第2話ですわ!
「シンデレラ。掃除は終わったの?こんな小汚い部屋で惨めに編み物なんかして…。恥ずかしくないのかしら?」
ノックも無く、シンデレラの住む屋根裏部屋に継母が入って来た。
6年前から変わらないいつも通りのゴミを見るような目で、シンデレラに冷たい視線を向けた。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
⍉↯⟆றの父親が死んでから6年が経った。⍉↯⟆றはもう16歳。
街で開かれる社交パーティーなどに参加するには十分な年であるが、パーティーどころか⍉↯⟆றはこの6年、一度も外に出してもらえたことがない。
父親が死んでから6年のうちに、⍉↯⟆றの周りはどんどん崩れていった。葬式が終わってから継母達の態度は一変し、ドレスは不相応だと奪われ、自分の部屋も屋根裏部屋へ移動させられた。
継母の豪遊によって国家予算2年分と謳われていたエルヒルデ家の家計は、召使の1人を雇うのも難しくなったために、一つの小さな村がすっぽり入ってしまうほどの大きな屋敷の管理・継母達の食事…全てが⍉↯⟆றに押し付けられた。
そして、極め付けに――
「|⍉↯⟆ற……、貴女にそんな名前全く似合わないわ。そうね……。ふふ。シンデレラなんてどうかしら?」
厚く塗りたくられた化粧の上から、継母の意地の悪い笑みが浮かび上がった。
そして、実の娘たちに同意を求めるように、目を横にやった。
「え、えぇ。お母様…とってもいいお名前ですね!この子にぴったり!」
若干顔を引き攣らせながら、姉の1人がそう言った。
「し、シンデレラ…ですの…?」
シンデレラは、悲しみのどん底に打ちひしがれた……訳ではなかった。
(シンデレラ…つまり苦難に陥り灰をかぶったとしても、折れない心を持て…そう言っているんですのね!お義母様は、私がまだ両親の死を心の中で引きずっていることに…気づいていたんですわ!)
とんだ勘違いである。
もちろんそんな意図はない
――お分かりいただけただろうか…そう。彼女は‘バカ’であった。
もっと言うといわゆる‘頭のいいバカ’だったのだ。
継母はシンデレラの父親が死ぬまでの4年間、シンデレラに嫌われて離婚させられてしまわないよう‘いい母親’を演じていたのだが、シンデレラはその4年間で完全に継母は優しい人、聖母のような人であるだと認識してしまっており、どんないびりをされたとしても、『お義母様は私を奮い立たせてくれるためにしてくださっているのですわ!』と考えるようになってしまった。
要するに刷り込み効果の拗らせたバージョンである。
そして、この‘頭のいいバカ’の爆誕にはシンデレラの父親と実の母親、ユリア・エルヒルデに全責任があった。
シンデレラの母・ユリアは、シンデレラを産んで以降、病を患い、ベッドを起きるのもやっとの状態であった。
心配した父親は、彼女をベッドの上で退屈をさせないようにあらゆる国・あらゆるジャンルの書物を送り届けた。
そしてユリアが見事にハマったのが主人公が‘悪役’という、これまでにはないトリッキーな物語、‘悪役令嬢もの’であった。
彼女は物語に出てくる悪役令嬢達のような自分の力で苦境に立ち向かう強い女性に憧れた。けれども、この時にはすでにユリアの体は病に蝕まれて外に出ることも難しい状態であり、医者からも『心の準備はするように。』と言われていた。
もうすぐ死ぬ自分の存在を娘に少しでも遺しておきたい、私を覚えていてほしい。
そこで彼女は、まだ幼い娘、シンデレラに‘悪役令嬢特訓’を行うことにした。
もちろんユリアはシンデレラに物語で断罪される悪役令嬢になってほしいのではない。
自分が憧れた、気高い品格を持ち、信念を持ってまっすぐ突き進めるような女性になって欲しかったのだ。
『真の悪役令嬢たるもの、どんなことも完璧にこなすんですわよ!』というユリアによる2歳からの英才教育のもと、体力・学力はもとより、掃除、料理、裁縫、馬術、鍵開け術(?)、密偵(??)等々…人々が生活の中で行う並大抵のことについて、(本人の元々の素質もあったのだろうが)文句のつけどころがないほど完璧に仕上げられていた。
ただし、シンデレラの母親が頻繁に外に出ることのできない体のため、そのそばにくっついていたシンデレラも自然と街に行く機会がほとんどなかった。
そもそも、父親もでっろんでっろんに過保護だったために妻と娘を外に出すことを極度に嫌がった。
自分自身が貿易商として少しばかり恨みを買っているために、いつ妻子が危険な目に遭うか気が気ではなかったのだ。
シンデレラが散歩をしたいと言った時も、屋敷の周囲の街を買収して娘の散歩時間の外出を禁じた。(翌日ユリアに止められた)
何が言いたかったかというと、シンデレラは保護者に保護をされまくってきたために、人との関わりがほぼ皆無だということだ。
試しに、シンデレラの6歳までの交流者(父母含む)全員を数えると…20人に満たない。もはや人間鎖国状態である。
そんな箱入り娘であるがために、一度善人と認識した者は‘裏切る’、‘演じている’などという発想はなく、完全に信用してしまうのだ。
おかげさまで、それはもう器用なのに単純なバカが出来上がってしまったのであった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
――「恥ずかしくないのかしら。」
自慢の黒髪を空になびかせ、ド派手な紫色のドレスを着た継母。
今にも折れそうな細長いヒールを履きながらも、淑女らしい凛とした姿勢を保っている。
片手に握った扇で口元を隠しながらそう言い放った。
一方で、くつろぎの代名詞であるロッキングチェアでなぜか背筋を伸ばして、腹筋を鍛えながら編み物をしていたシンデレラ。
これから来る冬に備えて、屋根裏部屋に住むネズミのためにニットを作っていた。
完成まで残り半分といったところだろうか。
「あら、お義母様、ごきげんよう!掃除でしたら、午前のうちに終わっていますわ!編み物はレディの嗜みですから!」
かぎ針を動かしていた手を止めて、継母の目をしっかり見て、とても元気にそう言った。
「あぁ、そう。この程度の大きさの屋敷、1日もあれば掃除が終わるでしょう。」
嘘である。お忘れかもしれないがこのエルヒルデ邸は小さな村一つ分と言う単位で表される屋敷。1時間で掃除を終わらせることは不可能である。
あたかもできて当たり前という表情をしている継母だが、真っ赤な嘘である。めっちゃ嘘である。
常人であれば10日間ぶっ続けでしたとしても終わらないのだが、
にこやかな笑顔でシンデレラは言い放った。
「お義母様!お戯れはおよしになって!ここの掃除は3時間あれば終わりますわ!」
本当である。お忘れかもしれないが、シンデレラはユリアに‘悪役令嬢特訓’と称して様々な過酷な訓練を耐え抜いてきた。
そんな彼女の生活スキルはもはや常人ではなく、村一つを3時間で、掃いて、拭いて、(時間が余って調度品の彫刻を)削ることなどおちゃのこさいさいであった。その間、シンデレラの移動速度は実にマッハ1。(音と同じ速さ)
掃除中のシンデレラの姿を見た者はいないほどだ。
「はっ。気色の悪い…これだからこの灰かぶりは…」
現にシンデレラは継母が呆れてシンデレラに背中を見せて、小さな声で嫌みを言っている間に、制作途中であったネズミ用のニットを、腕がもはや見えない速度で編み終わらせていた。
そして、普通|これ《シンデレラの超人的な能力》を聞けば、並の性悪はシンデレラに凄んで退散するところである。
けれども、エルヒルデ家の継母は、このバカ万能とかれこれ10年同じ屋根の下に住んでいるわけで、もはやシンデレラの超人的な能力の高さに慣れている部分があった。
バチンッ。
であるからして、|そんなことをしようと《完璧に仕事ができようと》継母は全く動揺せず、逆に自分の娘達にはないその万能さを嫉妬しシンデレラに暴力さえ振るうようになっていた。
継母の平手打ちが見事にシンデレラの頬にヒットする。
シンデレラはバランスを崩し、床へと倒れ込み、そこに待ってましたとばかりに丁寧に鋭く磨いてきたハイヒールで彼女の小さな足の甲をぐりぐりとねじつけた。
けれどもシンデレラはその苦痛を声に出すことはない。
そもそも、彼女の瞬発力を持ってすれば四十路ののろいビンタなど目でもない。
ではなぜ、そのビンタを受けるのか。
彼女は継母を信用しているからである。
彼女の信用はもはや盲目的な崇拝に近く、継母にどんなことをされようとも彼女が反発することは決してない。
彼女からすると、体罰さえも自分の成長のために継母がしてくれていることであるのだ。
それが継母の加速するいびり…暴力を止めることができない原因でもある。
どれだけかかとに体重をかけようとも、シンデレラの微笑は消えることは無かった。
継母はしばらくして、ヒールを退かし、床に惨めに座り込むシンデレラを見下ろした。
「…。本当に気色の悪い子…今はまだ使えるから置いといてあげるけれど…」
そう言いながら、シンデレラの足の甲に視線を下す。
継母の針のように尖ったヒールによって血が垂れていた。
何を思ってか、継母はその血を人差し指で拭い取り、シンデレラの頬へと擦り付けた。
そして痛みで汗ばんだシンデレラに顔を近づけ顎を持ち上げながら、彼女の青くすんだ瞳を濁らせてしまいそうなドス黒い瞳を向けた。
そして、耳元に向かって、低く重い声で続けた。
「私の癪に、障ることがないように…。」
継母の髪色と同じ黒い瞳は怒りと嫉妬の炎を宿していた。
「申し訳、ありませんでした…」
笑みが張り付いてはいるものの、シンデレラの青色の瞳は、揺れていた。
それを言い終えると継母は、狭苦しい屋根裏部屋から立ち去っていった。
足音が聞こえなくなって、シンデレラはやっと呼吸を始めた。
彼女の頭は継母への盲目的信仰から気づいていないが、継母による数十に及ぶ暴力によって、彼女の心は継母への恐怖心に溢れ、継母に会うと鼓動は早くなり、呼吸さえもまともにすることができなくなることもあった。
――しばらくして。
彼女の心臓が落ち着きを取り戻し、足から流れていた血も止まり始めた頃、
トントントン
トントントン
ドアの外から2つの足音が聞こえてきた。
コン コン コン
屋根裏部屋のドアからノックがした。




