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ただ、君を見ていた。  作者: ぽんこつ


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結晶

1月某日――。

年が明けてからずっと、咲良の誕生日のことが頭から離れなかった。

それは、1月31日。

まだ先のようで、実際はあっという間に近づいてくる。

何をあげたら、咲良が喜んでくれるのか。

悩んで、悩んで、正直、何度も分からなくなった。

絵を描く人だから、手元につけるものは邪魔になるかもしれない。

かといって、あまり実用的すぎるのも違う気がする。

咲良の中には、静かなこだわりがたくさんあって、それを傷つけたくなかった。

放課後、帰り道に寄ったアクセサリーショップ。

バイト代を握りしめて、店内を何度も何度もぐるぐる回った。

そのたびに、俺の顔を見て声をかけてくれる店員さんに「また来た」と思われてるんじゃないかと内心焦ってたけど、どうしても選べなかった。

だけど、ある一点、ショーケースの中で光っていたネックレスに目が止まった。

雪の結晶のモチーフ。

細くて繊細で、でも、どこか凛とした冷たさを纏っている。

咲良みたいだ、と思った。

遠くから見たら近寄りがたいのに、少しずつ知るほど柔らかくて、きれいで、あたたかくて。

「……これ、お願いします」

値札を見て、息が詰まった。

だけど、後悔はしなかった。

バイト代、けっこう吹っ飛んだけど、これ以上に似合うものはもう見つからないって思った。

白い箱にリボンがついて、店員さんが「彼女さんのお誕生日、素敵に過ごしてくださいね」って笑った。

苦笑いを浮かべて、うなずくのが精いっぱいだった。


そして、当日――

夕方4時過ぎ。

日が落ちかけたお台場の駅前は、ビルの灯りがひとつずつ滲み始めていた。

人の流れの先、観覧車のシルエットが少し霞んで見える。

手袋を外した手のひらに、冷たい風が流れていく。

その向こうで咲良がこっちに気づいて、小さく手を振った。

風になびいた髪を押さえながら、いつもより少しだけ柔らかい表情。

白いタートルネックに、紺のロングコート。

足元はベージュのショートブーツ。

それだけで目を奪われるのに、髪を横でひとつ結びにしていて――

なんていうか、もう……ずるい。

「悠真くん、寒かった?」

「いや、ちょうど着いたとこ」

そう言いながら、咲良の横に並ぶ。

体温が伝わってくる距離。

手袋越しでも感じる静かな熱。

「……なんか今日、景色も特別に見える」

「そりゃ、主役がいるからな」

俺の声に、咲良は一瞬ポカンとしてから、ふっと笑った。

目を細めて、少しだけ俯く。

その仕草があまりにきれいで、つい黙って見惚れてしまった。

予約したのは、お台場の海沿いにある小さなイタリアンレストランだった。

表通りから少し外れた路地、低く灯る照明が窓から漏れ、静かに水辺を照らしている。

ガラス張りのファサード越しに、運河の向こうに並ぶ夜景がにじんで見える。

店に入ると、空気がふわりと変わった。

温かなオレンジの灯り。天井には控えめなシャンデリア。

テーブルは全部で十卓ほど。隣の席とは距離が取られていて、音も光も、どこか包まれているような静けさだった。

店員に案内され、窓際の二人席へ。

コートを預け、席に着くと、向かい合った咲良の横顔がほんのり灯りに照らされる。

髪をサイドで軽くまとめたそのシルエット。

耳元に揺れる小ぶりなピアス。

いつもと違う、でもちゃんと咲良らしい格好が、妙に胸をざわつかせた。

「……ね、ほんとにこんなところ知ってたの?」

メニューを開きながら、咲良が少し顔を上げる。

声はいつもよりわずかに抑えられていて、それがこの場所の静けさに合っていた。

「うん……まあ、ネットで調べて、実際に一回来てみて、決めた」

「そっか……すごいね」

照れくさそうに笑ったその瞳が、ほんの少し潤んでいるように見えた。

「わたし……外でちゃんと誕生日祝ってもらったの、たぶん初めて」

「ほんと?」

「うん、家族だけってことが多くて。だから、うれしい」

言いながら、咲良はナプキンを指先でいじる。

布の端をくるくる巻いてから、ほどく。

緊張してるんだなってわかった。

最初に運ばれてきた前菜は、カプレーゼと生ハムの盛り合わせ。

お皿の中央にはソースが筆で引いたみたいに添えられていて、咲良は少しの間それをじっと見ていた。

「これ……食べるの、もったいないね」

「でも食べないと減らないよ」

「うん、でも……絵みたい」

咲良はらしい言葉を残し、笑って、ナイフをそっと入れる。

フォークで刺したトマトを口に運ぶと、眉を上げて、ふわっと吐息を漏らした。

「……おいしい」

「そりゃよかった」

水のグラスを持ち上げる仕草すら、咲良はどこか丁寧だった。

窓の外では、対岸のビル群が川面に反射して、ゆっくり揺れていた。

淡く響くジャズのBGMと、食器が触れ合う静かな音。

この空間すべてが、咲良のためにあるような気がしてくる。

メインのパスタが運ばれてくると、咲良は口元に手を添えて、俺をじっと見つめた。

「悠真くんって、さ」

「ん?」

「こういうの、得意そうに見えないのに……なんでこんなに、ちゃんとしてくれるの?」

「……得意じゃないよ」

「じゃあ、なんで?」

「……咲良が、今日、特別だから」

それだけ言うと、咲良はそっと顔を伏せて、小さく「ありがとう」とつぶやいた。

照れ隠しなのか、フォークをカチリとお皿に落として、「あ」と小さく笑った。

食後のデザートには、咲良の誕生日に合わせて用意された小さなプレート。

皿の縁にチョコレートで描かれた「Happy Birthday」の文字。

その中央には、小さな雪の結晶をかたどったケーキと、一本のキャンドル。

「……これ、店の人にお願いしてたの?」

「うん。サプライズってほどじゃないけど……」

「うれしい……ほんとに」

咲良はそっと笑い、キャンドルに顔を寄せる。

一拍の間をおいて――ふうっと、やわらかな息を吹きかけた。

小さな炎が、静かに揺れ、やがてすっと消える。

咲良はそのまま、火が消えた場所をしばらく見つめていた。

照明の光がふんわりとその微笑んだ顔に落ちている。

「願い事、した?」

「うん。したよ」

「なに?」

「……それは、ひみつ」

いたずらっぽく笑って、咲良はフォークを手にした。

雪の結晶のかたちを崩さないように、そっと端をすくって、口元へ運ぶ。

「……おいしい」

こんなふうに笑ってくれるなら、今日はこれだけでも十分かもしれない――そんな気がした。

皿に残ったソースを最後にすくいながら、咲良がぽつりと言う。

「……今日、ほんとに、来てよかった」

「俺も」

咲良が最後のひとかけを口に運ぶと、プレートの上には、ほんの少しだけソースの跡が残っていた。

フォークを置き、ナプキンで口元を拭いながら、咲良はふと窓の外に視線を投げる。

ガラス越しに見える、湾沿いのイルミネーション。

その遠くに、観覧車のゆっくりとした回転が、星の軌跡みたいに光の円を描いていた。

「……あれ、見えるんだ」

咲良の声が、いつもより少しだけ遠い。

目で追っていた観覧車の光をなぞるように、指先がテーブルの上をなぞる。

「うん。ちょうどいい時間だと思って」

俺がそう答えると、咲良は小さく瞬きをして、こちらを見た。

「……やっぱり、今日って、特別なんだね」

「もちろん。咲良の誕生日だし」

照明が少し落とされた店内、他のテーブルとの距離もあって、ふたりだけの空間のように感じる。

咲良は肩の力を少し抜いたように息をつき、テーブルの上でそっと俺の手に指先を触れさせた。

「……ありがとうね」

「うん。まだ、終わりじゃないよ」


俺が扉を開けると、夜の冷たい空気がすぐに肌を刺した。

息が白く立ちのぼり、咲良は首元のマフラーをきゅっと巻き直す。

その視線の先、ゆっくりと回る観覧車の光が、冬の空に滲んでいた。

「……わ、あれ……ほんとに乗るの?」

「うん。せっかくだし」

「……ちょっとドキドキするけど……楽しみ」

咲良の声には、ほんのかすかな震えと、それ以上に隠しきれない期待が混じっていた。

街の光がその頬に柔らかく当たり、目元に影を落とす。

チケットを受け取り、俺たちは観覧車のゴンドラに乗り込む。

扉が閉まり、静かな空間に包まれると、まるでこの瞬間だけが、街から切り離されたみたいだった。

俺は、ポケットの中にある小さな箱に、そっと指先を添えた。

ゴンドラがゆっくりと上昇していく。

ふたりだけの時間を、ゆっくりと夜の空へ運んでいくように。

夜の東京湾は澄んでいて、遠くに橋のライトが点々と伸びていた。

海の上に浮かぶような光が、ぼんやりと窓ガラスに映ってる。

隣で咲良は、膝の上に置いた手をぎこちなく動かしながら、じっと窓の外を見つめていた。

「……わ、高いね」

いつもより低い声がポツリと漏れる。

手袋をしていない指先が膝の上で落ち着きなく揺れていた。

寒さじゃなく、きっと俺と同じで、少しだけ落ち着かないんだと思う。

俺はポケットの中で、指先に触れる小さな箱をそっと握る。

渡すタイミングなんて、本当は決めてなかった。

でも、これだけ夜景がきれいで、ふたりきりで、静かで。

今じゃなかったら、もう言えない気がした。

「咲良」

「……ん?」

俺は、ポケットから出した小さな箱を、咲良の膝の上にそっと置いた。

一瞬、きょとんとした表情。

それから、視線が箱へと移り、慎重に指をかけて開く。

「……え、これ……」

「誕生日、だし。ちょっと、頑張った」

「……」

小さな雪の結晶のネックレスが、照明の灯りに揺れていた。

細いチェーンの先で、光がふるえている。

咲良はただそれを見つめて、まばたきを忘れているみたいだった。

「似合うと思って」

「……うん」

「つけてみて、いい?」

咲良は、静かに頷いて髪をふわりとかき上げた。

その仕草がどこか恥ずかしそうで、けれどどこか、嬉しそうだった。

俺は手元の留め具に少し戸惑いながら、ネックレスを彼女の首にそっとまわす。

細く白い首のうしろが、ふるえるように呼吸していた。

留め金を留めると、咲良はそっと胸元に触れ、目を伏せる。

「……こんな、きれいなの。もったいない」

「そんなことない。咲良に似合うよ」

「……すごく、嬉しい」

「……よかった」

咲良の頬には、ほんのりと色が差していた。

窓の外には東京の夜景が広がっている。

けれど、俺の目に焼きついたのは、咲良の胸元で揺れるネックレスのきらめきと、その微笑だけだった。

観覧車がゆっくりとてっぺんに差し掛かる頃――

咲良はネックレスをそっと手のひらに乗せ、裏側を見つめる。

「……これ、刻印……?」

「うん。1.31と……Y&S。彫ってもらった」

言葉にしないまま、咲良はネックレスをぎゅうっと握りしめた。

そして、もう泣きそうな顔で俺の袖口をつまむ。

「……悠真くん」

「ん?」

「だいすき」

その言葉が落ちた瞬間、俺の心臓が一段と跳ねた。

観覧車のてっぺんにいるのに、胸の鼓動はそれよりも高く上がっていく気がした。

次の瞬間、そっと重なった唇の温もりが、全身にゆっくりと伝っていく。

この冬の夜の中で、何よりも確かなものだった。

お読み頂きありがとうございます_(._.)_。

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