文字越しの声
ベッドに寝転がったまま、俺はスマホの画面に視線を落としていた。
部屋の照明は落とし、枕元の小さなライトだけが、オレンジ色の輪郭を夜ににじませている。
そのやわらかな光が、スマホのガラス面に淡く反射して、ぼんやりと俺の顔を映していた。
トークアプリのアイコンをタップすると、昨日の「おやすみなさい」で止まったままのやり取りが現れる。
「……起きてるかな」
つぶやいた声が、自分でもやけに頼りなく聞こえた。
迷いがちに動く指先が、ひとことだけを打ち込む。
「先輩、まだ起きてますか?」
送信した直後に、既読がついた。思わず息をのむ。
たまたまスマホを手にしていただけ。そう分かってはいるけど、それでも、少し嬉しい。
数十秒後、ぽん、と通知が鳴る。
『起きてます』
『春川くんから、めずらしい』
たしかに。
いつもは、咲良先輩の方から「なにしてる?」と突然送ってくれることが多い。
でも今日は、俺のほうが、なんとなく——いや、ちゃんと——咲良先輩に話しかけたかった。
「なんとなく、先輩の声が聞きたくなって」
送ったあと、少し恥ずかしくなってスマホを伏せる。
そのわずかな沈黙を破って、すぐに返ってきた返信。
『声じゃなくて、文字ですけど』
その冗談めいた言葉が妙におかしくて。
思わず、声が漏れるほど笑ってしまう。
「うん、それでも嬉しいです」
『私もです』
短い一文。それだけなのに、温かさが胸にじんと広がる。
メッセージは苦手って言ってたけど、それでも、こうして夜の静けさの中で文字を交わしていると、ほんの少しだけ——
咲良先輩が、素直になれてるような気がする。
……いや、きっと努力してくれてるんだ。
たぶん、この短い言葉にも、何度も入力しては消して、悩んで、ようやく送ってくれているんだと思う。
俺のために。自分の気持ちをちゃんと伝えるために。
そのひとつひとつの文字が、まるでガラス細工みたいに繊細で、大切にしなきゃって思う。
俺は、そっとスマホを手に取り直す。
咲良先輩からのメッセージ。
『私もなんとなく、寝る前に話したくなった』
咲良先輩らしい。飾らないけれど、少し照れくさいような言葉の選び方。
「俺も、ちょうど先輩のこと考えてました」
……ちょっと言いすぎたかもしれない。でも、嘘じゃない。
既読はつかない。
通知だけ見てるのか、それとも返す言葉を考えてくれてるのか。
静かに時が過ぎて、数分後、ようやくぽん、とメッセージが現れた。
『……そういうの、ずるい』
咲良先輩にしては珍しく、ちょっと崩れた文体。
不意に「かわいい」と思ってしまう。
あの静かな表情のままで、これを打ってる姿を想像すると、もうとてつもなく苦しくて……たまらない。
「ごめんなさい、ずるかったですか」
『……ちょっとだけ』
少し間をおいて、もう一通。
『うれしいかも』
その一文だけで、顔がにやけるのが自分でも分かる。
まるで言葉の温度が、手のひらを通して伝わってくるよう。
「あの、今日の中休み」
「ちょっと髪、結び直してたでしょ?」
「俺の教室から、先輩の教室見えるから」
しばらくしてから、『……気づいてたの?』と返ってくる。
「うん。窓際にもたれてるとこ。きれいだなって思って」
「あ、へんだったらごめんなさい」
……送信してから、スマホを顔に押し当てたくなった。なに言ってんだ、俺。
『変じゃないよ』
『そういうふうに、見てくれてたの、ちょっと……うれしい』
そのあとに、小さな顔の絵文字がひとつ。
咲良先輩のメッセージに絵文字がつくなんて、ほとんどないから。
そのひとつに、胸がきゅっとなる。
今日の咲良先輩の姿。
窓際に立って、長い髪を一度ほどいて、静かに結び直す後ろ姿。
たぶん、誰も気づかないような仕草だったけれど——
俺には、それがちゃんと分かるようになってきた。
『……春川くんは、すごいね』
『そんなとこ、見てたんだ』
「うん。だって、先輩のこと好きだから」
打ってから、指が少しだけ震える。
もう戻せない。いや、戻す気もなかった。
一分ほどして、ぽん、とメッセージが届く。
『私も、春川くんのそういうとこ、すきだよ』
スマホ越しに届く文字が、咲良先輩の声で脳内再生される。
画面がにじんで見えた。まばたきをして、目をこすりながら、もう一度読む。
何度見ても、ちゃんとそこに「すきだよ」と書いてある。
「ありがとう。先輩、だいすきです」
『……うん。わたしも』
そのあと、やり取りはしばらく止まった。
でも、スマホを持つ手は自然と緩まず、画面の明かりだけが、静かに夜を照らしていた。
好きな人に「好き」と伝えられて、返ってくる言葉が、こんなにあたたかいなんて。
心臓はまだ、どくどくとうるさく鳴っている。
『今日、教室で窓の外見てましたよね。何か考えてました?』
しばらく返事はなかった。
寝ちゃったのかな……と思いかけた頃、通知が届く。
『桜が咲いてるなって思ってました。きれいだなって』
その文面から、春の夜の空気がほんのりと伝わってくるようだった。
「週末あたり、一緒に見に行きませんか」
『はい』
即答だった。
……付き合ってるんだし、デートなんて当たり前だ。
なのに、送った自分がいちばんソワソワしている。
「じゃあ、土曜日どうですか?」
『はい』
たった二文字。でも、どこか嬉しさや照れが滲んでいて。
その短さが、かえって心を打つ。
このやり取りだけで、眠る前の夜が、特別なものになっていく。
咲良先輩の言葉を通して、俺たちの距離がゆっくりと、でも確かに近づいている。
その「近づく」という感覚が、ただ嬉しくて、愛しくて。
朝まででも話していたい。
でも、もう遅い時間。
「おやすみなさい、先輩」
『おやすみなさい、春川くん』
スマホを伏せて、目を閉じる。
きっと今日は、いい夢が見られる。
咲良先輩も、同じ夢を見てくれたらいいな。
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