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第20話 愛する者との死闘

# 第20話 愛する者との死闘


そこに立っていたのは、紛れもなくエリアナの姿だった。

死んだはずの、俺の最愛の妻。


月光が彼女の銀色の髪を照らし、まるで後光のように輝いている。

鎧に刻まれた紋章が、聖なる光を放っていた。


だが、その表情に悲しみはあっても、迷いは一切なかった。

戦士の顔。決意に満ちた、揺るぎない意志を宿した表情。


「クルーシブ!!」


エリアナが叫んだ。

その声は、俺の記憶にある通りの、力強いものだった。澄んだ声が、廃墟と化した街に響き渡る。


「いや、復讐に溺れた化け物!!一緒に地獄に帰るぞ!」


彼女の手には、巨大なメイスが握られていた。

鈍器特有の重量感と、聖なる力を纏った武器。金属の表面には、複雑な紋様が刻まれ、白い光を放っている。


構えを取る姿は、生前と何も変わらない。

男勝りで、真っ直ぐで、一切の迷いがない戦士の姿だった。


右足を前に、左足を後ろに。重心を低く保ち、いつでも跳躍できる体勢。

彼女が得意とした、攻撃的な構えだ。


『偽物よ!』


妖精が叫んだ。

俺の体内で、激しい拒絶反応が起きる。


『私が本物のエリアナ!騙されないで!』


妖精の声は必死だった。今までにない焦りが、その声音から伝わってくる。


だが、目の前のエリアナは既に動いていた。


地面を蹴り、真正面から突撃してくる。

その速度は、人間の限界を超えていた。地面が爆発したかのように土煙が上がる。


触手の壁など意に介さず、まっすぐに俺を目指して。

障害物を、力任せに突破していく。


「待て!エリアナ!」


俺は反射的に触手を振るった。

音速を超える速度で、彼女を薙ぎ払おうとする。太い触手が、空気を切り裂いて迫る。


しかし——


ガァン!


凄まじい金属音と共に、触手が砕け散った。

黒い破片が、四方八方に飛び散る。


エリアナのメイスが、俺の攻撃を真正面から叩き折ったのだ。

一撃で、俺の触手を粉砕する圧倒的な破壊力。


「なっ...!」


あり得ない光景だった。

Sランク冒険者すら瞬殺した俺の触手が、一撃で破壊される。


「どうした!その程度か!」


エリアナは止まらない。

砕けた触手を踏み台にして、更に高く跳躍する。重い鎧を着ているとは思えない、軽やかな動き。


俺は慌てて、複数の触手で迎撃しようとした。

十本、二十本、三十本——


あらゆる角度から、彼女を押し潰そうとする。

黒い触手の檻が、エリアナを包み込もうとした。


だが、エリアナは空中で身を捻り、メイスを振り回した。

回転の勢いを乗せた横薙ぎの一撃。


ブォン!ブォン!ブォン!


重い音が連続して響く。

風圧だけで、周囲の瓦礫が吹き飛ぶ。


触手が次々と砕かれ、千切れ飛んでいく。

まるで、小枝を折るように簡単に。メイスが触れた瞬間、触手は原型を留めずに散る。


「エリアナ...本当にお前なのか...」


俺は混乱していた。

この戦い方、この強さ、確かにエリアナのものだ。


あの豪快で、力強く、真っ直ぐな戦闘スタイル。

技巧よりも、純粋な破壊力で敵を圧倒する戦い方。


だが、なぜ俺を攻撃する?

なぜ、愛する夫である俺を殺そうとする?


「黙れ!」


エリアナが吼えた。

獅子の咆哮のような、威圧的な声。


「お前はもうクルーシブじゃない!ただの人殺しの化け物だ!」


彼女は触手を伝って、どんどん俺の本体に近づいてくる。

メイスを振るうたびに、俺の防御が崩されていく。


まるで、山を登るように。

一歩一歩、確実に距離を詰めてくる。


俺は必死に触手で防御壁を作るが、全てメイスの一撃で粉砕される。

聖なる力を帯びたメイスは、妖精の力を根本から否定しているかのようだった。


「くそっ!」


俺は最大出力で暗赤色の光線を放った。

街を消し飛ばすほどの破壊光線。空間が歪むほどのエネルギーを込めた一撃。


これなら——


カキィィン!


信じられない音が響いた。

金属と何かがぶつかる、澄んだ音。


エリアナがメイスを振るい、光線を弾いたのだ。

破壊光線が真っ二つに割れ、彼女の両側を通過していく。


破壊光線が逸れ、遥か彼方の山を吹き飛ばす。

轟音と共に、山の頂上が消滅した。


「そんな...馬鹿な...」


俺の攻撃が、ことごとく無効化される。

これが、本当にエリアナなのか?


いや、生前の彼女より遥かに強い。

まるで、別次元の存在になったかのようだ。


「お前がやったことを見たぞ!」


エリアナは叫びながら、更に距離を詰めてくる。

彼女の目には、怒りの炎が燃えている。


「罪もない人々を虐殺して!パールヴァティを殺して!ボリスを拷問して!」


一つ一つの言葉が、俺の心に突き刺さる。

だが、俺にも言い分がある。


その言葉に、俺は反論しようとした。


「違う!全部チココのせいだ!奴がお前を——」


「言い訳するな!」


エリアナのメイスが、俺の巨大な花弁の一つを砕いた。

黒い花弁が、粉々に砕け散る。


激痛が走る。

花弁は俺の体の一部。それが破壊される苦痛は、想像を絶するものだった。


「ぐあああ!」


俺は絶叫した。

今まで感じたことのない痛み。魂を直接えぐられるような苦痛。


「チココ様は私を蘇生してくれた!お前を止めるために!」


エリアナの言葉に、俺は愕然とした。

チココが...エリアナを蘇生した?


『嘘よ!』


妖精が絶叫する。

彼女の恐怖が、俺の全身を震わせる。


『それは偽物!私を信じて!』


だが、目の前のエリアナの存在感は圧倒的だった。

偽物とは思えない。その一挙一動が、記憶の中のエリアナそのものだ。


俺は混乱の極致にあった。


目の前のエリアナは本物のようで、偽物のようで。

体内の声は愛しているようで、操っているようで。


真実がわからない。

何が本物で、何が偽物なのか。


「エリアナ...俺は...俺はただ...」


言葉が続かない。

何を言えばいいのか分からない。


ただ、お前を愛していた。

ただ、お前の仇を討ちたかった。

それだけなのに、なぜこんなことに。


エリアナは既に、俺の本体まであと少しの距離に迫っていた。

巨大な花の中心部、俺の核心まで、もう少し。


彼女の目には、一切の迷いがない。

殺意すら感じる、冷たい眼差しだった。


まるで、化け物を見るような目。

かつて愛し合った夫婦の面影は、そこにはなかった。


「覚悟しろ、クルーシブ」


彼女はメイスを高く掲げた。

聖なる光が収束し、武器全体が白く輝き始める。


「これで終わりだ」


最後の一撃。

それは、俺の存在を完全に消し去るための、渾身の一撃になるだろう。


エリアナのメイスが振り下ろされた。

白い光を纏った破壊の鉄槌が、俺の核心部に迫る。


俺は咄嗟に、残った全ての触手を集束させて防御した。

黒い壁が、俺と彼女の間に立ちはだかる。


ガァァァン!


凄まじい衝撃が、俺の巨体を揺るがす。

大地が割れ、衝撃波が周囲の瓦礫を吹き飛ばす。


触手の盾が、真ん中から真っ二つに割れた。

亀裂が走り、黒い破片が飛び散る。


「まだだ!」


エリアナは着地すると同時に、再びメイスを構えた。

疲れた様子は微塵もない。むしろ、戦意は増すばかりだ。


今度は横薙ぎの一撃。

回転の勢いを最大限に活かした、破壊的な攻撃。


俺の花弁が、また一つ砕け散る。

黒い花びらが、夜空に舞い上がる。


「ぐあああ!」


激痛に悶えながら、俺は後退した。

巨体が動くたびに、街の残骸が更に破壊される。


だが、エリアナは追撃の手を緩めない。

獲物を逃さない肉食獣のように、執拗に攻め立ててくる。


地面を蹴り、弾丸のように突進してくる。

メイスを構えた姿は、まるで突撃する騎士のようだ。


「なぜだ!なぜ俺を殺そうとする!」


俺は叫びながら、触手の雨を降らせた。

百本を超える触手が、槍のように彼女に殺到する。


空が黒く染まるほどの、圧倒的な物量攻撃。


だが、エリアナは止まらなかった。


メイスを回転させ、触手を次々と叩き落としていく。

まるで雨を払うように、軽々と。


砕けた触手の破片が、雨のように降り注ぐ。

黒い雨の中を、彼女は真っ直ぐに進んでくる。


「お前がやったことを忘れたのか!」


エリアナが怒鳴った。

その声には、深い怒りと悲しみが込められている。


「クッキーを殺した!パールヴァティを殺した!この街の人々を皆殺しにした!」


一つ一つの罪状が、俺の心を抉る。

確かに、俺はそれをやった。


だが——


「違う!全部お前のためだ!」


俺は必死に弁明した。

これだけは、分かってもらいたい。


「チココがお前を殺したから!復讐しなければならなかった!」


俺の叫びに、エリアナの表情が変わった。

怒りに、悲しみが混じる。


「復讐?」


エリアナは鼻で笑った。

自嘲的な、悲しい笑い。


「それがお前の言い訳か!私の名前を使って、罪もない人々を殺戮する理由か!」


彼女の言葉は、鋭い刃のように俺の心を切り裂いた。

反論したいが、言葉が見つからない。


彼女は跳躍し、俺の中心部に向かって一直線に飛んできた。

メイスに込められた聖なる力が、眩い光を放っている。


これは、必殺の一撃だ。


『殺される!反撃して!』


妖精が悲鳴を上げた。

彼女の恐怖が、俺の全身を支配する。


俺は全魔力を込めて、最大出力の光線を放った。

今までで最強の一撃。全てを破壊する、究極の破壊光線。


空間が歪むほどの破壊光線が、エリアナに向かって収束する。

もはや、手加減などしていられない。


だが——


「はあああああ!」


エリアナは雄叫びを上げながら、メイスを光線に叩きつけた。

白い光と暗赤色の光が激突する。


ガギィィィン!


信じられないことに、光線が真っ二つに割れた。

まるで、固体を切り裂くように。


エリアナはその隙間を通り抜け、俺の眼前に迫る。

彼女の瞳には、一瞬の躊躇もない。


「これで——」


メイスが俺の核心部に向かって振り下ろされる。

時間が、スローモーションのように流れた。


このままでは、本当に殺される。

俺の存在が、完全に消滅する。


だが、その瞬間。


エリアナの動きに、一瞬の躊躇が生まれた。

ほんの刹那、彼女の目に迷いの色が浮かんだ。


メイスを振り下ろす瞬間、彼女の腕が僅かに震えた。


かつて愛し合った夫の面影を、この化け物の中に見たのかもしれない。

愛していた人間の、最後の欠片を感じ取ったのかもしれない。


その一瞬の隙を、俺は見逃さなかった。


本能が、生存本能が俺を動かした。


隠していた触手が、彼女の死角から襲いかかる。

地面に潜ませていた最後の切り札。


メイスを持つ腕に巻きつき、動きを封じた。

細い腕に、黒い触手が蛇のように絡みつく。


「しまっ——」


エリアナが気づいた時には、もう遅かった。

彼女の体勢が崩れ、メイスの軌道が逸れる。


別の触手が彼女の胴体を貫いていた。

鎧を貫通し、腹部から背中へと突き抜ける。


赤い血が、触手を伝って流れ落ちた。


「がはっ...」


血が、彼女の口から溢れた。

赤い血が、顎を伝って滴り落ちる。


「エリアナ!」


俺は悲鳴を上げた。

自分がやったことなのに、信じられなかった。


まさか、本当に貫いてしまうなんて。

まさか、エリアナを傷つけてしまうなんて。


『よくやったわ!』


妖精の声が歓喜に震えていた。

彼女の喜びが、俺の罪悪感と対照的だった。


『偽物を排除できた!』


だが、俺の心は引き裂かれていた。


触手に貫かれながら、エリアナは俺を見上げた。

その目には、怒りも憎しみもなかった。


ただ、深い悲しみだけがあった。

裏切られたような、それでいて諦めたような表情。


「クルーシブ...」


彼女は血を吐きながら、微笑んだ。

苦痛に顔を歪めながらも、優しい笑みを浮かべた。


「やっぱり...お前は...私の知ってる...優しい人だった...」


その言葉に、俺の心が凍りついた。


これは演技なんかじゃない。

本物のエリアナだ。


俺が愛した、あのエリアナだ。

優しくて、強くて、真っ直ぐな妻だ。


「最後の...一撃で...躊躇って...しまった...」


エリアナは苦笑した。

血で唇を濡らしながら、自嘲的に。


「馬鹿ね...私も...」


彼女も、最後の瞬間に躊躇したのだ。

俺を殺すことを、ためらってしまった。


夫婦の情が、戦士の決意を鈍らせた。

愛が、殺意を和らげてしまった。


「エリアナ!すまない!すぐに治療を——」


俺は慌てて触手を引き抜こうとした。

傷を塞ぎ、彼女を救わなければ。


だが、エリアナは首を横に振った。

力なく、諦めたように。


「もう...遅いわ...」


確かに、傷は深すぎた。

内臓が破壊され、大量の血が失われている。


そして、彼女は最後の力を振り絞って言った。


「でも...これで...よかった...」


エリアナの瞳に、奇妙な安堵の色が浮かんだ。


「何を言って——」


次の瞬間、エリアナの体が眩く光り始めた。

内側から、白い光が溢れ出してくる。


いや、体の中から無数の光が溢れ出してきた。

皮膚の下で、何かが蠢いている。


「チココ様の...最後の...プレゼントよ...」


エリアナが囁いた。

苦痛に震えながらも、確かな意志を持って。


「対アノマリー用の...爆弾を...体内に...埋め込んで...あったの...」


俺は愕然とした。

まさか、そんな。


チココの魔力を込めた、あの爆弾が。

パールヴァティが使っていた、対アノマリー兵器が。


エリアナの体内に、無数に。

彼女は、最初から自爆を前提に戦っていたのか。


「一緒に...地獄に...落ちましょう...」


エリアナは、愛おしそうに俺を見つめた。

血に濡れた顔で、それでも優しく微笑んで。


「今度こそ...離れないで...」


彼女の言葉は、愛と決意に満ちていた。

死を恐れない、戦士の覚悟。


そして、夫を愛する妻の、最後の願い。


『何を言ってるの!?』


妖精が恐慌状態で叫んだ。

今までにない恐怖が、彼女の声を震わせている。


『クルーシブ!早く私を体から分離させて!まだ間に合うわ!』


妖精の必死さが、俺の神経を刺激する。

彼女は本気で恐れている。死を、消滅を。


エリアナは穏やかに微笑んだ。

死を目前にして、不思議なほど落ち着いている。


「これ以上...罪を重ねちゃダメよ...クルーシブ...」


彼女の声は優しかった。

叱るような、諭すような、母親のような優しさ。


『聞かないで!』


妖精の声がヒステリックになっていく。

もはや、なりふり構っていられない様子だ。


『私を見捨てる気!?今まで一緒に戦ってきたじゃない!』


確かに、妖精は俺と共に戦ってきた。

力を与え、導き、復讐を支えてくれた。


だが——


「もう...十分よ...」


エリアナが血を吐きながら続ける。

彼女の体から、光がどんどん強くなっていく。


「お前は...優しい人だった...だから...利用されてしまった...」


その言葉が、真実を突いていた。

俺は、妖精に操られていたのか?


『優しい!?馬鹿なことを言わないで!』


妖精が必死に叫ぶ。

彼女の恐怖が、俺の全身を震わせる。


『クルーシブ、命令よ!今すぐ私を逃がしなさい!あなたには私が必要でしょう!?』


命令。

今まで、彼女は俺に命令などしたことがなかった。


常に囁き、導き、提案するだけだった。

それが今、必死に命令している。


エリアナの体から、光が漏れ始めた。

鉄球が、起動し始めている。


聖なる力が、内側から溢れ出す。

もう、時間がない。


「怖くないわ...」


エリアナは俺の触手を優しく撫でた。

血まみれの手で、化け物の体を慈しむように。


「だって...やっと一緒になれるんだもの...」


彼女の言葉は、純粋な愛に満ちていた。

死してなお、俺と共にいたいという願い。


『違う!一緒になんかなれない!』


妖精が絶叫する。

その声には、もはや余裕など欠片もない。


『私こそが本物のエリアナよ!そいつは偽物!クルーシブ、私を助けて!お願い!命令じゃない、お願いよ!』


命令から、懇願に変わった。

妖精の本性が、露わになっていく。


俺は二つの声に引き裂かれていた。


体内で響く、必死の懇願。

目の前で微笑む、穏やかな諦観。


どちらが本物なのか。

どちらを信じればいいのか。


「クルーシブ...」


エリアナが囁いた。

最後の力を振り絞って。


「お前が...してきたこと...全部知ってる...でも...」


彼女の声は掠れていたが、はっきりと聞こえた。


『知らないわよ!』


妖精が遮る。

必死に、エリアナの言葉を否定しようとする。


『私はずっとあなたと一緒にいた!あなたの苦しみを知ってる!あなたの怒りを理解してる!だから捨てないで!』


妖精の言葉は真実だ。

彼女は、ずっと俺と共にいた。


俺が苦しむ時、慰めてくれた。

俺が怒る時、共に怒ってくれた。


「でも...私は...お前を愛してる...」


エリアナの言葉は、静かで確かだった。

揺るぎない真実が、そこにあった。


「だから...一緒に...償おう...」


償う。

俺が犯した罪を、共に償おうと言っている。


『償う!?冗談じゃない!』


妖精の声が醜く歪む。

本性が、完全に露わになった。


『私は死にたくない!消えたくない!クルーシブ、あなたもでしょう!?まだ復讐は終わってない!チココを殺してない!』


復讐。

そうだ、まだチココを殺していない。


エリアナの仇を、まだ討っていない。

それなのに、ここで終わっていいのか?


光が、どんどん強くなっていく。

エリアナの体が、白い光に包まれていく。


もう時間がない。

決断しなければ。


妖精を逃がして、復讐を続けるか。

エリアナと共に、ここで終わるか。


「ねえ...クルーシブ...」


エリアナが最後の力で言った。

もう、声もかすかだ。


「もし...生まれ変われたら...今度は...普通の夫婦に...なろうね...」


その言葉に、俺の心が震えた。


普通の夫婦。

戦いのない、平和な日常。


朝、一緒に目覚めて。

夜、一緒に眠る。


そんな、ささやかな幸せ。

俺たちが、求めて得られなかったもの。


『そんな甘い夢なんか見るな!』


妖精が喚き散らす。

もはや、体裁も何もない。


『現実を見なさい!死んだら終わりよ!何も残らない!無になるのよ!怖くないの!?』


怖い。

確かに、死は怖い。


消滅することは、恐ろしい。

無になることは、想像もできない恐怖だ。


だが——


その瞬間、俺は理解した。


体内で喚いているのは、ただ死を恐れる化け物。

目の前で微笑んでいるのが、俺を本当に愛してくれた妻。


妖精は、エリアナではない。

ただ、彼女の姿と記憶を利用した、別の何かだ。


「エリアナ...」


俺は崩れゆく体で、彼女を抱きしめた。

巨大な体が縮小し、人間の姿に近づいていく。


触手が消え、花弁が散り、元の姿へと戻っていく。


「すまなかった...」


俺は涙を流しながら謝った。

遅すぎる謝罪。もう、取り返しがつかない。


だが、それでも謝らずにはいられなかった。


『やめて!やめてええええ!』


妖精の絶叫が響く。

断末魔の叫びのような、必死の抵抗。


『私を殺さないで!お願い!何でもするから!クルーシブううううう!』


妖精の声は、もはや人間のものではなかった。

化け物の、醜い本性が剥き出しになっている。


だが、俺はもう、その声に耳を貸さなかった。


大切なのは、目の前のエリアナだ。

最後の時を、彼女と共に過ごすことだ。


エリアナの体が、完全に光に包まれた。

無数の鉄球が、聖なる力を解放する。


「愛してる...」


エリアナの最後の言葉だった。

血に濡れた唇から、かすかに漏れた言葉。


だが、その言葉には、全ての感情が込められていた。

愛、許し、そして永遠の絆。


「俺も...愛してる...」


俺は彼女を強く抱きしめた。

もう、離さない。


今度こそ、最後まで一緒に。


そして——


凄まじい爆発が起きた。


聖なる光が、俺と妖精を焼き尽くしていく。

白い炎が、全てを浄化していく。


『いやあああああああ!』


妖精の断末魔が響いた。

存在そのものが、消滅していく苦痛。


『消えたくない!死にたくな——』


声は途中で途切れた。


妖精は、完全に消滅した。

もう、二度と蘇ることはない。


俺の意識も、光の中に溶けていく。

体が分解され、魂が解放されていく。


痛みはなかった。

むしろ、不思議な安らぎがあった。


最後に感じたのは、エリアナの温もりだった。

彼女の愛が、俺を包んでいた。


ああ、これでいい。

これで、やっと——


全てが、白い光に包まれて消えていった。


復讐の連鎖は、ここで終わる。

憎しみの炎は、愛によって浄化された。


そして、二人の魂は、光の中で一つになった。

今度こそ、永遠に離れることのないように。

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