小話
私、ユリア・エルグランデは貧弱だ。
幼い頃からそこまで強い体ではなかったのだが、夫との宝物が生まれてからは無理が祟ってかベッドから出るのもままならなくなった。
だからこそ、夫が世界中から集めた本を1人で静かに読むことしかできなかった。
勇者がドラゴンを倒す話、妖精達が王国を作っていくお話。外国の歴史本、昆虫図鑑まで送られてきた。
そんな中で私の目に留まったシリーズ本。分厚い本が10冊にも及んで積み上げられている。
「何かしら…『悪役令嬢ですが、この国を守るために奮闘しますわ』…?」
皇太子との婚約を濡れ衣で破棄され、人々に悪役令嬢と言われた主人公が、実は裏側では国を守るための防護壁を魔法で作り続けていたという話。
最終的には隣国の皇太子に溺愛されるようになってハッピーエンドで終わるけれど、その過程の中には、自分が命をかけて守り抜いた人たちに蔑まれる場面がたくさんあった。
彼女の一挙手一投足を人々は恐れ、群がり、攻撃した。それでも。どれだけ頑張っても、報われなくても、彼女は1人で世界の敵に立ち向かう。
そんな彼女を見て思った。
「彼女のような…かっこいい女性になりたい。」
だからこそ、私は毎日その本を読み返し、‘悪役令嬢’というものを完璧にマスターした。
「よっこらせですわ…」
少しの間だけ…とベッドを抜け出し全身鏡の前で背筋を伸ばし、冷たそうな表情をしながら立ってみる。
相変わらず顔色は悪いけれど、私の悪役令嬢特訓の成果を見てみたい。
脳内でのイメージは完璧、ベッドの上でも練習をした。
例えば、手指を目一杯広げ、角度を決めながら「オーホッホッホ!」
床にしゃがみ込む相手をイメージして、人差し指を突き出し、ほんの少しだけ指先を地面の方に向けて「2度目はなくってよ!」
それからそれから…長い髪の毛を空中に靡かせてからの「どうかいたしまし…っゴホッゴホッ…」
いけない。
つい調子に乗り過ぎてしまった。
咄嗟に抑えた手には、赤い血がへばりついている。
流石に疲れて、もう一度ベッドに横たわる。
「ゴホッゴホッ…」
咳が止まらない。心なしか熱も出てきてしまったような気がする。
ほんの少し動いただけで、これ。
自分の命が潰えるのは、もう近いと分かっていた。
ふと、窓の外を見ると、私と夫の宝物が使用人達とボールで遊んでいる。
いや、良く見ればボールはボールでも魔法のボールだ。
空中にいる時間が長くなるように魔法がかけられている。
「あぁ。」
小さな我が子があの黄色のボールを追いかける姿を見て、どうしてか涙が出てきてしまった。
いけない、いけない。たとえ、外側を悪役令嬢のように振る舞ったとしても内側はやっぱりユリアのまま。心も、悪役令嬢のように高潔かつ堅固になれれば良かったけれど。もう私には、そんな時間は残っていない気がした。
あの子が生まれて4年がたった。私はあの子が物心がついた頃から既に外に出るのが厳しい体になってしまっていたから、あの子との思い出は、もしかしたら一緒に遊んでいる使用人達より少ないかもしれない。
「私が…遺せるもの…」
不意に頭にとんでもないことが浮かんできた。
‘悪役令嬢特訓’
「いやいや…そんな、私はあの子に悪役になって欲しいわけじゃ…」
‘あの子に悪役令嬢のような強い心を持って欲しい’
「……………」
ユリアは自然と使用人呼び出しのベルを鳴らしていた。
症状が悪化したのかと焦って駆けつけた使用人に言った。
「私、愛する娘に、悪役令嬢特訓をいたしますわ!」




