1−2. 街角にて(後)
「おっさん、何やってんの?」
声を掛けられ首をひねると、いつの間に広場に入ってきたのか、バケツを片手にした10歳くらいの少年が不審げにこちらを見ていた。二月で寒さが身に染みる時期だというのにコートもなしにやや厚めのグレーの上下だけの姿だ。一張羅なのだろうか。靴墨のついた頬はさほど豊かではない労働者階級の証だ。この年頃からの、特に男子は働き手として重宝されている。働き手が四〇代には身体を壊してしまうことの多い貧困層では、次の大黒柱として期待される。痩せて栄養状態は良くなさそうなので、実年齢はもう少し上なのかもしれない。
「除染だ。お前らが煮炊きで使う燃焼石の滓が煙突から拡散して王都中を覆っている。それがこういう溜まり場に滞留し、大気に満ちているエーテルに作用して不都合を起こす。その対処だ」
不審者ではない、という意図を込めて丁寧に説明してやる。
「ふーん」
少年はそう言うと首をかしげて、じっとこちらに視線を向けてくる。
「……面白いものはないぞ。帰れ」
作業をする手は止めずに、素っ気なく言うも、無視してこちらの手元をみてくる。
特に隠すものでもないので、以降は黙って作業を進める。錬金技師はそれほど珍しい職業でもないが、大気中のエーテルと唯一反応する鉱石——賢石に回路を彫り込んでいる姿は一般的ではないだろう。彫刻された石は、彫り込まれた回路の種類によって光を放ったり高熱を発したりと様々な作用を引き出すが、誰でも買える燃焼用の回路を付された燃焼石は工場で機械的に作られる。直接賢石に回路を彫り込むなど、街中で行うものではない。
もっとも、今やっている除染のような、状況に応じて臨機応変に作用を変える必要のある場合は別だ。上流階級では専属の技師を抱え、広い居宅の利便性を担保するために日夜回路の維持・保守をさせている。当然、彼らが住む街区についても、相応の税金をかけて同様に維持管理がなされている。対照的にここのような下層民向け街区ではそのような整備は全くといってなされない。選挙権すらない労働者階級は騒音だろうが光だろうが臭いだろうが、生活環境の悪化は甘んじて受け入れるのが常だ。何かが起こってもよほどでないと有償で何とかしようは思わないし、そもそも不都合を訴える先もない。そういった意味では今回の仕事を依頼してきた人間——この長屋の地主だろうが——は良心的だ。
ものの五分もすると、少年は見飽きたのかカリカリと石を削っている傍らを過ぎて、井戸から水を汲み、すたすたと去って行った。煙霧を越えて光を届ける昼時の太陽は高く昇っている。仕事場から昼食に戻り、水を汲みに来た、といったところか。
その後はパンパンという異音が続く以外は特に特筆すべきことは何もなく、黙々と石を彫り進められた。一つ彫り終わったら次に取りかかる。ひとつ作るのに一時間以上をかけた結果、合計で五つ出来上がったころには日も大きく傾き、広場は建物の陰に暗く沈んでいた。日没も間近だ。
さて、と立ち上がり、固まった足腰をほぐす。鞄から今度は何本かの長い釘と一抱えもある紐の束、金槌を取り出す。
「まだやってんの?」
呆れたような声に目を向けると、先ほどの少年がまた立っていた。察するに仕事帰りだろう。かつてと異なり児童労働に対する世間の目は厳しくなりつつあり、夕方には労働が終わることも珍しくない。10年前くらいまでは一日16時間などといった非人間的な労働時間も一般的だったが、賢石鉱山での労働環境改善が都市部にも及び、まともな雇い主はそこまでの労働を強いることは少なくなった。それは児童だけではなく、大人に対してもだ。もっとも、劣悪な労働環境は変わらずなため、事故やけがとは常に隣り合わせだが。
「坊主、ちょうどいい、手伝え」
そう言うとコインを一枚取り出し、弾く。少年は手のひらで器用に受け取ると素早く懐に入れた。
「ティム。あんたは?」
少年はぶっきらぼうに名乗り、何をすればよいのかという視線をこちらに向けてくる。
「ウィリアムだ」
手早く紐の端を釘に結びつけ、その釘を井戸の下の地面に打ち付けて、紐の束と釘、金槌をティムに渡す。
「この紐をもってあっちの端にいって、ぴんと張ってくれ」
紐の端を握らせ、指示を出す。
「そこで釘を打ち付けて紐をひっかけろ。その後はあっちの端に」
広場の中心から、メモを見ながら続けて指示していく。しばらくすると広場は縦横に紐が渡された、奇妙な空間に変わる。
今度は先ほどまで彫っていた立方体を手に取り、紐の交点に置いてゆく。五つ置いた時点で、建物に囲まれた広場の空気が流れ出す。石の角度を何度か調整すると、空気の流れは幾分強くなり、ふわふわと服の裾を揺らし出した。
「石の真ん中に穴が通っているだろ?そこに杭を打ち付けて地面に固定してくれ。石を割らないように気をつけろよ、脆いからな」
予備の金槌を取り出し、ティムに杭を渡すと、自身でも石を地面に固定し出す。ティムが来てから30分もせずに作業は終わった。
「この石で風を起こしてんの?」
「そうだ。エーテルを力に変えて空気を送り出している。燃焼石の滓を吹き飛ばして溜まらないようにすれば、エーテルが偶発的に反応して鳴る破裂音もしなくなる」
残った釘と紐を回収し、片付けに入る。エーテルの流れを、眼鏡のレンズに練り込んだ賢石の削り粉でもって光の反応として読み取ることで、逆説的に空間における賢石の滓の分布がわかる。エーテルが大気中の滓に反応しているところは光が途切れて空白地帯となるからだ。その上で、滓が滞留ではなく拡散するように風の動きを作る。回路を削って適切に配置した賢石を触媒に、エーテルからエネルギーを取り出し、大気を循環させて送風機代わりにするのだ。
もっとも、その作用もエーテルを反応させるときに発生する廃熱や自然の風雨で石が崩れてしまうまでではあるが。何ヶ月か何年か。材料費も出ないような駄賃では、その先まで面倒は見られない。
「ふーん。便利だね」
「わかってるやつが使えばな。適当にやっても何もおこらん。じゃあな」
眼鏡を外して懐に入れ、ティムに手を振り路地を抜けて広場から去る。昼を抜いたため、胃が食べ物を欲していた。もっとも、夕食で心躍るようなことはない。今に始まったことではないが、国全体の食糧不足を反映して王都での食材価格は高止まりだ。食に無頓着で独り身なこともあり、豊かな食生活を過ごしているわけではない。売れ残りの固いパンとベーコンが日々の糧だ。
通りは露天商や商店の呼び込み、それらの店で食材を物色する主婦や家路へと急ぐ労働者風の男たち、鉄道駅と街中の停留所を往復する馬車など、ささやかながら下町の賑わいを見せている。
駄賃をくれてやった少年のことはもうすっかり忘れ、雑踏の一員として家の方向へと足を踏み出した。




