7. 夢からさめて
「で、肋骨を折ったと」
居宅のデスクに腰を下ろし、胴の痛みをこらえながら、涼しい顔でティムの声に眉根を上げる。
「結局、その牧師さんはなんでそんなことしたのさ?話聞いてると全然本気じゃなさそうだけど」
かなり端折ってことの次第を伝えた結果、お前の妄想なんじゃないの?とでも言いたげな口調だ。
「さぁな。会ったのはたった四度だ。俺に話したのが本心かもわからんし、どこまで何が真実かもわからん。ただ、まあ世の中と折り合いがついてないのは確かだろうな」
チャールズとの会話は終始かみ合わなかった。自分も含めた世間一般が当然だと思っている規則や状況を、そうとは認められず、規範の中に溶け込んで生きていくことができない。現実逃避にも近しいその拒絶は、だが不遇な人間や恵まれない境遇の人々がときに抱くような、世界への憎悪に根ざすものとはまた違ったものだ。他方で、熱狂的に自身が信じる正しい姿を追い求める思想家の様とも異なるように思えた。蓋然性の高い未来に向け、実現に奔走する事業家の熱量とも無縁だ。
面白いパズルを見つけたので、熱中して解いてみた。せっかくだから周りに自慢したい——彼自身が語った根本は、まるで子供のようだ。自身に対する執着が薄く、命さえも賭けのコインのように扱うところにも、年齢不相応の青さを感じる。一転、緊張状態でも目的的に行動し、振る舞うことのできる冷徹な面もあり、同一人物とは思えないアンバランスさがあった。
実際、移した行動は未成熟な子供どころではない。一連の活動は間違いなく組織的なものであるし、関わった資本は桁外れに大きい。研究所の機密をそうと知って接触できる繋がりや買い取れる交渉力、腹立たしいことにこちらと遊ぶ間、余計な差し込みが入らないように周囲を抑える政治力は、持とうとして持てるものではない。駄目元で方々に警告や調査依頼を出してはいたが、荒唐無稽な話に真実を疑うというような反応すらなく、全て黙殺されたのには参った。
「まともにしてりゃ、さぞや名を挙げるだろうに」
目の端にチャールズが設計した試作装置の、粗悪な模倣品を捉えつつ口にする。薄々無駄だと思いつつも牧師の名簿を当たったりしてみたが、それらしい人物は記載されておらず、当然、来歴も生い立ちもわからなかった。本当に牧師だったのかすら、怪しい。ただ、錬金技師としては正に天才の部類だろう。活躍の場は、合法・非合法問わずふんだんにある。
「そりゃ、まともに生きることに興味ないなら仕方ないよね、周りがどうこう言っても。王都を破壊します、ってどう説明してたのか知らないけど、無意味過ぎて誰も相手にしないと思うんだよね、普通。それをやっちゃうんだから。
いいもん食っていい寝床で寝たいっていうまともな欲がありゃ、こういうことにはならないんじゃない?ちょっと、おいらには想像もつかないけど」
つくづくティムは真っ当な向上心と野心を持っている。
「日常を快適に過ごすことに興味がない人間も、意外と多くいるもんだ。特に、飛び抜けた才能を持った人間にはな」
一般の倫理や情愛、人間としての本能よりも、己の執着を本物として自然体で扱えることのできる人物たち。結果的にチャールズが後を継いだ形になった仲間たちと打ち込んだ研究を、正義感にくるんだ怯懦のために闇に葬ろうとしたかつての自分を、笑顔ひとつで窘めた彼女のように。
だがそもそも、多数の側に立って彼らを非難して疎外する資格は自分にはないし、他の誰にもないだろう。突き詰めれば人はみな個々に異質なのだから。線引きを続ければ、断片化して孤立し、結局個すら立ちゆかなくなる。
「んで、これからどうすんの?結構お金使っちゃったんでしょ?」
ティムの一言で現実に引き戻され、唸る。悠々自適とは言わないが、一人あくせくせずとも生きられるくらいの当てをもって、引退までこぎ着けたのだ。それがご破算である。お門違いな義務感と自分勝手に囲い込んだ内側に踏み込まれた怒りに駆られて走り回った結果かと思うと、ため息がでる。物語の英雄よろしく、惨事は防いだと思いたいが、そもそも何もせずともチャールズが失敗してちょっとした火災が起こって終わり、という結末だった可能性も、正直なところかなり高い。邪魔がなければ、最後の最後で、紋章回路が正しく働いて理論通りに望んだ事象を顕現させられたのかは、神のみぞ知る、だ。
「ぼちぼち働くさ」
肩をすくめると、ティムはくるりと目を回し、満足げな様子でデスクに向き直って渡している書籍を開いた。痛む肋骨がおさまるまでは、実地はお預けで座学に専念だ。
自由である、という状態に対しては、制度や仕組みが担保してくれる部分は思ったより小さく、当人が日々能動的に動いて何かを勝ち取り、その何かに意味を感じられるかどうかに負うところが大きいんじゃないか、と弟子の努力を見つつ、脳裏に浮かんだ牧師の忌々しいしたり顔に向けてうそぶく。
柄じゃないと、折れた肋骨がずきりと主張した。
END




