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うらはら

春の夕暮れ。

沈みかけた太陽が、街の輪郭をやわらかく滲ませていた。

俺たちは、商店街のはずれにある小さな古本屋の帰り道を並んで歩いていた。

咲良先輩とこうして並んで歩くのも、少しずつ“普通”になってきた気がする。

それでも、隣にいるだけでドキドキするのは――どうしても慣れない。

いや、慣れたくない。なんておかしなことを思ってしまう。

「……面白そうな本、多かったですね」

そう俺が言うと、咲良先輩は、少しだけ頷いた。

言葉はいつも通り少なめだけど、手にした紙袋の口をぎゅっとつまむように握っているのが、嬉しそうだった。

「……買いすぎたかも」

「先輩、本好きですもんね」

「……うん」

「……とくに、この人の本、ずっと探してて」

そこで、咲良先輩がふと足を緩めて、紙袋の中から一冊の本をそっと引き出す。

表紙には、水彩で描かれた淡い風景と、やわらかな書体のタイトル。

「……日下雫くさかしずくっていう画家で、……文章も書くんだけど、すごく、静かで、やさしいの」

「文章も書くんですか?」

「うん……空とか、光とか。にじんだ色が、すごく綺麗で……」

そう言って少しだけ、視線を落とす咲良先輩。

まぶしそうに、でもどこか大切なものを思い出すみたいな目で。

「……なんか、ずっと見てると、泣きそうになるくらい、落ち着く」

小さい声だけどしっかりと届いた。――まるで、その作家の作品が、咲良先輩自身のことみたいだった。

静かで、やさしくて、少しだけ言葉が不器用で。

「……その人の展示会とかあったら、行きたいですね」

俺がそう言うと、咲良先輩は一瞬だけこちらを見て、

ほんのわずかに――でも確かに、うなずいた。

「……行けたら、いいな」

その言い方が、なんとなく未来の約束みたいで。

俺のセンサーが、小さな鐘を鳴らしたようだった。

ふと、気づく。

咲良先輩、紙袋をずっと左手で持っている。つまり、右手が空いてる。

……つまり――手を、つなげるのかもしれない。

何度か手は繋いでいるけど、当たり前にはなっていない。

ということは、俺の左手と――手、つなげるのかも……なんて。

ちょっと迷ってから、思いきって、そっと手を伸ばしてみた。

指先がかすかに触れた瞬間――

咲良先輩は、まるで一瞬、呼吸が止まったようにぴたりと足を止めた。

……あ、まずかったかな、って思ったそのとき。

「……ちょっと、待って」

そう言って、咲良先輩は慌てたように紙袋を反対の手に持ち替えた。

そして、真顔のまま、俺の右側に回り込むと、ゆっくりと俺の右手を握ってきた。

「……自分から、つなぐのは……恥ずかしいから」

咲良先輩から繋いできたのに……なんだろう……かわいい。

そう言った咲良先輩の横顔が、ほんのり赤い。

夕陽のせいにしてしまえばそれまでだけど――

「こっち側のが……落ち着く……」

フッと溜め息交じりに漏れた言葉。

抱えた紙袋がガサッと小さく揺れた、手もぎゅっと握ってきた。

夕暮れのやわらかな光が、咲良先輩の頬に斜めから差して、

その表情を、ほんの一瞬、やさしく映し出していた。

「……かわいいです、先輩」

思わず出た言葉に、咲良先輩の手がぴくりと揺れた。

「それ、言わないで」

「え?」

「……かわいいって、……そういうの、慣れてないから……」

咲良先輩は顔をそむけながら、でも手は離さなかった。

むしろ、少しだけぎゅっと強くなった気がする。

「え?でも、こないだ、かわいいとか言って欲しいって……」

「言ってない……」

咲良先輩は、紙袋で顔の下半分を隠すようにして、そっぽを向いた。

その仕草さえ、可愛くて愛しくて――

俺は何も言わずに、その手をそっと優しく握り返した。

咲良先輩はたぶん、ほんとに慣れてないだけなんだ。

誰かに好意を向けられることも、自分から気持ちを表すことも、全部。

でも、だからこそ。

こうやって少しずつ、咲良先輩の“照れ”に出会える瞬間が、ものすごく愛おしい。

俺はその手を、何も言わずに、ただ優しく握り返した。

「……なに」

咲良先輩が、びくっと肩を揺らして、上目遣いに俺を仰ぐ。

揺れる視線に、ほんの少しの期待と困惑がにじんでいる。

「……なんでもないです」

俺がそう答えると、咲良先輩の肩の力がふっと抜けた。

そのまま、ゆっくりとした足取りでまた歩き出す。

しばらく無言のまま並んで歩いていると、

咲良先輩がふいに足を止めて、ちらりとこちらを見た。

「……さっきの、ちょっとだけ、うれしかったけど」

「え?」

「……だから、今日は許す」

表情は相変わらず硬いままだったけど、

耳の先までほんのりと赤く染まっているのが見えた。

……これが、照れ隠しじゃないはずがない。

俺にはちゃんと、分かる。

咲良先輩は、不器用だけど誠実に、少しずつ、気持ちを届けてくれる。

その歩幅に、ちゃんと俺も寄り添いたいと思う。

──今日は、咲良先輩が“照れてくれた日”。

その小さな記憶を、焼き付ける。

俺たちは夕暮れの街を歩いていった。

あれ?

でも許すって、俺なにかしたかな?

そんなことを思いながら、自然と笑いがこぼれる。

隣を歩く咲良先輩の横顔をそっと見ると、視線に気づいた咲良先輩が、ん?という顔でこちらを見た。

その無防備さに、どうしようもなく頬が上がる。

「かわいい」

「……バカ」

咲良先輩はそっぽを向いて、ふいに、ふっと表情を引き締めた。

照れを押し込んで、いつもの“顔”に戻る――そんな風に。

でもその耳だけが、じんわり赤く染まったままだった。

雑踏にとろけていく、ふたりの声だった。

お読み頂きありがとうございます_(._.)_。

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