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壊れ回路の錬金技師  作者: 相沢 静


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1−3. 変わり者の牧師(前) 

 その男に気づいたのは、たまたまだった。転居してきて一ヶ月と少し、疲れないと寝られない(たち)で、夕方から夜にかけては近所をぐるぐると歩いて回る。そのお陰で付近の地理には詳しくなり、なんとなく周囲でどういう人間が住んでいるのかもわかってきていた。それは周りも同様で、比較的健康そうな働き盛りの男が所在なげにうろつくさまに当初こそ眉をひそめられていたが、変わり者も多い都会のこと、いつの間にか自身も灰色にくすんだ石畳の一風景になったのを感じていた。

 いつもと同様に通りをそぞろ歩く。少し考え事をして歩いていたため、通行人とぶつかりそうになり、失敬、と慌ててよける。通りの向こう側、流れた視線の先に男はいた。白い(えり)のシャツの上に丈の長い黒い外套——牧師だろう。周りより頭一つ高く、薄い金色の髪の彼は、視線を下に向けて老婆と何やら話している。肉付きの薄い頬と顎が老成した雰囲気を醸し出しているが、年齢は自分とさほど変わらなさそうだ。

 知らず品定めをしている自分に気づき、苦笑して頭を振った。相手の人となりを()(はか)り、どういった落とし所があるのかを探るのは過去の自分にとっては大事で、若い自分には反発を覚えたものの、歳を重ねるにつれていつの間にか習い性となってしまっていた。

 人は視線に敏感だ。向こうもこちらに気づいたようで、老婆になにがしかを語りかけて手提げから包み紙を出して手渡し、人混みを()って通りをこちらに渡ってくる。

「良い夕暮れ時だ、ご機嫌はいかがかな?」

 目礼のあと、男は柔和(にゅうわ)な笑みを浮かべながら声をかけてくる。職に就くには大学教育が必要な牧師であることと、アクセントから察するに、代々の生活基盤がしっかりした中流階級の出だろう。高い身長は幼少期の栄養状態のよさゆえか。もっとも、いまは飽食とはほど遠い様子ではある。

「上々ですよ、牧師様」

 低くなった斜陽とぼんやりとしたエーテル灯に照らされる街角は、上空に漂う燃焼石(ねんしょうせき)(かす)のせいで橙色(だいだいいろ)というより灰色に染められている。運河から流れてくる嫌な臭いと相まって不吉な日没時を呈していた。

「私はチャールズ・ロングリー。少し離れた教区を受け持っている。何か悩みがおありかな?」

 とても信者の悩みを引き出せそうにはない上からの物言いだが、緑の瞳からは暖かい慈愛を感じられた。

「ウィリアム・カーターです。この近くで……錬金技師としてやっています。悩みは、特にないですね」

 自分は何者か、に一瞬考えを巡らせたが、無難に特技を告げる。不躾な視線をわびる言葉も付け加えたが、チャールズは気にした風もなく「ほう」と声を出す。

「見るに刻印工場で働いている、という訳ではなさそうだ」

 錬金技師と一口に言っても、専門性や立ち位置は様々だ。最も多いのが石に刻む回路——触媒紋章の刻印工場で働く技師で、仕事のほとんどは賢石(リッチ・ストーン)の検品と機械の調整だ。煮炊きに使う燃焼に特化した燃焼石は、賢石(リッチ・ストーン)をブロック状にカットして四方に紋章を彫り込むことで作られる。紋章はごくごく簡単なもので、使用時にはナイフで一本線を刻むことで回路が完成し、大気中のエーテルから熱を取り出せる。賢石(リッチ・ストーン)は熱に弱いため、使った後は崩れて灰になる。専門知識はほぼ不要で、他の工場労働者とさほど変わらない。

「ボイラーの維持管理に従事しているわけでもなさそうだね」

 産業を支える蒸気機関にも、錬金技師は関わる。高出力の熱を労せずエーテルから取り出すことのできる純度の高い燃焼石(ねんしょうせき)を選別し、総合的な火力が許容誤差に収まるように炉に石をくべる。専門知識というより、現場の勘がものを言う。最近では賢石(リッチ・ストーン)の段階で純度を定量的に測る手法が広がり、燃焼石(ねんしょうせき)の等級は出荷時点でわかるようになった。選別と使用の分業が進んで生産性が上がったお陰で、蒸気機関の活用の幅はより広がっている。

「もっと高度な専門職かな。この近辺では珍しい職業だ。こうして出会えたのも神の深い配慮に違いない。少し、散策でもしよう」

 こちらに特にやることもないことを見透(みす)かしたように、面白げな表情でチャールズは宣言すると、すっと横並びになって歩き出す。つられるように、こちらも足を進める。

「牧師様はお暇なので?」

 少しの皮肉くらい許されるだろう。

「チャールズで結構——この時間となれば。幸いにして勤勉な信徒が教区の俗務を引き受けてくれていてね。こうして足の赴くまま遠出して市井(しせい)の悩みと苦しみを直に感じることもできる。教会に来る信徒もみな安寧を求めているが、救いをもとめることすら思いつかず、(まま)ならない人々も、また多くいる」

「信仰では腹は膨らまないので」

 街をうろつく余裕があるのなら、救貧活動のための寄付でも募ればよいのでは、という気持ちが思わず口をつく。もはや遠い過去の話ではあるが、飢えの記憶は脳裏に刻まれている。教会が炊き出しで配るスープはほぼ味のしない湯のようなものだった。せめてジャガイモのかけらでも入れられるようにすればいい。

「その通り。私では人々の望みをかなえることは難しい。王都は再現なく広がり、農村からの住人の流入は増え続けている。仕事はあれど、工場や港湾での労働は劣悪で、男も女もみな怪我や病に苦しむ。苦労して稼いだ賃金も上がり続ける食品の価格からすると全く足りない。潤うのは資本家ばかりだ」

 嘆かわしい、といった表情でチャールズは嘆息する。

「希望として、技術革新で末端まで行き届くほど豊かになる未来があろうかと思うが、ウィリアム君は新しい産業の担い手として、この点についてどう思うかね?」

 牧師としては進歩的な考え方を示してチャールズが問いかけてくる。善意の寄付と教会税に頼る彼らは、比較的新しい学問である経済学への理解とは無縁なことが多い。技術発展によって社会が豊かになる理屈など、ほとんどの牧師は知らないし、興味もないだろう。もっとも、チャールズの口の端は皮肉げに歪められ、そんな未来は微塵も信じていなさそうだ。

「さて、どうでしょう。一技術者にはわかりかねますが、いくら技術革新を起こそうとも、そういう末端まで豊かになる未来を大衆が信じて訴えていかないと、結局は持つ者がもっと持つ未来になるんじゃないですかね」

「ふむ。技術は全てを解決する、とは言わないのだね。私も大学で触媒紋章学をかじったが、教授陣も同窓(どうそう)もみな技術の未来を信じて疑っていなかった。事実、日進月歩で発見につぐ発見があり、産業利用の有無はともかく、進歩の熱気はとどまることを知らないようだったよ。ウィリアム君も大学で学んだ口かね?」

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