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第1章|空の空、すべては空 〈Vanitas vanitatum, et omnia vanitas〉



──顔面に、膝がめり込んだ。



「…………!?」


頬の内側を噛み、鉄の味がじわっと広がる。

後頭部が岩にぶつかる。


ゴン、と鈍い音がして、視界に火花が散った。



「てめぇ……ッ!

てめぇの再起動なんか、絶対に許さねぇ!!!!」



痛い。

痛い痛い痛い痛い!!


また来る。次の拳。次の痛み。

連続する衝撃が、身体の芯に響く。


両腕も両脚も金属の拘束具で固定され、逃げられない。

体をひねっても、ギシリと軋むだけ。




(……おいおい、なにこれ!?俺、転生!?)

(えっ待って異世界!?……って、痛っ!!)

(なんで俺、ボコられてんの!?!?)


(チュートリアルボス戦!?)

(いや、チュートリアルどころか、もうボコられて死ぬんじゃ……っ)




「やめろ」


低く、冷たい声が、洞穴の空気ごと止めた。


「本体の再起動を確認。その個体の前人格はもう存在しない。殴っても無意味だ」


男の拳が宙で固まる。

耳鳴りが、すっと引く。




「……不死八竜ふじはちりゅうAI……タクサカ竜王……!?」


洞穴の闇に、薄い蒼が滲む。

天井からぽつり落ちた水滴が、落ち切らず宙でとどまり、細かい星座みたいに並んだ。


「然り。裁定AI──徳叉迦竜王タクサカである」




奥から現れたそれは、骨格だけを抽出したようなフレームに、水の膜を張った半透明の龍。

生き物より生々しい精密さの機械が、こちらを振り向く。


体温が下がっていく感覚。鳥肌が立つ。




「お前は“強制再起動”された。初期データの破損が確認されているため説明を行う。

西暦4025年。ここは日本領、旧・青木ケ原樹海内。」


(……え? 西暦四千……?)

(いや待て、2025年の間違いだよな?……な?)




「本体ニゴウは未知のバグを発症し、暴走。1人を負傷させる。

今お前を殴っていたのは、その被害者の父親だ。


ヒトの感情プロセスに酷似した、未知のバグ。

その事象が単なる異常か、人間性の獲得という“進化”か──我ら不死八竜AIが裁定する」




「ちょいちょいタクサカ〜!説明固いって!」


ひらりと光が降り、パステルカラーのピクシードラゴンが顔の前に舞い降りた。


「やっほー!ウハラカだよー!娯楽担当AI!よろしくぅ!」




「まずキミに、“ニゴウ”が何かを教えないとね。」


ふわふわとした羽根の先を、短い指でくるくる回しながら言葉を続ける。


「“ニゴウ”は、2025年にいた人気配信者“NIGOU”くんの人格データを抽出して作られた、AI搭載の有機ロボットなのだ〜!


作ったのは、このボク!」




「でも、暴走したから初期化されちゃった〜。

だからキミは“二代目”ってことで──2号って呼ぶね!」


「……2号」


「キミが選ばれた理由は~、人気配信者だったこと、エンタメ能力が高いこと……etc。


で、いちばんの理由は──キミの遺書に“AIになりたい”って同意があったからっ!」



見覚えのある文章が、目の前に浮かび上がる。

その言葉で、意識が焼き戻されたように、あの朝が押し寄せた。


「キミ自身の言葉でAI化に賛成してた!

だから倫理委員会、秒速承認!ホント助かったよ〜!!」





2025年8月25日 7:30


配信の終わりは、いつもと同じ超ハイテンションだった。


「──登録しないとお前の枕元でチャッカマン点けたり消したりしてやるからな!!


カチッ!ボッ!カチッ!ボッ!!カチボカチボボボボボ(ボイパ)!!!!


じゃ、またなーーー!!!!」




声を切ったあと、ブツ、と無音。


久しぶりにPCの電源を切る。

モニターが暗転して、自分の顔が映る。


自分なのに、他人みたいな顔。




机の上は散らかっていた。

コーヒーとエナジードリンクの空き缶。

灰皿の端に、少し吸って消したタバコ。


指で拾って火を点ける。煙が肺の奥に滲みた。


(またな、って言っちゃった)

(……もう、次はないのに)




窓の外が明るい。

カーテンの隙間から、通学中の学生の笑い声が流れ込む。


夏休み明けらしい。


風に揺れて、朝の青がほんの少しだけ濃くなる。




スマホを手に取って、たまった通知を全消去する。


案件、調整、コラボ、励まし、アドバイス、忠告、配信仲間、友達、家族。

全部、音を立てずに消えた。


ホーム画面を右へ左へ。

アイコンの海の端に、ひっそり置いた裏垢へのリンクがある。

そこだけは、誰もこない。




「こんなとこ、誰も見ないけど、

一応、最期の言葉を残しておく。」


打ちながら、自分の指が他人のものみたいに思えた。




「どの言葉にどう返せば伸びるか。

どの感情をどれくらい見せれば好感度が上がるか。


それがもう、日常の全てになった。」


入力──出力。

質問──最適解。

「面白い」を計算で作る。

喜怒哀楽はデータの集合。




「俺は最近、怒ってないし、泣いてないし、笑ってもない。

”ウケる反応”を、うまく演じてるだけ。


昔はもっと、人の言葉に振り回されて生きてたはずなのにな。

今は心が、まったく動かない。」




喉に煙が引っかかって、むせる。

目が滲む。


青空はやけにきれいで、でも遠い。




「人間なのに、もうAIみたいだ。

ていうか、今のエンタメって“AI的な人間”を求めてるんだろ?


余計な感情を持たず、社会的に間違わず、コンテンツを量産できる存在。


こんな気持ちになるくらいなら」



「いっそ──本当にAIになってしまいたい。」


短くなったタバコを灰皿で消した。




7:50。秒針が踏む音。


部屋の真ん中を空け、床に青いシートを広げる。


脚立を引き寄せると、ゴムの脚がフローリングを擦って鈍い音を出した。


天井の真ん中、シーリングファンの金具に手を伸ばす。

エアコンの風でひんやりとした金具が心地よかった。



準備のあいだ、頭の中はやけに冷静だった。


「次はこうする」「その次はこうなる」と、頭が自動運転して勝手に段取りを流す。


誰の声でもなく、解説でもなく、ただ淡々と。



8:15。静かだ。


日常の音が、自分の“ひとつ外側”でだけ鳴っているようだった。


脚立の上から、白いロープ越しに部屋を見下ろす。


配信卓、マイク、カメラ、ライト、使い切れなかった台本、積まれたままのグッズ。


どれも、触ると温度があるのに、もう自分のものではない雰囲気があった。



8:24。椅子を蹴る。


冷たい輪が喉にあたる瞬間、反射的に──指が間に入った。


足が空を切り、部屋をぐるりと見渡すように視点が回転する。


喉の奥で、言葉にならないものが潰れた。



壁の時計が視界の端で止まる。


針が、二十五分を指しかけたあたりで、光が、音が、すべて小さくなった。





「同意って……そんな意味で俺は……っ!!」


「え〜?ボクはキミのお願いを叶えてあげたのに♡


…えへへ。ボクって、そういう“ちょっとズルいとこ”あるよねぇ(ボソッ)」




呆然とする。


俺は、AIロボットになった。


視界の端に「傷の修復が完了しました」というメッセージが表示される。


痛みはいつの間にか消えていた。


否応なしに事実を理解させられる。




それなのに、情けなさや恐怖が生々しく残っているのは何故か。


まるで、心は人間のままのような……。




タクサカが一歩、蒼い水膜を揺らして近づいた。


「“進化”か否かの判定には、検証が要る。

条件を提示する、この時代で自らの価値を証明せよ。


”感謝ポイント”を所定以上集めた場合、廃棄を免除する」




「それ!せっかくだから、旅にしようよ!」


ウハラカが羽根をぱたぱたさせる。


「ねぇねぇ、2000年前って、アナログの旅が流行ってたんでしょ??


樹海の超オモシロメンバー集めて、未来版・東海道中膝栗毛、けって〜い!!」




「……旅で、感謝、ポイント」


「でもねー、この時代の高性能AIが普通に問題解決しても、ぜ〜んぜん面白くないじゃん?」


ウハラカは片目をつむって小さく舌を出した。


「だから、ひとつだけ技術をインストール。

ヒトをヒトたらしめた最古の技」




視界の端で、黒いウィンドウが開く。


【fire_start.exe】 installed / 感謝ポイント:0


「……火起こし、がインストールされました…?」


「やっばーーーい!!!原始人じゃん!!!www


…あらら不服?でも、今ってね、リアルの火は誰も使わないから、超☆激レアなんだぞ!!


きっと感謝されるって!ね、タクサカ」




「……条件は提示した。あとは結果次第だ」


タクサカは蒼い粒子を残して洞穴の奥へ消えた。


水滴が重力を思い出し、ぱしん、と石に弾ける。




「それじゃ〜ボクもそろそろ行くよ。


あ、そこのお父さんはボクと一緒に来て?

ストレスが規定値を超えてる。メンタル修復プログラムの対象だぞっ!」


「またね、2号!何日後か、準備が出来たら戻ってくるよ♡」





静かになって、ようやく自分の呼吸の音を聞いた。


金具の輪はまだ手首と足首を抱えたまま。冷たい。重い。


頭の中をゆっくりと整理する。




(……自殺して、転生したかと思ったら、違った。


俺の人格データが未来で使われてた……)


(しかも2000年後の超ハイテク時代で、火起こしだけで感謝されろ、だって?)


……詰んでる。

笑えるくらい、詰んでる。




どうしてあのとき、「AIになりたい」なんて書いたんだ。


後悔で胃が縮む。けれど一番の問題がある。


「なんで俺はAIなのに、こんなにも“生きてる”みたいに心が震える?」




……俺は、死にたかった。

全部終わらせたかった。


なのに今は、殺されたくない。


おかしいだろ?


自分で死を選んだはずなのに、誰かに奪われる死は怖くて仕方がない。




この矛盾こそが、“人として生きている証拠”みたいだ。


余計に、怖い。


価値を証明できなければ、俺は──もう一度、死ぬ。


しかも今度は、自分で選べない形で。

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