第19話 破滅の宴
# 第19話 破滅の宴
都市連合の田舎街に降り立った俺は、パールヴァティの体から妖精の力を解放し始めた。
夜の静寂を破るように、俺の体内から何かが蠢き始める。
「さあ、始めようか」
黒い霧が俺の体から噴き出し、街全体を覆い始める。
濃密な瘴気が、まるで生き物のように這い回り、建物の隙間に潜り込んでいく。
『そうよ、もっと解放して』
エリアナの声が恍惚としていた。
彼女の歓喜が、俺の全身を駆け巡る。
『この街の生命力を全て、私たちのものにしましょう』
俺の体が急速に変化し始めた。
パールヴァティの人間の形が崩れ、黒い塊へと変貌していく。骨が軋み、肉が膨張し、新たな形へと再構築されていく。
肉体が膨張し、無数の触手が生えてきた。
皮膚が裂け、その下から黒い何かが溢れ出す。
大地に根を張るように、触手が地面に突き刺さる。
アスファルトを貫き、地中深くへと根を伸ばしていく。
そして、中心から巨大な花のような形が開いた。
黒い花弁が、夜空に向かって開いていく。
まるで、巨大なアルラウネ。
いや、それ以上に禍々しい姿だった。
黒と紫の花弁、赤く脈動する中心部、そして無数にうねる触手。
花弁の表面には、無数の眼球が浮かび上がり、あらゆる方向を見つめている。
高さは20メートルを超え、触手の到達範囲は街全体を覆うほどだった。
もはや、建物すら小さく見える巨体。
変身が完了した瞬間、俺の視界が変わった。
無数の眼球から入る情報が、脳に流れ込んでくる。街の全てが、手に取るように見える。
「な、なんだあれは!?」
最初に気づいたのは、夜更かしをしていた住民たちだった。
窓から顔を出し、信じられないものを見たという表情で俺を見上げている。
「化け物だ!逃げろ!」
叫び声が上がり、パニックが連鎖的に広がっていく。
人々が家から飛び出し、逃げ惑い始めた。
パニックになった群衆が逃げ惑う。
しかし、どこへ逃げても無駄だ。俺の触手は、既に街全体に張り巡らされている。
だが、無駄だった。
俺の触手は稲妻のように伸び、逃げる人々を次々と貫いていく。
黒い槍が、正確に心臓を貫く。
「ぎゃああああ!」
最初の犠牲者が出た。
中年の男性が、胸を貫かれて絶叫する。
触手に貫かれた人間から、生命エネルギーが吸い出されていく。
体が見る見るうちに痩せ細り、皮膚が乾燥していく。
肉体は一瞬で干からび、塵となって風に舞った。
後には、服だけが地面に落ちる。
『美味しい...もっと...もっとよ!』
エリアナの声が狂喜に満ちていた。
彼女の飢餓感が、俺を突き動かす。
俺は街を蹂躙し始めた。
巨大な体が動くだけで、建物が崩壊する。
触手が地面を叩くと、アスファルトに巨大な亀裂が走る。
触手が振るわれるたびに、街区が消滅していく。
建物は瓦礫と化し、道路は峡谷のように裂ける。
まるで、巨大な怪獣が玩具の街を踏み潰すように。
いや、これは現実だ。本物の街が、本物の人々が、俺の手で破壊されていく。
人々の悲鳴など、もはや虫の羽音程度にしか聞こえない。
高すぎる位置から見下ろすと、人間など塵芥に等しい。
「助けて!」
「逃げろ!子供を連れて!」
「神様!」
無数の声が重なり合い、不協和音を奏でる。
恐怖と絶望の合唱。
俺は機械的に触手を振るい続ける。
感情を押し殺し、ただ効率的に生命を刈り取っていく。
「来たぞ!冒険者ギルドの精鋭が!」
街の外れから、大勢の冒険者たちが現れた。
松明を掲げ、武器を構えた戦士たちの群れ。
その先頭に立つのは、明らかに格の違う戦士たちだった。
オーラを纏い、自信に満ちた足取りで近づいてくる。
「Sランク冒険者、『雷帝』ガルバス!」
巨漢の戦士が名乗りを上げた。
雷を纏った大剣を肩に担ぎ、不敵な笑みを浮かべている。
「同じくSランク、『氷結の魔女』エルザ!」
青いローブの女性魔導師が、氷の杖を掲げる。
周囲の気温が、彼女を中心に下がっていく。
「『剣聖』バルトロメオ!」
細身の剣士が、優雅に一礼する。
腰の剣は鞘に収まったままだが、その存在感は圧倒的だ。
都市連合が誇る、最強の冒険者たちが集結していた。
彼らの後ろには、AランクやBランクの冒険者たちが控えている。
「化け物め!この街を守ってみせる!」
ガルバスが雷を纏った大剣を振るう。
巨大な剣が、雷光と共に振り下ろされる。
天を裂くような雷撃が、俺の体に直撃した。
青白い稲妻が、俺の花弁を焼く。
エルザの極大氷結魔法が発動し、俺の触手を凍らせようとする。
絶対零度に近い冷気が、触手を包み込む。
バルトロメオの神速の剣技が、触手を切り刻んでいく。
目にも留まらぬ速さで、無数の斬撃が放たれる。
三人の連携は完璧だった。
攻撃、妨害、防御が絶妙にかみ合っている。
だが...
「なんだと...!?」
ガルバスが愕然とした。
彼の顔から、自信が消え去る。
雷撃は俺の表皮で霧散し、傷一つ付いていない。
黒い表皮が、雷を吸収してしまったのだ。
氷結魔法も、触手の表面で砕け散るだけ。
氷は触手に触れた瞬間、蒸発していく。
切られた触手は、瞬時に再生する。
切断面から新たな触手が生え、元通りになる。
まるで、効いていないのだ。
Sランクの全力攻撃が、蚊に刺された程度のダメージしか与えていない。
「馬鹿な...Sランクの全力攻撃が...」
エルザが震え声で呟いた。
彼女の顔は、恐怖で青ざめている。
「これが...都市連合最強の力か?」
俺は退屈そうに触手を一振りした。
ただそれだけの動作。
それだけで、凄まじい衝撃波が発生する。
空気が圧縮され、爆発的に解放される。
Sランク冒険者たちが、まとめて吹き飛ばされた。
彼らの体が、人形のように宙を舞う。
「ぐあっ!」
地面に叩きつけられ、血を吐く。
鎧が砕け、骨が折れる音が聞こえる。
立ち上がろうとするが、俺の触手が彼らを捕らえた。
黒い触手が、獲物を締め上げる。
「や、やめ...」
ガルバスの言葉は最後まで続かなかった。
触手が締め上げ、彼の体から生命エネルギーを吸い出す。
屈強な肉体が、見る見るうちに萎んでいく。
筋肉が消え、皮膚が皺だらけになる。
Sランク冒険者も、俺の前では塵に等しかった。
彼らの誇りも、実力も、全てが無意味。
次々と干からび、崩れ落ちていく。
風に舞う灰が、彼らの最期の姿だった。
「Sランクが...瞬殺...」
残った冒険者たちは、もはや戦意を失っていた。
恐怖で足が震え、武器を取り落とす者もいる。
逃げ出そうとする者、腰を抜かして動けない者。
パニックが、彼らを支配していた。
俺は機械的に触手を振るい、彼らを一掃した。
数十人の冒険者が、数分で全滅する。
抵抗など無意味。
圧倒的な力の差があった。
人間など、俺にとってはもはや餌でしかない。
街は完全に壊滅していた。
建物は瓦礫と化し、道路は巨大なクレーターだらけ。
火災が発生し、黒煙が夜空を覆っている。
生存者の気配は、もはや感じられない。
数千人いた住民は、全て俺の糧となった。
俺は街の中心で、天を仰いだ。
満ち足りた感覚が、全身を包んでいる。
これだけの生命エネルギーを吸収し、力は極限まで高まっている。
もはや、俺に敵う者などいない。
『素晴らしいわ、クルーシブ』
エリアナの声が響く。
彼女の満足感が、俺の達成感と混ざり合う。
『もう誰も、私たちを止められない』
そうだ。これで、チココとも対等に戦える。
いや、勝てるかもしれない。
だが、その時だった。
空が突然輝き始めた。
夜空が、真昼のように明るくなる。
まるで、天が裂けるような光。
神々しい輝きが、地上を照らす。
そして、その光の中から、誰かが降りてきた。
ゆっくりと、優雅に、まるで天使のように。
俺の巨大な体が、凍りついた。
全身の触手が、一斉に震え始める。
信じられない光景だった。
これは、幻覚か?夢か?
銀色の髪。
凛とした立ち姿。
騎士の鎧に身を包んだ、一人の女性。
聖なる光を纏い、気高く、美しく。
「エリアナ...?」
俺の呟きは、風に消えた。
声帯など、もはや人間のものではないのに、言葉が漏れた。
そこに立っていたのは、紛れもなくエリアナの姿だった。
死んだはずの、俺の最愛の妻。
彼女は悲しそうな表情で、巨大な化け物と化した俺を見上げていた。
その瞳には、深い悲しみと、決意が宿っている。