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第21話 最後の抵抗(最終話)

# 第21話 最後の抵抗


気が付くと、俺は瓦礫の中に倒れていた。

冷たい石の感触が、頬に伝わってくる。全身が軋み、息をするのも苦しい。


体は人間の姿に戻っている。

クッキーの体でもない、パールヴァティの体でもない。

元の、クルーシブ・レインの体だった。


懐かしい自分の手を見つめる。

傷だらけで、血にまみれているが、確かに俺の手だ。


「目が覚めたかい?」


声に顔を上げると、そこにチココが立っていた。

朝日が彼の後ろから差し込み、逆光でシルエットだけが見える。


完全武装の姿で。

聖騎士の鎧に身を包み、腰には刻印入りの剣を下げている。銀色の鎧が、朝日を反射して鈍く光っていた。


その表情は、いつもの軽薄さはなく、騎士団長としての重責を背負った顔だった。

疲労の色が濃く、目の下には隈ができている。


「チココ...」


俺は震える声で呟いた。

喉が焼けるように痛い。声を出すのも一苦労だ。


体の中は空っぽだった。

妖精の声も、エリアナの温もりも、何もない。

ただ、虚無だけが広がっている。


まるで、魂の一部をもぎ取られたような喪失感。

体は生きているが、中身は死んでいる。そんな感覚だった。


「エリアナさんの死を隠したことを、謝罪はしないよ」


チココが静かに言った。

その声には、覚悟が滲んでいる。


「もしアノマリーを作り出せる薬の存在が世間に知られたら、どうなると思う?」


俺は答えなかった。

答える気力もなかった。ただ、虚ろな目で彼を見つめるだけ。


「パニックだよ。誰もが疑心暗鬼になる。隣人がいつアノマリーになるか分からない恐怖。そんな世界を、エリアナさんが望んだと思うかい?」


チココの言葉は、論理的で冷静だった。

感情を押し殺し、事実だけを淡々と述べている。


「黙れ...」


俺は呟いた。

力のない、掠れた声で。


「騎士団が前に進むためには、犠牲が必要だった」


チココは続けた。

まるで、自分に言い聞かせるように。


「エリアナさんも、パールヴァティも、ヴィクターも。みんな、この国を守るために命を賭けた」


その言葉に、怒りが湧き上がってきた。

虚無の中から、憎しみだけが蘇る。


「お前が殺したんだろう!」


俺は叫びながら立ち上がった。

よろめきながら、それでも立ち上がる。


最後の力を振り絞って、チココに向かって突進した。

もはや、生きる意味などない。せめて、一矢報いたい。


俺は右手から魔導弾を放った。

クッキーから受け継いだ、高速射撃の技術。震える手で、それでも正確に狙いを定める。


同時に、左手からは短剣を投擲する。

パールヴァティの暗殺技術だ。最後まで、彼らの技を使う皮肉。


カンカンカン。


金属音が響く。

チココは剣を抜き、最小限の動きで全てを弾いた。


攻撃ではなく、純粋な防御の剣技。

相手を傷つけず、ただ受け流すだけの動き。


「エリアナさんへの想いを、僕が忘れたことは一度もないよ」


チココの声は静かだった。

悲しみを押し殺した、重い声。


「彼女の犠牲も、君の憎しみも、全部背負っている」


「嘘だ!」


俺は空中に跳躍し、クッキーの高速飛行で急降下する。

パールヴァティの体術を混ぜた、渾身の蹴り。


全身の筋肉を使い、回転を加えた必殺の一撃。


ガィン。


鈍い音と共に、俺の攻撃は止められた。

チココの鎧が、俺の攻撃を受け止めた。


衝撃で俺の方が弾き飛ばされる。

地面に転がり、激痛が全身を走る。


「でもね、クルーシブ」


チココは悲しそうに言った。

その瞳には、深い哀れみが宿っている。


「君のような、過去にしがみついてくる悪霊に足を引っ張られても、僕たちは前に進まなきゃいけないんだ」


悪霊。

俺を、悪霊と呼んだ。


「悪霊だと...!」


俺は怒りで震えた。

全身の血が沸騰するような怒り。


ありったけの魔力を込めて光線を放つ。

妖精から学んだ、破壊の光。最後の力を振り絞った一撃。


暗赤色の光が、チココに向かって放たれる。


チココは剣を構え、光線を真っ二つに切り裂いた。

聖騎士の剣技が、俺の怨念を断ち切る。


光線は左右に分かれ、彼の両側を通過していく。

背後の瓦礫が、爆発と共に吹き飛んだ。


「そうだよ。君はもう、生きている人間じゃない」


チココの言葉は残酷なほど冷静だった。

事実を、淡々と告げるだけ。


「復讐に取り憑かれて、自分も他人も破壊し尽くした亡霊だ」


その言葉が、胸に突き刺さる。

否定したいが、できない。確かに、俺は多くの命を奪った。


俺は無我夢中で攻撃を続けた。


罠を仕掛け、幻術を使い、毒を撒き、関節技を狙う。

クッキーとパールヴァティから奪った、全ての技術を駆使した。


床に魔法陣を描き、物陰から攻撃を仕掛け、死角から短剣を投げる。

ありとあらゆる手段で、チココを倒そうとした。


だが、チココは全てを剣と鎧で防ぎ続ける。

反撃は一切しない。

ただ、受け止め続ける。


まるで、子供の癇癪を受け止める親のように。

俺の怒りを、全て受け入れている。


「なぜだ!なぜ反撃しない!」


俺は息を切らしながら叫んだ。

汗が目に入り、視界が滲む。もう、体力も魔力も限界だった。


「君を殺すのは簡単だよ」


チココは静かに答えた。

息一つ乱していない。圧倒的な実力差。


「でも、それじゃエリアナさんたち英雄の意志に背くことになる」


英雄。

エリアナを、英雄と呼んだ。


「何を...」


「彼女たちは、未来のために戦った。恨みや憎しみのためじゃない」


チココは剣を下ろした。

もはや、俺を脅威とは見なしていない。


「だから僕は、君の憎しみも受け止める。それが、生き残った者の責任だから」


その言葉に、俺は理解した。

チココは、最初から俺を殺す気はなかったのだ。


ただ、俺の怒りを受け止め、消耗するのを待っていた。

まるで、嵐が過ぎるのを待つように。


俺は膝をついた。

もう、立ち上がる力もなかった。


地面に手をつき、荒い息を吐く。

汗と涙が、地面に落ちていく。


「畜生...畜生...」


涙が止まらなかった。

悔しさ、悲しさ、虚しさ。全ての感情が、涙となって溢れる。


何のために戦ってきたのか。

何のために、多くの命を奪ったのか。


結局、俺は何も守れなかった。

エリアナも、仲間も、自分自身も。


チココがゆっくりと近づいてきた。

重い足音が、静かに響く。


そして、俺の前に膝をつく。

騎士団長が、罪人の前に膝をついた。


「今まで、ありがとう」


その言葉は、心からのものだった。

演技でも、皮肉でもない。本心からの感謝。


「クルーシブ・レイン。君は優秀な騎士だった。エリアナさんが愛した、優しい人だった」


優しい人。

エリアナと同じことを言う。


俺が、優しい人だったと。

こんなに多くの人を殺した俺が。


「俺は...」


言葉が続かない。

何を言えばいいのか、分からない。


「君の命も、想いも、全部背負って前に進むよ」


チココは立ち上がり、剣を構えた。

刻印入りの聖剣が、朝日を反射して輝く。


「僕たちは、死んでいった仲間たちの分まで生きなきゃいけないから」


剣が高く掲げられる。

処刑の時が来た。


俺は目を閉じた。

もう、抵抗する気はない。むしろ、これで楽になれる。


エリアナの元へ行ける。

やっと、彼女に会える。


剣が振り下ろされた。


風を切る音が聞こえる。

死の瞬間が、ゆっくりと近づいてくる。


痛みはなかった。


首筋に冷たい感触を感じた後、意識が急速に薄れていく。

まるで、深い眠りに落ちるように。


ただ、とても静かで——


薄れゆく意識の中で、最後に見えたのは、チココの涙だった。


騎士団長の顔から、涙が流れていた。

悲しみに歪んだ表情で、それでも剣を振り抜いた。


「さようなら、クルーシブ」


彼の声が、遠くから聞こえた。

別れの言葉。そして、鎮魂の言葉。


ああ、そうか。

チココも、苦しんでいたのか。


多くの仲間を失い、それでも前に進まなければならない重責。

憎まれ、恨まれても、国を守らなければならない立場。


俺は、彼の苦しみを理解していなかった。

ただ、自分の痛みだけに囚われていた。


最後の瞬間、俺は微笑んだ。

もう、憎しみはない。


ただ、全てを受け入れる。

これが、俺の選んだ道の結末なのだから。


エリアナ、もうすぐ会えるよ。

今度こそ、ずっと一緒にいよう。


全てが、闇に沈んでいった。


クルーシブ・レインの人生は、ここで終わりを告げた。

復讐者としてではなく、一人の人間として。


最後に残ったのは、後悔と、僅かな安らぎだった。


そして、朝日は変わらず昇り続ける。

生き残った者たちが、新たな一日を始めるために。


死者の想いを背負い、未来へと歩んでいくために。

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