結局のところ
夏休みも残すところ二週間程となったある日。
咲良からメッセージが来た。
『作品完成したから見に来て』
『駅前で待ち合わせして一緒に学校に行こ』
『明日の9時でどうかな?』
『それと、夕方まで時間とるから』
『デートしよ』
そのメッセージが来てからというもの、舞い上がってしまったのか、なんだかふわふわしていた。
いつも以上に、何をしてても咲良のことばかり考えていた。
次の日――
快晴の空模様。
朝から日差しが強くて、蝉の声が頭上でけたたましく響いている。
夏休みに制服を着るのも、なんだか妙な感じだけど、それ以上におかしいのは――たぶん、俺の方だ。
咲良に会えるっていう、それだけで。
暑さまでも気持ちいいくらいに感じてしまってるんだから。
我ながら、現金すぎる。
待ち合わせの駅前。
咲良はもう来ているはず。
『着いたよ』 のメッセージが5分前に入っていた。
そうは言っても、まだ約束の9時には15分早い。
お互い、気持ちが逸っているのは明らかだった。
人が行き交う駅前の広場で、いとも簡単にこの広い空間から咲良の姿を視線に捉えた。
まるで、この世界に咲良しかいないみたいな感覚で、いとも容易く。
噴水広場の木陰。
そこに佇んでいたのは、久しぶりの制服姿の咲良。
軽く流した前髪をヘアピンで留め、今日はポニーテール。
白い襟元と青いスカートのコントラストが、まぶしく映える。
咲良も俺に気づいて、目を細めて微笑んでくれる。
そして、ちょこちょことスカートとポニーテールを揺らしながら、足音を弾ませて近づいてきた。
表情は作品が仕上がったからか、俺と会えたからか、解き放たれた様に爽やかだった。
そして、リュックのベルトを両手で摘まんでいる。
「おはよう、悠真くん」
夏の朝の空気よりも澄んだ声。
「おはよう、咲良」
手を繋ぐ前に、一瞬だけ視線がぶつかり、お互いに少し照れたように笑う。
細くて、柔らかい、久しぶりの咲良の手の感触にドキドキと鼓動が高鳴る。
「やっぱり、会ったら安心する」
咲良の指先が俺の手の甲をさする。
その仕草も、声のトーンも、まっすぐで、ちょっと甘い。
「俺も、でもドキドキしてる」
咲良は少しうつむいて、髪を耳にかける。
「私も……」
会えない時間がこうさせたのもあるのかもしれない、だけど、きっとこのドキドキはいつになっても消えないような気がしてる。
「あのさ……」
「なに?」
「今日の咲良も、かわいい」
咲良の足がピタッと止まる。
ニコッと笑い、 首を傾げながら、じーっと俺を見て――
「バーカ……」
繋いだ手をギュッと握り、歩き出した。
少し頬を染めていたけど、言い方に嬉しさが溢れているのが伝わった。
……だめだ、かわいい。
まるごと、全部が愛しく思えてしまう。
「なんか、不思議だね」
「ん?」
「寂しいって、気持ちって募るけど、一瞬でなくなる」
「……確かに」
「私って、考えちゃうんだ色んなこと。でもね、今の作品は感じて描いてみたの。早くね、悠真くんの感想、聞きたい」
ほんのりと嬉しそうに笑う。
前髪の桜を象ったヘアピンがキラリと光った。
「楽しみだな」
俺はまだ、インスタグラムに関する話をしない。
あとでゆっくり伝えてあげるんだ。
咲良がどんな反応をするか――
喜んでくれるかな。驚くかな。
咲良の横顔を見ながら、ニヤニヤが止まらなかった。
夏休みの学校は、思っていたよりも人がいた。
体育館の方からは吹奏楽部の音が漏れていて、時折、テニスコートから掛け声が風に乗って届いてくる。
美術部の部室。
その扉をくぐった瞬間、俺は少し緊張した。
「悠真くん、後ろ向いて。声かけるまで、待ってて」
少し弾んだような咲良の声。
「わかった」
言われるがまま、俺は廊下の方を向く。
背後で咲良の足音が静かに遠ざかり、扉が開く音がした。
また足音が近づいてくる。
そのあと、ガサガサと何かを運ぶような音が二度、三度――
絵をイーゼルに立てかけているのだろうか。
息を呑んで耳を澄ませていると、やがて静寂が訪れた。
「……いいよ」
咲良の声。
それを合図に、ゆっくりと振り向く。
イーゼルの上。
そこに置かれていたのは、完成した――咲良の絵だった。
無意識のうちに、足が絵へと引き寄せられていた。
吸い込まれるように。
描かれているのは、夕暮れの窓辺。
淡くオレンジがかった光が、部屋の中に斜めに差し込んでいる。
レースのカーテンが、風にふわりと舞い、透明な薄布越しに、その向こう――
窓の外には、人影のようなものが、静かに佇んでいる。
誰なのか、顔は描かれていない。
輪郭すら曖昧で、まるでそこに「いるはずの誰か」の余韻だけが残っているような、不思議な存在感だった。
光と影の重なりが異様にリアルで、斜陽の暖かさと、部屋の奥の淡く青味がかったひんやりとした空気の対比が、まるで映像のような立体感で迫ってくる。
目を凝らせば、カーテンの揺らぎの中に、ほんのかすかに人の輪郭が浮かび上がる。
それが「誰か」ではなく、「誰かを待つ誰か」のようにも見えて――
絵の中には確かに時間が流れていた。沈黙の中で、それでも進んでいる、誰かの想いの時間。
部屋の隅には、読みかけの本と、置きかけのマグカップ。
生活の匂いが滲んでいるのに、静謐で、どこか孤独な空気。
言葉は何一つ描かれていないのに、“誰かを想う気持ち”が、絵全体から滲み出ている気がした。
「……すごい……これ」
自然と声がこぼれていた。
すぐ隣で、咲良がそっと頷いた気配がする。
「窓の外にいるの、悠真くんなんだ」
咲良の声はとても静かで、どこか照れたような、でも自信に満ちたていた。
「え?」
俺が思わず振り返ると、咲良は視線を絵に向けたまま、小さく笑った。
「……姿は描いてない。でも、そこに“いる”って思って描いてたの。誰にも気づかれないかもしれないけど――私だけは、知ってるって思いたかった」
そう言って、絵に視線を落とす咲良の表情が、
どこか遠くを見つめているようで――俺の中で、何かがきゅっと締めつけられた。
感情の芯に、まっすぐ触れられたような、あたたかさと痛みが一緒になったような感覚。
キャンバスの右下には、小さく「Sakura.M」のサイン。
その隣に置かれたタイトルカードには、こう記されていた。
「揺れる光・Light Between Us」
隣には、咲良の自室で制作されていた絵が置かれている。
小さなイーゼルに立てかけられたその絵は、淡いパステルカラーを基調にした、柔らかなタッチ。
全体はどこか霞がかったような雰囲気で、輪郭線もくっきりとは描かれていない。
けれど、その中心にいる女の子だけは違った。
やわらかな頬のライン。
ゆるく束ねられた髪。
少し伏し目がちの表情。
背景の淡さと対照的に、瞳だけが濃く深く描き込まれていて、強いまなざしがキャンバス越しにこちらを射抜いてくる。
瑠璃を基調にほんの少しだけ紅を含んでいて、静けさの中に宿る熱のように感じられた。
咲良――と、思った。
姿かたちは違うはずなのに、雰囲気や空気感が、どうしようもなく咲良に重なる。
むしろ、咲良の“内側”だけを切り取って描いたような、そんな絵だった。
瞳の奥にある感情は、強さと不安と、何かを求めるような、微かな揺らぎ。
それが、ふわりとした光の中で淡く浮かび上がっていて、
見る者に「目をそらせない何か」を訴えてくる。
背景には、あえて何も描かれていなかった。
白でもなく、ただ静かな光だけが広がっているような――そんな空間。
ごく淡い金色が混ざったアイボリーが、絵全体をほんのり包んでいて、そこに、女の子の存在だけがぽつんと立っている。
それなのに、不思議と孤独には見えなかった。
むしろ、“誰かを見つけた”瞬間の顔にも見えた。
その誰かが、絵のこちら側に立っているような。
「……この絵、すごく、咲良っぽい」
そう呟くと、隣で咲良が少しだけ肩をすくめる。
「……え、似てないよ、たぶん」
「似てるとかじゃなくて……気配? 雰囲気?」
咲良は少しだけ目を伏せて、照れたように笑った。
その笑みにかかるまつ毛が揺れて。
そして、ほんのりと顔が赤く染まっていくのがわかった。
「……あのね、この子ね。描いてる途中で、なんかだんだん、誰かを“見てる”ような目になってきたの。最初はもっとぼんやりしてたのに……」
咲良はそう言って、そっと絵の前に歩み出る。
指先を伸ばして、光の差し込んだ部分をなぞるように。
「……この子、見てるんだね、やっぱり」
俺がそう言うと、咲良は静かに、でも確かにうなずいた。
「……うん。たぶん……悠真くん、かな」
その声は、とても小さくて。
ふと咲良を見た――
その瞳が、絵の中の女の子と重なって見えた。
静かな光の中で、誰かを見つけたときのような、そんな目をしていた。
小さなプレートに書かれていたタイトル。
「透明な心・The Gaze」
その言葉さえも、今の咲良にぴたりと重なっていた。
俺は絵の余韻に浸りながら、この二枚の絵を写真に撮る。
三脚を新たに購入した。
素人ながら俺の方も少し本格的になってきた。
勝手が分れば慣れていくもので、最初よりは手際よくシャッターを切っていく。
「オーケー。いい感じ」
咲良と一緒にスクリーンを見て確認する。
「良く撮れてる。ありがとう。悠真くん」
済ましてお辞儀をする咲良。
ポニーテールがパサッと揺れる。
俺がカメラや三脚を片付けている間、咲良は絵を保管庫に運んでいた。
お互いの片付けが終わると、咲良はテーブルに置いてあるリュックから何かを取り出す。
そして、それを俺の前に差し出した。
「あのね、ここに応募しようと思って」
「ん?」
視線を落とすと、それは美術コンクールのパンフレットだった。
そっと手に取り内容に目を通す。
《第19回 若手創造美術展 ― YOUTH ART PRIZE 2025 ―》
主催:文化庁/公益財団法人 日本現代造形美術振興会
後援:全国美術教育連盟/日美学術協会/現代美術新聞社
協力:全国私立美術大学協議会/海外アート研修協会
募集要項
応募対象:
全国の高校2年生~大学1年生まで(※教員推薦、学校長推薦あり)
※個人応募も可(事前審査あり)
作品規定:
・1人あたり 2点以内の出品が可能
・平面作品(油彩・水彩・アクリル・ミクストメディアなど)
・サイズは F30以内(額装含まず)
・オリジナル未発表作品に限る
提出形式:
・実物搬入(所定会場)または高解像度画像+ポートフォリオ
・作品解説・創作背景(400字以内)添付必須
応募締切:
202X年8月27日(水)必着
審査結果発表:
202X年10月5日(日) 公式サイト/文書通知にて発表
表彰・副賞
YAP大賞(1名)
・副賞:都内ギャラリーでの個展開催権+海外アート研修推薦
優秀賞(3名)
・副賞:画材提供/学内展示推薦/審査員特別講評
入選(若干名)
・全国巡回展示(希望者)+作品カタログ掲載
審査基準
創造性(Originality)
技術力(Technique)
構成力・発信力(Composition & Message)
「すごいね、こんなのあるんだ」
「うん、去年も応募したけど、ダメだった……でもね、なんか分かんないんだけど、今回は手応えがあるんだ」
咲良がこんな風にいう事は稀で、きっとこの夏休み期間の製作が充実したものだったのだろう。
伏し目がちに俺を見つめる笑顔が、今までで一番眩しく見えた。
お読み頂きありがとうございます_(._.)_。
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