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月の雫“ルイシャ”と四燿星の男達  作者: 蒼水無月
第一章【第三部】
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ヒ ト リ

* * *



「な、なんなんだ…あの小僧は―――ば、化け物、か…?」


「ドーラン子爵とお見受けする」


「っ!?なんだ、貴様らはっ」


「ご同行願おうか。オレ様達の縄張りで、随分と好き勝手やってくれたなぁ?」


「な、なんのこと―――」


「しらばっくれるか?まぁ、それでも良いけどな――子爵よ、アンタにはちぃっと他にも尋ねたいことがあるんだ」


「な、なに…?」


「この土地で、『マルティネの四燿星』である俺達の目を欺けると思わないことだ。風の噂だけでも、ドーラン子爵。貴方の庶民に対する行動は目に余る」


「!?な、なんの権利があって…っ!」


「ざぁんねんながら、あるんだよなぁ、これが。つーわけで――嫌でもついてきて貰うぞ」



* * *



 ふら、とリュウの身体が動いた。


 倒れると思って咄嗟にキハルは手を伸ばす。


 だが、予想外にもリュウは倒れなかった。どころか、しっかりとした足取りでちゃんと地面に立っている。


「リュウちゃんっ!?どこ行くねんっ」


 この騒ぎの元凶たる子爵一行が怖れを為して逃げ去り、皆が皆ほーっと息をつくも束の間、無言でどこかへ歩きだしたリュウの様子に息を潜める。


 本当に、なにもないかのような足取り。


 だが、服に広がる血の染みは止まっておらず、リュウが歩く度に土に黒い染みが点々と出来あがってゆく。


「手当てせなっ!リュウちゃん!!」


 リュウの纏う空気は、いつものそれではない。とても排他的で、いつもは凪いだ風のように静かで穏やかなのに、今は身の内で何かが激しく渦巻いている……そんな雰囲気だった。


 それでも、キハルはリュウに手を伸ばす。


 が、振り向きざまに振り払われた。



「……っ近づくな…っ」



 キハルは、瞠目してリュウを見つめる。それは、振り払われたからというわけではない。


 表面上は、至極冷静なように見える。


 しかし、リュウは何かを必死で抑え込んでいるかのように、瞳の奥が苦悶に歪んでいた。


 キハルだけでなく、そこにいる村人全員が、リュウの様子に茫然としている。


 それに一瞥もくれず、リュウはそのまま一人、村を出て森へと入っていった。



* * *



 ドクン、ドクンと身体の内側が脈打つのを感じる。


 止めなく流れ出る血など、全く気にならなかった。


 足を一瞬止めて、リュウは自分の手を見つめる。なんの感慨も浮かんでいない表情で見つめてから、ぐっと握りこんだ。




 久しぶりに手にした、刃




 それが、驚くほどしっくりと手に馴染んだ事実に




 ああ、やはり…と淡々と思う。




 自分は、どうあっても“こちら”側の人間なのだと。




 チリ…とどこかが痛んだ気がしたが、無視する。




 ふと辺りを見回して、ここで初めて、リュウは自分が山の中を突き進んでいることに気づく。


 一本の道もなく、生い茂る草木や苔蒸した到木や岩がごろごろと転がり、幾筋もの沢が流れる鬱蒼とした森の中。一体、どこをどうやって進んできたのか。


 けれど、今のリュウにそんなことはどうでも良かった。


 どうして自分が当てもなく歩いているのか、それもわからない。


 さっきから、ぐるぐると身の内で荒れ狂っている何かの正体も、不可思議なものだった。













「――…ん……ちゃん…っ!……リュウちゃん!!待ってぇな!!」


 キハルは懸命に呼びかけていた。


 ここは、キハルが幼い頃から知っている山。森の中。いまや四燿星と呼ばれるようになった男達とも、よく遊びに来た場所で。


 だから、キハルはここを知りつくしているし、どこをどう歩いたら良いか心得てもいる。なのに、そんなキハルがなかなか追いつけないほど、リュウの足取りは驚くほど速かった。


 いや、速いだけではない。どうしたらそんなところを、しかも大怪我をしている身で軽々飛び越え歩いてゆけるのか…本当に、野生の獣のようだ。


「なんやの……なんでぇな、リュウちゃん…」


 そう呟いておきながら、キハル自身、一体なにを問うているのかはっきりと自覚してはいなかった。


 ただ、どうして…という言葉だけが湧きあがる。


 だが、ただ一つ―――このままではリュウの身が危ないことだけは判っていた。


「そんなん無茶しよったら死んでまうやんか…っ…リュウちゃん…っ!後生や、止まってや…っ!!」


 眼下に比較的大きな沢が流れる、せりたった斜面に差し掛かる。足場が狭く、苔や蔦がへばりつき絡みあったこの場所を、やはりリュウは平地を歩くような風情でひたすら歩を進めていた。


 ―――血痕が、岩肌のところどころに沁みついている。


 キハルは、だんだん腹が立ってきた。その相手はリュウであり、リュウではなかった。


「リュウちゃんっ!!いい加減にせぇな!!止まりやっ早ぅ戻ってきてや!!」


 声が、届いたのだろうか。


 ようやく、ぴたりとリュウが止まる。


 その間に少しでも距離を縮めようと、キハルは急いで足を踏み出した。


 けれど、こういう場所で焦燥感のままに身体を動かすのは命取りである。


「――…っきゃあっ!?」


 足を踏み外したキハルは、そのまま崖下に向かってグンと身体が落ちるのを自覚する。そこまで高い崖ではないが、打ちどころが悪ければ大怪我では済まないほどには地形は複雑なものだった。


 ザッバァン…と水飛沫が上がる。


 けれど、キハルは思ったより身体の痛みが少ないことに首を傾げて目を開けた。


「え……」


 自分の下に、誰かいる。


「…リュ、リュウちゃん……っ!?」


 あの距離から、一体どうやってここまで来たのか。


 一足飛びどころか瞬間移動かと思ってしまう。


 普通ではあり得ない。けれど、リュウであればそれが普通であると妙に納得してしまう。


 キハルを受け止めるように下敷きになってずぶ濡れになっていたのは、リュウだった。












「――…悪い、キハル」


 濡れた髪を振りはらいつつ、リュウは開口一番、そんなことを言ってきた。


「キハルが、自分を追いかけてきてること、全然気づかなかった」


 謝っているというより、どこか途方に暮れたようにリュウは話す。


 纏っている雰囲気は、完全とは言えないが先ほどのそれは成りを潜めていた。それでも……やはり、いつものリュウとは違う。


「……なんでぇな……リュウちゃ……ど、して……」


 問うても無駄だろうことは、キハルも判っていた。それでも、そう呟かずにはいられなかった。


 どうして…なぜ…リュウは、こんな瞳をするのか。


 キハルは、リュウのことを風のようだと思っていた。突風でも、嵐の荒れ狂う風でもなく、ただ静かに自分達に寄り添うような風だと。


 たったひと月前に現れた人間なのに、最初からこのマルティネに居たかのようにさえ感じてきて、特別何をするでもないけれど、リュウがいるのは凄く自然なことで。


 アルトゥールが言っていた、リュウの野生じみた雰囲気も、それをひっくるめてキハルはリュウが大好きで―――リュウも、少なからず心を許してくれていると思っていた。


 なのに


 今のリュウは、まるで手負いの獣のようだ。


 それも、自分達を嫌っているからではなく、リュウがリュウ自身を嫌っているかのような――だからこそ、他者を近づけさせないようにしているかのような、そんな雰囲気で。


 こんな大怪我をしても、頼ってこない。弱音の一つも吐いてこない。


 いや…今日だけではない。


 キハルは改めて気づく。


 リュウはずっと、こうして誰に頼ろうともしてこなかった。いつでも、リュウは自分だけでそこに立っているような雰囲気だった。


 あたかも、それが当り前であるかのように……誰かに寄りかかることなど、ハナから考え付かないかのように。初めっから、そういう選択肢がない。


(誰も、教えてこなかったんか……?)


 教えられなければ、わからない。


 いや、敢えて教えなくとも、わかりそうなものなのに。


 なのに、リュウは知らないのだ。


 知らないから、自分自身で立っていることしかできない。


 自分一人だけで立とうとする―――リュウの場合、それは傲慢ではなく、ただ無知なだけ。


 キハルは、無意識のうちに手を伸ばしていた。













「…キハル…なんで、泣く?」


 ぎゅうと力強く首元を抱きしめられているリュウは、されるがままの状態でキハルに問う。


 そして、キハルの身体が小刻みに震えているのに気づく。


「――…おぞましいだろ?あれが、自分の本性なんだ」


 キハルが震える理由に何を思ったのか、リュウがそう言うとキハルがピクっと反応する。


「キハル、汚れる。離れ―――」


「アホなこと言わんといてやっ!」


 リュウが軽く押しのけようとした途端、キハルが耳元でそう叫ぶ。


「なんで泣いとるやてっ!?リュウちゃんがそないな怪我しとるからに決まっとるやん!!」


「――――……ど、ういう…」


 ああ、またこの“感じ”だ―――リュウは理解の追いつかぬ頭でそう呟きながら、いつしか自分の右頬を殴った青年をぼんやり思い出す。


「帰ろ…っ、リュウちゃん、帰ろうよ。独りぼっちは寂しいで…っ」


 独りぼっち―――またしても、聞き慣れない言葉が出てきてリュウは首を傾げた。だが、敢えて問う事はしなかった。




 冷たい山の清流。



 そこに浮かぶ赤い筋は、自分の血であることをリュウはなんとなしに自覚する。



 浸かったままの下半身から、体温が奪われていく感覚が、ここにきて妙に生々しく感じられた。



 逆に、キハルの体温はとても温い。



 少しずつ、眠気が襲ってくるのを感じた。




「…?リュウちゃん……?」


 なにか違和感を抱いたキハルは、ようやく腕を解くとリュウの顔を覗き込む。


 瞬間、さっと顔を青くした。


「リュウちゃんっ!!」


「………」


「ど、どないしよ…っ」


 キハルが焦って辺りを見回し、オロオロしているその様子を、リュウはどこか遠くから眺めているような心地だった。


 とにかく、眠かった。


 寝不足ではないはずなんだけど…とそんなことを思う。













「や、いやや、リュウちゃんっ!!起きてぇな!!」


 リュウの瞼が完全に落ち、相変わらず出血は止まらず身体も冷たくなってゆくその傍らで、キハルはらしからぬほどに狼狽しながら必死に頭を動かす。


 自分一人で、リュウをここから運び出すのは不可能に近い。


 誰か……誰か、手を貸してくれる人がいなければ――――っ





「――…ア…アル…っ…アルーーーーーーーーーーーーっ!!!」



再び刃を握ったリュウ。“牙狼”の復活…?それとも、もっと別の意味となって今後に関ってくるのか…?

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