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3日後。

私は直接ディズレイリ家に向かった。

執事が自分が行くと申し出たのだが、あれだけ迷惑をかけた手前、自分ではない人にお礼を持っていかせることに抵抗を感じて断った。

自分の目の前に広がる家――いや、屋敷はとても上品だが豪華に造られていて、庭の手入れもよくできているらしく冬バラが遠目からでも鮮やかに咲き誇っていた。

ドアに近づき、真鍮製のドアノブで2回ノックした。

「どなたでしょうか」

ドアが開き、執事が顔をのぞかせる。私は丁寧に一礼して名乗った。

「メーベル・レ・アデラインと申します。先日はグレイ様に大変お世話になりましたのでお礼を差し上げに参りました」

「それはどうも、ご丁寧に」

執事も洗練されている礼をし、私は屋敷の中に通された。

足音を吸い込むほど毛足の長い絨毯の上を歩きながら私は屋敷の中を見回した。

「あの、」

前を歩く執事に呼びかける。

「何でございますか、メーベル様」

「この屋敷の執事はあなただけなのかしら?」

「ええ、そうでございます」

屋敷はきれいに磨き上げられているのに、人の影がない。

もしやと思って尋ねてみたのだが、どうやら正解だったらしい。

「グレイ様があまり人が多くいるのを望まなかったために私一人で切り盛りさせていただいております」

私は素直に感心した。

「素晴らしいですわ。あなたがいるからこそ、グレイ様も安心して他の人を使わずにいられるのだと思います」

「メーベル様のような高貴なお方にそのようなお声をかけていただけるとは光栄でございます」

執事は立ち止まって目の前の部屋のドアを開けた。

どうやら応接室らしい。

「どうぞ、腰掛けてお待ちください」

執事は一言残して部屋から退出した。



「お待たせいたしました」

私が待っていると執事の声と共にドアが開いた。

「わざわざ貴女自らおいでくださるとは思いませんでした」

家の中だからなのか、彼は通常の騎士隊服を身にまとって現れた。

「いいえ、あんなに迷惑をかけて自分でお礼に来ないというのは理に反するでしょう?」

私は立ち上がって一礼し、彼が座ったのを見て座った。

執事がカートを引いてきてなめらかな手つきで紅茶をいれた。

その様子を見て私は慌てた。

「あ、あの、そんなに長居するつもりではないのですけれど……」

「まあ、せっかく来たのだし、ゆっくりしていってください」

彼が勧める。

「でも、こんなおもてなしを受けてはせっかくお礼を差し上げに参ったのに意味がなくなってしまいます」

固辞すると、では、と彼は言った。

「貴女にここでゆっくりしていたたくことが私へのお礼……ということでもいけませんか?」

――うぅ、上手い。

そういうことならと、渋々承知した。

彼はにこりと微笑んだ。

その時、

「グレイ様、王宮からの使者がおみえです」

執事がドアの近くから呼びかけた。途端に彼は表情を消して立ち上がる。

「しばし席を外します。貴女はくつろいでいてください」

短く言い置くと彼は部屋を出ていった。



所在なさげにティーカップを手に取る私に、執事が話しかけた。

「差し出がましいことを申すようですが、メーベル様、グレイ様があんなにお話するのは珍しいことなのでございますよ」

「えっ、嘘!?」

思わず素が出てしまった。

執事は何事もなかったかのように話を続けた。

「嘘ではございません。いつもはもっとぶっきらぼうでございます」

「それは光栄の至りですわ」

うわの空で答えて、私はとりあえず思考を落ち着かせるために紅茶を飲もうとカップを傾けた。

それを見て執事が慌てて私に向かって手を伸ばした。

ばしゃっ

「!?」

水音がしたが、私は何が起こったか分からずに目をぱちくりさせた。

「不注意にも程がある」

上から降ってきた声に顔を上げるといつのまにか戻ってきていた彼がいた。

右手に持っていた私のティーカップをカートに戻し、……私のティーカップ!?

私の右手を見ると、持っていたはずのティーカップがなく、私は混乱した。

「何で……どうして?」

「ぼうっとしながらカップを傾けるな」

彼はカートの上のふきんで左手をふきながら短く答えた。

どうやら私がカップを口から放して傾け、彼が紅茶を左手で受けとめて右手でカップをとったということらしい。

遅ればせながら事態を理解した私は、またしても舞踏会の時のようにかっと顔が熱くなるのを感じた。



「え……あっ、あ!すみません、熱かったですよね!?」

私はあわあわと辺りを意味もなく見回した。

「大丈夫だ」

相変わらず彼の言葉はそっけない。もしかして怒っているのだろうか。

恐る恐る顔色を窺う。

もしこれでアデライン家の印象が悪くなったらどうしよう。

「グレイ様、メーベル様が恐がっていらっしゃいます。女性の前ではにこやかに振る舞うようにしていたのではありませんでしたか」――えっ?

驚きに目を見開く私に執事は微笑んだ。

「メーベル様、グレイ様は怒ってなどいらっしゃいませんのでご心配ありません。こちらが本当のグレイ様の性格でございます」

「ヨシュア」

彼に名前を呼ばれた執事は一歩退いて礼をした。

「……あのっ」

執事の言葉を信じて、私は彼に呼びかけた。

「何だ」

短い返事に戦々恐々としながらも尋ねる。

「あの、本当に怒っていないのですか?」

「……ああ」

彼は開き直ったように頷いた。

――よかった。

小さくほうっと息を吐く。

その様子を見た彼は訝しげな顔をした。

「貴女こそ怒っていないのか」

「?」

私は首を傾げた。何が?

相変わらず紋切り型の口調で彼は話す。

もうばれたから構わないと思っているのだろう。

「その……貴女に対する態度を」

私はもう一度首を傾げた。

ますます分からない。

ありがたがるなら分かるが、怒る理由は特に見当たらない。



理解出来ない様子の私に耐えかねて彼は答えを口にした。

「他人の前では性格を偽っていることだ」

「……あぁ!」

なんだ、そんなことか。

「怒らないですよ。だって私だってしてますから」

腑に落ちた私が彼に言うと、彼はほんの少しだけ表情をほころばせた。

「貴女はそういう取り繕いは嫌いなように感じた」

「嫌いですよ。すごく嫌いです。でもそうしないと生きていけませんからね」

私の言葉に、今度は声を押し殺して笑い始めた。

「何がおかしいのですか」

「俺の前では取り繕いきれていないようだが」

言った後、ふと真顔になって彼は尋ねる。

「もしかして、他の人の前でもこうなのか」

「えっと、たまに出ちゃう時はあります……なんとかごまかしますけれど」

それを聞いて、彼は安堵したように見えた。

気のせいだろうか?

「それはさぞや父上が心配なさっていただろうな」

「えぇ……まあ」

この質問には苦笑いで応じるしかない。

心配した結果がこれなのだから。

「……って、いけません!火傷していませんか!?」

はっと思い出した。

すっかり話してしまったが、私がこぼしかけた紅茶を素手で受けとめていたのだからそれなりの火傷を負っているのではないか。

噛み付くような勢いで尋ねた私に押されるように彼は軽く身を引いた。

「大丈夫だと言ったはずだ」

「や、ダメです!ちゃんと冷やさないと……剣が」

――剣が持てなくなっちゃう。

必死の呟きに彼は驚愕の表情を浮かべた。



「……貴女は本当に真っ直ぐだ」

はぁ、と彼は少し嘆息した。

「は、はい!?」

「それに、少し大袈裟でもあるな」

「な!?」

反論しようとした私の機先を制するように彼は左手を出して見せた。

紅茶を受けとめた手を。

「ヨシュアが人に出すのに熱湯を出すはずがない。せいぜいぬるま湯程度だ。火傷をする熱さではないだろう」

彼の言葉通り、彼の左手は水ぶくれができているでもなく、赤くもなかった。

何事もなかったかのような手を見せられて、私は納得するしかない。

「……よかった、なんともなくて」

やっと安堵のため息をついた私の目の前にティーカップが出された。

顔を上げるとにこりと微笑むヨシュアさんがいた。

「さっきはお飲みになられなかったでしょう。どうぞ」

「ありがとうございます」

受け取って一口飲む。

――美味しい。

「美味しいです」

素直に感想が口からこぼれた。

自然と顔がほころぶ。

それを見てヨシュアさんも目を細くして笑った。

あぁ、私の家にもこんな執事がいたらな……あれ、執事?

私は何か忘れているような気がして眉根をよせた。

「どうかなさいましたか?」

急に難しい顔をした私に、ヨシュアさんが声をかける。

「ちょっと、何か忘れているような気がして……」

「ここに来た目的じゃないか」

「……あーっ!」

慌てて私は足元の紙袋を持ち上げた。

「この前の舞踏会でのお礼です。どうぞ受け取ってください」

彼に差し出す。



「気を遣わなくてもいいんだが」

彼は呆れた顔をして紙袋を受け取った。

「とりあえず中は日持ちがするお菓子なので急がなくても大丈夫です」

「重ね重ねすまない」

律儀に頭を下げる彼。

「いえいえ、こんなにお世話になったんだから当然です。では、このくらいで失礼します」

最後は貴族の令嬢らしく優雅にと心がけながら礼をした。

「紅茶、とっても美味しかったです。ごちそうさまでした」

踵をかえしてドアへ向かうと、彼の声が追いかけてきた。

「また飲みに来ていいからな」

「――はい!」

もう再びこないと思いながらも振り返って精一杯の笑顔を残した。

馬車に乗ってディズレイリ家を振り返ると、見送りにきたヨシュアさんがお辞儀をしているのが見えて、少し胸の奥がちくりとした。

でも、これで彼への借りは全て返した。

そう思うとほっとする。

もうこれで彼と関わることはない。お母様とお父様には悪いが、元から興味のない人と結婚はつらいだろうし、それよりなにより、醜男は嫌いだ。

たとえ何度も窮地を救ってくれたとはいえ、それで結婚したくなる訳でもない。

それとこれとは別物だ。

お互いに素を少し見せてしまったものの、さほど影響はないだろう。

「さて、と。新しい婚約者、みつけなくちゃ」


私は小さくため息をつくと、馬車の椅子に深く座った。


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