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「け、結婚ですって!?」
ある秋の日の朝、大貴族アデライン家の食堂に衝撃が走った。
その衝撃を起こさせた張本人、私の父のアデライン家当主、エイブラハム・レ・アデラインは重々しく頷いた。
「お前ももう18だ。そろそろ結婚してもいい年だと思うのだがな」
「ま……まぁそれはそうだけど」
「なんだその態度は」
父は私をじろりとねめつけた。
「そもそもメーベル、お前がきちんと王宮の舞踏会に行っていればこんなことはうるさく言うつもりはないのだぞ」
「だって……面倒くさいんだもの」
私は下を向いた。
私だってかわいいドレスを着るのは楽しいし、他の貴族の女の子と話すのは大好きだ。でも、
「みんな心の中で何思ってるか分かんないのよ」
「お前が開けっ広げすぎるだけだろう」
父に即答された。
「お、お母様!」
何も言わずに事の次第を聞いていた母に助けを求めると、
「メーベル、実は私がお父様にあなたにそう言うように頼んだの」
「ええっ!?」
「ええっじゃないわよ。あなたは何でもできるいい子よ。だけど、ちょっと正直過ぎるのが考えものね」
助けなし。周りの使用人達は楽しそうににこにこと食卓を見ている。
「それでね、メーベル。あなたの結婚相手、お母さんとお父さんが見つけておいたから」
「へっ!?」
「名はね……」
「ちょっと待ってよ!何で私に見つけさせてくれないのよ!?」
あわてて私は割り込んだ。変な人と結婚させられるのは嫌だし。
「そんなこと言って、自分で見つけないんだから仕方ないでしょ。とりあえず見つけておいた人と仲良くなりなさい。嫌ならやめたっていいんだから」
「お前も社交が巧くならないと後々困ることになるからな」
「はーい……分かったわよ。やればいいんでしょ、やれば」
渋々私は承諾した。
「じゃ、ごちそうさまでした……って、その人の名前は何というの?」
ああ、と母は手を打った。
「名は、グレイ・レ・ディズレイリよ」
「グレイ・レ・ディズレイリ……ね。分かったわ。じゃ、今度こそごちそうさまでした」
私は食堂から出た。自室へ戻る道すがら、脳内でグレイ・レ・ディズレイリという名前を探す。
……あった。
「ちょっと……まさか、グレイ・レ・ディズレイリって……」
ちょうど自室に着いたので、私はドアを開けて中に倒れこんだ。
「あの醜男が……私の、婚約者……?」
グレイ・レ・ディズレイリ。
ディズレイリ家はアデライン家と並ぶほどの大貴族である。古くから代々王直属の騎士を輩出している名家で、王からの信頼もあつい。グレイはそのディズレイリ家の長男で、王直属の近衛騎士である。背も高く、均整の取れた体つきをしており、性格も悪くない。王直属の近衛騎士ということで、実力もそれなりにある。
ならば女が黙っていないだろうというわけだが、この男には1つだけ欠陥があった。
グレイ・レ・ディズレイリはどうしようもない程の醜男だったのだ。
政略結婚させようとした貴族達は娘達から強い反発を浴びて諦めざるをえなかった。
よりにもよって、あの男が私の仮とはいえ、結婚相手だなんて……
にこにこと笑う母の顔が頭をよぎる。
どうせあの食えない母のことだから、私がイケメン好きと知ってわざと醜男を選んだに違いない。
とりあえず、私は明日の舞踏会には行かなくてはならないようだった。
翌日、私は紫のドレスを着て、馬車に乗って舞踏会が行われるお屋敷に向かった。
憂鬱な気分で馬車を降りる。
お屋敷に入ると、楽団が奏でる音楽がとてもきれいだったので、私は少しだけ明るい気分になった。
主催者の挨拶もすみ、友人と言えるかどうか分からないが友人に挨拶をした。
「メーベル、その紫のドレス、あなたの栗色の髪によく合っていて素敵よ」
「(こんなの着心地最悪よ)あ、ありがとうアイリーン。あなたのその緋色のドレス、すごくかわいいわ」
……うぅ、お世辞って難しい。
すらりとしたアイリーンはすっきりとしたドレスを着ればいいのに何でわざわざフリルのついたドレスを着ているんだろう。かわいこぶっているのだろうか。
これ以上話しているとぼろが出そうだったので私はあわててその場を離れた。
メイドから手渡されたジュースを片手にもちながら急いで離れたので、履いていたヒールの踵がぐらついた。
「きゃっ」
ぐらりと視界が揺れて、私は後ろ向きに倒れた。
こんな公衆の面前で転ぶなんて恥ずかしい――!
ぎゅっと目をつぶって覚悟すると、背中に固い床の感触ではなく、ふわりと誰かに抱き止められた。その人の服にジュースがぱしゃっとかかる。
「す……すみません!私つい、うっかりしていて……ひっ!」
あわてて私は身を起こし、振り向いた。そして悲鳴をあげた。
私を抱き止めてくれた人は、あのグレイ・レ・ディズレイリだったのだ。
「お怪我はありませんか」
「あっ……!はい……。あっ、あなたこそ服を!」
私の持っていたジュースがかかったせいで、彼の騎士隊服は胸の所が濡れてしまっていた。
「ああ」
彼は、自分の服をみて、今気付いたかのように驚いた。
「いや、大丈夫ですよ。すぐに乾きます」
「そんな!早く着替えないと風邪をひいてしまいます!着替えてください!」
醜男とはいえ、自分のせいで被害を被った人を放置してはおけない。
すると彼はにやっと笑った。
「じゃあ貴女もご一緒に」
ひょいっと抱き上げられる。
「な、なにをなさるのです」
「気付いていないとでもお思いですか」
どきっとした。
「貴女、右の足首を捻挫しているでしょう」
――ばれた。
実はさっき倒れた時に足首をひねってしまったのだ。
気づかれないようにしていたつもりだったのだが、ばれてしまったらしい。
「まったく、私の心配より貴女の心配をしてください。医務室に行きますよ」
「えっ、あっ、ちょっ」
私は衆人監視の中でグレイに抱き上げられて医務室へ運ばれた。
「……ありがとうというべきなのでしょうね」
グレイによって運ばれた医務室で、私は羞恥に震えながら口を開いた。
私が治療を受けている間に着替えたらしい、普段の騎士隊服姿の彼は申し訳なさそうに医務室のベッドに腰掛けた私に向かって礼をした。
「無理に連れてきてしまったことは謝ります。でも、」
そうでもしないと貴女は無理するでしょう?
図星をさされて私はぐっと言葉に詰まった。
「……失礼なことを言ってごめんなさい。連れてきていただいてありがとう」
――醜男のくせにっ……
ひそかに唇をかみしめる。
「でもこちらこそすみません。僕みたいなのに関わったら貴女の評判が落ちるかもしれないと考えるべきでした」
「本当よ。貴方みたいな醜男と関わったなんて……あっ」
私は慌てて口を押さえた。バカバカ私、こういう時に何で本音を言っちゃったの!
おそるおそる目だけ動かして彼を見る。
果たして彼は、にこりと笑って
「それについては重ね重ね申し訳ない」
もう一度深く一礼した。
「あ、あの今のは本心じゃ……」
「構いませんよ、いつも言われている事です。むしろ陰ではなくはっきり言っていただいてありがたいくらいです」
私は穴があったら入りたいくらいの羞恥で身が張り裂けそうだった。
「とにかく、今日は助けていただいてありがとうございました。このお礼は後日、また改めて返させていただきます。では私はこれで」
彼に向かって一息に言い、立ち上がると視界がぐらりと揺れた。
「きゃ」
足を挫いてたのを忘れていた。
「またそうやって貴女は無理をする」
「……ご迷惑をおかけします」
結局、私は彼に付き添われて家に帰ったのだった。