曇り
九月のはじめ。
雲が薄っすらと膜を張ったような空。
蝉の声が遠のいて、風に混じる空気がどこか乾いている。
夏の匂いの奥に、秋が少しだけ顔を覗かせていた。
始業式の朝、駅の噴水広場の奥。
咲良は、あの時の木陰で待っていた。
白いカーディガンを羽織っていて、いつものように髪は下ろしたまま。
それなのに、どこか見慣れない感じがした。
もしかすると——
咲良が、この夏で少しだけ変わったからかもしれない。
そして、俺のなかでも、何かが動き始めていた。
インスタには、二作目の投稿をしたばかりだ。
咲良が描いた、《影の帰り道》。
薄曇りの夕暮れ、河川敷をひとり歩く制服姿の少女。
230人ほどのフォロワーは一晩で400人を超えて、まるで冗談みたいだった。
紹介してくれたアカウントの影響かもしれないけど、それだけじゃない。
咲良の絵が、ちゃんと“誰か”に届いてるのが分かる。
「すごい」って、思う。心から、思う。
——でも、俺はそれを“喜ぶだけ”で、ほんとにいいのか?
咲良の才能が知られていくたびに、誇らしさと一緒に、心のどこかで小さな何かがきしむ。
俺は、咲良の絵を写真に撮って、それを届ける。
けどそれは、咲良の“補助線”みたいなものでしかない気がして。
咲良が一人で立てるなら、俺はどこに立てばいいんだろう、って。
「おはよう悠真くん」
「おはよう咲良」
咲良は眉を上げて首を傾げる。
どうしたの?言いたげな口元。
俺は笑って返す。
すると、一瞬だけ眉間に皺を寄せた咲良も頬あげた。
広場を抜けて、道路沿いの通学路を並んで歩く。
帰り道の逆方向。
俺たちは同じ学校に向かって歩いてるのに、咲良の“これから”は、もう別の場所を見てるんじゃないかって。
そんな考えが、ふと脳裏をよぎる。
咲良は進路のことや、コンクールの話をする。
耳には入ってくるけど、半分上の空になってしまう。
いけないと、分かっていても。
「これも全部、悠真くんが、傍にいてくれるお陰だよ」
「え……?」
だめだ、俺としたことが、聞き取れなかった。
校門をくぐると咲良が足を止めた。
「……ちょっと、こっち向いて」
不意に言われて、視線を合わせる。
咲良は、手を伸ばしてきた。
「ネクタイ、曲がってる」
指先が胸元に触れた。
その動作はごく自然で、でも、心臓に触れられたみたいだった。
顔が、近い。
髪が揺れて、柔らかく香って、
ふいに感じた体温に、喉の奥がひくりと鳴った。
咲良は、ネクタイを整え終えたあと、俺の視線を受け止めきれずにそらして、
小さく、ためらうように言った。
「……あんまり、誰かに見せたくないから」
そして、そのまま踵を返して、歩き出す。
胸が、きゅっと鳴った。
恋人らしい仕草が、こんなにも静かに刺さるなんて、思わなかった。
「咲良……ずるいよ」
唇の奥でこぼれた声は、咲良には届いていない。
夏の終わりの、乾いた風が吹いていた。
空はまだ高くなくて、淡い雲が空一面にかかっていた。
その空の下で、咲良の髪が揺れていた。
咲良が好きだ。
それだけじゃ――
ふと、この手を握っていても、いつか、その先にある未来では、俺が咲良の隣にいられないかもしれない——
そんな漠然とした不安が、足もとに影のように伸びていた。
だけど、いまはまだ、追いつける気がする。
咲良の“今”に。
だから、歩幅を合わせて、俺も歩き出した。
白く霞んだ雲の中を、飛行機雲が一筋、いずこかへ向かって伸びて行った。
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