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「もうここまで来れば大丈夫ですね」
「あっ、はい」
中庭から遠く離れた廊下を歩きながらジェラルド様は言った。
「……ふっ……くっ……」
その言葉がきっかけとなったようにジェラルド様は声を押し殺して笑い始めた。
「どうかなさいましたか?」
「ああ、すみません。さっきのグレイが面白くて」
私はなおも笑い続けるジェラルド様に苦笑いするしかない。
ひとしきり笑ったあと、ジェラルド様は不意に真顔になって私に顔を向けた。
「で、アデライン様はグレイと結局どういう関係でいらっしゃるのですか?」
――わぁどうしよう。本当の事を言ってしまっていいものか。
少しためらった私に、ジェラルド様は少し人の悪い笑みを見せた。
「貴女は正直で嘘がつけない人だと見ました。どうせグレイも吐かせられるのですし、教えてくださいませんか」
私はその言葉に観念して口を開いた。教えて欲しいと頼まれて断ることに罪悪感を抱いていたこともまた、理由の一つだが。
「私が先日舞踏会に出た時に、誤ってドレスのすそを踏んで倒れてしまって、それを助けていただいたんです。その後、私の足が捻挫していたので医務室に連れていってくださいました」
それだけですわ。
話し終えると、ジェラルド様は驚いたらしく、目を見開いた。
そのまま数秒ジェラルド様は固まっていた。
「?」
目で問いかけると、彼はやっとまばたきした。
「いやー……」
手をゆっくりと上げ、髪の毛をくしゃっとかき回した。
「本当に驚いた。あのグレイがね……」
「?」
私の頭に疑問符が浮いているのが分かったのか、ジェラルド様は笑って説明してくれた。
「あいつは滅多に舞踏会には出ないんです。それにも驚きましたが、あの朴念人に女性を助けるということができたなんて……」
奇跡が起こったとしか思えませんよ。
「ええっ!?」
私としては、今された話の方が驚きである。
グレイ様も舞踏会にあんまり出ないんだ……。
まああの顔では出たくないのも当然である。
そして、あまりにも自然な動きだったから女性を助けることには手慣れているのかと思っていた。
「私もその舞踏会に参加したかったですよ。滅多にいらっしゃらないアデライン様が参加していた上にグレイの珍しい所も見られたのだから」
あれ?私はその言葉に疑問を抱いた。
「ジェラルド様は名前を伺ってみますとヴァセリン家のご子息ではありませんか。なぜ参加なされなかったのですか?」
私の疑問にジェラルド様はあぁ、と頷いた。
「私は近衛騎士隊に所属しているので、舞踏会には参加できないんです。近衛騎士隊隊長以外は。いつもなら出たがらないグレイの代わりに私が出ているのですが、先日の舞踏会はグレイが出ると言ったので私は出られなかったんです」
そんな裏があったのか。
私としてはただひたすら納得するだけである。
「まったく酷い話です。グレイも、アデライン様が来ると分かっていたようなタイミングのよさじゃないですか」
「……」
それは、知ってて来たのだろう。
婚約者ということになっているのだから、いくら舞踏会に参加しない私だとて来るだろうくらいの予想は簡単に立てられるに違いない。
しかし、そんなことを言ってはせっかくジェラルドと出会えたのが無駄になってしまう。
ぶつぶつと呟きつつふと前を向くと、思いがけないほど近くにジェラルド様の顔があったため、驚いてドレスの裾を踏みつけた。
「ひゃうっ!?」
悲鳴を上げる。
この前助けてくれたグレイ様はいない。
ドレスの裾で転ぶのは今回で2度目だ。
まったく恥ずかしい。
私は目をぎゅっとつぶった。
「考え事しながら歩くのは危ないですよ、アデライン様」
「!!」
そうっと目を開けると、目の前にジェラルド様の顔があった。
私は倒れていない。
どうやらジェラルド様が助けてくれたようだった。
……前から抱きとめて。
かっと頬が熱くなる。
「お怪我はありませんか」
「はい……」
今回は何も怪我していなかった。
「あの……もう大丈夫ですから、えと……」
「ああ、すみません」
あっさり腕を解かれて私はほっとしたのと同時に、軽い落胆を感じていた。
「はぁ……」
「どうかなさいましたか」
気づかれないようにこっそりとため息をついたつもりだったのに、ジェラルド様は聞いていたらしい。
「いえ……なんでもありませんわ」
内心の葛藤を悟られまいと短く答えると、ジェラルド様は私に、グレイ様との経緯を訊いた時と同じ人の悪い笑いをしてみせた。
「グレイの時と同じですか?」
「な、何をおっしゃいます」
うろたえる私を面白そうに眺めるジェラルド様。
そして彼は続けて爆弾を投下した。
「アデライン様は、容姿は美しいですが、性格は可愛らしくていらっしゃいますね」
「え、えっ!?」
あ、もう到着しましたよ。
しれっとジェラルド様は言って、立ち止まった。
気付けばそこはすでに馬車の前。
「名残惜しいですが、グレイを問い詰めなくてはなりませんし。では、またお会いできることを楽しみにしています」
「あ……はい。こちらこそ」
ようやくこれだけ喉から声を絞りだす。
ジェラルド様は私を馬車に乗せると一礼した。
それに合わせて馬車も動き出す。
ガタゴトと揺れる馬車の中、私はジェラルド様のことを考えた。
――これは運命なのかしら。ジェラルド様と出会うことは必然だったのかしら。
そうだったら素敵だな。
馬車が曲がり角を曲がる瞬間、城を振り返るとジェラルド様が立っているのが見えた。