第12話 研究所襲撃
# 第12話 研究所襲撃
鬱蒼とした森の奥深く、俺たちは都市連合の秘密研究所の前に立っていた。
パールヴァティのワープ能力で一瞬にして到着したが、着地の瞬間に彼女の平たい胸に顔を押し付けられたのは不快だった。革鎧の硬い感触と、汗の匂いが鼻につく。
「おえっ」
俺は思わず吐きそうになった。
「何だよその反応!失礼だろ!」
パールヴァティが俺を乱暴に突き放した。彼女の顔は怒りで赤く染まっていたが、どこか照れているようにも見えた。
鼻をつく腐葉土の匂いと、遠くで鳴く未知の鳥の声。湿った空気が肌にまとわりつき、不快指数を上げていく。
どこからともなく漂う金属と薬品の匂いが、この場所の不自然さを物語っている。腐敗したような、それでいて人工的な臭いだ。
一見すると、ただの原生林に見えるが、探知スキルを使うと立体的な迷彩で覆われた研究所の輪郭が浮かび上がる。
企業都市連合、通称ドブの建築様式だ。機能性だけを追求した、無機質で醜悪なデザイン。
着地した場所から少し離れた茂みの陰から、服は綺麗だが目元に恐怖の色を宿した男が現れた。高級そうな冒険者装備を身に着けているが、その手は小刻みに震えている。
震える声で話しかけてくる。
「パ...パールヴァティ様、魔法で隠されてるのでわからないでしょうが、あの辺りに研究所が...」
パールヴァティは冒険者の肩に腕を回しながら言った。親しげな仕草だが、その目は冷たく男を値踏みしている。
「騎士団の軍用魔法具で見えてるから大丈夫だ。話変わるけど、お前はパーティ組んだことがあるか?」
野良の冒険者は一瞬困惑し、それから急いで答える。額に汗が浮かび、目が泳いでいる。
「はい...以前は4人パーティを組んでました。強固な信頼関係で結ばれた...」
「そいつらはまだ生きてるのか?」
パールヴァティの声が急に冷たくなった。まるで氷の刃を突きつけるような鋭さだ。
「え、えと、生きてます。と、遠くの田舎で元気にやってます」
男の声は上ずり、視線は定まらない。明らかに嘘だ。おそらく仲間を見捨てて逃げてきたのだろう。
パールヴァティは冒険者の肩を叩き、それからこちらに向かってハンドサインを送ってきた。騎士団の暗号だ。
『後ろから近づいてきてるドブネズミを処理してから、遠くの奴らから狙撃しろ。殺してもいい』
お前が左遷したというのに、なぜまだ命令してくるのか。
まあ、関係ない冒険者を巻き込むわけには行かない。戦闘に巻き込まれれば、確実に死ぬだろう。
俺は後ろから忍び寄る敵に気づかぬふりをして、突然振り返り投げナイフを放った。
ナイフは風を切り裂き、敵の喉を正確に貫く。赤黒い血が噴き出し、男は声も出せずに崩れ落ちた。
次に、俺は仰向けで地面を滑りながら、木の上に潜むスナイパーに向けて魔法弾を発射した。
青白い光が樹冠を貫き、狙撃手の悲鳴が木々にこだまする。
うつ伏せになって狙撃体勢をとり、視界に入った敵から順に処理していく。訓練で叩き込まれた動作は、体が勝手に動くほど染み付いている。
パールヴァティは冒険者を片腕で抱えながら、足技メインで敵を次々と倒していく。
靴に仕込まれたナイフが月光を反射し、毒塗りナイフも合わせながら戦闘職たちを蹂躙していく。
倒れた敵は気絶するのではなく、痙攣しながらもがいている...鎮圧用の麻痺毒か。苦しみながらも殺さない、彼女らしい選択だ。
『観察しなさい』
エリアナの声が響く。冷静で、分析的な口調だ。
『彼女の動きには必ずパターンがあるはず』
パールヴァティの戦い方は確かにテクニカルだった。
敵は罠に引っかかり、見当違いの方向に攻撃を繰り出している。幻術と幻惑魔法を駆使した、まさに忍者らしい戦法だ。彼女の残像を追いかけて、空を切る刃が哀れだった。
だが...
『そう、見えてきたでしょう?』
エリアナが満足げに言う。
『純粋な攻撃力は低い。毒や関節技に頼っているということは、力で押し切れないということよ』
最後に大柄な男が立ちはだかった。
髪を機械油で固めた凶悪な顔つきで、巨大なイカリのような武器を構えている。筋肉の隆起が服の上からでも分かり、ステロイドでも使っているのだろうか。
「あんたがボスネズミか?」
パールヴァティが冒険者を地面に下ろしながら声をかけた。冒険者は震えながら後ずさりしている。
「一応聞くけど、でっかいイカリはアノマリー製の道具だよな?武器すら買えなくて、港から盗んできたんじゃないよな?」
挑発的な物言いだが、効果は抜群だった。
大男は不敵な笑みを浮かべ、イカリを回転させながら答えた。重い金属音が夜の森に響く。
「ラピッドトラッカー社の新作だよ。こいつの能力は—」
パールヴァティは男の説明を最後まで聞かず、手から短剣を放った。
銀光が一閃し、大男に向かって飛ぶ。
大男は得意げな表情でイカリを振り、短剣を弾き飛ばす。金属同士がぶつかる甲高い音が響いた。
それを弾いたら...と思った瞬間、パールヴァティの姿が消えた。
まるで煙のように、音もなく。
次の瞬間、彼女は大男の真後ろに現れていた。弾かれた短剣の位置にワープしたのだ。なるほど、最初から狙いはそこか。
彼女は空中で優雅に回転し、全体重をのせた蹴りを大男の背中に叩き込んだ。
「言わなくていいよ。お前の出番一生ないから」
鈍い音と共に、背骨が折れる音が聞こえた。乾いた枝が折れるような、それでいて生々しい音だ。
大男は絶叫し、地面に崩れ落ちる。
「もう手足が動かないでチュね」
パールヴァティは赤い薬瓶を取り出し、大男の口に中身を流し込んだ。どろりとした液体が、男の喉を通っていく。
「おまけで飢えと乾きを加速させるお薬をあげよう」
大男は激しく痙攣し始めた。目が血走り、泡を吹いている。パールヴァティは彼の上に腰を下ろし、余裕の表情で言う。
「パールヴァティ様が救いの手を差し伸べてやるぞ?仲間の情報やアクセスコード、お前のクレカと引き換えに、水や缶詰を売ってやろう。私は記憶を読むのが下手なんだ。ちゃんと思い浮かべろよ?」
「俺だって雇われなんだよ!全部教えるから許してくれ!!」
大男が断片的に話し始める。涎を垂らしながら、必死に情報を吐き出していく。
パールヴァティは大男の頭に手を当て、記憶を読み取っているようだ。
彼女の瞳が驚きに見開かれた。
「えー、意外に稼いでるんだな。お前、そんなレベルなのに、向こうじゃ名の知れたエージェントなのか?どんだけ搾取してるんだよ」
パールヴァティは大男の背中に腰を掛けたまま、アイテムボックスから缶詰を取り出した。
カニ缶だ。蓋を開け、缶から漂う香りが風に乗って広がる。磯の香りが、こんな森の中では異質だった。
「誰がドブネズミに餌をやるんだよ」
パールヴァティはカニ肉を豪快に口に運びながら言った。わざと音を立てて咀嚼している。
「その薬は飢えの神経を暴走させるだけの薬だから数十分で解けるよ。その間は地獄だろうけど、お前が苦しめてきた人間はもっと苦しんでるんだ!反省しろ!!」
彼女は俺の方を見て、さらに付け加えた。視線には軽蔑が混じっている。
「チョコクッキーにもやらないぞ?少女たちにドッグフードを食わせようとする奴はその辺の草でも食ってろ!反省しろ!」
大男の痙攣が収まり、パールヴァティは立ち上がって冒険者に向き直った。
「こんなどうでもいい奴より、冒険者さん、あんたの仲間はどこに捕まってるかわかるか?」
冒険者は無言で頭を差し出し、パールヴァティは手を当てて記憶を読み取った。彼の体が小刻みに震えている。
「ふーん」
彼女は目を細めて言った。鋭い眼光が、冒険者を射抜く。
「そいつらにわかるものはあるのか?敵地のど真ん中で揉めるのは嫌だぞ」
彼女は、冒険者からロケットを受け取って中身を確認する。
中には若い女性の写真が入っていた。笑顔が眩しい、幸せそうな写真だ。
中身を見た後、「未来の奥さんは無事に連れ帰ってやる」みたいなことをいい、冒険者の肩を叩いた。
冒険者は安堵したような表情でこちらに走ってくる。涙で顔がぐしゃぐしゃだ。
「チョコクッキーはそいつを連れて帰れ!私は捕虜回収して、重要そうなのだけ獲ってから帰る」
パールヴァティは、アイテムボックスから槍を取り出した。
黄金色に輝く、明らかに高位の魔法武器だ。絶対当たる槍だったか?
「先ほどの戦いで使わなかったな。絶対当たる槍じゃないのか」
俺は疑問を口にした。
「こんな長くて邪魔な棒が攻撃用だと思ってたのか?移動用だよ。こうやって短剣をくくりつけると、好きなところに移動できるんだよ」
彼女は実演するように、槍の先に短剣を結びつけた。
「贅沢すぎる使い方だな。必中即死攻撃とかに使え」
「敵の目の前で魔力をためて大きく振りかぶってやり投げするのか?自分が即死するだろ。馬鹿言ってないで、とっとと冒険者を連れて帰ってやれよ」
冒険者は、俺の腕を必死に掴んでアピールしてくる。その手は汗でびっしょりだった。
「この研究所はどうするんだ?」
「残りは戦闘職の仕事だろ?なんで暗殺職が掃除までしないといけないんだ?大事なものだけ奪ったら、私達の仕事は終わりだよ」
彼女の言葉には、長年の経験から来る合理性があった。
「情けない奴め」
俺は吐き捨てるように言った。
「俺は1人でも研究所を破壊する」
「ああ、もう!!」
パールヴァティは頭を抱えた。彼女の苛立ちが、はっきりと表情に出ている。
「冒険者さん、アイテムボックスの中で我慢してくれ」
パールヴァティは冒険者にアイテムボックスに入るように促した。
冒険者は恐る恐るうなずき、光の中に吸い込まれていった。
「お前、俺が奴隷少女をアイテムボックスに入れようとしたら怒ったのに、自分は当然のようにやるのか?」
俺の指摘に、パールヴァティは舌打ちした。鋭い音が、夜の森に響く。
「緊急時と平常時の区別もつかないのか?やれやれやれやれ」
彼女の口癖が出た。本当に苛立っている証拠だ。
これから始まる戦いの予感が、森の空気を重くしていた。