2-3. 牧師再び(前)
有言実行とはこのことか。ティムは仕事帰りや空いた時間に御用聞きのように周辺を聞いて回り、雑多な仕事とも言えない仕事を見つけてくる。たまに賢石を動力源にしている機械類が動かなくなったというような話もあるが、ほとんどが除染だ。燃焼石の滓は何もなくともそれだけで肺に悪いというほどに至る所に舞い散っている。運河ではヘドロとして溜まり、時折ドブさらいで取り除かれるものの、またすぐに溜まっていく。滓によって引き起こされる偶発事象も、人魂のような燐光や異音程度なら大したことはないが、高熱を伴うものはあばら屋が無秩序に並ぶ貧民街とは相性が悪く、適切な対処が求められる。
大抵は溜まった滓を物理的に取り除く指導で終わるが、三回に一回はその滓そのものが溜まらないような処理をしていく。空気の循環を促すときもあれば、わざと低温で発熱させて滓を燃え散らかせるときもある。
依頼料はいつもごく些少で、駄賃として全てティムにくれてやっていた。性格上、良しとできないのか、ティムはうち6割を事務所に置いた貯金箱に入れ続けている。まだ未熟で貧してはいても、王都の男子としての誇りは毅然として持つ、といったところか。
——自らに自由を。目覚めよ、王都を出よ
ひと仕事を終えた日曜の夕方、耳慣れぬシュプレヒコールが通りに響く。
最近はデモに遭遇することが多い。待遇改善を要求する労働者や、選挙権を求める男たちが思い思いに団体を作り、活動している。昔ながらの土地を媒介とした封建制維持を目的とした主従法に基づき、労働者が雇用主に逆らうことは罪になるが、産業の発展に伴う社会の変化によって、今では数の力で要求を通すことは珍しくなくなっている。
季節は移って春。気温以外では芽吹いて緑に色づきはじめた街路樹が新たな季節の到来を告げていた。
「ああ、ときどきこの辺りをねり歩いてるよ。暖かくなったのはいいんだけど、頭のおかしいのも沸いてくるね」
10人ほどの労働者階級の男たちとそちらに視線を向けているこちらを見遣り、ティムが辛辣に言う。若いのから年寄りまで歳はまちまちで、格好も様々だ。彼らに限らず王都には変化の機運が満ちているが、それらの根底には搾取される側の恨みと怒りが燃焼石の滓でできたヘドロのように渦巻いており、筋の通った理屈や華々しい希望の光とはほど遠く荒々しい姿で現れる。
ティムが路傍の飴売りに声を掛け、飴を買う。包み紙のまま懐にいれたところをみると、家族——妹へのお土産なのだろう。週末の活動はまだささやかな副業に留まるが、多少なりとも足しになっているようだ。
「家族は元気か」
「んー、まあ元気。母さんはちかごろ目が悪くなってきたらしくて、裁縫仕事に難渋してたけど、ミアが針通しを手伝ってる。ミアはミアで走り回ってよく転んで怪我してくるけど、擦り傷くらい。ただ、隣のボブおじさんとこの赤ん坊が先週……」
ちらっとティムが薬屋の看板に目をやる。
「元気がなくなったあと、薬は飲ませたらしいんだけどね、小さいと弱いね」
残念そうではあるが、悲壮感はなく、淡々とした口調だ。殺人となれば世間も大騒ぎするが、貧しさの中で倒れてあの世に旅立つ人間はありふれており、当事者以外はいちいち反応してはいられない。特に、乳幼児はそうだ。病気になっても医者を呼ぶことなどできはしない。薬屋で強壮剤を買って口に含ませるのがせいぜいだが、その薬の成分は信じられているところとは違い、往々にして有害だ。
「おっといけない、湿っぽくなっちまった。今はまだしょぼい稼ぎだけど、手金ができたら脱水機を買いたいね。それがあれば母さんの洗濯婦の仕事がぐっと楽になる」
意気揚々とティムが口にする。
洗濯は重労働で、少し余裕がある家庭は洗濯婦に任せることも珍しくない。洗濯の工程はどれもきついが、手回しハンドルで二本のローラーを回し、洗濯物を挟んで脱水できる脱水機を使えるだけでも大分楽になり、請け負える仕事の量も大きく増やせる。将来への希望は、人生において重要な生きる糧だ。
散歩がてら遠回りして帰宅することにし、ティムとは別れそぞろ歩く。
「ウィリアム」
と、声をかけられ、足をとめる。目を向けると、黒い服を着た牧師。たった一度会ったきりだが、妙に記憶に残っている。確か名前は——。
「チャールズだ。冬の盛りの散策の折に、知遇を得たと覚えているよ。ご機嫌いかがかな?」
「ああ、ええ——特に変わりなく。牧師さ、チャールズはどうで?」
過去にした話はうろ覚えであるが、敬語は不要と言われたのは脳裏に残っていた。ぎこちなく挨拶を返す。
「上々だ。冷え込む朝を除いて暖を入れなくてよくなったのが、喜ばしい。昨今は燃焼石の値上がりが続く。教区の予算もカツカツでね」
このところ燃焼石に限らず物価が上がっていた。流入する人口に対応し、新しい技術を活用して発展すべく、王都内でも公共事業や私的な開発投資が盛んに行われている。関連する業界には金が回り、景気は悪くない。ただ、景気とともに物価も上がるので、開発の恩恵に与れない人間たちにとってはなかなかに苦しい状況が続いている。
「何百万と住む王都で再び出会えるとは、全くもって稀な出来事だね。もっとも、君は遠くからでも目立つ」




