2-1. 押しかけ徒弟(前)
「ウィリアムさん、ウィリアムさん、起きとくれ!客だよ!」
どんどんとドアを打ち鳴らす音に、微睡みを破られて嘆息する。
「今行くよ!」
底冷えのする寝室でいそいそと寝間着から普段着に着替え、寝癖もそのままに玄関の鍵を開ける。
「あんたもいい加減早起きを覚えたらどうだい?教会に行けとはいわないけどさ」
ドアを開け、大家がいつものごとく余計な一言を投げてくる。その言葉で、ああ今日は日曜か、と思い至る。
「こんなしょぼくれに何の用かわからないけれど、あんたが訪ねてきたのはこの男で間違いないかい?」
いく分視線を下げ、大家が柔らかな口調で言う。大家の横に広い体が邪魔で気づくのが遅れたが、そこにはグレーの上下を着た少年が立っていた。
「ん?お前なんでここに?」
変化の少ない日々のこと、10日ほど前に駄賃をやった少年のことは無論覚えていた。そういえば、こういう顔をしていた。
「ったく。自分の客に部屋番号くらい伝えとかないもんかね。それじゃあね、変なことするんじゃないよ」
ブツブツ言いながらどすどすと大家が階下へ降りていった。
と、少年——確か、ティムと言った——はすたすたと無遠慮に部屋に入り、小生意気な表情で観察するようにぐるりと周囲を見回す。
「お前、何勝手に入ってるんだ。いや、そもそも何で俺の家を知ってる?」
寝起きで働かない頭で、困惑の声を上げる。
「んなもん、前に家の前まで着いて来たからに決まってんだろ。おっさん、噂通り一人暮らしか。見たまんまだな。遠慮がなくていいや」
「うるさい。一体何の用だ?こっちは忙しいんだ。とっとと帰れ」
説得力のない言葉を吐きつつ、ドアを左手で押さえたまま、掃き出すように右手を動かす。
「働かせてくれ」
「何だって?」
急に神妙な顔をして言うティムに虚を突かれた。
「あんたのあの技術を教えて欲しい。このままじゃ先がない。親父と一緒でアル中でくたばって終わっちまう」
「……何を勘違いしているのかしらんが、ここは工房でも工場でも学校でもない。帰れ」
苦虫を噛みつぶしたような顔でティムを指さしてから、ドアの向こうを指し示す。
ティムは指には反応せず、無言でこちらを見つめてくる。
「駄々をこねても変わらん。そもそも仕事なんか本当にないし、教えることもない。紋章工学をやりたいなら、夜間学校にでもいけ。技術が欲しいなら、刻印工場で働いて出世しろ」
「調べたんだ」
「何を?」
うるさいよ!と階下から大家の声が届き、舌打ちしてドアを閉める。
「あんたを。でっかい商会の研究所にいたって聞いた。研究所の錬金技師はその辺の技師とは違う、腕一本で稼げる仕事だっていうのも」
再び舌打ちをして盛大な寝癖のついた頭を掻きながら、ティムの横を通り、窓を背にしたデスクにどかっと腰掛ける。
誰が広めたかは知らないが、人の口に戸は立てられない。付近の住人にでも聞けば、それくらいのことはすぐわかるだろう。
「あのな、坊主。誰が言ったか知らんが、忘れちまえ。俺はもう退職してる。組織を離れた錬金技師になんざ、仕事は来ない。この間のは、たまたまだ。
第一、技術屋が教えられることなんざ何もない。本気でやりたいなら、真面目に夜間学校に通って、勉強しろ」
酷なことではある。無料の日曜学校には通えても、稼ぎ手の父親がいなければ夜間学校の学費を賄うのは難しい。母親や兄弟がどうかはわからないが、覚悟を決めたような目をみるに、誰かに頼れるような状況でもないだろう——他の大勢の子供と同じで。
「母さんを楽させてやりたい。妹にも、縫製工場以外の将来を作ってやりたい。おいらだと体が小さくて、儲かる港湾の仕事はできない。二人を放って危険な鉱山に働きにはいけない」
「今は靴墨工場で働いてるけど、機械はどんどんよくなって、どんどんおいらたちの賃金は下がる。そのうち仕事なんかなくなる。そのときに、ちゃんと次にいけるようにしたい」
「職人も、これからは難しい。手仕事がもてはやされるのは中流階級以上向けの高級品で、貧乏な庶民向けは機械が作るようになる。一流の職人とそれ以外で生活は全然違うようになる。そもそも、おいらみたいな後ろ盾のない貧民は見習いにもなれやしない」
「勉強はすきだ。読み書きもいちおうはできるし、算数もやってる。でも、上の学校にいくような金も暇もない。他のやつと同じことしても、結局負けちまう」
じっとこちらの目を見て、怖じ気づく自分を鼓舞するかのように、腹の底からゆっくり声をだしてうったえてくる。
「錬金技師も、きっとそのうちしっかりと学校を出たやつしかできなくなる。いまは、鉱山で働くのと一緒で、しんどくて危ない職場に大勢を働かせて、うまく残ったやつに仕事を任せてる。でも、きっと必要な技術はもっと難しくなる。職人の勘と技術じゃなくて、計算でやらないといけないことが、身近になる。そうすると、ずっと安全な仕事になって、もっと儲かるようになる」
「でも、まだ今は違う。いまなら、あんたみたいな技術を身につければいい仕事に食いこめる。おいらがいける学校で習うような、そういうんじゃなくて、ちゃんとした技術がほしい」
切々と、ティムは言いつのる。実に利己的な理由だが、それは本人が百も承知だろう。
黙れ、と一喝するのが世間の厳しさを教える大人の務めなのだろうが、成り上がりたいという必死の覚悟に、過去からの亡霊に触れたかのような心持ちになり、内心ひるみを覚える。
「……知ったことじゃ——」
「仕事はおいらが探してくる。迷惑はかける。でも、損はさせない。週末だけでいい。働かせてくれ」
こちらの言葉を無視し、ティムが言い切る。
昔も今も、階層の移動は極めて困難だ。小作農の子は小作農で、漁師の子は漁師、あぶれた田舎者が行き着く都会の日雇い労働者の子は、また日雇いなのだ。であればこそ、命をかけて遠く海の向こうの植民地に渡る者もいれば、そこで戦争に身を投じる者もいる。必要なのは、運の良さ。そして運が良くなるまで挑み続ける、気概と覚悟と面の皮の厚さなのだ。
「俺はもう引退していて、この仕事を続ける気はねぇんだよ」
疲れちまったんでな、と声にならない言葉をため息と一緒に吐き出す。
「引退はすればいい。教えてくれればおいらがやる。働かせてくれるまで、何度でも来る」
藁をも掴むようなむき出しの向上心をぶつけられ、「朝起こされるのはごめんだな」とそらせた視線を天井に向ける。
「まず、何をやればいい?何を覚えればいい?」
勝利を確信したのか、ティムが一歩前に踏み出す。
「言葉遣いだ」
投げやりな気持ちで、天井に向けて言い放った。




