第13話 蹂躙
# 第13話 蹂躙
研究所の内部は、外見からは想像できないほど広大だった。
白い廊下が迷路のように続き、その先から獣のような唸り声が聞こえてくる。蛍光灯の不規則な明滅が、不気味な影を作り出していた。
最初の実験室に足を踏み入れた瞬間、異形の存在が襲いかかってきた。
元は人間だったのだろう。腕が異常に伸び、皮膚は鱗のように変化している。顔の原型は留めているが、瞳孔は爬虫類のように縦に裂けていた。
俺は避ける必要すら感じなかった。
体内から黒い触手が自動的に展開し、実験体の攻撃を受け止める。触手は生き物のようにうねりながら、実験体の四肢に巻きついた。まるで意思を持っているかのような、滑らかな動きだった。
「ギャッ...!」
実験体が抵抗しようとするが、触手の締め付けは容赦ない。骨が軋む音が響き、関節が逆方向に曲がっていく。ミシミシという不快な音が、静かな廊下に響き渡った。
俺は歩みを止めることなく通り過ぎる。背後で肉が引き裂かれる音と、妖精が死体を呑み込む音が聞こえた。グチャグチャという生々しい音が、しばらく続いた。
次の部屋の扉を開けると、白衣の研究員たちが振り返った。
彼らの顔には、まだ状況を理解していない困惑の色が浮かんでいる。
「な、何者だ!」
「警報を—」
遅い。
俺の掌から放たれた暗赤色の光線が、警報装置ごと研究員を蒸発させた。光線は壁を貫通し、隣の部屋まで届く。悲鳴が聞こえたが、すぐに静かになった。焦げた肉の臭いが、換気の悪い廊下に充満し始めた。
廊下を進むと、武装した警備員たちが銃を構えて待ち構えていた。
彼らの表情は緊張で強張っているが、プロの傭兵らしい統制の取れた配置だった。
「撃て!撃て!」
隊長らしき男の号令と共に、銃声が響き、無数の弾丸が俺に向かって飛来する。マズルフラッシュが廊下を断続的に照らし出す。
俺は立ち止まりもしなかった。
体の周囲に展開された触手が、弾丸を全て絡め取る。金属の弾丸が触手に触れた瞬間、まるで粘土に撃ち込まれたように動きを止めた。そして、そのまま弾丸を警備員たちに投げ返した。
「ぐあっ!」
「なんだこいつは...」
倒れた警備員たちに歩み寄る。まだ息がある者もいたが、関係ない。彼らの目には恐怖と絶望が浮かんでいる。
触手が彼らを貫き、妖精の口へと運んでいく。断末魔の叫びが、やがて沈黙に変わっていった。
『もっとよ、もっと食べさせて』
エリアナの声が恍惚としている。彼女の喜びが、俺の体内で脈動するのを感じる。
階段を降りると、より大きな実験室があった。
天井が高く、まるで体育館のような広さだ。壁には無数のモニターが設置され、実験データが流れている。
中では十数体の実験体が檻に入れられている。研究員たちが慌てて檻を開放した。彼らの手が震えているのが、ここからでも分かる。
「実験体を全て解放しろ!侵入者を殺せ!」
白衣の男が金切り声を上げた。
檻から飛び出した実験体たちが、一斉に俺に襲いかかる。
狼のような四足歩行のもの、翼を持つもの、複数の頭を持つもの。どれも人間だった面影はない。それぞれが発する唸り声や叫び声が、不協和音となって響き渡る。
俺は手を軽く振った。
その動作に連動して、床から無数の触手が生えてきた。まるで黒い森が瞬時に出現したかのように。触手は鞭のようにしなり、実験体たちを薙ぎ払う。
一体が空中に投げ出され、壁に激突して肉塊と化した。べチャッという湿った音と共に、赤い染みが壁に広がる。
別の一体は触手に胴体を真っ二つにされ、上半身と下半身が別々の方向に転がっていく。内臓が床にぶちまけられ、生臭い匂いが充満する。
翼を持つ実験体が上空から急降下してきた。鋭い爪を振りかざし、俺の頭を狙っている。
俺は見もせずに手を上げる。掌から放たれた光線が、実験体を頭から尻尾まで貫通した。焼け焦げた肉片が、雨のように降り注ぐ。天井や壁に、黒い焦げ跡が無数に刻まれた。
「化け物め...」
研究員の一人が震え声で呟いた。彼の白衣は、飛び散った血で赤く染まっている。
俺はゆっくりと彼に近づいた。靴音が、異様に大きく響く。
「化け物を作っていたのは、お前たちだろう?」
研究員は後ずさりしながら、何かのスイッチを押した。震える指で、必死にボタンを連打している。
「これで...終わりだ!最新の実験体を...」
床が割れ、下から巨大な腕が突き出してきた。コンクリートの破片が飛び散り、埃が舞い上がる。
続いて現れたのは、3メートルはある筋骨隆々の実験体だった。全身が金属のような光沢を持ち、目は赤く輝いている。筋肉の一本一本が、鋼鉄のワイヤーのように盛り上がっていた。
「グオオオオ!」
実験体が雄叫びを上げ、凄まじい速度で突進してきた。その重量で、床に亀裂が走る。
俺は避けなかった。
正面から実験体の拳を受け止める。衝撃で床にクレーターができたが、俺の体は微動だにしない。空気が圧縮され、爆発音のような音が響いた。
「これだけか?」
実験体の驚愕した表情が見えた。人間の感情が、まだ僅かに残っているらしい。
次の瞬間、俺の体から展開された触手が、実験体の全身を貫いた。金属のような皮膚も、触手の前では紙のようだった。プスプスという音と共に、無数の穴が開いていく。
実験体は血を吐きながら崩れ落ちる。その巨体が床に倒れる音は、地震のような振動を生んだ。
研究員たちは恐怖で腰を抜かしていた。何人かは失禁しており、アンモニア臭が漂い始めた。
「た、助けて...」
「私たちは命令に従っただけで...」
彼らの言い訳は聞き飽きた。
俺は無表情で光線を放った。
研究員たちは悲鳴を上げる間もなく、灰になって消えた。後には、焼け焦げた白衣の切れ端だけが舞い落ちた。
さらに奥へ進むと、特殊な強化ガラスで仕切られた部屋があった。
ガラスの向こうは、まるで地獄絵図だった。
中には、より異形な実験体たちがいる。人間と動物を掛け合わせたもの、機械と融合したもの、原型を留めていないもの。それぞれが苦痛に満ちた声を上げ続けている。
制御室にいた研究員たちが、俺を見て蒼白になった。モニターに映る惨状を見て、何が起きているか理解したのだろう。
「お、お前は...上の連中を全て...」
「まさか一人で...」
彼らの恐怖は頂点に達していた。
俺は答える代わりに、強化ガラスに手を当てた。
触手がガラスを侵食し、ひび割れが広がっていく。蜘蛛の巣のような亀裂が、見る見るうちに全体に広がった。そして、ガラスが粉々に砕け散った。
解放された実験体たちは、一瞬戸惑った後、本能のままに動き始めた。
ある者は研究員たちに襲いかかり、ある者は俺に向かってくる。もはや理性など欠片も残っていない。
俺は両手を広げた。
体中から黒い触手が噴き出し、部屋中を埋め尽くす。触手は意志を持つかのように動き回り、実験体と研究員を区別なく捕らえていく。天井から床まで、全てが黒い触手で覆われた。
「やめろ!やめてくれ!」
「助けて!誰か!」
悲鳴と絶叫が響く中、触手は獲物を妖精の口へと運んでいく。咀嚼音と、骨が砕ける音が、不気味な合唱を奏でた。
部屋は阿鼻叫喚の地獄絵図と化した。
血と肉片が飛び散り、壁も床も赤黒く染まっていく。
数分後、部屋には俺だけが立っていた。
床も壁も血で赤く染まっているが、死体は一つも残っていない。全て妖精が食べ尽くしたのだ。静寂が、より一層不気味さを際立たせる。
『美味しかったわ。力が...みなぎってくる』
エリアナの声が満足そうに響く。彼女の喜びが、俺の全身を駆け巡る。
更に地下へと続く階段を見つけた。
螺旋階段を降りていくと、温度が徐々に下がっていくのを感じる。そして、地下深くには巨大な実験場があった。
中央には、今までで最大の実験体が鎖で繋がれている。
5メートルはある巨体。全身から触手が生え、複数の顔が体中に浮かび上がっている。それぞれの顔が、異なる表情で苦悶している。
「あれは...失敗作だ!解放してはいけない!」
白衣の男が叫んだ。どうやら、この施設の責任者らしい。額には脂汗が浮かび、眼鏡がずり落ちそうになっている。
「面白い」
俺は鎖に向けて光線を放った。
鎖が溶け、実験体が自由になる。ガシャンという重い音と共に、鎖が床に落ちた。
「愚か者!あれは制御不能なんだ!」
実験体は咆哮を上げ、手当たり次第に暴れ始めた。
巨大な触手が振り回され、機材が次々と破壊されていく。
研究員たちが逃げ惑うが、実験体の触手に捕まり、次々と握り潰されていく。ブチュッという音と共に、赤い飛沫が飛び散る。
そして、実験体は俺に気付いた。
無数の顔が、一斉に俺を睨みつける。
無数の触手が、津波のように俺に向かって押し寄せる。床を叩く音が、地鳴りのように響いた。
俺も触手を展開した。
黒い触手と実験体の触手が空中でぶつかり合い、激しくせめぎ合う。部屋中に衝撃波が走り、機材が吹き飛んでいく。ガラスが割れ、金属が軋む音が響き渡る。
だが、この程度では俺の敵ではない。
俺は更に力を解放した。触手の数が倍増し、実験体の攻撃を押し返していく。
「グギャアアア!」
実験体が苦悶の声を上げる。複数の顔が、それぞれ異なる悲鳴を上げた。
俺の触手は容赦なく実験体を締め上げ、引き裂いていく。
巨体がバラバラになり、肉片が飛び散る。それらも全て、妖精の餌となった。
施設の責任者は、震えながら俺を見上げていた。
彼の眼鏡は割れ、白衣は血と汗で汚れている。
「お前は...一体何者だ...」
「復讐者だ」
俺は静かに答え、彼に向けて光線を放った。
男の体が一瞬で灰と化す。最後まで、信じられないという表情を浮かべたまま。
その時、背後から聞き覚えのある声がした。
「クルーシブ!」
振り返ると、クッキーが心配そうな顔で飛んできていた。
小さな体で必死に羽ばたきながら、俺のもとへと急いでいる。彼の表情には、純粋な心配の色が浮かんでいた。