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ただ、君を見ていた。  作者: ぽんこつ


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二人のアトリエ

俺はリュックを肩にかける。

時計の針は、11時半を指していた。

もっと――夕方、いや、夜まで居られたらよかったのに。

でも、午後の短時間だけバイトを入れていて、それを理由に、この家を後にしなければならない。

玄関先。

咲良は、そっとサンダルを履いて俺の前に立つ。

さっきまで部屋にいた時とは少し違って、表情にわずかな寂しさがにじんでいる。

「……また、来てね」

柔らかい声で、ぽつりとそう言った咲良は、玄関の光に包まれながら、かすかに微笑んだ。

「今度は、咲良も……俺んちに来てよ。ああ、汚いけど」

俺がそう言うと、咲良はふっと笑って、うなずく。

「……うん、行く」

言葉のあと、ゆっくりと俺の手に、自分の手を重ねてきた。

その仕草は、ためらいがちなようでいて、どこか安心しているようでもあって――。

俺はその手を包み込むように握り、顔を寄せる。

咲良は、静かに目を閉じた。

キスを交わした唇には、触れたまま残るようなぬくもりがあって、

咲良の息遣いは、ほんのわずかに甘く揺れていた。

「ありがとう、気をつけてね」

咲良の声は、どこか名残惜しさを含んでいて、でも、俺を信じて送り出すような響きだった。

「家帰ったら、インスタアップする。たぶん今日中に出来ると思う」

「ありがとう。悠真くん」

「うん。またメッセージ送る」

「……うん、私も」

そのあと咲良は、少しだけ背伸びをして、もう一度キスをねだった。

俺も応えるように唇を重ね、手を強く握った。

離れる瞬間、咲良の手が、ふっと迷うように俺の指を探して、

名残惜しそうに、指先がほどけていった。

俺が玄関を開けると、咲良はそのまま一緒に外へ出て、道路の手前までついてきてくれた。

夏の陽ざしが、白いアスファルトを静かに照らしている。

咲良の髪が、風にふわりと揺れていた。

「……じゃあ、また」

俺がそう言って手を振ると、咲良も両手で、小さく大きく振り返してくれる。

その手は、俺が角を曲がるまで、ずっと止まらなかった。

……寝不足ってわけじゃない。

むしろ、あんなに深く眠ったのは久しぶりだったと思う。

でも――なんだろうな。

体中、頭の中さえも、咲良の温もりがまだ残ってるみたいで。

手を握った感触も、隣で笑ってた顔も、静かに聞こえた寝息までも――

全部が、まるで昨日の続きを歩いているような、そんな不思議な感覚だった。


バイトを終えて、ようやく家に帰り着く。

シャワーで汗を流し、さっぱりした体で部屋に戻ると、

自然と背筋が伸びた。

机にカメラとノートパソコン、スマホを並べて、少し深呼吸した。

まるでこれから何かが始まる合図みたいに、

部屋が、静かに緊張している気がした。

深く、ひとつ息を吸って、スマホを手に取る。

Instagramを起動する。

アカウント名は、咲良と一緒に考えて決めた──

@sakura_color_atelier。

プロフィール欄には、まだ仮のままの簡単な自己紹介。

「高校生/美術部/絵を描きます」

静かな時間と、ひとりごとみたいな色たち

少しずつ、見せていけたら、自分のペースで続けていけたらって思ってます。

Trying to paint what I can’t say out loud。

また、こうも付けたしおいた。

多忙につきDM、コメントへの返信はしばらくの間できません。

少し一方的かなとも思ったけど、実質の運用は俺がしていることと、咲良には制作に集中して欲しいから。

投稿するのは、あの3枚の中から、最初に決めていた1枚。

昨日、咲良が「これは、光をテーマにしたの」と言っていた風景画。

窓辺に差し込む光が、レースのカーテンを透かして揺れていて、

その空気感すら描かれていた。

当然フィルターはかけない。そのままがいちばん綺麗だから。

キャプションには、咲良が考えてくれた短い言葉を添える。

 たったひとりの、たった一度の読書時間。

 誰にも邪魔されたくない、私の静かな午後。

……それから、俺はいくつか調べたタグをつけていく、

#絵を描く人 #高校生アート #美術部 #水彩イラスト #青春アート……

仲でも作品を紹介・リポストしてくれることで知られる、アート系キュレーションアカウントを調べて加える。俺の想いを。

#art_forshare #illustration_daily_daily #artist_support  #support_art

#japanese_art_official #arts_help #illustrators_on_instagram……

「公開」ボタンに指を伸ばす前に、少しだけ手が止まる。

スマホの画面に浮かぶ咲良の絵を、もう一度じっと見つめた。

軽いポンという音とともに、投稿完了の通知が出る。

まだ「いいね」も「コメント」も何もない、真っさらな投稿画面。

だけど俺には、それがまっすぐな光に見えた。

──これが、咲良と一緒に選んだ未来。

少し大袈裟かもしれないけど、それでも俺は信じている。

今日のアクションは、咲良のためになるって。

俺は咲良にメッセージを送る。

「今、インスタ投稿したよ」

すぐに返信。

『悠真くん、ありがとう。初めて、自分の絵が“誰かに届くかも”って、思えたよ』

「きっと届くよ。咲良の絵のファン第一号の俺が言うんだから笑」

『笑。いつの間に?でも、悠真くんならいいよ』

「咲良、大好きだよ」

『私も、大好きだよ悠真くん』

そのメッセージを読んで、俺はスマホを胸元に持ったまま、ベッドにごろんと仰向けになった。

天井の灯りは落としてある。

窓のカーテン越しに、街灯のやわらかい光が差し込んでいた。

それをぼんやり見つめながら、大きくひとつ、息を吐く。

ふと横を見ると、テーブルの上のデジタル一眼レフが、静かにこっちを見ていた。

バイト代をためて買った、大事な相棒。

咲良を応援したいと思ったとき、俺にできることを考えて、たどり着いたのがインスタグラムだった。

咲良の絵を撮るために、きれいに、まっすぐに、咲良の世界を記録したかった。

──でも、それだけじゃなかったんだなって、今は思う。

ゆっくりと上体を起こして、一眼レフを手に取る。ベッドの端に腰を下ろして、カメラをそっと抱えた。

今朝、咲良の家で、ついシャッターを切ってしまった一枚。

耳まで赤くして、儚げな横顔で、胸の前にそっと両手を重ねていた。

パジャマ姿で、まるで何かを祈るように。

ふわっとした髪が肩にかかって、恥じらいを含んだ表情が、やさしい朝の光に包まれていた。

……パジャマは、反則だった。

何気ない一瞬なのに、目が離せない。

ただのスナップじゃない。あれは、咲良の“今”そのものだった。

これまでのデートで撮ってきたスマホのツーショット。

笑っていたり、照れていたり、真顔だったり。

髪型、服装、表情。

ひとつひとつに、その時の空気と気持ちが詰まってる。

あのとき、美術室で、咲良が絵を描いている姿。

あれを、写真に残しておけばよかった。

静かな午後の教室。

イーゼルの前に座る咲良の背中。

窓から差し込む光が髪を照らして、彼女は黙々と筆を動かしていた。

言葉じゃない、絵で何かを伝えようとするその姿を、きちんと残したかった。

次に会えたら、ちゃんとお願いして、撮らせてもらおう。

──あ、でも、そう言うと構えちゃうか。

咲良のことだから、意識して緊張するのがわかるから。

ふと思いついた。

その後ろ姿を、インスタグラムのアイコンにしてみたらどうだろう。

顔は写ってないけど、筆を握る手や、揺れる髪。

咲良の世界がそこにあるって、伝わる一枚。

きっと、そういうのが──

いちばん、咲良らしい。

ピンポーン。

玄関のチャイムが鳴った。

18時20分。

父や母なら鳴らさないし。

「……誰だ、こんな時間に」

ピンポーン。

お読み頂きありがとうございます_(._.)_。

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