第2話 燃料牧場
赤い夕日が地平線に沈みゆく頃、俺の体の痛みは大分和らいでいた。
騎士団の回復魔法は一流だが、チココはわざと完全治癒はさせなかったようだ。痛みを残し、俺の反抗心を抑えるためだろう。
輸送トラックの助手席に座り、俺は窓の外の風景を眺めていた。難民区に向かう道は次第に荒廃して、建物は朽ちてゆく。だが、町並みは活気で溢れていく。騎士団の領地以外は、常にアノマリーや人間同士の争いの恐怖にさらされている。
「まもなく到着します」
運転手の言葉に顔を上げると、遠くに不釣り合いなほど整備された建物群が見えてきた。
「あれが聖ロザリオ少女騎士学園か」
その姿は学園というより研究施設そのものだった。高い塀に囲まれ、無機質な灰色の建物が並び、監視塔のようなものまである。
ふと視界の端に動くものを感じた。窓の外、トラックと並行して何かが飛んでいる。
「君がクルーシブなの? 僕がクッキーだよ!よろしくね!」
トラックと同じ速度で飛行しながら、窓に顔を押し付けているのは、ぬいぐるみのような生物だ。まるで子供向けアニメのキャラクターのような姿をしているが、騎士団の正式な軍服を羽織っていて、胸には数多くの勲章を付けている。
「えーと、あ、ヴィクター・ドレッドノートだよ! でも、この名前を聞くと頭が痛くなるからクッキーって呼んでね!」
俺は顔をそむけ、チココが持たせてくれた「手土産」の箱を開けた。中には手作りらしいクッキーが詰まっていた。
クッキーをかじってみるとやっぱり美味い。素朴な甘さとバターの風味が広がる。
「僕のクッキー!! クッキーのクッキーだよ!!!」
空飛ぶぬいぐるみは必死に窓を叩いてくる。
隣にいる運転手が申し訳なさそうに言う。
「ク、クルーシブ殿、窓の外におられるのがスターパラディンのヴィクター・ドレッドノート殿です。研究所の事件の影響で、あのお体になられてしまいました」
俺はクッキーを食べ続けた。あんなマスコットが鬼教官のヴィクター・ドレッドノートのはずがない。
学園に着くと、入口でチココが待っていた。いや、髪色と目の色が少し違うから分体のほうか。その隣にはクッキーが悲しそうな顔で浮いている。
「ようこそ、聖ロザリオ少女騎士学園へ。クッキーを独り占めして、上官が迎えに来てくれても無視し続けたくそったれのクルーシブ!」
学園に着くとチココと先ほどまで平行飛行していたマスコットがいる。今にも暴れそうなマスコットを必死に抑えている。手には新しいクッキーの箱を持たされている。
あのチココは、髪色と目の色が少し違うから分体のほうか。記憶や経験値なども、1日に何回か程度の感覚で共有するらしい。
俺の中で何かが変だと感じた。なんだか記憶を書き換えられているような...
正気に戻ってみると、チココがこちらに向けて中指を立てている。
「記憶を無理やり書き換えると意識や記憶が混濁する恐れがあるから、普通は治療目的以外じゃ使わないんだけどねぇ?」
「クッキーを介護させるために送ってもらったのに、なんでお前の介護から始めないといけないんだよ。二度手間じゃねぇか!! はぁはぁ、まあ、クッキーが拗ねて引きこもってしまったから、僕が案内してあげるよ」
チココは深いため息をついた後、俺を学園内へと案内していく。
チココは廊下を歩きながら口を開いた。
「ここは難民や貧困層や、都市連合から逃げてきた層の少女たちに教育と未来を与える学園だよ。騎士団の次世代戦力を育成する場所だね。無事に卒業できれば、騎士団員になれるんだよ」
「建前は理解している。実態は?」
「建前なんてないよ。才能やスキルを無理やり開花させる薬を投与した後、学園生活を送りながら騎士になる勉強をしてもらうための施設だよ。卒業率は30%ぐらいだけど、冒険者ギルドや都市連合の残虐非道な奴らに使い捨てにされるよりかは遥かに確率が高いね」
「燃料とはなんだ?」
「あー、マロンとかいうマッドサイエンティストがこの国のどこかにいて、そいつの実験に必要なんだよ。あと、魔導発電所の燃料にも使えるし、いろいろな設備にも必要になっている」
あまりにも淡々と非道なことを語るチココに、俺は怒りを覚えた。
「人間を材料にするなど許されるのか!?」
チココに鼻で笑われた。
「少しは周辺国の勉強をしなよ。あと、許されるかどうかなんて関係ない。必要だからやっているだけだからね。やめてもいいけど、別の場所で別のことしないといけなくなるだけだから余計なことを考えないでね」
俺は立ち止まり、窓の外を見た。そこからは訓練場で汗を流す少女たちの姿が見えた。
「あの子たちの中で何人生き残るんだ?」
「遠くから見てもわかるレベルでレベルが低いな。まあぁ、2~3人ぐらい? ああ、君は特別クラスの担当だから。半分は卒業させられるんじゃないの?」
「特別クラスってなんだ?」
「才能を開花させる薬との適合率が高くて、良好な反応を示した生徒たちを集めたクラスだよ。ヴィクター、クッキーに任せているクラスなんだけど、思った以上に苦戦しているんだ」
「ゲーム感覚で国家運営しているのか?」
「ゲームなら攻略法が用意されているからヌルゲーじゃないか。クリアできるゲームとかヌルゲーだよ」
チココはそう言って帰っていった。本当に嫌なやつだ。
「あとあと、温泉宿を宿泊先として借りておいたからそこを使ってね。エリアナの遺灰とか、手続きのための書類とかは宿に届くようにしておくからね。クッキーの部屋は君の隣だから、暇な時は遊んであげてね」
学園を一通り見学した後、俺は地図を頼りに宿へと向かった。
「いらっしゃいませ、クルーシブ様でいらっしゃいますね」
女将と思しき綺麗な女性が丁寧に出迎えてくれた。
部屋に案内されると、既に荷物が運び込まれ、浴衣まで用意されていた。
「クルーシブ様、こちらがお荷物です」
女将が渡してきたのは、小さな木箱と封筒だった。女将が去った後、俺はまず封筒を開けた。エリアナの死亡証明書と遺灰引き取りの手続き書類だった。
そして、恐る恐る木箱を開ける。中には白い骨壷があり、「エリアナ・レイン」と刻まれていた。
「エリアナ...」
指先で骨壷に触れると、妙な感覚が走った。これが本当にエリアナの遺灰なのか?
考えを巡らせていると、突然ノックの音がした。
「クルーシブさん、入っていい?」
ドアの向こうから聞こえたのは、クッキーの声だった。
「ああ、入れ」
部屋に入ってきたクッキーは、さっきの子供っぽさとは違う、やや落ち着いた様子だった。
「明日から一緒に特別クラスを担当することになる。事前に生徒たちのことを説明しておこう」
クッキーはファイルを広げて説明を続ける。時折、口調が厳格な教官のものに変わる。
「特別クラスには12名の生徒がいる。全員が難民や孤児、または債務奴隷から解放された者たちだ。魔力適性が高く、将来有望な人材だが、精神的には不安定な者も多い」
その瞬間、クッキーの表情が変わった。
「お前がここに送られたのは...あのアノマリーを使えるからだ。研究所で起こったことを話、はな...そう。事故なんて嘘だ。マロンが...強制進化薬と呼ばれるウイルスをばらまいて...」
クッキーが暴れ出した。必死に何かを忘れようと頭を叩いている。
「化け物になった部下をこの手で...みんなたべて...くっついて...」
しばらく経つと、ヒーラー部隊が突入してきた。
「クルーシブ殿、下がってください」
俺は自室から追い出されてしまった。
部屋で一人になった俺は、エリアナの骨壺を見つめた。クッキーの混乱した言葉が頭から離れない。
何かが隠されている。何かが嘘だ。
そして俺は、真実を知るために立ち上がった。復讐の炎は、まだ燃え始めたばかりだった。