第11話 豚と狐
# 第11話 豚と狐
宿屋に到着すると、パールヴァティは慣れた様子でフロントに声をかけた。この街の定宿なのだろう、足取りに迷いがない。
「部屋を二つ。大部屋と二人部屋」
彼女の注文は明確だった。少女たちのための大部屋と、監視役のための小部屋。
フロントの男性は申し訳なさそうに頭を下げた。中年の男で、困ったような表情を浮かべている。
「申し訳ございません。大型連休中ですので、どこも満室で...」
確かに、ロビーには多くの旅行客が行き交っている。家族連れや商人たちで賑わっていた。
「私の名前を言っても?」
パールヴァティが眉を上げる。その仕草には、明らかな威圧感があった。
フロントの男性は一瞬で顔色を変えた。
「パールヴァティ様!失礼いたしました。すぐにご用意いたします」
慌てて奥に駆け込み、支配人らしき人物と何やら相談している。数分後、戻ってきた時には恭しく鍵を差し出していた。
結果、部屋は確保された。最上階の、最も良い部屋が二つ。
パールヴァティは鍵を受け取りながら言った。当然のように部屋割りを決めていく。
「じゃあ、大部屋は子供たちね。少女たちの面倒は私が見るから」
彼女はクッキーの方を向いた。
「クッキーはチョコクッキーと二人部屋で」
「待て」
俺は鍵を奪い取った。小さな手で、素早く。
「奴隷の管理は主人の仕事だ。俺が少女たちと一緒の部屋に泊まる」
パールヴァティは呆れたような顔をした。大きなため息をつき、額に手を当てる。
「はぁ?旅行中ぐらい人並みの生活をさせてやれ」
「甘やかすな。奴隷に贅沢は必要ない」
俺は冷たく言い放った。この灰色の体から発せられる言葉は、少女たちを震え上がらせる。
クッキーは悲しそうな目で俺を見ている。その純粋な瞳が、俺の良心を責めているようだった。
「...クルーシブ、みんな疲れてるよ」
小さな声での訴えだったが、俺は無視した。
パールヴァティは舌打ちをした。苛立ちを隠そうともしない。
「わかったよ。全く面倒くさいやつだな」
彼女は再び黒いカードを出し、宿代を支払った。金額を見もせずに、さらりと。
「これでいいだろ?さっさと部屋に行け」
部屋に入ると、少女たちは隅に集まり、不安げに俺を見ている。広い部屋なのに、彼女たちは壁際に固まって、できるだけ俺から離れようとしていた。
俺は無言で窓際に座り、外を眺めた。港の風景が一望できる、素晴らしい眺めだった。
『パールヴァティは偽善者よ』
エリアナの声が響く。
『可哀想な少女たちをいじめるあなたを懲らしめて、ヒーローになりたいだけ。でも、それも利用できるわ』
翌朝、俺たちはボリスの館へ向かった。
街の中心部から少し離れた丘の上に、その館はあった。豪奢な大理石の柱、天井まで届く窓ガラス。地方貴族というより国王の館のような贅沢さだ。庭園も手入れが行き届き、噴水が優雅に水を噴き上げている。
「相変わらず趣味悪いな」
パールヴァティが吐き捨てるように言った。建物を見上げ、露骨に嫌悪感を示す。
執事が恭しく出迎える。老齢の男で、完璧に訓練された動作で一礼した。
「パールヴァティ殿、クッキー殿、それとクルーシブ殿。お待ちしておりました」
どうやら、俺たちの訪問は事前に知らされていたらしい。
中に通されると、豪華な調度品が目に飛び込んできた。絵画、彫刻、高価な絨毯。全てが富を誇示するように配置されている。
応接室で待つこと数分、ボリスが腰を低くして現れた。
肥満した体を高価な服で包み、額には汗を浮かべている。目は落ち着きなく動き、明らかに怯えていた。頭を垂れ、目線を合わせないようにしている。
この男が、エリアナの部隊を見捨てた張本人だ。
俺の中で、押し殺していた怒りが再び燃え上がる。
「よくこられました。チココ様から手厚く対応するように仰せつかっております」
ボリスの声は震えていた。明らかにパールヴァティを恐れている。
パールヴァティは遠慮なく応接室のソファに腰を下ろし、足を机の上に投げ出した。まるで自分の家のような振る舞いだ。
「相変わらず媚び売るの上手いね、ボリス」
彼女は備え付けの高級フルーツを勝手に手に取り、かじり始める。果汁が顎を伝うのも気にせずに。
「で、何か問題でもあるの?」
単刀直入な質問に、ボリスはさらに汗を流した。ハンカチで額を拭いながら、おどおどと答える。
「実は...都市連合の企業が、この辺りで人を拉致しているという報告が...」
「はぁ?」
パールヴァティの態度が急変した。楽しげだった表情が、一瞬で不機嫌なものに変わる。
「それ、騎士団の仕事じゃん。なんで私がやらなきゃいけないの?」
彼女の声には明らかな不満が込められていた。休暇気分を邪魔されたような苛立ち。
ボリスはますます縮こまった。豚のような体を小さくして、必死に言い訳を探している。
「パールヴァティ様なら、すぐに解決していただけるかと...」
「ふーん」
パールヴァティは意味ありげにボリスを見つめた。その視線には、明らかな下心が宿っている。何かを要求する目だ。
「うーん、でもなぁ。私、クルーシブの監視で忙しいんだよね」
彼女はわざとらしくため息をつく。チラチラとボリスの反応を窺いながら。
ボリスは慌てたように立ち上がった。何かを思い出したかのように。
「そ、それでは...」
パールヴァティが指を鳴らした。パチンと、小気味よい音が響く。
「あ、そういえば、この前言ってたあのバッグ、新作出たんだっけ?」
唐突な話題転換に、ボリスの顔が青ざめた。額から流れる汗が、さらに増える。
「は、はい...確かに...」
「へぇ~、見てみたいなぁ」
彼女の声には明らかな脅しが含まれていた。甘い声音だが、その裏には『出さないと協力しない』という明確なメッセージ。
ボリスは震える声で部下に指示を出した。
「す、すぐに持ってこい!」
慌てふためく使用人たち。数分後、高級ブランドのバッグが一つ運ばれてきた。革の質感、金具の輝き、明らかに最高級品だ。
「おお、これこれ!」
パールヴァティは目を輝かせてバッグを手に取った。子供のようにはしゃぎながら、あらゆる角度から眺める。
「でも、一色だけ?」
彼女の声が急に冷たくなった。笑顔は消え、鋭い視線がボリスを射抜く。
ボリスは慌てて言った。冷や汗が滝のように流れている。
「も、申し訳ございません。今はこれしか...」
パールヴァティの表情が急に冷たくなった。先ほどまでの無邪気さは消え、冷酷な表情に変わる。
「ふーん」
彼女は立ち上がり、ボリスの前に立った。小柄な体格だが、その威圧感は巨大だった。
「防衛費はどこに消えたんだっけ?どっかの誰かさんが人気者になれてるのは、前の領主が都市連合に収めてた上納金よりも、今の領主であるお前がポケットに入れてる金額のほうが少ないってだけじゃなかったかな?」
鋭い指摘に、ボリスの顔がさらに青ざめた。体が小刻みに震え始める。
「つまり、お前は領民から搾取した金を、自分の懐に入れてるってことだよね?」
「ち、違います!そんなことは...」
「チココ様は虚偽の報告と不正を働く奴が大嫌いなんだけどなぁ?あいつは記憶が読める魔法使えるから、頭を触られたら一発で分かっちゃうなぁ?」
チココの名前を出された瞬間、ボリスは完全に崩れた。
「ひっ...」
豚のような悲鳴を上げ、床に膝をつく。
「す、すぐに!すぐに残りも用意させます!」
彼は慌てて部下たちに怒鳴りつけた。ヒステリックな声で、使用人たちを罵倒する。
「何をぼーっとしている!全色持ってこい!今すぐだ!」
使用人たちが走り回り、数分後、残りの色のバッグが全て運ばれてきた。赤、青、緑、黄色、紫。虹のように並べられた高級バッグ。
「さすがボリス、話が分かるね」
パールヴァティは満足そうに頷いた。先ほどまでの冷酷さは消え、また無邪気な笑顔に戻っている。
「まあ、ついでだから見てやるよ。都市連合の連中も」
彼女は伸びをしながら、まるで散歩にでも行くような軽い調子で言った。
ボリスは安堵と恐怖が混じった表情で、震える手で報告書を差し出した。
「こ、これが詳細です...森の奥に研究所があるようで...」
パールヴァティは報告書を受け取ると、さっと目を通した。
「ふーん、誘拐して人体実験か。相変わらずドブは趣味が悪いね」
最終的に、パールヴァティは立ち上がり、ストレッチを始めた。柔軟な体を大きく伸ばし、関節を鳴らす。
「で、敵の場所は?」
より詳細な地図を受け取ると、彼女は鼻で笑った。
「こんな雑魚、私一人で十分じゃん」
そして俺の方を見た。値踏みするような視線。
「チョコクッキー、お前も来る?」
「俺も行く」
即答した。ボリスをこの目で見ることができただけでも収穫だが、パールヴァティの戦闘をさらに観察する機会は逃せない。
『行きましょう』
エリアナが促す。
『彼女の戦闘スタイルを分析する良い機会よ。弱点を見つけなさい』
「じゃ、行ってくるわ」
パールヴァティはボリスに向かって言った。
「バッグはちゃんと保管しといてよ。一つでも傷ついてたら、次は倍の値段のやつ要求するから」
ボリスは青い顔で何度も頷いた。
クッキーと少女たちは館に残ることになった。少女たちはほっとした表情を見せたが、すぐに不安そうに俺を見送った。
俺たちは館を出て、森へと向かった。
途中、パールヴァティが鼻歌を歌い始めた。上機嫌で、新しいバッグのことを考えているのだろう。
『見栄っ張りで、金に汚くて、弱い者いじめが好き』
エリアナが分析する。
『典型的な小物ね。でも油断は禁物よ。実力は本物だから』
森に入ると、パールヴァティは急に真剣な表情になった。
先ほどまでの軽薄な態度が嘘のようだ。目つきが鋭くなり、動きも慎重になる。
「ここからは仕事モードだ」
彼女は低い声で言った。
そして、彼女は音もなく姿を消した。
完璧なステルス。風すら動かない、真の忍者の技。
これが忍者クラスの真骨頂か。
俺も彼女に続いて、森の奥へと進んでいった。
木々の間から、微かに薬品の匂いが漂ってくる。そして、人の気配も。
研究所は、もうすぐそこだった。
復讐への道は、まだ始まったばかりだった。