それぞれの答え
お互い久しぶりに会えたこと。
それぞれの想いを伝え合えたことで、まるで会っていなかった日々が嘘のように、楽しい時間を過ごす。
一緒に並んでゲームをして、こっそり練習した成果を見せると、咲良は目を丸くして、それからふわっと笑った。
「うまくなってる……びっくりした」
その声が嬉しそうで、少しニヤニヤしてしまう。
画面越しに交わすやりとりすらも楽しくて、気づけば、咲良の笑い声や息遣いが部屋いっぱいに満ちていた。
この時間が、ただの一瞬だなんてもったいない。
幸せって、きっとこういう瞬間の連続のことなんだろう。
夕食はピザ。
咲良のリクエストだった。
届いた箱を開けて「熱い」と笑いながら、ふたりでそれを頬張る。
テレビはつけっぱなしで、何かの音楽番組が流れていたけれど、咲良といると周りの音なんてほとんど入ってこない。
やがて夜も深くなって――
「お風呂入ってくるね」
咲良が、ふいに言って立ち上がった。
部屋の隅に置いてあった小さな袋を手に取ると。
少し振り向き、唇を嚙むとスッと部屋を出て行った。
「行ってらっしゃい……」
吐いた言葉に辟易しつつ、どこか見送る側の俺は妙にそわそわしてしまう。
一人残された室内の空気が一変したように静かになった。
どうしてこう、女の子の部屋は、いい匂いが染み付いているのだろう。
俺はリモコンを手に取り、テレビの音量を少し上げる。
けれど、内容はほとんど頭に入ってこなかった。
手持ち無沙汰にスマホをいじってみる。
だけど、スクロールする指先はすぐに止まる。
画面に映し出されたものが見えていない。
気を紛らわそうと、さっき飲みかけだった麦茶を手に取って、一口。
冷たさだけが喉を通っていって、それきりだった。
「……やばい」
小さくつぶやく。
何をしても、咲良のことばかり浮かんでくる。
さっきの笑顔。
ゲーム中の仕草。
ピザを食べながら指を拭ってた、あの指先。
何もかもが、近すぎて、遠すぎて。
なんだそれって思いながら、ベッドに背中を預ける。
ただ静かに時が流れていく。
ふいに背中にあるのが、ベッドだと気づいて一人で、慌てて背筋を伸ばす。
咲良が風呂から出てくるのが、待ち遠しくて、こわい。
「同じ部屋で夜を過ごす」とか――
考え出すと、もう落ち着いていられなかった。
俺、どうするんだろう。
いや、どうしたいんだろう
咲良のこと、大切にしたいっていう気持ちは、誰にも負けないくらいある。
でも、それと、抱きしめたい気持ちや、もっと触れたいって気持ちが、同じくらい強くなってきてるのも……本当で。
変なこと、考えるなって自分に言い聞かせても、どうしても意識してしまう。
いや、変な事でもない訳で。
咲良の隣で寝るとか、正直、心臓がもたない。
かもしれない。
「落ち着け俺……」と、小さく呟いた。
無意味に立ち上がり、テーブル周りのごみを片付ける。
女の子の風呂は長いな、なんて思いつつ。
机の脇にあったゴミ箱を取ろうとした時、机の端に置かれていたノートがパサッと床に落ちた。
「あちゃ……」
ノートを拾い上げ、閉じよとした時、目に入って来た文字に吸い寄せられた。
「私の大切な人」――
几帳面な小さな文字でこう書かれていた。
最初は、覗いちゃいけないものかもしれないと思った。
けれど、もうすでに次の言葉を目で追っていた。
「大切に思う人はいますか?」
一行目を読んだ瞬間から、咲良の声が頭の中で聞こえる気がした。
昔、誰かにそう聞かれたとき、私はすぐに答えられなかった。
誰かを「大切」と思う感情が、どんな形をしているのか分からなかったからだ。
でも、今なら分かる。
私の大切な人は、何気ない日常の中で、そっと隣にいてくれる人。
黙っていても、気づけば視線を合わせてくれて、
何も言わなくても、心が少し楽になる。
その人は、私が絵を描くとき、何も言わずに静かに見守ってくれる。
私の拙い言葉を、最後までちゃんと聞いてくれる。
時々、先回りしすぎて、困らせたくなるくらい優しい。
私が不安なときは、何もかも見抜いてしまうみたいに、
一番ほしい言葉を、渡してくれる。
誰かを大切にするって、きっと「この人の笑顔を守りたい」と思うことなんだと思う。
私にとって、その人は、そういう存在になった。
もしも、将来が思い描いた通りにならなかったとしても、
この気持ちだけは、ずっと変わらない。
変えたくない。
「ありがとう」って、何度言っても足りない。
それでも、きっと今日も、私はまたその人に向かって、
何度でも、そう思う。
咲良は、本当は夢のために海外に行きたかった。
その道を歩むことができたかもしれないのに、俺のために、違う未来を選ぼうとしてる。
それが、申し訳なくて。
それが、嬉しくて。
ふたつの感情がせめぎ合って、どう言葉にすればいいか分からなかった。
でも――
咲良が迷いながら、それでも「一番大事なのは悠真くん」って思ってくれたこと。
その想いが、ページの端々から伝わってきて、言葉に言い表せない思いがこみ上げてくる。
俺にできることは、きっと、選ばれたことを悔やまないくらい、咲良のそばでちゃんと支えていくことだ。
ノートをそっと閉じて、机の上に静かに戻す。
そのとき、階段を上がってくるトントンと足音が聞こえてきた。
……そして。
「……あがったよ」
石けんのほのかな香りとともに、咲良が部屋に戻ってきた。
髪がまだ少し濡れていて、肩にかかるその感じが妙に色っぽい。
ピンクのパジャマはゆるやかに体に馴染んでいて、裾からのぞく細い足に、自然と目が吸い寄せられた。
小さく足先が動いているのが、咲良の緊張を映しているみたいだった。
「……なんか、変じゃない?」
「全然、変じゃない……っていうか、めちゃくちゃ……かわいい」
心臓がどくんと跳ねる。
さっき穏かになっていた心が嘘のように荒れ狂う。
息を整えようとしてもうまくいかない。
咲良は髪を耳に掛けて、唇をきゅっと結び、小さく吐息をこぼした。
「……変なことしたら、怒るよ……」
「な、なにもしないです!!」
「……うそ。ちょっとは、そう思ってるんでしょ?」
その一言に、体中がカーッと熱くなる。
視線が泳いで、喉が詰まりそうだった。
「あっ……悠真くんどうぞ、タオルは脱衣所に出してあるから使って」
咲良はモジモジと裾を握りながら、横歩きで、一歩、二歩動いて道を開けた。
「え、はい……」
「あ、そうかお風呂場分からないか……」
「あ、大丈夫です。探します」
俺はリュックからそそくさと着替えを出し、脇に抱えて部屋を後にした。
扉の前で大きく深呼吸をして階段を降りる。
何となく残った石鹸の香りを頼りに進むと、廊下の奥に電気が付いた一角があった。
脱衣所の鏡に映った自分の顔が、なんだか少し照れて見えた。
服を脱ぎながら、ふと、あのピンクのパジャマが頭に浮かんで――慌てて顔を振った。
湯船に沈むと、あのとき咲良が笑った顔や、指を絡めた感触が思い出される。
冷めかけていた湯が、ふたたびぬるく温かく感じられた。
落ち着こうとしても、心臓だけが妙に落ち着かない。
「……あのパジャマ、反則だろ」
思わずぼそっと呟いて、湯の中で目を閉じた。
俺がタオルを肩にかけたまま、髪を乾かしながら部屋に戻ると――
咲良は、ベッドの端に座っていた。
膝を揃えて、両手を軽く重ねてその上に置いている。
顔は伏せがちで、でも、俺が来た気配に気づくと、そっと顔を上げた。
「……おかえり」
いつもより少しだけ、声が小さい。
でも、それがかえって耳に心地よく響いた。
部屋の照明はすでに落とされていて、間接照明だけが一角をやわらかく照らしていた。
その淡い光の中で、咲良の髪がふんわり揺れて、
ピンク色のパジャマが、少しゆるそうに肩に馴染んでいる。
さっきよりも、ほんの少しだけ。咲良が近くにいてくれる気がした。
「……乾かしきらなかったね」
咲良が俺の髪を見て、そう言って笑った。
俺はうなずいてから、タオルを外して肩にかけ直した。
咲良のすぐ隣に座ると、ベッドが小さく沈んで、
そのわずかな揺れさえも、心臓に伝わってくる気がした。
「……ねえ、悠真くん」
パジャマの袖をくしゅっと握りながら、咲良が小さな声で呼んだ。
俺が顔を向けると、咲良は目を逸らしながらも、ゆっくりと手を伸ばしてきた。
指先が、俺のTシャツの袖にそっと触れる。
「……ねえ、会いたかったよ」
「俺もです……」
咲良は俺の肩に頭をチョンと乗せ、腕に抱きついた。
柔らかい感触が腕に伝わる。
「悠真くん、その、ありがとう。会いたいってメッセージ嬉しかった」
「ああ、いえ、会いたかったから」
「うん。私からあんなことを言ったから、言い出しにくくて……」
「ううん、それは気にしないで。咲良の事応援したいって思ってるから」
「……悠真くんのこと、好きになれて……出会えて良かったって……」
「それは俺も同じ」
俺の手に咲良はそっと手を重ねてきた。
「キスして……」
咲良は俺の顔を見上げる。
俺はそっと唇を重ねる。
少し見つめ合うと、伏せ目になる。
もじもじと膝の上の手が動いていた。
「寝てもいい……?」
「え、えっと……もうですか?」
「だって……今日は、すごく幸せだったから。安心して眠くなってきた」
咲良は足をベッドに上げて寝ころんだ。
「……その、悠真くんのこと信じてるから……」
「え?ええ、はい」
「でも……ちょっとは、変なこと考えてるでしょ?」
「え?」
「えって……もし、しようとしてきたら、ちょっとだけ……困ったフリくらいは、したかも」
咲良は顔を枕に埋め、足をばたばたさせた。
顔は見えない。でも、耳まで赤くなってるのが分かった。
たまらず、そっと咲良の頭をなでると、ピタッと咲良の動きが止まる。
細く、柔らかい髪の感触が指に絡んで、鼓動が高まっていく。
咲良はゆっくりと顔を横に向ける。
頬にかかった髪を俺はそっと払い、真っ赤な耳に髪を掛けた。
間接照明の淡い光が照らす顔が色っぽくて。
「……ごめん。かわいすぎて、どうにかなりそうです」
「……しないって、言ったのに」
「するとは言ってません。でも、めちゃくちゃギリギリです」
咲良は、もぞもぞと仰向けになった。
そして、スッと体を起こして足元の薄手の掛け布団を引き寄せると、その中に潜り込んだ。
そして、半分だけ顔を出す。
その中から手を伸ばしてきて、俺のシャツの裾をつまんだ。
「……初めて、だから……」
タオルケットからのぞいた咲良の顔が――一瞬で真っ赤だった。
「……俺もです」
「……じゃあ、ギリギリまでなら、してもいいよ」
そう言った咲良は、両手で耳たぶを触っていた。
どうするんだ俺。
咲良はいいと言っている。
ふと咲良を見ると顔の両脇でタオルケットの端をちょんと摘まんで、俺を見つめている。
意を決して咲良に近づこうとした時、何かが俺を引っ張った。
頭の中で、何かを思い出す。
ああ、さっきの咲良の仕草……。
いつ見た。
耳たぶを触る。
あ、あの時、咲良が俺に嫉妬したあの時見た仕草。
それ以来、久しぶりに見た。
今は嫉妬する状況でもない。
その後、体育祭でお互いに嫉妬した時には、耳たぶを触ることはなかった。
あのときも、初めてだった。
初めて嫉妬して、初めて耳たぶを触った咲良を見た。
今も――
もしかして、怖いのかもしれない。
無理してるのかも。
漠然とそう思えた。
俺自身、咲良に嫉妬した時、黒い感情が先走って口にしなくてもいい事を口して、でも、好きだから言わずにいられないというか。
俺はそっと、咲良の頭を撫でる。
咲良は目だけ動かして頭の方へ向ける。
「……その、大切にしたいんだ。咲良のこと」
俺の声に、咲良は少しだけ顔を出して、潤んだ瞳でじっと見つめてきた。
「うん……」
その瞳が、答えのように思えた。
あの耳たぶを触るのはきっと無意識なもので。
そして、たぶん、怖いというサイン。
もう一度、髪を撫でてから、そっと額にキスを落とす。
咲良は黙って掛布団をめくる。
俺はそこにゆっくりと体を横にした。
ベッドや掛け布団に咲良の匂いが染み付いている。
咲良は何も言わずに、俺の腰にそっと手を回してきた。
柔らかな肌の感触。
重なる鼓動。
温もりが伝わる。
言葉にできない想いが、すぐそこにあった。
その夜、ふたりは抱き合ったまま眠った。
まだ、“それ以上”ではなかった。
けれど――確かに、ふたりだけの“はじめて”が、そこにあった。
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