後半
そんなわけでお見合いである。
結局運送会社の面接には落ちてしまったが、とにかくお見合いだ。
運送会社は「え、君あれなの、佐藤建設のご子息? お家で働くんじゃ駄目なの?」などと胡乱げな顔をしたあとモソモソと「ああ君が自慢の愛息子……」などと呟いていた。
親父の奇行はどうやら埼玉県中に響き渡っているようだ。困ったものである。
続いて受けた面接はハウスメーカーだったが「君、『ヘルメット男子』ですごくバズってた男の子? うーん、うちはそういうのやってるとちょっとねえ……、動画サイトでもあれだけ派手に顔出されちゃってバズってるとなると……」と渋いご返答だった。
お祈りというやつである。
でも落ちてしまったものは仕方がない。また面接をしてもらうまでだ。
この後、左官屋さん、数日後にはお花屋さんで面接をしてもらう予定だ。
ところで左官屋さんってどんな仕事をするのだろう、などと思いつつの見合いである。
(おおう……お顔が強い……)
優香はにこりと微笑むが、どうやら彼女はお母さんによく似たようで、お父さんの要素が極めて薄いお顔立ちをしていた。
お父さんは睨みを効かせてアユムを見ているのも相まって、なんというか、とても強そうに見えたのだ。
怖くはないが、とにかく強そう! なのである。
多分、戦闘になったらアユムは彼には勝てない。戦闘にならないことを願うばかりだ。
そう、強そうに見える原因はおそらく筋骨隆々の体格にもあるのだろう。
彼は田中建設の社長ではあるが、二〇年ほど前に社長になるまでは、現場社員と同じく重い荷物を運ぶなどの仕事も率先して行なっていたのだと、源一が教えてくれた。
お互いに挨拶を済ませると、中年男性、もとい優香の父である田中和毅がジロリとアユムを見た。
「源二くん」
「はい」
「いや、アユムくんと呼ぶべきか」
「あ、源二で大丈夫です」
「アユムくん、君、どこまで今のお仕事で頑張るつもりだい」
そらきた、とアユムは「イタイところを突かれた」という思いでいっぱいである。
アユムはアイドル。
そんな不安定かつ履歴書に書くのも躊躇するような経歴を持つ男など、優香の夫には相応しくない——、きっとそういうことはのだろう。
現在求職中であることは、正直に伝えるべきであろう。
スーッと深呼吸をし、アユムは覚悟を決めた。
「あの、源二で……、どっちでもいいですけど、あの、どこまでというとですね、そうですね、実は僕、」
「紅白には出るつもりでいるんだろうね?」
「えっ」
紅白? まんじゅうの話じゃないよな、とアユムは目を瞬かせた。
「うちの優香と一緒になるならね、紅白規模の音楽番組には出てもらわないと」
「紅白……ですか……?」
「そうだよ、まさか紅白は無理そうだなんて言うんじゃないだろうね」
「お父さん、失礼ですよ! ごめんなさいね、佐藤さん……、アユムさんも紅白は目指すつもりでいますでしょうよ。そうよね、アユムさん」
追い討ちを掛けているのは和毅の妻で優香の母である春子だ。
二人揃って何を言ってるんだ、と思うが、優香は隣でのんびりと「梅が綺麗ねえ」などと言っている。戦力になりそうにない。
和毅はジッとものすごい眼力でアユムを睨んでいる。
強い。勝てそうにない。彼を目の前にしてはアユムは小動物のようなものである。
おかしい。
アユムはアユムという名を捨てて、遅ればせながらまともな昼職に就いて慎ましく暮らしていく予定だったと言うのに、なぜか見合い相手の両親が追い討ちを掛けてくる。
助けを求めて両親を見ると、なぜか二人は頷いている。
「まずは五大ドームツアーを目指すべきかと。ウチの源二では一公演につき呼べるお客さまは精々が四万人というところでしょう。多少は努力が必要となるはずです。この子にも私がよく言って聞かせます」
「おふくろ? 多少じゃないよ?」
「田中建設さんのCMに起用して頂いた。これは本当にありがたいことです。佐藤建設ではどうにもCMなどは難しく……」
「ねえ、まって。聞いて」
「いやいや、お気になさらず。CMくらい、いくらでも起用しますよ。優香たってのお願いでもありましたし……、な、優香」
優香はにこりと微笑む。
見事に外堀を埋められている。これはアユムに拒否権のないお見合いなのだということには気づいていたが、事態は思ったより深刻なようだ。
両家ともにアユムを一流のアイドルに仕立ててから辞めさせるつもりでいるのだろう。
両家が両家とも、アユムに立派すぎる箔をつけようと躍起になっているではないか。
キャパ千人のハコを埋めるのがやっとのtheseに五大ドームや紅白は遠い遠い夢物語。武道館をオタクでいっぱいにするのだって難しいだろう。
「失礼します」
天の助けと襖を見ると、そこを開けたのは給仕の女性、かと思いきや、スーツ姿の眼鏡の男性だった。
「おう、春雄、よく来てくれた」
「義兄さんのお呼び出しとなればどこへでも参りますよ。アユムさん、初めまして。中村春雄と申します。春子姉さんの弟……、つまり優香の叔父でごさいます」
「初めまして? 佐藤源二と申します?」
なんだか新しい登場人物が増えてしまったことに、アユムは困惑する。
春雄はグイッとメガネを押し上げアユムを見た。
「早速ですが今後のプランについて話し合いたいと思います。まずば武道館に行きましょう」
「ぶ、武道館?」
「わかりますわかります、ドームで公演をしたいのですよね。しかし武道館もとても大切です」
「いや、そうじゃなくてですね、」
アユムでは、いや、theseでは武道館に行きたいなど烏滸がましいという話である。
彼らとアユムとの間に、荒川より大きな認識のズレが生じているのは判るが、勝手に盛り上がる彼らにはアユムの声はどうにも届かないようだ。
彼らは壮大な夢物語を「事業計画」などという実に真っ当な名前で飾り立て、当事者であるアユムを差し置き顔を突き合わせて真面目に相談中だ。
「……ということですので、アユムさん、いいですね」
「はい?」
「ああよかった、了承して頂いて。あなたは明日からセンターです。これはすでにメンバーさんにも社長さんにもご納得頂いているお話ですので」
「はあ……センター……センター!?」
「現在センターのミサキさんですが、彼はセンターを辞してもいいと仰っています」
「なんで!?」
「theseが上を目指せるならなんでもいい、とのことです」
「上とは!?」
「わかりますわかります。theseは既に名の知れたメン地下。そう仰りたいのですよね」
違う、全然違う。
ここははっきりと言わなくてはならない。なんだか運命がとんでもない方向ゴロンゴロンと音を立てて転がっているは判っているが、これを修正できるまともな人材はこの場ではおそらくアユムただ一人である。
早くなんとか軌道修正をしなくてはならない。
「違くて! 俺はですね、昼職に就こうと思ってるんですよ!」
はあはあと肩を震わせながら大声で言う。
言ってやったぞ、とアユムは心の中でガッツポーズである。これでアユムが何を考えているのか、この場にいる全員に判ったはずだ。
夢は安定した生活を送る一般人。これだ。
どうだ、と春雄を見ると、彼はぽかんと口を開けていた。
それから口を開けたままの春雄は暫く考え込み、なるほど、と言った。
「アユムさん、いいですか、よく聞いてくださいね」
「はい」
よかった、話が通じそうだ。センターを譲るなどという覚悟をしてくれたミサキには悪いが、このまま上手く話を纏めるべきだ。
アユムはなんとしても昼職に就くのだ。
「発音が違いますよ」
「うん?」
アユムさんは学力が少々乏しいとお聞きしておりましたが、などとひどい侮辱を含んだ言葉をさらりと投げかけられる。
「それはヒルショクではなくてヒルシャウですね。しかしドイツを目指したいとは! なんと志の高い! わたくし、感動いたしました! 確かに海外公演は視野に入れるべきです! 砂のスキー場でのライブ! いいですね! なるほど、なるほど!」
「なるほどじゃない!」
「ああ失敬、そうですよね、これからマネジメントを行うタレントの意思をしっかり汲み取れないとは私は本当に駄目ですね!」
「マネージャー!?」
「はい、社長に……、アユムさんの所属事務所の社長さんよりしっかり頼むと仰せつかっておりますので」
「まってまってまって、じゃ、じゃあ高澤さんは?」
「心配要らない。田中建設の秘書課に入ってもらった」
「なんで!?」
他人様の運命まで変わってしまっている。
これはもう埒が開かない。自分でどうにかするしかない。幸い、この後は左官屋さんの面接が待っている。
「ごめんなさい、俺、ちょっと行くところが……」
ヨロヨロしながらアユムは立った。
「どちらへ?」
「面接です……失礼します」
襖の向こうで「オーディションのことですよ。アユムさんは志が高くていらっしゃる」などと聞こえてくる。
もう駄目だ。すぐにでも就職して強引に昼職に就くしかない。
とにかく安定した職、安定した生活である。
優香との婚姻は最早決定事項のようだから、ならば彼女を路頭に迷わせるわけにはいかない。
三食ご飯が食べられて、慎ましくも幸せに暮らすにはまず職業である。頑張らなくてはならない。
「面接、頑張るぞ……!」
アユムはグッと拳を握りしめたのだった。
◇◇◇
『続いてのゲストはthese! まずは歌ってもらいまっしょう! 今月三日にリリースされた新曲、『田中建設』だ!』
ぎゅーんぎゅーんという謎の音で始まる伴奏に合わせてアユムは踊る。
スポットライトを浴びて、作業着でtheseはポーズを決めてカメラ目線、クルクルと回って他のメンバーにセンターを交代、それからすぐにアユムが再びセンター。
頭にはヘルメット、衣装は作業着で左手にはマイクである。
いや、なんで?
アユムは習い性でニコニコとしながら、しかし自分の置かれている状況が良くわからないまま新曲の「田中建設」を歌っていた。
どういうことだ。
なぜこのお洋服で女の子たちがキャーキャー言うのか皆目判らない、とアユムは考える。
歌い終わるとMCの男女二人が待つ場所へと戻っていく。名物司会者のショーイチとアナウンサーの原田だ。ショーイチは白ブチ眼鏡をぐいっと押し上げ、いえーい! と言った。
theseのメンツもいえーいと返す。
『改めまして、theseのみなさんでっす! はじめまして!』
「はじめまして〜」
みんなでお行儀良くご挨拶。
水曜夜八時からのライブ型音楽番組、ミュージック・ミュージックだ。
『いやぁ、作業着とヘルメットのアイドル……、いや出演者は初めてだよ。ね、原田さん』
『そうですね。皆さんは田中建設のCMで人気が爆発したアイドルグループなんですよー。なんと音楽番組は初めて! なので今日は自己紹介もして頂こうかな、と思います。では、リーダーのアユムさんからお願いします!』
自分が知らない間にリーダーになっていた。
センターになるとは聞いていたが、リーダーとは聞いていないが今はそれどころではない。
とにかく自己紹介だ。
『アユムです! 二三歳です。特技はフラワーアレンジメントです』
『フラワーアレンジメント?』
『はい。えと、最近覚えました。面接を受けにいくのに必要かな、って。あ、左官屋さんにも面接に行ったんですけど左官が何かわからんやつは会社に入れられないって言われちゃって、それで』
『まって、アユムくん、なんで君は面接受けてんの?』
えっ、それをここで聞くの? と思いつつ、まさか結婚後に妻子を路頭に迷わせるわけにはいかないから、などと言えるわけもなく。
『将来が不安で?』
無難な返答のはずだ。
『アイドルなのに? 夢がないなぁ、君。その話、もう少し聞きたい気もするけど次はミサキくん!』
だって結婚したらアイドルを続けられるはずがない。
ショーイチはガハハと笑って受け流したが、まさか本当にアユムが将来を不安に思っているなどとは考えてはいないだろう。
お花屋さんの面接も微妙な感触であったし、次を考えなければならない。
来週は見習いを募集していたケーキ屋さんの面接だ。
それまでにケーキを作れるようにしなくてはならない。
大変だ。
今、アユムはデコレーションケーキをやっとマスターしたところなのだ。
しかしマカロンには手こずっていた。ピエとかいうヒラヒラが上手くできない。だが面接を受けるお店はマカロンも名物らしいから、絶対にこれは外せないはずだ。
『お芝居経験も少しだけあるみたいだからね。ドラマとかもアユムくんはやってみたいのかな?』
しまった、と気づいた時にはもう遅い。生放送なのに、アユムはあまりにも面接が不安でぼんやりとしてしまったのだ。
なんかお芝居がどうとか言われた気がしたが、なんと尋ねられたかまでは判らない。完全に聞き逃している。
ショーイチが白ブチ眼鏡の向こうで妙にキラキラした目でアユムを見ていた。
困った。
えええいままよ、と笑顔を作る。
『はい、そうですね!』
『おっと! これは楽しみですね! ではそろそろお時間です。二曲目を聞いてもらいましょう』
『お願いしまーす』
全員で挨拶をしてからステージに向かう。
ぼんやりしすぎだ、と反省をする。
面接の練習とレッスン、最近増えたアイドルの仕事で忙しない日常を送っているとはいえ、あまりにも杜撰だ。
今夜も一人反省会をしなくてはならない。
キラキラと眩しいライトを浴びながら、アユムはアントルメやプチガトーは間に合いそうにないな、などと考えていたのだった。
◇◇◇
「午前のプチドラマ。いい感じだぞ、アユム!」
社長が上機嫌でアユムの肩をバシバシと叩く。
二五歳を目前に、アユムは通称『午プチ』——、月曜から木曜までの朝に二十分ずつ放送されるドラマに出演中である。
なんと、準主役で主人公の兄役だ。
両親を亡くして慎ましくも逞しく生きる兄と妹が煎餅屋で大成功を収める物語だ。
ほぼ主演である。
なにがどうなってこうなったのか判らず、何か悪い力が働いているのかと恐怖したのも束の間、そんなことを考える余裕もないほどに忙しくなってしまった。
せっかく取り付けた面接の約束に、どうにも向かえそうにない日が増えて、謝罪の電話を入れることもしばしばだ。
演技は齧った程度で、おそらくアユムは見られたものではないだろう。
絶対ぶっ叩かれているに違いないと戦々恐々でSNSを覗くとやはり心無い言葉が並んでいた。
『太郎にいちゃん役のアユム、あんまり有名じゃないよね』
無名アイドルでごめんなさい。
『太郎にーやんの人、演技初挑戦だって。自然体すぎん?』
演技できなくて本当ごめんなさい。
『太郎にーやんのアユム、めっちゃ普通に煎餅屋で違和感なくて草』
どういう意味かわからないけど演技ができていないということだろう。
『太郎にーやん、寧々とのやり取りがほんと自然でびっくりする』
脚本家の先生のシナリオのおかげです。
不慣れ過ぎて現場でもすみませんすみませんと謝ってばかりいるが、誰一人としてアユムを責めたりせず「プロ意識が高い」だとか最大限に気を遣った言葉で慰めてもらっている。
アユムはその度に小さく縮こまり消え入りそうになるのだ。
端的に言えばつらい。
やはりアイドルをギリギリまで続けて就職が決まったら辞めさせてもらおうだなんて甘ったれた考えがダメなのだろう。
優香との生活のためにも早く就職しなくてはならないのに、面接さえも上手くいかないのだ。
近頃は運良く面接にたどり着けても相手側がどういうわけか一様にあんぐりと口を開けて「はあ?」などと言った後、履歴書を確認しては苦笑し、それから職場を見学させてくれたあとは解散、という流れが多いのだ。
一度テレビで「面接を受けると職場を見せていただくことがあるが、それがとても為になる」などと言ったせいか、面接に赴いてもその面接を受けさせてもらえないことが多いのである。
それに、どういうことかアユムがテレビに出ると「炸裂アッくん語」などという言葉がトレンド入りしてその感想が多くの場合「アッくんってなんかズレてて面白い」という、あまり想定していないタイプのポストが多くて戸惑うばかりだ。
何もかもが上手くいかない。
アユムは何一つまともにこなすことができないのである。
深刻だ。このままでは大変なことになってしまう。
アユムには、もう本当にどうしたらいいかわからなかった。
「東京ドームを控えている中だが、ここでビッグニュースだ。アユム、お前に映画のオファーが来てるぞ」
「映画?」
「南野伝助監督の時代劇だ!」
「南野伝助……俺でも知ってる映画監督だ……」
「そうだぞ、やったな、アユム!」
「……」
「アユム?」
アユムはキョロキョロと室内を見回した。
大丈夫、準備はできている。アユムとて、ただぼんやりと二年近くを過ごしたわけではない。下手なりにリアクションだって取れるくらいには成長をした。
それから深呼吸をしてアユムは「本当に!?」と叫んだ。
「本当だとも!」
それからやった! と社長に抱きつく。
大袈裟に何度も喜んで、それが終わるとふたたび室内を見回した。
おかしい。
喜びが足りないのだろうか。
そんなことを考えながら、アユムは社長の両手を握り、涙を浮かべながら喜びを表現する。
「社長、本当にありがとう! 俺すごく嬉しい!」
「なんのなんの、お前の努力の結果だよ、アユム! 本当におめでとう!」
「……」
「アユム?」
視線だけで室内を見回すが、それは永久に訪れなかった。
「あの、社長……」
「うん?」
ネタバラシはまだだろうか。
南野伝助監督といえば、時代劇の名手だ。
アユムのようなペーペーを起用するようは人ではなく、つまりこれはドッキリに違いないと思ったのである。
ジャジャーンと誰かが入ってきて、「ドッキリ大成功」とネタバラシ。そんなシナリオのはずだ。
「とにかく撮影は秋からだからな。よろしく頼むぞ、アユム!」
「は、はあ……」
「いやぁtheseさまさまだな! みんなそれぞれの分野で活躍中だ! 頑張ってきた甲斐があったな!」
ばんばんと背中を叩いて社長は去っていく。
「……ネタバラシは?」
そのまま十分待ったがネタバラシは訪れない。
つまりそうか、本格的に撮影が始まる素振りがあってからきっとネタバラシをし、アユムがガッカリするという寸法に違いない。
どうやらアユムは逸りすぎたようだ。
恥ずかしいなぁ、などと思いながら、アユムは帰路を急いだ。
家には優香が待っているのだ。早く帰らなくてはならない。
◇◇◇
「カヌレだよ、カヌレ。カヌレ食べに行くんだって」
「カヌレ、ですか?」
うん、そう。とアユムは頷いた。
二十六歳になったアユムはようやく優香と結婚をした。
theseのアユム、結婚を発表! お相手は一般女性!
などという記事がネットを駆け巡ったらしいが、当のアユムはカヌレを食べに行く支度で忙しく、記事を見る余裕もない。
広いリビングで、アユムは「カヌレって知ってる?」と優香に問うと、彼女は「ええ」と返事をした。
売れないアイドルに賃貸マンションのなど契約できるわけがなく、結局のところ、この部屋は優香の父・和毅によって買い与えられるに至ったものだ。
売れていないアイドルで本当に申し訳ない。
そんなわけで、アユムは優香の実家にはアタマが上がらないのだ。
ばいんばいんとスーツケースを乱暴に閉めるアユムの横で、優香は腑に落ちない、という顔で「カヌレ」と呟いている。
おっとこれはいけない、とアユムは考え、夫婦の不和となり得る原因を取り除くべく、事情を説明することにした。新婚早々に妻を不安にさせてはならないだろう。
「社長がカヌレ行くぞ、って言って。あ、なんか南野監督とか共演者の渡辺久次さんと牧村夏菜子さんも一緒らしいけど……、カヌレって俺、あんまり得意じゃないんだよねえ」
「あなた、甘いもの全般がお好きじゃないですものね……、というか源二さん、あなた、本気ですか?」
優香はやけに真剣な、いや、深刻そうな顔で尋ねた。彼女の耳のピアスがキラキラと光って少し眩しい。それを見ていると、なにかざわざわとした気持ちになる。
「なにが? フランスパンとかクロワッサンとは言ってなかったよ」
「……わかりました、それで社長は何と?」
「え? あ、それでね、祭りのカヌレがどうのって。なんか、映画見ながらカヌレ食べるみたいなこと言ってた気がする。コンサート中のヘロヘロな時間に言われたから日時しか覚えてなくて」
「源二さん……、カンヌって判りませんか?」
「カンヌ?」
「……カンヌ映画祭。ご存知ありませんか?」
「……ご存知ないです。え、カンヌ?」
「流石に勉強不足が過ぎるかと。いいですか、カンヌ映画祭は非常に権威ある映画の祭典です」
「はあ……」
「あなた……、いえ、あなたが出演された『風の花嫁』が選ばれた。これは知っていますね?」
「そうなの?」
「そうなんです! そのカンヌではお洋服も重要視されます。お洋服は?」
「え? ああ、社長が『アユムにぴったりのタキシードを用意してあるよ』って言ってた」
「よかった……、」
アユムはハタとして優香を見た。
「優香ちゃん、どうしよう、大変だ」
「どうしたました!?」
「優香ちゃん、俺、フランス語少ししか話せないよ! 大丈夫かな?」
「——少ししか? 少しなら話せるんですか?」
「うん、でもちょっとだけだよ。Une telle rencontre avec une œuvre aussi exceptionnelle n'arrive qu'une fois dans une vie(このような傑作に出会うことは二度とないでしょう)」
「……いつから話せるんですか?」
「え? ああ、この前フランス料理のお店の面接に行く時、ちょっとだけ勉強して……」
優香がジッとアユムを見つめて、それから小さすくため息をつき、それから決心したように頷いた。
「源二さん。そろそろ現実をお伝えしなければなりませんね」
「な、なに? 怖いんだけど……」
「よく聞いてくださいね——、あなたはズレていますけどとんでもなく有能です」
「……優香ちゃん……」
ああ、とアユムは絶望する。
優香がとんでもないことを言い出した。
ついに彼女も、両親と同じ病気を発症してしまったのだ、と結論付ける。
つまりはあれだ、アユムが売れっ子芸能人に見える贔屓目千パーセントのあの呪いである。
「優香ちゃん……」
「はい」
「褒めてくれてありがとうね……」
「源二さん、本気にしていませんね? ひと月そこそこでフランス語をマスターする人間が一般社会にどれだけいると言うのですか」
「優香ちゃん……、でもね、俺、不採用だったんだよ。つまり俺はフランス料理店で働けないんだ。また君との生活基盤を整える手立てを整えられなかったってことだよ。そんな人間は一般社会にはなかなかいないよ……」
夢は安定した昼職。優香との生活を過不足なく整えられる、そういう職業がアユムは欲しいのである。
優香の実家には何くれとなく世話を焼いてもらった。
CMを初めてとして、高澤の更に上を行くハイパー激烈有能なマネージャーの手配、それからこのマンションまで。
これ以上、妻と妻の実家に、詰んでるアイドルのお世話をさせてはいけないだろう。早急に就職しなくてはいけない。
そうだ、国内がダメならカヌレを食べに、いやカンヌに行くのだからそちらで面接を受けるのも手かも知れない。
◇◇◇
「Good morning, Ayumu! Let's hope for a great day. We have a lot of action scenes to shoot today. Let’s keep safety as our priority and create a truly fine piece of work!(おはようアユム! 今日もいい一日になることを願おう。今日はアクションシーンがとても多い。くれぐれも安全に配慮しよい作品を作ろうではないか!)」
「You bet ! I’m going to give you a performance that’s nothing short of perfect(勿論さ! 完璧な演技をあなたにお見せできると思うよ)」
嘘である。大嘘である!
完璧な演技などなかなかできるモノではない。
これが所謂ところの「ハリウッド文脈」というやつだ。
ここでは、自信がなくても自信満々に振る舞う必要があるわけだが——、これがアユムにはどうにもつらかった。
ロバート・ジョーンズ監督は、ハリウッドで今最も勢いのある若手監督である。
アユムは今「空の彼方」という宇宙飛行士映画の撮影中である。ハリウッド映画は四本目の出演である。
「Action!」
監督の掛け声で演技スタートだ。グリーンスクリーンの前での演技もどうにも苦手である。
一〇年前、theseはついに活動を終えた。
ワールドツアーを三回ほど終えたところで呆気なく幕切れである。
アユムなんぞをリーダーに据えたせいだろう、アユムが三十歳を迎える年に解散。メンバーたちには申し訳なくて、何度も謝り倒した。
メンバーは鷹揚に笑ってくれ、「アユムのおかげで俺たちも一端の芸能人になれたのに」だとか「夢をくれたのはアユムだ」などと最後の最後まで気を遣ってくれた。
おまけに、メンバーはそれぞれ冠番組を持つようにまでなったことに満足しているとまで言ってくれた。
彼らはアユムにとても気を遣ってくれる。
金はある、大丈夫だ、と口々に言って、アユムは何一つ心配する必要はないのだ——、とその頃ハリウッドからオファー受けていたアユムを快く日本から送り出してくれたのだ。
優しい元メンバーたちには感謝しかない。
◇◇◇
「ただいまー」
撮影所から自宅が近いこともあり、アユムは仕事が終わり次第、何時になろうが帰宅はする。
本日は二十一時に撮影が終わったため、比較的早い時間での帰宅となった。
「お帰りなさい」
優香が玄関までやってきて微笑んだ。
「ただいま。優一は?」
「サマーキャンプですよ」
「ああそうか、ごめん、忘れてた……、顔見たかったなぁ……」
息子の顔が見られないのは残念だが、実家からも遠い異国の地で、家庭を守る妻には愚痴など言えやしない。
アメリカは日本と環境が随分違う。不便を強いている二人には申し訳なかった。
一体なぜこんなことになっているのだろう、と戸惑うばかりである。
資産が数十億を超えたものの、やはり安定した生活を思えば水モノ商売は早急に辞めて早く日本に帰るべきだとしか思えない。
ところがである。
残念なことに、アユムはこの先一〇年はハリウッドから離れられそうにないのだ。
いくつかの契約が済んでおり、それが完了するまでは日本に帰ることも、面接を受けに行くこともできないのである。
「源二さん、ほら、早く上がってくださいな。お疲れでしょう?」
「うん、ありがと」
優香は優しい。アユムは文句を言われたことが一度もない。
なぜアユムと結婚してくれたのか——、そう尋ねた際には「あなたのお顔が好きだからです」と言われた。
こんな顔ならいくらでも見てくれ、という話であるが、おそらく彼女は、お顔ぐらいしか取り柄のないアユムに精一杯気を遣ってくれたに違いない。本当に優しい妻だ。
とにかく二人を路頭に迷わせるわけにはいかない。
無駄遣いをせず慎ましく生きて、妻と息子に安定した生活を送らせてあげたかった。
それが一家の大黒柱たる存在の役目であろう。
一〇年——、これ以上の契約はハリウッドでするべきではない。今抱えている仕事を終えたら日本にすぐ帰ろう。
「優香ちゃん……、いつもありがとうね」
「私こそ、いつもありがとう、ですよ、源二さん」
用意されたオレンジジュースを飲みながら、アユムは妻の背中を見つめた。
早く、早く日本に帰って面接を受けなければならない。
早く。
◇◇◇
「えー……、バリルォンガ・ゲゲザルーヂ・ハッバルルタズォーリー・ササリケルツォ・ググキニッツギョ(みなさん今日はありがとう。遠い地球の作品ですが、楽しんでいただけましたら幸いです)」
ワッと歓声が上がって、それから地球式の拍手が会場が割れんばかりの勢いで鳴り響く。
ギャルバル星人は、近頃地球と交流を持ち始めた異星の生物である。
つまり宇宙人だ。なお、宇宙人という呼び方は差別的であるとして禁じられ、異星人との呼び方が推奨されるようになった。
彼らギャルバル星人は、熊によく似た顔に、カワウソのような体を持ち、そして発話が可能な生物であった。
本日はユニバースツアーの最終日である。宇宙ゲートを介しての移動であるからそう負担はないが、慣れない環境はやはり疲れるものだ。
妻とはもうひと月近く会っていない。
独立した優一はその直前あたりから「パパはいい加減現実を見たほうがいいよ」とダメな父親に苦笑することも増えた。まったく情けない。
さて、あとは上映だ。
そのあとは一時間程度——、無論、地球時間のだ——、を終えて地球に帰るだけだ。明日にはロサンゼルスの自宅に戻れるだろうか。
こんな不安定な職で、頻繁に自宅を開けるのが優香にも申し訳なかった。
やはり面接を受ける必要がある。面接、とにかく面接である。上映のため暗くなりゆく会場で、アユムは小さく面接……、と呟いた。
試写会は滞りなく終わりいよいよ質問コーナーである。 これが終われば地球に帰れる。
ギャルバル星人観衆のもと、質問コーナーが始まった。
「アユム・ギギギグリフュリール・ラポポベーリチャリルババグリ(アユムさんは地球でもかなり有名な俳優で我々のアイドル的存在ですが、次なる目標はありますか)?」
目標——、そんなの決まっている。家族を路頭に迷わせないことだ。
それでもアユムは少しだけ考え込む素振りをして、それからやっとという感じに口を開き「バビャル(面接)」と呟いたのだ。
ギャルバル星人と「バビャル?」と不思議な表情である。
おっと、これは映画に対する質問だった、とアユムは慌てて微笑だ。
「グリジャック・リニャルカ・べべシャール・ピピス・ゴリルアキャキャ(特にはないです。ただ、より安定した演技ができたらいいなと考えています)」
そう、安定だ。安定は、何においてもとても大切だ。
アユムももう四五歳。果たして今から面接を受けさせてくれるところがあるかどうかは判らない。
だが、一件だけ約束を取り付けてくれた会社があったのだ。鰻屋さんである。地球に帰ったら履歴書を書かなくてはならないだろう。
安定した生活、そして昼職。
それが、アユムが長いこと夢見る目標なのだ。
まったく、情けないことこの上ない。
それからかなりの量の質問をギャルバル星人たち受けた。
次回作は決まっているのか、ギャルバル星に来て面白かったものは何か、ギャルバル星で気に入った食べ物はあったか、などである。
質問コーナーが終わる頃には、アユムはすっかり疲弊していた。
グニャグニャである。
タコ型の異星人は未だ発見には至っていないが、今のアユムは彼らよりグニャグニャしている自信があった。
「アユムさん」
舞台から捌けるとひょっこりとマネージャーの春雄が現れた。
嫌な予感がした。
わざわざ彼がギャルバル星まで来ているということは、なにかトラブルがあったということだろう。
だが、春雄は満面の笑みである。何かおかしい。
「アユムさん、お疲れ様です」
「春雄さんもギャルバル星までわざわざありがとうね。なにか予定に変更でもあった?」
「それがですね、ギャルバル星の神との謁見が決まりました」
神とはカリスマだの有名人という意味ではなく、地球での意味と同じく神様である。ギャルバル星には星の運営を取り仕切る神がいるのである。
その神と謁見。とんでもない話だ。
「謁見……」
やりましたね、と春雄は飛び上がらんばかりに興奮している。
「ビッグニュースじゃないですか! 地球で社長は大喜びですよ! アユムさん、あなたは神と謁見する初めての地球人ですよ!」
喜びたいのは山々だが、アユムの頭には更なる嫌な予感が駆け巡ったのだ。
「……あの、それ、いつ?」
恐る恐る尋ねると、春雄はグイッと眼鏡を持ち上げてみせた。
「地球時間で三日後です!」
あ、まずい、とアユムは考えた。鰻屋さんの面接とゴリゴリに被っているではないか。
「それ、ズラせない……よね?」
「ズラせないですね。どうしました?」
神様との謁見である。ズラせるわけないが、やはりあっさりと「無理」を突きつけられてしまった。
「鰻屋さんの面接に行きたいんだよね。日程調整、無理そう?」
「……正気になってください、アユムさん」
駄目かあ、とアユムはため息をつき、鰻屋さんに面接へと向かえない連絡を入れなければならないと考えた。
早く安定した生活を手に入れなけばならないのにこのザマだ。
アユムはハア、とため息をつく。
そう、アユムはいつもこうなのだ。
まったく情けない。現状の変わらなさが本当につらい。
なんだってこれほどまでにアユムは要領が悪いのだろう。項垂れたところで状況は変わらないが、項垂れずにいられるわけがない。
まったく、まったく、本当に本当に。
アイドルなどなるものではない!
《おわり》




