ」
誰が最初に発した声なのかは、わからない。
が、次の瞬間――
「「「「「「「「「リュウが/リュウちゃんが/姫ちゃんが/リュウ嬢が/おねーちゃんが/ひめさまが 笑った!!!!」」」」」」」」」
そんな、少し妙な絶叫が辺りに木霊したのであった。
ここで、ひと段落って感じですかね…
リュウが初めて?笑いました。みんな絶句してます(笑)ほんと、人気者ですね~リュウは。