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ただ、君を見ていた。  作者: ぽんこつ


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on your mark

咲良はパジャマ姿のまま冷蔵庫を開けている。

その姿をぼんやりと眺めていると、何気なく、ぽつんと呟く。

「……何が食べたい?」

振り向いた咲良が、寝起きの顔のまま、俺にそう聞いてくる。

目が合って、ちょっとだけくすぐったくなる。

「ああ、普段朝はトーストだから……なんでもいいです」

「じゃあ、悠真くん、お湯わかしてくれる?」

「はい」

やかんに水を入れて持ち上げながら、なんだこの空気……と思った。

なんでもない会話なのに、妙に楽しい。

まるで一緒に住んでるみたいな、そんな錯覚。

いや、錯覚じゃなくて――

ほんとはこんな日が、いつか当たり前になったらいいって、思ってしまっていた。

ぼっと火をつけたコンロの前に立つと、

咲良がトースターにパンをセットし、卵とハムを手に持って俺の隣に並ぶ。

さっきまでベッドにいたはずなのに、すっかり台所の空気が咲良色になっていた。

「目玉焼きと、スクランブルエッグ、どっちがいい?」

「……あ、じゃあ目玉焼き」

「ふふ、だと思った」

咲良が小首を傾げて、俺の目をちょっとだけ覗き込んでくる。

やわらかい声と、目の端がほんの少し緩んだ笑顔。

「かわいい……」

咲良が俺のTシャツの裾をグッと引っ張て、思わずよろめいた。

「バカ……」

冴えない声でそう言いながらも、咲良の耳まで赤く染まってるのが見えた。

パチパチと卵が焼ける音、トースターの中から香ばしい匂いが広がっていく。

その音と匂いが、特別な朝に、さらに特別な装いと彩をもたらしていた。

咲良は片手に菜箸、もう片方にフライパンを持って、時々眠そうに、目を擦ったり、小さく欠伸をする。

無防備な姿に、朝からドキドキする。

ピーッとやかんが俺を現実に呼び戻す。

急いで火を止め、用意されていたカップにお湯を注ぎ、紅茶のティーバッグを入れる。

カップの花柄は咲良らしい――優しくて、繊細で、ちょっとだけ儚い。

「ありがと。あとちょっとで焼けるから」

「うん、俺も紅茶できたよ」

湯気の立ちのぼるティーカップをテーブルに置く。

チン!

食パンがちょうど焼きあがり、咲良がそれを皿にのせて持ってくる。

二人で並んで、トーストにバターを塗ったり、卵を皿に分けたり。

何気ない作業のひとつひとつが楽しい。

この静かで、あたたかい時間がずっと続けばいいのに、なんて都合のいいことを思ってしまう。

咲良が紅茶をひとくち飲みながら、ぽつんと呟いた。

「なんか。いいねこういうの。照れるけど」

「はい、いいです。目玉焼きおいしい、半熟好きなんで」

「……だと思った。ありがとう」

そして、見つめ合って笑う。

咲良の手料理。

目玉焼きとハムを焼いた、簡単なものだけど、旨いんだ。

味や焼き加減。

そして一緒に食べる人、作ってくれる人の想いの味付けが、一層料理をひきたてるのかも。

なんて考えてみたり。

あまりにも心地よくて、あやうくこの空間に心の全部を溶かしそうになって――

俺は、話題を切り替えた。

「……今日、帰る前に撮っていいかな? インスタ用の写真」

「うん、もちろん」

咲良はふわっと笑った。

その笑顔を見た瞬間、どんなフィルターよりも――

咲良がいるだけで、この朝はもう、完璧だって思えた。


朝食を片づけたあと、咲良の部屋に戻る。

部屋の奥、机の横には完成した3枚の絵が、そっと立てかけられていた。

俺は、この日のために用意した一眼レフを手に、その前にしゃがみ込む。

「この3つでいいんだよね?」

「うん。……どれも、ちゃんと仕上げたから」

咲良はそう言って頷きながらも、どこか落ち着かない様子だった。

パジャマの裾を指先でそっとつまんで、俺の隣でちらちらとカメラの画面を覗き込んでくる。

その動きがなんだか幼くて、だけど妙に愛しくて、俺はカメラ越しの咲良にも、少し意識を向けてしまう。

今も描いている最新作は、完成したら投稿する予定のものだ。

今日はその前に、すでに完成している3枚を撮影しておく。

まず1枚目。

タイトルは《白い椅子と青い本》。

真っ白な木製の椅子に、開いたままの青い本が一冊。

背景は、滲むような緑とグレーのグラデーションで、あえてディテールをぼかしている。

静かな光に包まれた午後の一場面――誰かがほんの少し席を立ったような、そんな気配のある絵だった。

絵を写真撮影することについて事前に調べて分かった事だが、蛍光灯より自然光のがいいこと。

作品全体に光が当たる様にするときれいに撮れる。

それから作品の置き方は、水平に寝かせた状態か、垂直に立て掛けた状態のどちらかで。

カメラも作品に対して、斜めにならないように固定して撮影すること。

それを咲良にも説明しつつ、自然光の当たる位置を探す。

「この辺が、いいかも」

咲良が立っている所に、窓から差し込む柔らかい光が差している。

ベッド脇にできた光の帯に絵を置いて、二人で角度を調整していく。

斜めにならないように慎重に構図を決めて、シャッターを切る。

カメラの背面に映る画像を見て、俺はにやけた。

「すごく綺麗に撮れてる。これ、きっと反響くると思う」

咲良は耳まで赤く染めて、そっと覗き込む。

「……ほんと? なんか、緊張してきた」

画像を見た咲良は、スッと小さく息を吐くと、物思いに耽るみたいに、宙を見つめていた。

両手を胸の前で重ねるように、祈るみたいな格好で。

その仕草が可愛すぎて、ついこっそり、シャッターを切っていた。

カシャ、という音に反応して、咲良は小首を傾げるだけで、気づいてない様子だった。

次に取りかかるのは、2枚目の作品。

《影の帰り道》。

薄曇りの夕暮れ、河川敷をひとり歩く制服姿の少女。

その傍らに長く伸びる影が、どこか寂しそうで――絵からは、静かな切なさがにじみ出ていた。

撮影は床に寝かせて行う。絵とレンズを平行に合わせ、角度を調整してシャッターを切る。

そのとき、横から咲良の小さな声がした。

「……この子はね、私じゃないけど……たぶん、私の一部なの」

その言葉には、不思議な静けさと、少しの覚悟が込められていた。

「うん、すごく伝わる」

俺は目を離さずに応えた。

「ありがと……」

囁くような声が、空気の中にすっと溶けた。

最後の1枚。

タイトルは《レモンの午後》。

明るい陽射しの中、木のテーブルに置かれた半分のレモンと、マーガレットの挿されたガラス瓶。

陽光がガラスを通って、机の表面に反射している。

静物画なのに、不思議と“人の気配”を感じさせる構図だった。

「この絵は、この3枚の中で最初に完成した作品だよね?」

「うん……秋の終わりに描いたの。描いてるときね、なんか……心がすごく穏やかだった」

咲良の声は、思い出を抱きしめるように優しかった。

「……それ、咲良らしい感じがする」

「それにね――この3枚全部、悠真くんのこと、気になり出してから描いた絵なんだ」

咲良は両耳にそっと髪をかけた。

そして、体の前に真っ直ぐ下げた腕の先――その手元で、細い指先がもじもじと動きながら、何度も互いに絡まり、ほどけ、また絡まる。

「うれしいな、絵の背景に俺が少しでも関わっていいたなんて」

「……いつも、いるにょ」

咲良はハッとしたように両手で口元を押さえて、そっと咳ばらいをした。

俺は、そっとその肩に手を添える。

すると、咲良は少し伏し目がちになりながら、恥ずかしそうに舌をちょこんと出す。

「……そう、これに、言葉、つけなきゃいけないんだよね」

パジャマの両袖を指先でつまみながら、咲良は机の前に向かう。

「うん。タイトルだけでもいいけど、短い言葉があると、見る人にもっと届くと思う」

「……うーん……難しいなあ。ポートフォリオ用にも書いてるんだけど……」

「俺、ちょっと草案書いてみようか?」

「ううん……自分で考える。がんばる」

咲良はそう言って、机から小さなメモ帳を取り出すと、ペンを走らせた。

ときおり、考えるように唇を軽く噛んだり、書き直したり、静かに息を吐いたりしながら、慎重に言葉を選んでいく。

10分ほどして、咲良は静かに3枚の紙を差し出してくれた。

俺はそれを受け取り、大事そうにメモ帳の間に挟む。

咲良が考えた3枚の絵に添える言葉

《白い椅子と青い本》

 たったひとりの、たった一度の読書時間。

 誰にも邪魔されたくない、私の静かな午後。

《影の帰り道》

 ひとりじゃないと思ってたのに、

 振り返ると、影だけが隣にいた。

《レモンの午後》

 何も起きなかった日が、

 実は、いちばんしあわせな午後だったのかもしれない。

その言葉を、俺は何度も静かに読み返す。

どの言葉にも、咲良の感情が、そのまま染み込んでいた。

咲良の世界を、もっとたくさんの人に知ってほしい。

咲良のまなざしと、静かな叫びと、その心の色を――

俺にできることなら、何だってやってやる。

――そう思った。

お読み頂きありがとうございます_(._.)_。

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