6−3. 夏の夜の夢(後)
「とはいえ、楽しみはこれからだ。先に進めよう」
チャールズは立ち上がり、懐からエーテル灯に照り映える磨かれた滴型の賢石を取り出して大きく振りかぶったかと思うと、それを地面にたたきつけた。と、ぱき、という音が巨大な装置のどこかでし、光球が徐々に小さくなり、大きさに反比例してその光量を上げていく。
チャールズが叩きつけた賢石はもつれ石と呼ばれる特殊なものだろう。破壊することで対になった石にも同様に衝撃を与え、壊すことができる。時間も空間も超える効果は、事象としては一部の研究者に知られているものの、理論はまだ追いついていない。理論がないだけあって制作コストは極めて高く、有用な用途というものもないが、遠隔での一度限りのスイッチに使うという発想か。
焦りと緊張を感じる自分とは別の自分が冷静に考える傍ら、光球はみるみる小さくなっていく。
「巧妙に組み込まれた安全装置を外すのに非常に苦労したよ。圧縮回路そのものに隠されていて、一定密度を上回ると逆回転するようになっていた。よく考えられている。研究所もそうとは気づいていなかったろう。君たちチームの、いや君の、良心かね」
青白い光球はビー玉大サイズになり、眩い輝きを放ち、中空に浮かぶ。
「さて、肝心なのは元素転換だ。こちらも苦労した。どう足掻いても一般的な水素しか生まれない。必要量の重い水素が作れなかった。こちらは愚直な力業で、複数人で回路を綿密にチェックしてひとつひとつ制限を修正していった」
チャールズが懐からまた小さな賢石を取り出す。
「止めとけ。あんたも死ぬんだぞ?」
遠隔操作を想定していたのだ。死ぬ気はなかったはずだ。
「世界を変えるなら、相応の犠牲は払うべきだ。それに、この光景の先を見ないなど、最早考えられない」
台詞は自分に酔いしれた者のそれだが、口調と眼差しは理知的で理性のある人間のそれだ。
「元素転換の先にはエネルギーの閉じ込めが必要だ。報告書には、ごくごく短い時間だが、高密度の指向性のある光を内に向けて照射することで実現可能とあった。こちらは光子の指向性が必要量を保てないように細工していたね?」
チャールズはまた一つ賢石をたたき割る。ビー玉サイズの光球が一回り大きくなったように思えるが、この距離で知覚できるはずはない。知識があるが故の錯覚だ。ともあれ、表層を分離し、二重構造に変えたのは間違いなかろう。
「さて、準備は整った。中心部の高速回転している高濃度エーテル粒子を重い水素に転換すると同時に光子でそれらを閉じ込める。通常ではあり得ない狭い範囲に閉じ込められた高運動量の水素は極めて高温となり、融合して別の元素に変わる。その際、膨大なエネルギーが放出される」
味わうようにチャールズは語る。
「もう一度言うぞ、止めとけ。分かってるだろうが、放出されるエネルギーは膨大だ。下手すると王都が消し飛ぶ。あんたも含めて数百万人が死ぬぞ?お仲間は郊外に避難してるんだろうが、瓦礫になった後の王都で何をどうするつもりだ?誓ってもいいが、自由を基底においた秩序の再構築なんぞ絶対に起こらない。無政府状態で起こるのは暴力と略奪だ。あんたの組織は何かしら考えているんだろうが、秘密結社ごっこをしているくらいだ、権力を誰が握るかで身内で争うのが関の山だぜ」
そもそも、チャールズが自身で言うような目的がそこにあるのかは判然としないが、言わずにはいられない。
「ふむ、まあ、正直君のいうように私の思う世界が実現できない可能性も多分にある。何しろ、私がここに居てしまっているからね。そこは個人的な欲望に負けてしまった、私の不徳の致すところだ」
飄々と言う。
「それはそうと、胸が躍らないかね?もう一手順で、地上に太陽が生まれる。本物の兆分の一の規模とはいえ、画期だ」
「一回こっきりの花火に、躍る胸は持ち合わせないね。そもそも、花火はしけって煙をふくだけかも知れんぜ?この短期間だ。実証実験もそんなにはできていないだろう?恥をかく前に止めといた方がいいんじゃないのか?」
脂汗が服の下を伝う不快さを押し殺し、言葉を続ける。
「もう十分、堪能しただろ?あんたは大したもんだ。俺らはこんな規模じゃ到底実現できなかった。この分野を百年は進めたよ。もっとやれば、新型炉の実用化も夢じゃないんじゃないのか?尽きぬエーテルから煤煙も何も害になる副産物なしに膨大なエネルギーを無限に引き出せる。そうすれば、富の意味はなくなり、あんたの言う自由が実現するかも知れんぞ?」
「真っ当な意見だが、炉を冶金するだけでもう百年はかかる。君たちも諦めたではないか。超越的な技術は、今の世では行き止まりだ。では、使える範囲で使うのが筋というものだ。
君も、大いに感情に訴えてくるが、技術者なら技術者らしく、技術で語るのはどうかね?色々と用意してきたのだろう?安全装置という過去の努力に頼らないところは、私好みだ。————ところで、ずいぶん気分が悪そうだね。君の意識がはっきりしているうちに、そろそろ結末をみようではないか」
頭痛はひどく、鼓動は早鐘のようで、視野は狭い。自身の能力にかかる極度のストレスに晒されているときの症状だ。癪に障るが、チャールズの言うとおり、もう手じまいすべきだ。
チャールズは立ち上がり、ゆっくりとした仕草で懐に手を入れる。こちらは相手の動作を待つつもりもなく、ひっそりとポケットから取り出して握りしめていたもつれ石を、震える腕で制御盤めがけて振りかぶる。じれったいほど自分の動きが遅く感じた。
石を叩きつけるのは同時だった。チャールズの薄ら笑いをみるに、こちらのタイミングに合わせたのかも知れない。
ずん、と体の芯に響く衝撃とともに、装置の上の木製の天井が崩れる。指向性のある衝撃が真下に向かったはずだ。予め屋上に仕掛けたこちらの打ち手はしかし、篭を吊るす十字の鉄枠に妨げられ、それより下にはいかない。と、鉄枠を覆うように何かが広がる。それでいい。
刹那、眩く輝く青白い小さな光は、急激に拡大し、弾けたようにかき消えた。同時に、轟音とともに体全体を気体の奔流が打ち殴り、エーテルグラスを弾き飛ばして足元を掬う。必死に頭を抱えるが、結局は床に強く打ちつけてしまった。目に火花がとび、鼻の奥ではつんとした焦げくささが惹起される。
——————
しばらく意識が飛んでいたのかもしれない。気がつくと、キーンという耳鳴りが頭の裏で響き、ささくれだった木材の感触がほほに感じられた。視界は真っ暗で息苦しく、丸太のように転がったまま、動く気になれない。まだ全く頭は働かないが、うまくいったことだけは自覚する。でなければ、今頃自分は蒸発しているか蒸し焼きになっているはずだ。天国は、信じていない。
チャールズはどうだ?
「……ああ、これは参ったね」
姿は見えず、耳鳴りのせいでその方向もわからないが、チャールズの声だ。苦痛のうめきも聞こえるところをみると、どこかしら打ち付けたのか怪我をしたのかもしれない。いい気味だ。
「強制的に回路を止めるにしろ、少なくとも高出力の水素爆発だけは防ぎようがないと思っていたが……。隠し球はこれか。中だけではなく外からの安全装置も作っているとは、やるではないか」
べらべら言葉を紡ぎはじめる。業腹なことに、こちらよりも元気そうだ。実際、動いている気配がする。視界の端に、灯りの光が感じられる。
「水と、これは銅粉か…。錆びた銅を触媒にして水素と酸素を反応させたのだね。こちらの回路をキャンセルして?溢れんばかりの熱量はどう処理したのか、反応する前に全て蒸発してもおかしくはないのに!!」
声には悔しさではなく、過去一番のむき出しの興奮が乗せられていた。この男は思想家でも政治犯でもなく、真性の、バカだ。動機など考えるだけ無駄だったと、心中で嘆息する。続いて耳に届く、ばしゃと水を踏みしめる音と、がしゃがしゃと金属をこすり合わせる音。
「ははっ、鎖に留め付けた賢石を使って三次元に回路を編み込んで、くりぬいた天井越しに上から被せたのか。正確に広がるよう、剛体も組み合わせているね。それでも致命的な位置の誤差は免れない。その誤差を許容する紋章回路を組み上げるとは。何が凡才だ!」
(……お陰で全財産使っちまったよ)
このくそったれが、という罵声もくぐもってうまく言えやしない。
「ああ、愉快愉快。失敗とは言えこういう結末か。いやいや、現実に戻ると言い訳と後始末に頭が痛いが、それを上回る痛快さだ」
意外にも俗っぽいことをこぼす。
「ウィリアム、起きているかね?私はこれで失礼するよ。人払いはしているが、なるべくなら君も早く去ったほうがよかろう」
灯りが視界から消え、ずるずると足を引きずる気配が笑い声とともに遠ざかる。
「そうそう、意外かも知れないが、最初の出会いは偶然だ。あとで調べてみてまさに君だと知ったときには打ち震えたものだ。それでこういう趣向を思いついた——楽しかったよ、神の導きがあれば、また会おう。蛇足だが、心配せずとも同じ事は二度としない。それは実に、つまらないからね」
笑い混じりの遠くからの声に、自分にとっての十三日の金曜日はあの日か、と思いつつ、痛む体に鞭打ち、起き上がろうと奮闘した。




