3−1. 降霊会(前)
厚手のカーテンを閉め日の光を遮った室内は暗く、上質な調度品たちも質感を主張するはできない。奥行き10m、幅はその半分ほどか、貧民街では三家族が住むような広さであるが、この屋敷では数ある応接間の一つでしかない。
天井から吊り下げられている豪奢なエーテル灯も、今は賢石を取り外され、単なるオブジェとなっている。形ばかりとなった照明の真下には、東方渡りの黒い大きな丸テーブルが置かれ、五人の女性が均等に間をあけて席に着いていた。暗く沈んだ人影だけでは誰が誰かもわからず、ただ緊張した空気が場を支配している。漂う乳香の甘い香りも、緊張を和らげることはできないようだ。
「それでは、始めます」
影の一つが中年女性の声で厳かに発する。しゅるっと滑らかな布地が擦れる音がした後、影の一つが両手に球のようなものを掲げ、テーブルの中央に向けて身を乗り出す。テーブルにはあまり高さのない、何やら凹凸のある物体が載せられており、全体に布が被せられている。球はその中央部分のくぼみに鈍い音をたててはめられた。
「さぁ、ではジョーンズ様の面影を強く思い出してください」
促しの声にあわせて、影たちは腕を広げて手をつなぎ、テーブルを囲む大きな輪を作る。数秒、沈黙が続いた後で、息を呑む気配がし、テーブルの上方の空間で橙色に光る靄のようなものが渦巻き始めた。
「降霊会?」
言い慣れぬ単語を復唱する。字面の通り、死んだ人物の霊を呼び出して対面するという趣向のもので、ここのところ富裕層で流行っているというのは知っていた。
革張りの椅子に深く腰を預けた恰幅のよい男が、立ったままのこちらに目を向け、頷く。
この数十年で技術の進化と進歩の波に乗った起業家たちが財をなし、新しい立ち位置を社会の中で占め始めていた。出自によらず、己の才覚と有能さでのし上がる、新しい階層だ。目の前の男は、そんな成功者の一人だ。
「妻が入れ込んでしまってね。五年前に亡くした一人息子が忘れられんようだ」
実業家らしく、挨拶もそこそこに本題に入った目の前の男——アッシュフィールドは淡々と言う。事前に行った下調べでは複数の妾に複数の子供がおり、跡継ぎには困っていないようだ。奥方は貧乏貴族の出で、事業の箔付け以上の意味はないというのが、下馬評だった。
「ウィリアム君、専門家としてその場に立ち会ってもらい、不測の事態があれば適切に対処してもらいたい。紹介では、実に有能だと聞いている」
「もう少し懸念のところを伺っても?」
オカルトは専門外だ、という言葉をぐっと呑み込み、重ねて聞く。
「実は降霊会自体は既に四度ほどやっているようだ。よくこの手のものに手を出してはすぐに見限る妻にしては、珍しく続いている。私は参加したことなどないが、実際になにがしかは見えるらしい。小金を使う分には趣味の一環だと放置しているのだが、会に同席しているメイドが心配を訴えてきたのだよ。曰く、回を重ねるごとに見える像が大きくなり、崩れていくようだ、とね。メイドは来ているのは霊ではなく悪魔なのではないか、と怯えている」
頷いて先を促す。
「どういう手妻かは知らんが、適当に遊ぶ分には全くかまわない。だが、ひょっとしたらこれは紋章工学を使った何かなのでは、と思ってね。実際聞いてみると、霊媒を自認する女が霊界とこの世をつなぐための道具と称して、模様の入った板や置物を持ち込んでいるらしい。仕事柄、紋章工学はお遊びに使うには危ない物だとは百も承知している。爆発などされたら、目も当てられない」
アッシュフィールドは鉄道業を営んでいる。鉄道で使う蒸気機関は紋章工学を使った熱エネルギーに依っており、隣接した業界と言って差し支えない。実際、前職の同僚から有無を言わさず押しつけられたこの仕事は、アッシュフィールドが人脈を使って手配した結果生まれたものだ。もっとも、引退した端役に押しつけられるようなものなので、大した人脈でもなさそうだが。
「妻は妻で頑固なところもあって、止めろと言ってもきかん。変に隠れてされてしまうと何かあったときの後始末も後手に回ってしまう。そこで降霊会に立ち会って、災いの目をつんでほしい。紋章工学とは関係のない手品ならそれはそれで構わないし、危険がないものなら放置でよい。だが、リスクがあるなら仕掛けをバラしてでもここで打ち止めにしたい」
「ジョーンズ!」
回想から意識を引き戻したのは、感極まったような、亡き息子に呼びかける中年女性の声だ。今回の降霊会の主催者である、アッシュフィールド婦人のものである。部屋の中央に置かれているテーブルの上では、靄が集まってできた橙色の淡い光がぼんやりと浮かんでいる。光は、人間の頭ほどの丸い形とそれに巻き取られるようにして下に伸びた、ベール状の長い部分で構成されている。見ようによってはなんとなく人影にみえなくもない。
エーテルに反応する灰色のレンズ越しに見る室内は、空気中のエーテルがテーブルを中心に渦を巻くような動きをみせ、丸い形に吸い込まれているお陰でだまし絵のように歪んでみえる。アッシュフィールドが懸念したように、通常の手品ではなく、紋章工学を利用したものであることは明白だった。
アッシュフィールド婦人以外に三人のメイドが参加しているが、橙色の光に照らされる表情は、婦人と対照的に怯えたものだ。事前情報通り、メイドたちはこの光が亡くなった息子のものだとは信じていないようだ。残る一人は、霊媒として参加している中年の女だ。それっぽくケープを巻いて手袋をつけているが、これと言って特徴はない。こちらはどことはなしほっとしたような表情をしている。
「ジョーンズ、そちらはどう?寒くはない?」
アッシュフィールド婦人は、ゆらゆらと揺らめく淡い光に向かって両手を伸ばす。離れた位置からでも霊媒の女が焚いている乳香の匂いが強く感じられた。甘ったるい香りで頭が痛くなりそうだ。薬には詳しくないが、幻覚剤の類いでも仕込まれているのかもしれない。
アッシュフィールド婦人が更になにがしか話しかけ、身振り手振りで必死にコミュニケーションをとろうとしている。無論、無駄な努力だ。見えているのはエーテルから取り出された単なる光だ。エーテル灯と同質である。
しかしながら、空中に光を浮かべるのは言うほど簡単ではない。どういう仕組みなのかは回路をじっくりみてみないとわからないが、単に猿芝居を演じるには手間がかかりすぎている。いくら謝礼をもらっているのかは知らないが、装置を作る費用を考えると全くもって割に合わないだろう。
廊下側の壁際に立ち、醒めた目で作られた愁嘆場を眺める。仕掛けがあるとわかっていても神秘的な場面であるが、それをありがたがる感性はとうの昔になくしてしまった。




