第18話 処刑
# 第18話 処刑
ボリスの館の庭に、俺は音もなく出現した。
空間転移の余韻で、少し眩暈がする。パールヴァティの体は軽く、忍者としての身体能力も健在だった。筋肉の一つ一つが、研ぎ澄まされた刃のように反応する。
夜の庭は静まり返っている。
月光が白い石畳を照らし、噴水が静かに水音を立てていた。
「ここなら...」
俺は一息つこうとした。
しかし、その時、遠くから再び咆哮が聞こえた。
「グオオオオオ!!」
チココが研究所跡地に到着したのだろう。
俺の痕跡を見つけ、更に怒りを募らせているに違いない。
建物の残骸を掻き分け、パールヴァティの死体があった場所にたどり着いたはずだ。
そして、彼女の体が消えていることに気づく。
『時間がないわ』
エリアナが急かす。
彼女の不安が、俺の神経を刺激する。
『ボリスを始末して、すぐに次の場所へ移動しましょう』
俺は頷き、館の中へと忍び込んだ。
パールヴァティの体は、まさに潜入には最適だった。
足音一つ立てず、影から影へと移動する。
長年の訓練で染み付いた動きが、自然に体現される。
警備兵たちは、パールヴァティの姿を見て敬礼した。
「パールヴァティ様!お帰りなさいませ」
彼らは安堵の表情を浮かべている。
任務から無事に帰還したと思っているのだろう。
彼らは、まさか中身が違うとは夢にも思わないだろう。
声も、仕草も、完璧にパールヴァティのものだ。
俺は無言で通り過ぎ、ボリスの執務室へと向かった。
豪華な廊下を進む。壁には高価そうな絵画が飾られ、床には厚い絨毯が敷かれている。
全て、領民から搾取した金で買ったものだろう。
扉を開けると、ボリスが豪華な椅子に座って書類を眺めていた。
肥満した体を、高級な服で包んでいる。
彼の顔には、いつもの卑屈な笑みが浮かんでいた。
「パールヴァティ君!無事だったか」
彼は安堵の表情を浮かべた。
椅子から立ち上がろうとするが、太った体が邪魔をしている。
「研究所の件は片付いたのかね?」
彼の声には、媚びへつらいが滲んでいる。
強者には卑屈に、弱者には傲慢に。それがボリス・ノーブレットという男だ。
俺は静かに扉を閉め、鍵をかけた。
カチャリという音が、静かな執務室に響く。
「ああ、片付いたよ」
パールヴァティの声で答える。
違和感はあるが、演技は完璧だ。
「そうか、それは良かった。報酬の件だが...」
ボリスが言いかけた時、俺は彼の前まで瞬間移動した。
忍者の体術を使い、一瞬で間合いを詰める。
そして、首に短剣を突きつける。
冷たい刃が、脂肪で膨れた首に触れる。
「ひっ...!」
ボリスの顔が恐怖に歪んだ。
顔面が蒼白になり、額に脂汗が浮かぶ。
「パ、パールヴァティ君!?何をして...」
彼の声は震えていた。
理解できない状況に、パニックになっている。
「俺はパールヴァティじゃない」
俺は冷たく言った。
仮面を脱ぎ捨てる時が来た。
「ク、クルーシブ...!?」
ボリスの目が見開かれた。
信じられないという表情。そして、理解した瞬間の絶望。
「まさか...パールヴァティを...」
「そうだ。彼女は死んだ。そして俺が、この体を使っている」
真実を告げると、ボリスは震え始めた。
全身から冷や汗が噴き出している。豚のような体が、恐怖で小刻みに震える。
「た、助けてくれ!金なら...金ならいくらでも...」
彼は必死に命乞いを始めた。
涙と鼻水で顔をぐしゃぐしゃにしながら。
「領地も!財産も!全部やる!だから命だけは...」
「金?」
俺は鼻で笑った。
この男の浅ましさに、改めて怒りが込み上げる。
「お前が欲しがっていたのは金だったな。そして、その金のためにエリアナを見殺しにした」
ボリスの顔が、更に青ざめた。
あの日のことを思い出したのだろう。
「ち、違う!あれはチココ様の...」
「言い訳は聞きたくない」
俺は短剣で、ボリスの頬を浅く切った。
脂肪の厚い頬から、血が一筋流れる。
「ひぃっ!」
ボリスが悲鳴を上げた。
豚の断末魔のような、醜い声。
『ゆっくりやりなさい』
エリアナの声が、残酷な喜びを含んでいた。
彼女の憎しみが、俺の行動を後押しする。
『この男には、苦しんで死んでもらわないと』
俺は頷いた。
エリアナの望み通りにしよう。
そして、パールヴァティの技術を使い、ボリスの体の急所を正確に責め始めた。
致命傷は避けながら、最大限の苦痛を与える。
神経の集中する場所を、的確に刺激していく。
「ぎゃああああ!」
ボリスの絶叫が部屋に響く。
防音の執務室だから、誰にも聞こえない。
「助けて!誰か!」
彼は必死に叫ぶが、無駄だ。
この部屋は、密談のために完全防音になっている。
俺は淡々と拷問を続けた。
指を一本ずつ折り、腱を切り、内臓を傷つける。
パールヴァティの解剖学的知識が、効率的な拷問を可能にする。
ボリスは泣き叫び、許しを請い続けた。
涎を垂らし、失禁しながら。
「ごめんなさい!本当にごめんなさい!」
「今更謝っても遅い」
俺は冷たく返した。
感情を押し殺し、機械的に苦痛を与え続ける。
「エリアナも、きっとこんな風に苦しんだんだ」
実際は違うかもしれない。
だが、この男には同じ苦しみを味わってもらう。
最後に、俺はボリスの心臓に短剣を突き立てた。
正確に、急所を貫く。
「ぐっ...」
ボリスは血を吐き、痙攣した。
目を見開いたまま、徐々に光を失っていく。
そして、ゆっくりと絶命していった。
最後まで、恐怖の表情を浮かべたまま。
ボリス・ノーブレット。
エリアナを見殺しにした卑怯者の、惨めな最期だった。
領民には慕われていたかもしれないが、それも保身のための偽善に過ぎない。
その時、館全体が激しく揺れた。
ガラス窓が一斉に割れ、シャンデリアが落下する。
まるで地震のような振動。
「来たか...」
俺は血まみれの短剣を拭いながら呟いた。
窓の外を見ると、空にチココの姿があった。
巨大な魔力を纏い、怒りに満ちた表情でこちらを睨んでいる。
「クルーシブゥ!!」
チココの声が、雷のように響いた。
窓ガラスが、声の振動だけで更に砕け散る。
「そこにいるのは分かっている!出てこい!」
彼の怒りは頂点に達している。
愛する部下を殺され、理性を失いかけているのだろう。
俺は窓を開け、パールヴァティの姿で姿を現した。
血に染まった姿で、堂々と。
「久しぶりだな、チココ」
俺は嘲笑を浮かべながら言った。
チココの表情が、一瞬困惑に変わった。
パールヴァティの姿に、混乱している。
「パールヴァティ...?いや、違う。お前は...」
彼の瞳が、理解の色を帯びる。
そして、更なる怒りへと変わった。
「そうだ。俺だよ」
俺は高らかに宣言した。
もはや、隠す必要はない。
「パールヴァティは死んだ。今は俺が、この体を使っている」
チココの顔が怒りで真っ赤に染まった。
魔力が暴走し、周囲の空気が震える。
「貴様...!パールヴァティまで...!」
彼の声は、もはや人間のものではなかった。
獣の咆哮に近い。
「お前のせいだ」
俺は叫んだ。
積年の恨みを、全てぶつける。
「お前がエリアナを殺したから!全部お前のせいだ!」
チココが魔力を解放した。
凄まじい圧力が、俺を押し潰そうとする。
建物が軋み、壁に亀裂が走る。
このままでは、館ごと崩壊する。
『逃げて!』
エリアナが悲鳴を上げた。
彼女の恐怖が、限界に達している。
俺は短剣を取り出し、遠くへ向けて投げた。
行き先は、都市連合の田舎街。
人口密度の低い、平和な街。
そこなら...
「逃がしはしない!!」
チココが光弾を放った。
白い光の弾丸が、音速を超えて飛来する。
しかし、瞬間、俺の体は空間に吸い込まれた。
間一髪での脱出。
最後に見えたのは、怒りと悲しみに歪んだチココの顔だった。
愛する部下を失い、復讐者を取り逃がした男の、絶望的な表情。
都市連合の静かな田舎街に、俺は出現した。
平和な街並み。
人々が穏やかに暮らす、どこにでもある普通の街。
夜も更けているが、まだ街灯りは灯っている。
酒場からは、陽気な歌声が聞こえてくる。
『ここなら妖精を解放しても、チココの妨害を受けにくいわ』
エリアナの声が、冷たい計算を含んでいた。
もはや、人間性の欠片も感じられない。
『この街の人間たちを取り込んで、私の力を増幅させましょう』
俺は頷いた。
そうだ、これは復讐のため。
チココを倒すためには、もっと力が必要だ。
罪もない人々。
だが、復讐のためなら、犠牲は避けられない。
「すまない...」
俺は街の人々に向けて呟いた。
空虚な謝罪。意味のない言葉。
だが、もう後戻りはできない。
ここまで来て、今更止まれるはずがない。
俺は体内から妖精の力を解放し始めた。
パールヴァティの体が、内側から変質していく。
黒い霧が、街を覆い始める。
死の霧が、静かに広がっていく。
最初に気づいたのは、酔っ払いたちだった。
「おい、なんだこの霧は...」
「気持ち悪い...」
そして、悲鳴が上がり始めた。
平和な夜が、地獄へと変わっていく。
復讐の道は、更なる犠牲を求めていた。
俺は、もはや人ではない何かになろうとしていた。