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不幸せな世界  作者: Miss
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プロローグ

  その感情を無視したって


  その感情は俺の周りにまとわりついて


  離れることがない


  無視しても無視しても、それは俺の感情だから仕様がないんだ。


  決して叶わない恋


  そう思っていても俺はー…








 「悟〜朝だよ〜!」


 リビングから俺の大好きな甘い声が俺を呼ぶ。


「ん″ー…」


 唸るような声の後、学校へ行かなくてはならないという諦めから俺はガバッと布団を体から引き離し、寝る前に置いておいたスリッパに足を下ろす。27センチある俺の足とフィットさえしないものの履き心地の良いスリッパに足を通し、元々開いていた1番上のパジャマのボタンの次のボタン、つまり2番目のボタンも外し、リビングへ向かった。


 スタスタ…と廊下にスリッパの音が響く。


 バカデカい家の中の、俺の部屋は2階にあり、やっと階段に行き着いた。1階にあるリビングから俺の部屋まで葵の声が届くにはかなりの大声を出さなければならないことを俺は知っている。だから、その大好きな声が少しでも大きく俺の耳に届く様にと秋風が寒くなってきた今日も自室のドアを開けて眠るのだ。これは小さい頃からの習慣で俺は寒いと思ったことなんて一度もない。


 しかし、葵は頭は良いが、少し抜けている所がある。わざわざリビングから大声で呼ばずに向かい合っている俺の部屋に来て、リビングに降りるついでに起こせばいいものを…。こう思ってきたのは小学校の高学年からだが、今はそれに関して抜けているとは思わず慣れてしまった。


「おはよう、悟」


「ああ、おはよう」

 

 『悟』と一番大好きな人に呼ばれる快感。


 ガチャッとリビングの戸を開けるとファーストフードが食卓に並べられていた。

 豪勢なリビングだな…天井にはシャンデリア。生まれた頃から住み慣れているが、未だにこれには慣れていない。


「あのね、聞いて、悟。今日はトッコと買い物に行くの」


 トッコと言うのは葵の友だちだそうだ。田島 都津子でトッコなんだそうだ。大学の友人らしく、学科は違うものの入学式のときにトイレで並んでいるとき、暇つぶしに話していたら意気投合して親友を超えた心の友、心友だそうだ。俺には葵にさえ自分のことを分かってくれていればいい。それが無理なら信用できる人物は自分のみ。そう鉄仮面を冠っている。葵の前以外では。


 そういえば、トッコの顔を見たことはないな。葵が大学の話しといえば「レポートの提出手伝って」と「トッコとね!」という話しばかりで、トッコ、トッコというものだから俺もトッコと呼んでいる。男の話しではなく友人の話しなのだからまだ気が楽だ。そう。俺がこんな残酷な感情を抱えているから。


 

 葵だって男の経験がないわけではないだろう。

 …そう考えたら悲しくなるから考えるのは止めた。


「秋物の新作を先週買ったから、先取りして冬物の服を買うの。あ〜あるかな?冬物。コートとか欲しいなぁ…」


 この会話だけを聞いていたら今時の女と解釈する奴が多いのが困る。葵はいつだって家族優先…俺優先で自分を彩るものは後回しだ。その気遣いが俺の感情を高ぶらせる。家族としてやってくれていることで、俺のことを男として勿論見ていないだろう。そんなことは論外だ。


「ふーん…」


 興味なさそうに言うのもこの感情を隠す為だ。


「ふーん…ってもっとちゃんと聞いてよ。あのね、今から言うこと、絶対秘密だよ?」


葵が人差し指を自分の口の前に持って行った。''内緒''の合図だ。


「何だよ?」


「トッコ、彼氏と別れちゃったんだって。だからね、今日はやけ買いするんだって」


「へぇ…」


 だから何だ…俺には関係ないだろ。とは言わない。

 トッコに彼氏がいたのか…という新たな情報も俺にとっては必要ないものだが、何たって葵が俺に話してくれているんだからいちよ頭の隅に記憶として埋めておこう。


「だから私も付き合うことにしたの」


「そう」


 葵は俺を直視してニコニコしながら話しかけてくるから俺は葵を直視出来ない。

 出来たとしても「顔赤いよ?」と疑問を投げかけてくるだろう。


「悟、そろそろ制服着ないと学校遅刻しちゃうよ?」


「ああ…別に遅刻しても文化祭の準備で授業ないし大丈夫…」


「ダメよ。ちゃんと行かなきゃ。それに悟、生徒会長なんでしょ?」


「生徒会長だからってあまるすることないよ」


「言い訳は聞きません。ほら、早く着替えちゃいなさいよ」


「はいはい」


 葵が立ち上がって俺の食べ終わった食器を台所へ持って行く。

 その背中を見て俺は、やっぱり好きだ…という感情に包まれる。

 思春期になって、他の女に目もくれず葵だけを見てきた。

 でも、そんなことして甲斐があるってわけじゃない。

 しょうがない…俺はやっぱり葵が好きなんだよなぁ…。


 ふぅ…っと大きな息を吐き、自室へと向かった。


 カチャッと小さなドアが開く音がして、制服のシャツに腕を通す。

 ボタンを一つ一つ丁寧に閉めていく。勿論上まできちっと。両腕の2つのボタンも。

 ズボンにベルトを閉める。最後はネクタイ。


「葵ー!」


 俺はリビングにいる葵に大声で呼びかけた。返事は聞こえないものの台所で苦笑しながら「はいはい」と言っているのが目に浮かぶ。

 数十秒して葵が俺の部屋のドアノブを回し入って来る。


「お願いします」


 素直に言って灰色のネクタイを葵に渡す。


「はいはい」


 葵は俺のシャツの襟を上げ、ネクタイを通す。

 180ある俺の身長に比べ、葵は160しかないが、こうやって変な意味で体が密着しているのだ。

 俺が興奮しない訳がない。


「…っ」


 俺が無心にも喘ぎ声を立てると葵が不思議そうに俺を見上げた。

 もう少しでキスできる。

 俺は葵に顔を近づけようとするー…でも、その『もう少し』をしてはいけない。


 葵は無言でネクタイ結びに再び集中した。


 ほっ…安堵の息を吐くのも束の間、ネクタイを結び終わった葵が屈めていた腰を上げ、俺の胸の辺りに葵の口がある状態。


「あ…っ」


 何て声出してんだ俺は…赤面しながらも葵を盗み見る。


「よしっ。じゃあ行っておいで」


「ありがとう」


 俺はipodと学生カバンを持ち、玄関に向かった。

 その後に葵も続く。


「歩きながら、聴いちゃダメよ。危ないから。電車の中なら良いけど、歩きながらは絶対ダメ。分かった?」


「分かってます。俺が約束破ったことある?」


 玄関に丁度着くと、俺は葵に向き直る。


「さあ?悟の尾行なんてしてないから分からないわ」


「あっそー…」


 呆れた顔をしたが、内心葵とこんな冗談を言い合えて嬉しい。


「じゃあ、行って来るよ。帰りはなるべく遅くならない様にするから」


「別に私のこと気にしなくても良いのよ。友だちと遊んできなさいよ」


「俺に友だちなんていませんから」


 葵に冗談と取られたのだろうか。それは分からない。

 俺は葵を一人大きな家に残し、駅までの徒歩の15分間はipodを聴かずに黙々と歩いて行った。





「これ、昨年の文化祭の資料なんですけど今年の資料は昨年の資料を元に作ったら良いと思うんですけど、どう思いますか?」


 次期生徒会長だともう決まっている2年の上木さんが、生徒会長室のデスクにどっかりと腰を下ろし、足を組んでいる俺の前にしゃんと背筋を伸ばして昨年度の文化祭だと思われる資料を両腕を使って差し出す。


「ああ、良いと思うよ」


 学校では素の自分を出さない。

 正直言って学校の奴等に興味はない。

 誰にも興味がないから俺はあからさまな態度や冷たい態度は取らない。

 普通に。でもその普通の中に素の自分を出さないようにしている。

 誰にも俺のことなんか分かってくれなくて良い。

 葵にだけ分かってほしい。

 そういう思いからだ。


「そうですか!良かった。じゃあこれを元にして資料作りますね」


 意気込んで上木さんが俺に言う。

 や、俺がやるよ

 そんなことは言わない。

 『興味がないから』


「ああ、お願い」


 そう一言言うと上木さんは俺に一礼をして生徒会長室を後にした。


「ふう…」


 小さな溜め息を吐く。

 例えばあの上木さんが俺の好きな人だったらどんなに楽だろう。

 こんなバカバカしい片思いなんて所詮…。


  ブブブブブ…


 バイブにしてあったケータイがデスクの上で鳴った。

 ケータイを開くと『Eメール1件:葵』という表示。

 俺は嬉しくなって受信ボックスを見る。


『受信:葵

 件名:(No Comment)

 本文:今日の夕ご飯何が良い?トッコのやけ買いもやっと収まって今スーパーに向かってるんだけど、今日は悟    

    リクエストで!ということで10分後ぐらいに着くから10分以内に返信頂戴ね!』


「夕飯かぁ〜…」


 好きな物は日本食。やっぱり白飯とみそ汁と魚と福神漬けと決まっている。

 しかし…やっぱり好きなのは鰻だ。


『送信:葵

 件名:鰻

 本文:やっぱり鰻。あ、鰻って漢字読めますかぁ?''うなぎ''って読むんですよ笑』


 おそらく読めるだろうと思っていても、少しでも葵とメールのやり取りをしていたい。

 そう思う俺の本心から葵をからかう。


 数分後、葵からの返信。


『受信:葵

 件名:(No Comment)

 本文:はいはい、鰻で良いんですね。分かりました』


 でもここで年の差を見せつけられるっていうのかな。

 俺のからかいにも葵は動じない。


『送信:葵

 件名:やった!

 本文:お願いしますね〜』


 ここでふと気がつく。葵への送信メールは必ず件名がある。俺は葵のことが好きだから…執着心でもあるのだろうか?


「帰るか…」


 俺はノートパソコンを閉じ、パソコンケースに入れ、手に抱える。学生カバンが重いのは大学受験間近だから。


 大学推薦は5つ程貰っているがどれも俺が入りたい大学ではなかった。

 俺が入りたい大学はK大の経済学部。葵と同じ所だ。

 K大の経済学部といえばK大の学科で一番難しく、それでいてもK大は難しい。


 丁度昇降口に着くと、グラウンドでは運動部が元気よく走っている。

 3年は1週間後に控える文化祭が終わったら部活を引退する。

 俺は帰宅部だから部活に思い入れはないが、後は受験一色なんだという実感もある。


「あ、悟ぅ〜」


 他の女子生徒より露出が高い斎藤が俺に手を振りながら近づいてくる。

 第3ボタンまで開け露骨が見える。

 だがそんなんで欲情はしない。

 何で好きでもない女に欲情しなければならないんだ。


「ねえねえ、ケータイの番号教えてよぉ〜ずぅっと言ってるのに教えてくれないし?誰に聞いたって悟の番号知ってる人いないんだもぉん。悟と一番仲が良いって私が思ってる野田君も悟の番号知らないし?もしかして誰にも教えてないの?番号」


 野田…ああ、生徒会の書記の野田か。

 あいつとは生徒会が一緒なだけで、生徒会活動があるときしか喋っていない。あまり喋っている記憶はないんだが…ま あ学校で一番話しているのが野田ということか。あまり俺は他人と話してないんだな。


「ああ…」


 葵と親父は知っているが…それは言わないで置いた。実の姉を葵なんて呼び捨てにしたら、またしつこく問いつめられるだろう。


「うっそぉ!」


 オーバーリアクション…俺がそう思うだけだろうか。


「じゃあ余計に知りたいなぁ〜教えてよぉ」


「何でだよ…」


 こういう奴が嫌いだ。

 まとわりついてくるな…。


「だって、誰も知らないアドレスをあたしだけが知ってるって良くない?あたしだけが悟のこと分かってるみたいな感じでぇ〜」


 斎藤の腕が俺の腕に絡まってくる。

 俺はその腕は思い切り払うと斎藤を数秒睨みつけた。

 俺が睨んでいる間斎藤は怯む。


「意味分かんねぇよ。お前なんかに俺のこと分かってもらわなくて良い」


 そう言って斎藤に背を向けて歩いていこうとすると斎藤が大声で「悟!」と呼んだ。


「何だよ…」


 俺は斎藤に向き直ると斎藤は笑顔になった。

 くるくるに巻いてある、茶色い髪。

 色白な肌に整ったパーツ。

 そんな女を見ても俺は何とも思わない。

 それは俺がこいつを好きだと思わないから。

 それは俺が葵のことを好きだからー…。


「家の人は知ってるよね?悟の番号」


「知らねぇよ」


 嘘。

 でもそうでも言っておかないと自宅にまで電話をしてきそうな勢いだ。それでなくとも斎藤には連絡網という見方がいるから。


「えぇ?おかしくない?そんなの」


「家の奴なんていねぇの」


「え…あ、ごめんね」


 いるけどね…俺は心の中で斎藤に舌を出した。斎藤は俺の家族が亡くなったかどこかに行ったとでも思い込んでいるのだろう。斎藤は聞いてしまった罪悪感からか謝っているというのにそれを見て何も思わない俺はやはり心が黒いのだろう。


「別に良い」


 再び斎藤に背を向けて俺は歩き出した。

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