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前半

 アイドルなんて、なるものじゃない。

 賞味期限は短いし、制限も多い。

 地下アイドルなんて特に最悪だ。

 実入りは少ない、オタクとの接触は多い……、のは構わないが時々ヤバいのに当たるのがつらい。

 それにお金。レッスン代が持ち出しなどということもあるのだ。

 アユムはもう、自分がどこで道を踏み外したかなど、考えたくもなかった。

 本当につらい。


「シュウトっていたじゃん、二年くらい前に辞めたやつ」


 レッスンの合間、メンバーのリンに言われて、アユムは一瞬「誰だっけ?」と首を傾げる。それから数秒の間をおいて「ああ、あいつか」と思い出すに至った。


 赤担当でチェキもグッズの売り上げもトップだった元メンバーである。

 とんでもない顔整いで、センターを務めていた男だ。

 その割にはあっさりと辞めて転生もせず……、という珍しいタイプ。


 二年。もうそんなに経つのか、と横にいるリンを見た。


 レッスン室ではダンスの下手な——、もとい、苦手なメンバー、ミサキが補習を受けている。彼はセンターなのに少々ダンスに難があった。マネージャーが撮った振付師の動画を見つつへっぴり腰で踊っている。


 彼の体幹の悪さを気にしつつ、アユムは「いたねえ」と返事した。


 ミサキはシュウトが辞めた後、なし崩し的にセンターに収まった感じがあった。最年長であることからお鉢が回ってきた、といった状態ある。


 いや、そんなことよりシュウトだ。


 「あいつがどうしたの」と尋ねれば、リンはアユムの耳元に唇を近づけ「あいつ、ヤバオタに飼われてるんだってさ」と学校の七不思議を語るかのような口調で話したのだ。


 実際、アイドル崩れの将来としては『順当』ではあるのだから恐ろしい。


「……怖い……」


「な? ヤバくない?」


「俺、怖い……」


「だ、大丈夫大丈夫、俺らまだ二十三だし? 大丈夫だって」


 リンはから笑いをした。アユムもそれに倣って笑うが、一寸先が闇なのはリンもアユムもそう変わらない。


 四組の地下アイドルグループ「these」は地下での立ち位置は「まあまあそこそこ」ではあるが、ただそれだけの存在だ。所詮は地下である。


 地下アイドルの賞味期限は精々が二十五歳程度だろう。

 それを過ぎたらよほどのスキルと人気がなければいつまでもしがみついていてみっともない、という感じが出てしまう。


 二十三歳はギリギリ。そろそろ後進に道を譲るべき年齢である。

 そう、お互い、他人の現状に恐怖にしていられる状況ではないのだ。


 アユムの持つスペックには、よりよい未来に繋がる要素はない。

 大学は一応出てはいるものの、「どこよそれ」と笑われるような三流大だし、できることと言えばカクテルを作ることくらい。


 自慢の顔だって程度が知れていて、歌舞伎町に行けばゴロゴロいるような顔。

 過大評価したとしても、それよりは「若干いい」という程度だろう。

 まあ、養殖ではなくて天然物で、化粧がかなり薄くても、そこそこ見られる顔だというのは自慢であるが、しかし顔が良ければ何とかなるというほど世の中は甘くない。


 端的に言えば詰んでいる。


 やり直すなら今だろうな——、と思うがどうにも踏ん切りがつかずにいた。


 実家は太くもなければ細くもない。埼玉で建設関係の家業を営む両親は、会うたびに次はどうするのだとせっつく。

 それも当たり前のことだろう。


 夢はトップアイドルではあったが、それはどうやら無理そうだ。


 活動が終了するという話でもちきりの、尊敬してやまない憧れのあのトップアイドルたち。アユムたちには彼らはあまりにも遠かった。

 立場も、技術も、覚悟もだ。


 どんなに必死にやっても、彼らにtheseが認知されることはまずないだろう。


(何やってんだろうね、俺は)


 高校生の頃、ちょっと顔が良くて調子に乗ったらこのザマである。

 本当に先々のことを考えなくてはいけない。


「アユム! 始めるよ!」


 呼ばれてタオルを放り出して鏡の前に集まる。


 最近加入した十八歳のカナトの若さが眩しかった。多少ダンスが下手でも愛嬌と年齢でカバーできる。

 若さは驚異であり、起爆剤だ。少なくともアイドルの世界においては、だ。

 アユムは不安を押し隠し、音楽に合わせて笑顔を作って踊ったのだった。


 ◇◇◇


 正月は憂鬱だ。


 電車で「イケメンすぎる」だとか「カッコよくない?」だとか囁かれ、そちらに視線を向けると女の子たちが一斉に視線を逸らした。


 ふわふわもこもこの衣類を纏った彼女たちは、まるでそういう生き物のようである。可愛いなあ、とは思う。微笑んでやるとキャア、と小さな声が聞こえた。


 そう、アユムが何者であるかを知らない女の子たちが、歓声を上げる程度の顔はしているのだ。

 だがアイドルとしては超三流。


 顔が良かったら何だというのだ。顔がいいだけでは飯は食えない。


 配信では時々数百万稼ぐけど、それとて羽振りのいいオタクが飽きずにいてくれるからなんとかなっているだけのこと。

 飽きられたら、または新しい推しができたら終わりである。一生分稼げるわけでもない。

 短い期間にドカンと稼げるから勘違いするやつもいるが、配信なんぞそう長持ちするコンテンツではない。


 そろそろ実家の駅が近い。


 ——ああ憂鬱だ。憂鬱すぎて電車の振動が気持ち悪い。


 駅からバスを使って帰宅を急ぐ。バス停からは徒歩五分。見慣れた日本家屋の門をくぐると、お手伝いさんに出迎えられた。


「坊っちゃま、お帰りなさい」


「ただいま、墨田さん。これ、みんなで食べて」


 荷物を渡し、土産のケーキも一緒に渡すと大層喜ばれる。


 お手伝いさんがいるなんてスゴイ! と褒められるけれど、そんなの比較的古い家じゃそう珍しくもないだろう。


その証拠に父のお友達のおじさんの家などに行くと、大抵お手伝いさんがアユムを出迎えてくれるのだ。


「お帰りなさい、源二」


 言われてげんなりとしながら「ただいま、おふくろ」と言う。


 佐藤源二。佐藤源一の息子だから源二。安直なネーミングである。アイドルの名前に源二はよろしくないらしい。いかつ過ぎると言われた記憶がある。


 それで、何が好きかと問われてイルカと答えたら「同じ魚の鮎からとって、お前は今日からアユムだ」とよくわからない命名をされた。イルカを魚だと言い張る運営の知能指数もなかなかヤバい。


 なお姉は二葉である。母は葉子だ。佐藤家のネーミングセンスもヤバい。


「源二、あなたにお見合いのお話があるのよ」


 まだ靴も脱ぐ前にそんなことを言われる。そう珍しくもない話なので「ふうん」と聞き流す。


 誰がチャラついた地下アイドルに嫁いで来たいというのだろう。

 お相手はアユムが真面目にコツコツと佐藤建設で働いていると勘違いしているに違いない。


 ちょっとした詐欺ではないか、と両親の良識を疑った。


 そのまま上り框から大広間に行くと、既にテーブルが広げられており、たくさんの料理が並んでいる。正月仕様である。


「田中建設のお嬢さんよ」


 アユムを後ろから追う母は、なおも続ける。


「おう、源二くん。お帰り」


 父はひょいと手をあげて言った。

 家業の割に「男たるものこうあるべき」などと言い出さない父には感謝しているが、まあ、なんというか、鬱陶しいことを言わない代わりにこの父は実に妙だった。

 別の鬱陶しさがあるのだ。


「……ただいま」


「ママから話は聞いただろ? それで、するよな、結婚。お相手は優香ちゃんだ」 


 どうやら父の中では、この「いいお話し」は結婚前提のものらしい。


 それにしても田中優香。田中建設のお嬢さん。頭の中のオタクの顔と名前を並べた名簿を押し除けて、ワードを組み合わせ記憶の発掘作業をする。

 しばらくのローディングナウを経て、アユムはその女性のデータを引っ張り出すことに成功した。


 田中優香。知っている女の子だ。最後に会ったのは高校の時だっただろうか。

 確か埼玉の財界人が集まる新年会だ。


 オタクたちとは種類の違う、どちらかというと清楚なナリをしたお嬢さんだった。

 お顔立ちは愛嬌があるという言葉がぴったりの、可愛い女の子。県知事を務めたとかいう曾祖父さんがとても可愛がっているという話の、田中建設唯一の女の子だ。


「……親父、俺、」


「パパって呼びなさい」


 ほらきた、とアユムは項垂れながらパパ、と言い直す。


「パパ、俺……、」


 アイドルなんだけど。そう言いかけて、アユムは口を閉ざす。

 ——まだアイドルを続けたい? 本当に?

 自問自答を重ね、そして気づいてしまう。

 このまま家に戻って優香と家庭を築くのがいい選択に思える自分がそこにいたのである。


 十九歳のアユムなら絶対に拒絶したであろう「いいお話し」。

 それに少しばかり気持ちが傾いている自分が情けなかった。


 ようは、アイドルとして生きていく覚悟とやらが消え掛かっているのだ。アユムの覚悟なんぞ所詮こんなものだった、ということであろう。


 とはいえよそのお嬢さんに不良物件を押し付けるのもどうかと思う程度の良識はアユムにもある。

 この両親は何を考えているのだろうか。


 アユムの肩書きは一応のところはアイドル。

 しかし決して売れてはおらず、堂々とアイドルです、と名乗るのは些か厳しいものがある。

 それなりの生活を送ってきたよそ様のお嬢さんを、苦労させることが目に見えているアユムなんぞが嫁迎えていいわけがない。


 優香だって嫌に決まっている。


 そこまで一気に思考して、アユムはその違和感に首を傾げた。


 なぜ優香がこの最悪の「いいお話し」に了承しなくてはいけないのだろう、ということだ。


 佐藤建設は川越市内一の大手であるが、田中建設はどちらかというとその佐藤建設よりは規模が二回りばかり大きな会社だ。確か、さいたま市最大規模。


「優香ちゃん、この話に乗り気でな」


 なんて? 

 アユムは首を横に振った。


「いやいやいや。パパ、いくらなんでもそんな気遣いは要らないよ。俺、ちゃんと判ってる。俺は売れないアイド、」


「源二くんは売れてないわけじゃない! まだブレイクしていないだけだ!」


「パパ、落ち着いて。それを売れていないって言うんだよ」


「源二くんはお歌も上手いし踊りだって最高だ! 顔だってママに似て可愛い! 源二くんが売れないのはなにかの間違いだ! 世間が間違っている!」


「……パパ」


 親父が壊れた——、普通のご家庭ならばそう判断されるだろうが、残念なことに父の源一はこれが通常営業なのである。


 昔から親父ではなくてパパと呼ばせたがる変な癖があるとは思っていたが、酒が入ると特にひどくてこの有様だ。


 息子LOVE。

 目に入れても痛くないと言って憚らない。


 だがアユムはもう二十三歳だ。可愛い可愛いと叫ぶのが許されるのはオタクだけで、両親が取るべき姿勢ではない。

 まるでホラーだ。

 そのうちペンラを振り回し出しそうで怖い。とてもではないがよそ様にお見せできるような光景ではなかった。


「あらあら。源二、お茶でいいわよね。墨田さん、お茶お願いできるかしら。さあ、お食事にしましょう。お腹空いたでしょ?」


 親父、もといパパが酒をぐいっとあおり、それから「うちの源二くんは世界で一番可愛いんだ!」と大絶叫している。


 オタクかな?


「おふくろ……」


「源二、よく聞きなさい。パパに何を言っても無駄よ。それであなた、次はどうするの? 東京ドームとかそろそろ行けるの?」


 東京ドームなんて夢のまた夢である。

 つまりそう、実家に戻るのが憂鬱な理由の半分以上は、この両親、主に父にあったのである。

 

◇◇◇


 泊まっていけと言って譲らない父をなんとか押しのけ、アユムは早々に退散することにした。

 明日は昼から新曲の打ち合わせがあるのだ。夕方からは新年ライブ。割と忙しいスケジュールだ。


「とにかく田中建設のお嬢さんとのお見合いは受けてもらうわよ」


「……それね。優香ちゃんが嫌がると思うよ」


「パパも言っていたけど優香さんは乗り気なのよ」


「そんなはずないでしょ。俺と結婚することで優香ちゃんに何のメリットがあるっての」


 田中建設と佐藤建設の規模が逆ならば理解ができるが、実際はそうではない。佐藤建設の方が下の立場である。

 田中家にしてみても、チャラついたアユムとの婚姻など冗談ではない、といったところであろう。


「おふくろもさ、冗談は休み休み言ってよ」


「顔よ」


 うん? とブーツを履きながらアユムは顔を持ち上げた。母の両手にはたくさん紙袋が握られている。お土産だ。


「優香さん、あなたのお顔をいたく気に入っているの」


「……お顔……」


「首から上があなたのお顔なら、多少馬……、多少学力に難があってもいいそうよ」


「今馬鹿って言おうとした? ていうか馬鹿って言ってるよね?」


「大丈夫、あなた程度の馬鹿なら掃いて捨てるほどいるわ。安心しなさい」


 何の慰めにもなっていない。


「とにかく、今月の半ばにはお見合いだから、帰ってらっしゃいな」


「今月!?」


 話が急すぎる。


「優香さんは『最悪の場合、うちの広報に捩じ込みます』って仰ってくれているの。こんなにいいお話ないでしょ?」


「おふくろ、俺一応アイドル、」


「だまらっしゃい! パパはああ言っているけれど、あなた程度じゃコンサートに呼べるのは五万人が精々よ!」


「それは超一流のアイドルの動員数だっての!」


「あらそうなの? じゃあ四万人程度ね」


 大して減っていないではないか。身内の欲目が凄すぎる。

 それにしても五万人。

 アユムはおかしくなって笑ってしまった。


 このまま続けても、五万人など動員する未来は起こり得ないだろう。一万人だって怪しいところである。


 せめてちゃんとした大手芸能事務所に入っていれば違うのだろうが、地下のままでは未来は暗い。

 それに——、困ったことではあるが、アユムはあの小ぢんまりとした事務所にそれなりの愛着があるのだ。

 売れるならあの事務所から売れたかった。


 結婚かぁ、と考える。

 事務所は好きだが、未来はあまり明るくはない。今のうちにアイドルから足を洗うべきだ。


 しかしだからと言って何ができると言うのだろう。


 昔バイトをしていたし、バーテンになるか? と考えるが自分の店がない以上夜職は避けるべきだ。

 配信で稼げてもそれはいっときのこと。いつまでも画面の前でウェーイウェイウェイなどとやっているわけにもいかない。


 バイトでもしてみるかとも考えたがしかし金が欲しいわけではないし、目指すなら正社員。


 だがスキルも資格も学歴もないアイドル崩れを誰が雇うと言うのか。

 テレビに出れば視聴率を稼げるアイドルたちとアユムでは格が違う。


「……詰んでるわー……」


「つ? なに? 何か言った?」


「ううん。なんでもない。帰るわ」


「気をつけるのよ。お見合い、覚えておいてね」


「……うん」


 そうだ。潮時なのだ。


 アイドルなんてキッパリやめて、どこかの会社に正社員で潜り込もう、とアユムは考えた。


 お見合い。それもいいかもしれない。


 それにはまず体裁を整えねばなるまい。親の会社に突然入ったアイドルなんて、流石にカッコ悪いだろう。一先ずは一般企業でサラリーマンになってみるべきだ。


◇◇◇


 どうやらシュウトはヤバオタと結婚したわけではなくて、パパ系料理研究家として身を立てているようだった。


 正直なところ、彼に危険が迫ったりはしていない事実にはとても安心した。


 よかった、それにとてもめでたい。


 めでたい——、確かにめでたいが、アユムは自身との落差に気分が沈んでしまった。


 SNSに並ぶシュウトの写真はどれも幸せそうだ。赤ちゃんを抱っこしてテーマパークに行く姿、家を買っただとか、普段は一般企業でしっかり働いているだとか——、そう言った近況報告がいくつも並んでいたのである。

 そのどこまでも安定した生活は、アユムにはないものだった。


 それで、なんだっけ、と社長を見た。


「聞いてるか、アユム」


「……ごめんなさい、聞いてなかったです」


「そりゃあびっくりするよな、いいか、よく聞けよ……、CMの話が来ているんだよ」


「……はい?」


 社長が放った一言に事態を飲み込めず、アユムは間抜けな返事をした。


「CM……とは?」


 呼び出されたついでである。アイドルを辞めることを考えているその旨を伝えに来たわけだが、なにやらおかしな、分不相応な話が転がりこんできているようだった。


「コマーシャルだよ、コマーシャル」


「それは判ります」


 一応は、と「テレビのCMですか?」と尋ねると、社長は満面の笑みで頷いた。


「埼玉テレビジョンで流れるんだとさ。田中建設。お前実家が埼玉だし知ってるだろ? 『ビルもお家もなんでも建てる〜タナカ・タナカ・田中建設〜! 田中建設にお任せください!』の田中建設だよ」


 いやぁ懐かしいなあ、俺も埼玉なんだよ、などと社長が言う。どうでもいい話だ。


 田中建設。


 ああ、優香ちゃんちかぁ、と思いながら、なぜ田中建設のCMがアユムに回ってくるのだろうと考え、それからつまり、優香か優香のパパが何かしらの手を回したのだろうと判断する。


 まったくの偶然などと思うほどアユムのオツムはおめでたくできてはいなかった。


「俺の見合い相手です」


「は?」


「俺、田中建設の優香ちゃん……、ええと、お嬢さんと、お見合いすることになっています」


「見合い」


 社長があんぐりと口を開けている。


 この勢いでアイドルを辞める旨を伝えてしまおう。

 アユムの中で、アイドルを辞めることは決定事項となっていた。

 新卒カードを捨ててしまったアユムが今から就活するのは茨の道であろうが仕方がない。


 力量も計れずアイドルとして走り続ける、などと考えてしまった自分が悪い。

 そういった展望を抱いていいのは既に売れているアイドルだけだ。


 そういえば、児童劇団に入っていた時も絶対に主役を射止めると両親に宣言したはいいもの、結局貰えた役はカッパであった。準主役ではあるがカッパである。アユムの決め台詞は「俺は河に帰るよ、さよなら」だった。


 アユムはいつもこうなのだ。一番になれるだけの力がないのに一番を夢見てしまう。


「それで社長、俺、」


「でかしたアユム!」


「えっ」


「すごいよお前! はぁ、だからお前をセンターにしたCMにしたいなんて言ってきたのか、あちらさん」


「あの、俺、」


「うんうんうんお見合いでもなんでもしてあちらさんに気に入られるように頑張れ!」


「あの、俺アイドル、」


「そうだよ、お前がアイドルとして飛躍するチャンスだよ! 頑張ってくれ!」


 社長は上機嫌で部屋を出て行く。

 残されたアユムは一人「アイドル辞めたいんですけど」と呟くが、伝えるべき相手は既に部屋の外。扉からはるか遠く、おそらくレッスン室から歓声が聞こえることから、社長がCMのオファーがあった旨をメンバーに伝えたのだろうと推測された。


 ムシのいい話であるが、正社員になれるまでは、アイドルでいさせてもらえないだろうか——、そう伝えに来たのに、どうにもおかしな方向に話が転がっている。


 優香にはまだ会っていない。


 だが、彼女か彼女の父が何かしらの手を回したことは確実だ。

 だがなんのために?


「あ、そっか」


 アユムはつまりそういうことか、と答えらしい答えに辿り着く。


 つまり「いくら結婚するとはいえ、アイドルとしてのきちんとした履歴がないとちょっと格好悪い」ということだろう。

 CMの仕事を最後に華々しく引退しろ——、なるほど、そういうことかと合点がいく。


 ならばやってやろうじゃないか。

 そうと決まれば、とにかく就活と並行してアイドル活動を続けるだけだ。

 頑張ろう。

 アユムはグッと拳を握りしめて決意する。

 そうだ、アイドルとしての活動をやり切るべきだ。

 アイドルとして活動できる時間は短いのだから、精一杯頑張ろうとアユムは頷いた。

 

◇◇◇


 なんか人数多くない?


 まず初めに感じた違和感はそれだった。

 週末のライブではあるものの、オタクが妙に多いなと思ったのだ。


 いざステージに立つと知らない顔が多い。

 初めましてのお客さまがかなり混じっているような、という感覚だった。

 キャパ千人のハコがきっちり埋まってる。

 チェキもいつもより随分時間が掛かった。

 そしてみんな口々に言うのだ。


「CM見た! すごいよかったよ! ヘルメット姿も結構可愛かった!」


「ありがと? あ、ポーズどうする?」


「えっとねぇ……」


 ヘルメット姿を褒められるとは何事か。アイドルにあるまじき誉め言葉。


 まあそれはいい。褒めてくれてありがとう。いつもに増して流れ作業で申し訳ないなぁなどと思いながら次のお客さまはどうやら初めまして……、の、着物女子。


 おかっぱ頭で現代的な日本人形を髣髴とさせる……おや、なんだか見覚えがあるような、とアユムは首を傾げた。


「こんばんは、源二さん」


 口角を持ち上げ優雅に微笑むお嬢さん。歳の頃はアユムと同じくらい。


「ん、あ、あ、もしかして優香ちゃん!?」


 思い当たる名を呼ぶと麗しの日本人形は満足気に笑んでみせたのだ。


 アユムはサァッと血の気が引くような感覚があった。

 拙い。非常に拙い。


「お久しぶりです」


 所作がいちいち美しい。いや、そんなことを考えている場合ではない。


 ここはアユムのファンが集う場所。アイドルのお見合い相手がいていい場所ではないのである。

 こっそり付き合っている彼女がなに食わぬ顔でライブに来た、という状況とそう変わらない。


 アイドルとしてはあまりにもマナー違反が過ぎる。いやこの場合のマナー違反は優香だろうか。


「ゆうかちゃん、ちょっとマズいかなあ、えと、」


「一緒に撮ってもらっていいですか?」


「あ、ハイ」


「ピース! いえーい」


「いえーい?」


「ありがとうございました」


「あ、もういいの?」


「はい。また伺います」


 優香はお上品に手を振りながら去っていく。


 何が起きたかはよく判らなかったが「わたくし、あなたのお見合い相手ですのよ」などと言い出すタイプではなかったようである。

 そこはまず一安心ではあるが、アユムはただ茫然と彼女を見送った。

 何をしにきたのだろう、とは思うが次のお客さまが待っている。頭を切り替えなければならないだろう。


「アッくん久しぶり〜」


「あ、マリカちゃん、久しぶりじゃん。元気してた?」


「してたしてた! アッくん相変わらずイケメン!」


「ありがと〜、マリカちゃんも元気そうでよかった。お顔見せてくれてありがとね」


「theseをCMで見てさ、そんで久しぶりにアッくんの顔を見たくなっちゃったの。鬼バズおめでとう〜」


 鬼バズ? そうなの? と首を傾げるとマリカちゃんはキャハハと可愛く笑う。


「アッくん、フォロワー三〇万に増えてんじゃん。theseは四〇万。これ、武道館行けんじゃね?」


「葡萄感? あ、武道館?」


 武道館がtheseとアユムになんの関係があると言うのだろう。


「あ、武道館? って流石アタシたちのアッくん。余裕じゃ〜ん。頑張ってね! またね!」


 嵐のように去っていくマリカを見送り次のお客さまだ。


「CMみたよー」


 ありがとうありがとう、本当にありがとう。

 みんながみんなCMを見たと言ってくれる。

 なにやらアユムのアカウントも、グループのアカウントもとてもバズっているようである。


 これで華々しく引退できそうだ。


 チェキを撮りながらそういえば明日は運送会社の面接だ、などと思いながらアユムはポーズを取り続けた。


 面接が上手くいくといいのだが……、と考えるアユムを残してオタクたちは次々とやってきては去っていく。


 みんな、流れ作業でごめん。

 引退する俺なんかを褒めてくれてありがとう。

 そんなことを考えながらアユムは「いえーい」と言いつつ最高に盛れるポーズを取ったのだ。

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